第二幕『月影に夜風の匂い』第十場
着替えを取りに覗いた寝室ではルーはまた丸くなって寝台の上で寝息を立てていた。
癖のない長いブロンドがシーツに無造作に広がり、なんてことない寝台が豪奢な王族のそれのように見える。
下着とシャツ、スラックスをクローゼットから出して浴室で着替える。もう一度手を洗ってからキッチンに向かい、朝食の用意を始めることにする。
強力粉、薄力粉、砂糖、卵、牛乳、バニラオイル…
無心にボウルを掻き混ぜる。時間がかかり、工程の多いこの作業で無理やり気持ちを落ち着ける。
生地を寝かせている間に今日の準備を行い、スコアをチェックし、手帳に確認事項を書きだして、1時間ほど経過してからやっと生地の成形、またしばらく寝かせて、熱した油入れたそれをひっくり返している頃やっとルーが起きてくる。
「うへぇ、朝から揚げ物? 丈夫な胃だねえ…」
「ベニエだ。挙げたては美味いぞ」
「ぼくはそのホットチョコレートだけでいいかな…」
「朝からきちんと食べないと身体がもたないだろう」
「出かける予定ないからだいじょーぶ。今日はいい子でお留守番してるよお。そろそろ作曲もはじめなきゃだし」
「どんな仕事だ」
「えーとね、ちかぢかオープンするデパートの宣伝ソングとー、香水店のBGMとー、あとイタリアのアーティストへの楽曲提供」
「ジャンルが混沌としているな…」
「どんなジャンルでもばっちり仕上げちゃうのがこのぼくなのさ! ぼくは天才だから!」
「そうだな」
雪のような粉砂糖と、生地を寝かせていた間に作っていたクリーム、冷蔵庫から出した大瓶のラスベリージャムを添えて、完成だ。
フルーツの缶詰を空けて皿に盛りベニエおよびホットチョコレートとともに供する。
「召し上がれ」
「…また甘いモンに甘いモンを重ねてきやがったな…」
おっかなびっくりベニエを摘まみ上げたルーがそれに齧りつく。サクサクとしばらく無言で食べてから、
「おいしい」
と感想をひとつ言った。
「よかった」
「きみ器用だなあ。料理なんて実家でしたことなかったろ?」
「工程が決まっているものだから、簡単だよ。むしろ創意工夫が必要なお前の仕事のほうが大変だろう」
「大変さの度合いは同じ尺度で計れないだろー。もいっこちょーだい」
「好きなだけどうぞ」
「きみ仕事何時から?」
「1時には出る。昼も何か作るよ。リクエストはあるか?」
「んー、海老食べたい」
「…オマール海老か…」
「ちっちゃいやつでもいいよ」
「買出しに行くか。お前も来るか?」
「ぼくはいい。ついでに下着も買ってきてくれない? あと歯ブラシも」
さりげなく投下された爆弾によって飲みかけのショコラが器官に入り、おれは咽る。
「は、なに、…けほ、」
「もーだいじょうぶかよー、パパというよりおじいちゃんみたいだぜえ?」
「下着など自分で買え!!」
「えーそうするとノーブラノーパンで外出歩くことになるけど、いい? 昨日の下着もうランドリーバッグに突っ込んじゃったから着たくなーい」
「家から持ってこなかったのか…」
「慌ててて、わすれちゃって。しょうがないだろ? 父さんと喧嘩して、頭に血が上ってたからさあ」
「……」
彼女が、父親と揉めたのはおれのせいだ。おれとの交際を、彼女の父は認めてはくださらないのだろう。あんな報道のあった後だ、父親の懸念も正当なものだとは思う。
だからといって、諦める気は毛頭ないが。
「――でもさ、考えてもみてよ。君好みの下着をプレゼントする、絶好のチャンスでもあるんだぜ? どんなにエロいやつでも着てあげるよ! ほとんど紐のパンツとかでもいいよ!」
「そんなものを買う訳がないだろう!!」
そうしておれは、買出しのついでに、女性ものの下着を買う羽目になったのだった。
デパートの下着売り場でガチガチに緊張してカウンターにルーのメモを叩きつける。
そこにはルーの下着のサイズが事細かく書かれており、おれはそれから極力目を逸らしつつ
「良いものを見繕ってほしい」
と告げるので精一杯だった。
店内はレースやフリルで縁取られた色とりどりの下着が、お菓子売り場のように並んでいて、目のやり場に困る。中にはルーの昨日つけていたような黒の下着や、獣の柄の下着も視界に入り、おれは仕方なく天井を見上げた。
店内はやはりというか女性ばかりで、場違いな異物であるおれを好奇の目で見ている。とてつもなく居た堪れない。消えてしまいたいと思ったのは、昨夜ルーにおれの秘密を見られて以来だ。
…ルーといるとおれは、こんな思いばかりしている。
「お待たせしました、こちらはいかがでしょうか?」
「じゃあそれで、」
言いかけたおれは店員の差し出すそれにちらと目をやり、思わず二度見した。
ショッキングピンクのそれは局部を覆う部分が子供の掌よりも小さく、ルーの言っていた通り、ほとんど紐のようだ。
もうひとつは鮮やかなエメラルドグリーンの上下で、胸の中心と女性器の部分に切り込みが入っており、下着としての役目を一切果たしていない。
「ほかにはないのか」
頭が痛くなりながら尋ねるおれに、店員は苦笑いしながらメモを差し出す。店員が指差すそこにはサイズの他、ルーの文字で小さく、『ぼくの恋人が喜ぶような、なるべくえっちなやつ!』との記載があった。
「……これは、無視してくれ。まともな下着を用意してほしい」
「畏まりました」
結局、ルーの悪戯のせいで、おれは拷問のような時間を引き延ばされたのだった。




