第76話 女毛皮商人のルーリャ (7) 〜色と欲は絡み合いますか?
ルーリャは、急ぎ、おめかししていた。
自分の豪邸の、広い寝室である。
見事な肉体に香油をふりかけ、髪を直し、衣類を整える。
裸に透け透けの長衣を羽織り、宝石類を飾り、自慢の白貂の肩掛けを揺らした。
全身鏡を見る。
40代半ばだが、ルーリャの美しさ、威厳、ますます艶がかっている。
「これでよし」
思わず零れる艶やかな笑み。
トントンと、扉が叩かれた。
「なに?」
扉を開けて顔を出したのは、メイドのフェルネ。
「女主人、よろしいでしょうか? 伯爵様は、まだか、まだかと、大変お待ちかねです」
「もう、いいわよ。通して」
◇
女主人の部屋にせかせかと入ってきたのは。
ノヴァク伯爵。初老の男。
ルヴォン大森林監督官である。
大森林監督所の長官。王国から派遣された、この辺境の頂点である。
ルーリャは、このノヴァク伯爵の愛人だった。
最高に装いを凝らし、豪華な天蓋付きの 寝台にしどけなく座るルーリャの姿に、伯爵の目尻は下がる。
「今日も素晴らしいよ……我がルーリャ。本当に……最高だ!」
「まあ、伯爵ったら」
やや恥じらうようにルーリャは俯くーー絶妙の角度だ。
「また、そんなことをおっしゃって。王都にお戻りになったら、私の事など、すぐに忘れておしまいでしょう」
「そんなことはない! 絶対に!」
たまらず伯爵は、寝台のルーリャに跪かんばかりにしてその手を取る。
「おまえほどの女は、王都にも、王宮にも、どこにもいない。王宮に伺候していたこのわしが言うのだ。間違いない。ルーリャ、おまえこそ、ルヴォンが生んだ宝だ」
「まあ、お上手なこと」
大森林監督官ノヴァク伯爵とルーリャの仲は、もう8年も続いていた。このルヴォンの都では、公然の秘密である。
伯爵は、ルーリャの豪邸に足繁く通っていたのである。
「ところで今日は何の用だったのかね? もう済んだのか?」
ルーリャを寝台に押し倒しながら、訊く伯爵。
この夜は旅商エスト=デュレイの一行を招いたので、伯爵には会えないと伝えてあったのだ。
しかし、愛人のことを思い出すと我慢できなくなる伯爵は、夜も更けてから押し掛けてきた。
ルーリャは、ユリオを地下室に突き落としたところで伯爵の来訪を知った。
それで慌てて寝室に戻り、身繕いをしたのである。家の者には、招待したエスト=デュレイ一行のことは絶対に他言せぬようにと言いつけて。
「伯爵様。無事に用はすみました。ほんのちょっとした商用ですのよ」
「そ、そうか。それはよかった。商売の事なら、何の心配もないぞ。わしの可愛い女よ。おまえには、わしがついているからな」
「まあ、お心遣い、いつも感謝しております」
寝台で。
自分に跨って鼻息荒く髪を撫でてくる伯爵のことを、ルーリャは輝く笑顔で、しかし油断なく観察する。
何か疑ってるのかな?
このノヴァク伯爵は、異常に嫉妬心が強く、愛人であるルーリャのことで、いつもピリピリしていた。
そのくせ、自分は若い女を啄んだりしているのであるが。
ーー男なんて、それも大貴族なんて、勝手なもの。
とっくに承知していたルーリャも、伯爵の身勝手さ、野心と物欲情欲の果てしなさ汚さには、呆れていた。
ルヴォン大森林監督官。
この辺境の頂点である。
間違いなく、庶民から見たら雲上人の地位なのだが、超一級の貴族の役職というわけではない。
やや、落ちる役職である。
最高位の一級大貴族は、王宮出仕が基本である。常に、国王を取り巻いている。それが重要である。地方官にはならない。
辺境の長官職に任命されるのは、やや落ちる身分の貴族である。
ノヴァク伯爵も。
すんなり王宮で昇進出世を目指すのは難しいとみて、大森林監督官の役職を拝命したのだ。辺境勤務で実績を上げ蓄財し、再び王都に返り咲いた方が良いとの考えであった。
この大森林監督官の地位は、軍事最前線でも何でもないので、至って平和であった。のんびり勤務するに、ちょうど良い。
そして。
大森林ならではの、いろいろな実入りもあった。
ルヴォン大森林監督官の管轄には、監督所のあるルヴォンを除くと、統治すべき民はいない。広大な王国西部ルヴォニア大森林があるばかりである。いるのは鳥獣ばかり。
監督官の仕事は、森林の産物の管理である。
狩人猟師から、森林税の徴収をする。
そして、王国禁制品の密猟密売密輸の取り締まり。
しかし、これが役得になるのである。
密猟密売密輸は、なんだかんだ大っぴらに行われていた。
ルヴォンで商売する者のほとんどが、何らかの形で密猟密売密輸に関わっているのである。
で、大森林監督所の方も、密猟密売密輸を大目に見る代わり、賄賂付け届けを受け取っていたのである。
この方が、真面目に辺境監督の任務をするより、よっぽど実入りが多かった。
不法と賄賂、やらないわけがない。
この世界では、王国法通り物事が動く方が、珍しかった。
上級高官の意向で、いくらでも法は曲げられたのである。
王国法など護っていても、よいことは無い。なら、護らないで好き勝手に上手くやった方が良い。上も下も、これが基本方針であった。
大森林監督官の仕事は、禁制品の取り締まりだけではない。大森林の産む貴重な禁制品指定産物の王国への上納も、課せられていた。
王侯の威信財である貂の毛皮、貴婦人の帽子を飾る珍鳥の羽根、魔法具制作に必要な霊草霊薬などを、王国は常に必要としていたのである。
毎年一定数、納入しなければならない。
これも、大森林監督所が直接調達するわけにいかないので、狩人組合猟師組合に依頼することになっていた。
そんなわけで、密猟者と大森林監督所は、持ちつ持たれつ、良好な関係を築いていたのである。
密猟密売密輸の取り締まりを、全くやらないというわけにもいかない。定期的に、賄賂付け届けもできぬ小物や、大森林の秩序を乱す他所者密猟者を摘発して、無事に取り締まりを行っていますと、王国には報告していた。
これが辺境森林都市ルヴォンの実態である。
ノヴァク伯爵は。
最初ルヴォンに赴任した時、職務柄、狩人や大森林の産物を扱う商人とうまく関係を築くため、当時売り出し中の狩人隊の領袖で毛皮商も始めていたルーリャに出会った。
そしてたちまち惚れ込み、ルーリャを自分の愛人とし、そのままズルズル関係が続くこととなった。
ルーリャは狩人としても商人としても有能で、何かと伯爵の辺境経営の助けになった。
それに勿論、寝台の上の技巧も。
金欲物欲愛欲野心すべての上で、2人は良い関係になった。
いや、ノヴァク伯爵は、すっかりルーリャに耽溺し、骨抜きにされていた。
ルーリャも、大森林監督官である伯爵の後押しで、ルヴォン一の毛皮商となり、大森林の女王と呼ばれるまでになったのである。
「ふう……ふう……はあ……一休みするか」
寝台での激しい一戦の後。初老の伯爵は、もう息が切れていた。
あまり体力のない男なのだ。
今では、激しく責めまくっているのは、ルーリャである。
ルーリャはまだまだ体力に余裕鑠鑠であったが、自分も疲れたふりをして、そっと愛人の頬を撫ぜる。
「私もそろそろ限界でございます。伯爵様には、かないませぬ。ああ、こんなにお強い方、他に知りません」
「なに……では、もう一戦……ぐほっ、いや……やめとくか。明日も公務が……わしの可愛いルーリャよ。必ず来るからね。明日の夜も楽しみにしておるがよい」
「はい……待ちかねております……この身、あなた様だけのものにございます」
伯爵の単純さに、ルーリャは呆れていた。ルーリャが心底伯爵に惚れているものと、思い込んでいるのだ。
もちろん、伯爵の辺境経営に、ルーリャの才覚手腕は大いに役立っているのだが。
伯爵から、引き出しているものの方が多い。
ルーリャは満足していた。
完全に手玉に取っている。すべて、うまくいっている。
伯爵は、寝台で鼾をかいて眠り出した。
あらあら。
最近は、一戦済ますと、すぐ、こうなのだ。
もう初老。当然か。
そして。
今日囚えた少年のことを思い出す。
地下室で、どうしてるかな。
あの少年のことを。
伯爵に知られるわけにはいかない。
ルーリャは、うふ、と笑う。




