第77話 女毛皮商人のルーリャ (8) 〜色と欲はもっと絡み合いますか?
大森林に鳥が囀り、ルヴォンの空が白み頃。
ノヴァク伯爵はやっと目覚め、慌てて身繕いし、散々ルーリャに別れを惜しんだ挙句、出て行った。
「フェルネ、伯爵様を送って行きなさい」
ルーリャは、メイドに付き添いを命じる。
大森林監督官邸へ。
朝白む都を、フェルネは伯爵を先導して歩く。
本来、大貴族たるもの、外出に馬車従者は必須だったが、もう8年もルーリャのところに通っているのだ。伯爵は、身1つで来ることがちょくちょくあった。大森林監督官邸とルーリャの豪邸が目と鼻の先のすぐ近く、ということもあったが、伯爵は、自分の愛人の肉体に思い焦がれると、馬車を準備させるのも面倒だ、と言わんばかりに急いて飛び出して来るのである。
そのくせ、すぐに精は尽きてしまう。
これには、ルーリャは呆れていた。
しかし、都1番の女毛皮商にとって使える男には違いなかったのである。まだまだ丁重に扱わねばならない。
ルーリャの豪邸を出て、ノヴァク伯爵の大森林監督官邸へ。
すぐに着いた。
監督官邸の家人を呼ぶ前に。
門の陰で、フェルネは伯爵に抱きつき、その胸に顔をうずめた。
「伯爵様……どうされたのですか? 私のことは、最近ちっとも相手にしてくださりませんね。寂しゅうございます」
「こ、こら、いかん、人に見られたらどうする」
「いえ、離しません。私を抱いてくださる、そうお約束をしていただくまでは」
「う、うむ、わかった。ともかく邸に入ろう。ちょっとの間だけだぞ。そうだ、ルーリャに渡すものがある、それをお前に届けてもらう。そう言っておけば、見られても問題ないな。さあ、来なさい」
慌てた伯爵、フェルネを連れて、邸へ。
「伯爵様! 私の伯爵様!」
ノヴァク伯爵の寝室で。
伯爵とフェルネは、素っ裸であった。
もっとも、伯爵のほうはあまり気もなく寝台に寝そべり、若いフェルネが1人でこれでもかと愛欲の技巧を尽くさんと奮闘していた。
「あ、フェルネ……もういいよ」
懈そうに言う伯爵。
「そうですか……」
焦るフェルネ。伯爵の反応が、全然ない。確かに女主人ルーリャ相手に精も根も尽き果て、一眠りした直後だと言うこともあるにせよ。
(以前なら、女主人の後、すぐ私の相手をしても問題なかったのに)
ルーリャ付きのメイドであるフェルネ。
女主人のところに足繁く通うノヴァク伯爵に上手く取り入り、若い肉体で迫り、関係を持つようになっていたのだ。女主人の愛人を寝取ったのである。もちろん、ルーリャには知られていない。
フェルネが伯爵を寝取った理由。
それはもちろん、野心野望欲得が全てであった。
庶民の娘が、大貴族や大商人の愛人となって優雅に暮らすのは、この世界は特に不品行と謗られることもなく、むしろみんなに、よくやったね、と羨ましがられることだった。
女主人ルーリャも、そうしているではないか。
ルーリャがルヴォン一の毛皮商で大森林の女王と呼ばれるまでになったのは、愛人ノヴァク伯爵の後押しだけでなく、若き凄腕狩人時代からの手腕才覚人望商魂の積み上げのお陰なのだが、フェルネは、そこはあまり見ていなかった。
大貴族の愛人になれば、栄達できる。ノヴァク伯爵を寝取れば、自らの女主人であるルーリャの地位を奪える。そう単純に考えていたのである。
自分が女主人として王都に豪邸を持ち、多くの使用人にかしづかれて暮らす。それがフェルネの夢であった。
首尾よく。
女主人のところに通うノヴァク伯爵に猛アタックをかけ、関係を持つことができた。
大勝利!
初老の男に抱かれながら、フェルネは快哉を叫んでいた。
これで夢は叶うはずーー
ところが。
「フェルネ、話しておくことがある」
若さに輝くフェルネの肉体を前にしても、気のない伯爵。
「なんでしょう?」
「う……む。わしは、その。やはり、ルーリャが可愛くてな」
「は?」
「あれは、本当にわしに尽くしてくれる。もう一途なのだ。あれだけの女が、このわしに夢中……そう思うと、やはりルーリャを裏切れんのだ。わしはあの可愛い女の男……そういうことだ」
「は?」
息を呑むフェルネ。伯爵は、野心家のメイドの気などお構いなく、
「フェルネよ。そろそろお前とは、終わりにしよう。いや、なかなかよかったぞ。若い女に惚れられるのも悪くない。うむ……このわしはどうも、女に放って置かれんものでな。フホッ、ま、しばらくはあの女の誠意に応えてルーリャの男でいようと思う」
「は……あ」
思わず青ざめるフェルネ。
女主人から愛人を寝取った、その筈なのに。
ワナワナと震える。
伯爵は、その意味をやや誤解する。
「うむ? フェルネ、そうか、わしと別れるのが辛いか。なに、悪いようにはせん。さあ。ここに金貨8デュエル(約80万円)ある。取っておきなさい」
金貨8枚。
それで終わりだ。
フェルネは、震えながら服を着る。金貨をとって、伯爵の許を辞去する。
別れ際にどんな挨拶したか、自分では覚えていなかった。
頭が真っ白になった。
ルーリャの邸に戻り、伯爵を送りましたと報告し、自分の部屋へ。
才気煥発で気が利くフェルネのことを、ルーリャは高く買っていた。なかなかいい部屋があてがわれていた。
しかし。
「なんなの!」
1人きりになると、フェルネの怒りが爆発する。
「どういうこと? 関係はもうおしまい? また、女主人とだけよろしくすることにした? 莫迦なのっ!? 私をなんだと思ってるの! あの爺! もう完全に呆けきってるのね!」
体中の血が逆流する。
ノヴァク伯爵。大貴族の例に洩れず、これまで散々女を食い散らかしてきた男である。正妻は亡くしていたが、かえって気楽な身と、女遊びは続けていた。
女をポイ捨てにするのが信条の伯爵だが、ルヴォンに赴任し、ルーリャに出会い、その虜となった。完全に骨抜きにされ、その愛人となったのである。
もっとも素行の収まらない伯爵のこと、ルーリャに耽溺しながらも、ちょいちょい他の女に手を出していた。しかしまた、ルーリャところに戻っていくのであった。女に飽きっぽい伯爵としては、8年も関係が続いたのは、初めてのことであった。
フェルネは、自信があった。
まだ19歳である。自分の美貌、溌剌たる若さの滾る肉体、これをもってすれば、もう年増中年である女主人から完全に愛人を奪える。そしてルーリャに替わって栄達を極めることができる、それはフェルネにとって、約束された未来のはずであった。
しかし。
あっさり捨てられた。これまでの多くの女同様に、つまみ食いされ、ポイ捨て。伯爵は、またルーリャに戻っていく。
手切れ金は、金貨8枚。
「ふざけんなっ!」
目を血走らせながら、冷たく光る金貨を睨む。
「たったこれっぽっち! どんだけ吝嗇なの! しみったれの色ボケ爺! これぽっちで、これぽっちであんな奴に抱かれるわけないじゃない!」
自分が女主人になって優雅に暮らす。その夢は、脆くも崩れたのだ。
「わしは女に放って置かれない? だって? アハハ、おかしいったら、ありゃしない。あんなクズ爺、ただ金と権勢目当てで女が寄ってくるだけ。それに決まってるじゃない。そんなこともわからないの? もう呆けも呆けきってるのね! なにさ、あんなゲス、貴族の肩書がなかったら、何の価値もないんだからっ! 女主人だってそうさ、あの男を利用しているだけ。もう。なんで気づかないのかしら」
ともあれ、男を虜にする術において、フェルネは、ルーリャに負けたのである。
若さに自信のあるフェルネ、年増女に負けて、自尊心はズタズタ。
「いいや、まだよ。まだ勝負は終わっていない……絶対に、この私が女主人にとって替わってやるんだから」
卓の上に積んだ8枚の金貨を見つめながら、瞳をギラつかせるフェルネ。
落ち着け。
冷静に考えるんだ。
富と栄達のため。やはり、ノヴァク伯爵を使うしかない。とんでもないゲスでクズだが、ともあれ大貴族と関係を持てたのである。これしか頼れるものはない。
しかし、伯爵はルーリャにぞっこん。
フェルネは、つまみ食いでポイ捨て。
あの男を、何とかまた振り向かせるにはーー
フェルネ、ふふ、と笑う。
絶好の札が手に入ったじゃないか。
信じられないことだが、女主人が美少年を咥え込んだのだ。
ピエの旅商エスト=デュレイ。
◇
フェルネが女主人ルーリャに仕えて、もう2年である。
ルーリャの来歴について、いろいろ聞いた。
ルーリャは、結婚し、夫を持ったことがない。自分にまとわりつく男どもを競わせ、うまく使ってきた。
そして狩人隊の領袖や毛皮商として頭角を現すと、愛人を囲うようになった。
愛人にしたのは年下の美少年ばかりである。
いつもごつくて無骨な荒くれ猟師連中の相手をしているので、息抜きには、可憐で、線の細い美少年がよいのだった。
どの愛人美少年ともあまり長く続かず、とっかえひっかえしていた。
しかし、ノヴァク伯爵が現れてからは。
ルーリャは、すっぱりと愛人を囲うのをやめていた。
伯爵は、自分の愛人には、異常に嫉妬深いのである。
愛人である伯爵の後援を得るため、ルーリャは、美少年趣味を自重していたのだ。
ルヴォンは狭い都である。
こっそり愛人を囲って逢瀬を楽しんでいたりしたら、すぐ噂が広まってしまう。
ずっと女主人付きメイドとして一緒にいるフェルネも、ルーリャに伯爵の他の愛人はいないと、断言することができた。
おかげで伯爵は、ルーリャが自分に一途だなどと思い込んでいる始末である。
「そんなことあるわけないじゃない。誰だって、あんなクズ爺より、若い子のほうがいいに決まってるもん。女主人は自分の成功のために、とことん欲望を犠牲にできるのね」
これについては、フェルネも脱帽していた。ずっと若い子を囲うのを我慢して、爺伯爵の相手をし続けるなんて!
しかし、とうとう限界が来たのか。
とんでもないことが起きた。
料亭で、旅商と出会った。ピエの旅商。偉そうに髭なんか生やしているが、どう見ても、まだ、10代の少年である。
少年旅商エスト=デュレイと出会って、女主人はおかしくなった。邸中の者を動員し、旅商の宿を調べ、宿の主人に頼み仕込みをし、邸に招待した。
フェルネは、女主人に命じられて、香油をぶっかけた。そして、浴室に連れ込み、落とし穴に落とした。
事前にユリオを落とした地下室の準備をしたのもフェルネである。
衝撃的すぎる出来事だった。
エスト=デュレイ。確かに、可愛い顔をしていた。しかし、線は細くなく、がっちりとした体つきである。
それに、年若いのに妻がいるのである。
それを無理やり誘拐監禁。
信じられない暴挙。
無論、王国法の見地から見て、立派な犯罪である。
ユリオの地下室監禁を知っているのは、邸の中で、女主人を除けば準備と誘拐実行犯をやらされたフェルネだけである。
「いよいよ、女主人の欲望自重も、限界突破しちゃったってこと?」
ノヴァク伯爵のような爺の相手をずっとして貞操を守っていたら、確かにおかしくなっちゃうだろう。
美少年相手の欲望がまた首をもたげ、抑えることができなくなったか。
なんであれ。
これは好機。
なんとしても、伯爵を奪わねばならない。
伯爵に、ルーリャが年若い少年を咥え込みましたと告げ口し、仲を割く?
女主人の誘拐監禁の犯罪を、正式に告発してみる?
いや、そんなんじゃだめだ。
重要なのは、自分が富と栄光を手に入れることができるかどうか。
そのためには。
そうだ。
地下室に囚われた、あの少年に。
一働きしてもらおう。
フェルネの瞳が、妖しく輝く。
王貂の毛皮。
ルーリャの持つ至宝。
それを、手に入れるのだ。




