第二幕『月影に夜風の匂い』第五場
「セデュイールいるかしら、お客様よ」
「ルー!」
ガチャリと扉を開けた私を振り返ったセデュイールは一転、瞳を輝かせて駆け寄ってくる。私を素通りして、背後にお行儀よく控えたルーに話しかける。
「どうした、何かあったのか? 間もなくリハが始まる。用件なら電話でも、…」
「家を出てきた! 君んちに連れてって!」
「……」
意表を突かれたようにセデュイールは黙り込み、リハーサル前の最終準備をしていた演奏家たちも一瞬静止する。
沈黙を破ったのは、やはりというか、お調子者の、ピーターだった。
「へええ、同棲開始かア? いいなあセデュイール、可愛い恋人ができて」
「…あれ、でもあの子、マルセル様と噂になってなかった? …」
「セデュイールにもコナ掛けてるのかな。すっごいね、さすが芸能人はちがうわあ…」
ひそひそ声で囁かれる当てこすりも聞こえていないかのようにルーは堂々としている。
一方、ようやっと我に返ったセデュイールは、出入り口に立ったままのルーの腕をぐいと取り、
「こっちに」
と慌てたように連れ去った。
「三角関係かア。映画みたーい」
「冗談じゃないわよ。セデュイールがあんな子にひっかかるなんてショックすぎる…」
「やっぱ、才能じゃない? 見た目も一流、演奏も一流となれば、そりゃあモテるわよ。セデュイールの音楽馬鹿ぶりは有名だし」
「あああ、叶いっこないじゃないそれじゃあ!」
わっと蜂の巣を突いたように湧き起こる女性陣の嘆きに反して男性陣は呑気なもので、
「3人で付き合ってんのかな。マルセルも入れてさ」
「まーそれくらいはするんじゃねえの? セレブの余暇なんてそればっかだろ」
「語弊があるだろそれはー」
などと笑いあっている。
…リハーサルまでに彼は戻ってくるのだろうか。仕事に差し障るほどの恋なんてそんなの、…迷惑すぎるわ。
「ちょっとちょっと、どこいくのぉ? これからリハなんだろー?」
セデュはやっと足を止める。宮殿のように壮麗な、金装飾に縁どられた聖書や神話の人間たちに見下ろされたホールでセデュは振り返り、勢い込んで何か言おうとして、それから、…気を殺がれたように、肩を落とした。
「家を出たと言ったな。家族と揉めたのか。…おれのせいか」
「それだけじゃないよ。…というか、君じゃなくても、こうなってたとおもう」
「ご家族の了承は、むずかしそうか」
「あの報道がなければ、もちょっと簡単だったろうけど。…まあもう過去は取り消せないから、しょうがないね」
「……」
セデュは覿面、しょんぼりしている。ボクだって彼と付き合えることになって、ワクワクしてた気持ちに冷水をぶっかけられたみたいな感じだ。でも諦めないけどね。ボクはいいなりになんか絶対ならないからね!
「そんな顔しないでよ。べつに両親の許可がなくったっていいよ。だろ? かけおちしちゃおうぜえ、ロマンス小説みたいにさ」
「しかし、それではお前が傷つくことにならないか」
「へーきだよ。どんな荒波もどんと来いだ! だいたい、セデュはあきらめられるの? 親に反対されたからって、はいそーですかゴメンナサイって引き下がれるのかい? 君のボクに対する想いってその程度のモノ?」
「…無理だな」
「だろー!」
がばりと全体重をかけて抱き付くと、案外体幹のシッカリしているセデュはボクを軽々うけとめる。
「今日の公演が終わるまで、待ってるよ。劇場が跳ねたら、一緒にかえろ」
「…ん」
「じゃ、ボク行くね。その辺のバーにでも行ってるよ。終わるころまた来るね」
「楽屋で待っていればいい。小さいが、場内中継も見られる」
「職権乱用だろそれはー!」
「お前はもう関係者だろう。終わった後、今回の感想を先生に伝えに来ればいい」
「もー狡賢いっていうかふてぶてしいっていうか…案外図太いよね君!」
「図太い男は嫌いか?」
「えへへ、大好きー!」
ボクはセデュの腕に纏いついて、トランクは彼に持ってもらって、また楽屋に戻った。
オーケストラボックスに移動したらしい演奏家の姿はもうひとりもいなくて、ボクはソファに腰かけながらセデュに手を振った。
セデュはリハの間は客席から、みんなの演奏を聴くらしい。




