第85話 女毛皮商人のルーリャ (16) 〜熊さんと女の子、怖いのはどちらですか?
狭いな。
地下道の先の檻の中で、巨獣王熊と対峙するユリオ。
強い獣の臭い。檻の中には置燈は置かれてないので、薄暗い空間。
スペースがない。
あと1歩踏み込めば、お互いの攻撃の間合いに入る。
猛獣との戦い。反射神経や跳躍力、腕力が向こうの方が上の場合は。
とにかく相手の習性をよく考え、人間様自慢の頭脳を使って攻略するしかない。
このまま一直線に、心臓一突きを狙う?
最高級魔法強化剣だ。あの分厚い胸板も、貫けるだろう。でも、剣を深く刺す前に、両腕の強襲を喰らったら?
やばい。
正面から行くのは、さすがに無謀。
クマさん自慢の両腕に飛び込むのは、危険すぎる。
狭いけど。何とか回り込むか。
全力で後ろに回り……そうだ! 足だ。
足を狙おう。
普通、猛獣相手の時はあまり足は狙わないけど。
狭いスペースで、剣で猛獣狩りをするのだ。普通の常道は通用しない。
剣の一撃で相手を行動不能にするなら。
巨躯の足の1本も寸断すれば良い。王熊の足。どっしりとして頑丈だが、心臓や首より狙いやすい。
いくぞ。
ユリオ、跳躍の姿勢をとる。
が。
先に動いたのは王熊、
「グオッ」
不気味な咆哮とともに、ズシッ、と踏み込んでくる。
よし。
足を前に出してくれた。これはかえって好都合。
ブンッ、
ユリオ目掛け長い腕が振り下ろされる。光る鉤爪の天然凶器。
「おっと」
ユリオは素早く横に転がり強撃を躱す。相手は思いっきり振りかぶってから、叩きつけるように腕を振り下ろしてきた。渾身の一撃。あんなの直撃したら、一発でただの肉塊になっちまう。
でも、躱した。
転がったユリオ。身を低くしている。
相手は連撃できない。
今度はこちらの番。
目の前の太い足。毛むくじゃら。黒光りしている。足にも自慢の装甲があるんだろうけど、こっちには魔法強化剣がある。
ズサッ、
ユリオは渾身の力で気を集中させ、剣を薙いだ。熊の足の脛を狙った。
ブシュッ、
生暖かい液体が、ユリオの顔にかかる。王熊の血だ。
狙い通り、一撃で王熊の右の脛を寸断したのだ。
「グオオッ!」
咆哮を上げながら、倒れる王熊。
巨躯がバタンと、檻の中に沈む。
やったぜ。
倒れ伏しながら、王熊は、獰猛な目でユリオを睨みつけている。
「残念だったな、森の王者さん」
余裕で立ち上がるユリオ。血の滴る剣。やはりモノが違う。ただただアスティオに感謝である。
この熊は、もう何もできない。後はゆっくり仕留めてやろう。
「エスト=デュレイ様、気をつけて!」
檻の外から、フェルネの声。
「え?」
突如、王熊が身を起こした。両腕と残りの1本の足でである。
「あ」
迂闊だった。
熊って普段4足歩行なんだ。さっき直立してたから、うっかりしてた。足1本失くしても、まだ動けるんだ!
「グオッ」
足を斬られた痛みを激しい恨み憎しみに変えたか、全力でユリオに跳躍してくる王熊。足1本を失っても跳べるんだ。
オレ勝ったと戦闘解除モードだったユリオ、慌てる。
どうしよう。
あの巨躯。下に入ったら、潰されちゃう。でーー
また、全力で横に転がる。もうこれしかない。
ビュンッ!
王熊の鉤爪腕が、ユリオを掠める。
やった。
間一髪で躱せた。
ユリオはすかさず片膝をついて剣に気を集中させると、王熊の脇腹深く突き刺した。
「グオオオオオッ」
さっきより長い咆哮。王熊の顔、激しく歪む。しかし、もう攻撃はしてこない。
やがて巨躯が痙攣を始め、動かなくなった。咆哮も消えた。檻の中で、完全に地に伏している。
死んだ。
倒したのだ。
◇
ふうっ、と息をつき、座り込むユリオ。へたり込む、といったほうがいいか。
魔物魔獣との戦闘も森林山野での猛獣狩りも、武人鍛錬として散々経験してきたが、基本は隊戦闘である。
こういうのは初めて。
今までで1番危なかった。
特に2度目の王熊の強撃。躱せたのは、本当に紙一重だった。
ま。
勝ったからよかった。ここでこいつを倒さなきゃ、熊よりやばいらしいあの森林の女王ルーリャに始末されていたかもしれないのだ。
危険はなるべく避ける、がユリオの基本信条だったが、ここは前向きに考えることにした。
「エスト=デュレイ様、ありました!」
気がつくと、目の前にフェルネ。顔を上気させている。
旅行鞄ほどのサイズの櫃を抱えていた。
「……そこに、王貂の毛皮が?」
「はい。間違いありません。この檻の奥に置いてありました。他には何もありません」
「そっか。やっとお宝だ。よかったね」
王貂の毛皮。国の至宝。これ目当てでここに来たのだ。
「さあ、櫃を開けましょう。錠がしてあります。剣で壊してください」
「わかった」
いよいよ宝箱を開けるのだ。
すっくと立ち上がったユリオ、一呼吸すると、
「えいっ!」
剣を振り下ろす。
カチン、
剣は弾かれた。
櫃の錠前は、ビクともしない。
最高級の魔法強化剣なのに。
王熊との戦闘の後で、ちょっと気が乱れていた?
ならば、もう一度。
十分気を集中し、また剣を振り下ろすが、
カチン、
また、弾かれた。
錠をよく見ると、何やら紋様が彫り込まれている。
「こりゃ、ダメだ。これは魔法錠だ」
「魔法錠?」
「かなり強い魔法でブロックしてある。この剣じゃ開かない。この櫃ごとブロックしてあるんだ。櫃を壊すのも無理だな。こいつを開けるには魔術師の力がいる。それも相当な凄腕のな」
「そう……ですか」
櫃を撫ぜるフェルネ。
厄介なことになったな、とユリオ。
これが本当に王貂の毛皮なら、すぐ辺境長官の伯爵の所へ持っていって、
「王貂の毛皮を見つけました! ルーリャが隠し持っていたんです!」
と、献上することができる。
でも、ここで櫃を開けることができないのだ。中身が何かはわからない。
「ここに王貂の毛皮が必ず入っています!」
といえば、なにしろ一国の至宝である。ルヴォン大森林監督所にも魔術師はいるだろうし、そいつで無理なら、遠くからでも王国の一級魔術師を呼び寄せて開けるだろう。
で。
出てきたのが王貂の毛皮なら、いい。めでたしめでたしの大勝利。
でも。
違ってたら?
かえってこっちの立場がまずくなりそうだな。
どうすりゃいい?
そうだ。
ルル。
閃くユリオ。
ルルなら、この魔法錠を開けることができるんじゃないか?
よし、それでいこう。
その時ーー
フェルネが、櫃を抱え上げる。
「エスト=デュレイ様、その剣を貸してください。私で開けられないか、やってみます」
「……うん」
ユリオがやって無理なら、絶対にフェルネには無理だと思ったが、一応剣を渡す。
「ありがとうございます。少しそこで待っていて下さい」
そう言って、フェルネは櫃と剣を抱え檻の外へ。
どうするんだろう?
見守るユリオ。
フェルネは檻の外に出ると、鉄柱扉をガシャン、と閉める。
そして背嚢から大きな錠前を取り出すと、ガチャ、と扉に錠をした。
え?
唖然となるユリオ。
何するんだ?
俺、檻の中に、閉じ込められちゃった。
なんで?
ニヤリ、とするフェルネ。
その表情。
慄っとなるユリオ。
これまでの可憐で凛々しいフェルネではない。不敵で、憎悪に満ちたまなざしを向けてくる。
「あ、あの、君、なにを……」
「あんたは、もう用済みよ。よくやってくれたわ。エスト=デュレイさん」
にんまりとするフェルネ。
瞳には、不気味な光を宿している。




