第二幕『月影に夜風の匂い』第七場
出入口でセデュにぶつかりそうになってたたらを踏む。
浴室の湿気に若干しっとりして見える少し癖のある黒髪を見上げてぼんやりしていたら、不思議そうなセデュに当然の疑問を呈された。
「もう少しで湯が張り終わるが、…どうした?」
「パジャマとか、貸してくれる? 持ってくるの忘れちゃってさ…」
「……」
ひくり、とセデュの頬が引き攣る。押しかけの居候にしては、ちょっと図々しすぎか? でもないもんはないんだから仕方ない! ボクは却って胸を張る。おかしなことは一切言っていないって体で乗り切ろうと言う寸法だ。これで今までも大体何とかなって来た。今回もなんとかなるだろ、多分!
「ないの? パジャマ。一枚くらいあるでしょ? 君何着て寝てるのさ?」
「…あるにはあるが、…朝、慌てていて、洗濯できていない…」
「べつにいいよ、それ貸して! 多少臭くても文句言ったりしないから!」
「……Tシャツの類でいいか。それならクローゼットに…」
「えーシルクのパジャマがいいなア。ボクの繊細な肌にはシルクじゃないとごわごわして眠れないなー」
わざとセデュを困らせるために言ってみる。セデュはへにゃりと眉を八の字にして、困惑しきりの表情だ。め、珍しい。あまりにかわいくて嗜虐心がウズくぞ。どうしてくれよう、この24歳…。
結局、ごねにごねたボクに根負けしたセデュはブルーグレーのパジャマをボクに差し出すこととなった。あいつが部屋を出て行ってからこっそり嗅いでみたけど、汗のにおいとかはしなくて、むしろセデュの脳髄を痺れさせるようなかすかに甘い残り香だけがしていて、ボクはにまにま頬を緩めた。
セデュに抱きしめられてるみたい。今夜はよーく眠れそうだ。
ふんふん鼻歌を口ずさみつつシャワーを浴びて、シルクのパジャマに袖を通す。やっぱり大きい、ぶかぶかだ。鏡には父親のスーツを着た子供みたいな、ぶかっこうかつ滑稽な姿が映っている。身長差は15センチくらいで、セデュは男にしては腰とかすごく細いと思うんだけど、…男と女じゃ、そもそもの身体のつくりが違うのだ。ずり落ちるズボンを両手で引っ張り上げながらボクはシャワールームを出、客間で待機しているセデュを呼びに行った。
泡だらけのお湯は一度全部払って、洗顔とか髪を乾かしたりとかしている間に新たなお湯は張り終えた。客間のセデュは今日のスコアの確認中で、ジャケットを脱いだシャツ姿のまま足を組んでソファに掛けていた。
…さっきまで叱られた犬みたいな風情だったのに、そうやって勉強している姿はひどく絵になる。マルセルじゃないけど、映画俳優みたい。…どっちかっていうとマルセルの甘い王子様めいた風貌よりも、セデュの引き締まった精悍な横顔のほうが、ボクのタイプなのである。
彼が実際、指揮者として世に出たら、音楽好きの女性ファンが放っておかないであろう。こぞって彼にメロメロになっちゃう未来が見える。まあセデュはボクのだけど!!!
「お風呂ありがとー。君も入って来なよ。お湯張っといたから」
「…ああ、ありがとう、…」
顔を上げたセデュがだらしない格好のボクを見て、一瞬ぽかんと呆けて、
――なぜだか耳朶を赤く染めつつ、慌てたように視線を逸らした。
「入ってくる。先に寝ていていいぞ」
「あ、そう? じゃあおやすみー」
「…おやすみ、ルー」
どこか夢心地のような声で言ってセデュはシャワールームへ向かう。ボクはそれを見送って、ひとりことんと首を傾げた。




