第60話 緋の色を好む少女 (4) 〜信じる絆は勝ちますか?
魔族に喰われた筈のルルが。
ひょいっと、例の少女を抱えて、窓から入ってきた。
「ルル!」
「ルルさん……」
絶句するユリオとエミナ。
なんだ? これは一体……
「どうしたの、2人とも。そんな顔しちゃって」
くすっと笑うルル。
「……どうしたって……さ……あの……ルル、喰われたんじゃないのか? いや、その、魔族を追って来た王国魔術師のイーセルって奴が言ってたぜ。お前は血だけ残して、全部その子に喰われちまったって。あの……その子、魔族なのか?」
シドロモドロのユリオ。
ルルは、悪戯っぽい笑みを浮かべる。赤毛紅瞳の少女は、ずっと無表情のまま。
「そっか。心配かけたね。でも上手くいった。追ってきた魔術師を、なんとか騙せた。とりあえず成功ね。あ、魔術師に聞いたんでしょ? この子は確かに魔族よ」
あ、この子、魔族。
絶対に、軽ーく打ち明けるようなことではない。魔族が目の前に。これって緊急事態のはずなんだけど。
「……成功って? 何が成功なのかな? ……隣の部屋の血溜まり、あれ、何なの?」
「あれは私の血よ」
サラっと言うルル。もうダメだ。いや、もともとダメだけど、とユリオ。
「あの……わかるように説明してくれない? もう何が何やら、全然わかんない」
「うん。もちろん。順を追って説明するね」
ルルは、大きな椅子に魔族少女を抱えて座る。エミナも隅の椅子に戻った。
ユリオは……寝台の上で身を起こしているのが、やっとである。
魔族少女の澄んだまなざし。やっぱり気になって仕方がない。
ルルは、そっと少女の赤い髪を撫ぜる。
「広場でこの子が私の膝にぴょこんと乗ってきた時、魔族の気配を感じたの。私は魔族に出会うのは初めてだけど、魔族と遭遇戦闘した経験のある魔法使いの仲間から、魔族の特性を伝えてもらってたの。感覚の記憶の伝承、特殊な魔法でできるのね。私、びっくりした。こんな大きな都に、いきなり魔族の子が現れるなんて。最初は間違いだと思った。でも、正しかった。この子は魔族よ」
「……どうしてわかったの?」
「角よ」
ルルは、少女のふわふわした豊かな髪に、そっと触れる。
「魔族に角があるのは知ってるでしょ? この子にも、小さな角が2本、ちゃんとあるの。髪に隠れて見えないけどね。それに触れて、もう間違いない、この子は確かに魔族だってわかったの」
赤毛の下には、魔族の徴の角が隠れてたんだ。
ルルは、続ける。
「この子、レンティエっていうの。南の境界地帯で孤児となって1人で彷徨っていた時、人間の女魔法使いに拾われたのよ」
「それも魔術師に聞いた……確かシンシアって人だっけ。で、王国をコッソリ旅してここまで来たんだよね」
「そうよ。でも、この都の手前で、レンティエは魔力を発散してしまった。時々、制御できなくなるらしいの。まだ子供だしね。完全に魔力を隠匿するのが難しいみたいなの。当然、王国に魔力探知され、追手が来る。シンシアはこの子を守るため、自分が魔力を使いましたと言って追手に捕まって、この子は1人で先へ行かせたの。このドルジェの都で、落ち合おうねって言って。で、この都に着いた時、レンティエは私たちと出会ったの。すぐ私のところに飛び込んできたのは、私がシンシアと同じ女魔法使いだったからだと思う。私の魔力、この子も嗅ぎとったのよ」
なるほど。魔力監督官イーセルの話と一致する。しかし、ユリオには疑問が。
「あの、ルル、どうしてそんな詳しいことわかったの?」
「この子に聞いたのよ」
「聞いた? その子、喋れるの?」
「うん。念話よ。声を出さなくても、くっついていれば心と心で会話できるの。最初に聞いたこの子の言葉が、『早くお母さんに会いたい』だったの。シンシアの面影も、この子は私に見せてくれた。素敵な女性だった。それでなんだか可愛くなっちゃって。事情を聞いたら、この都にいればシンシアが探しに来るっていうことだから、それまで預かってようと思ったの」
なんだか可愛くなっちゃって。だって!? おい、魔族の子だぞ、と唖然となるユリオを他所に、ルルの魔族少女レンティエへのまなざしは、慈愛に満ちていた。
「でも、この宿の部屋に行こうとした時、強い魔力を感じたの。飛翔の魔法を使って、グングンこっちに誰かが近づいてくる。これは、王国魔術師が気づいてこの子を追って来たに違いない。どうしよう。なんとかこの子を隠さなくちゃ。そう思ったの。で、部屋はこの子と2人で取らせてもらって、追手を騙すための細工をしたの。私の血を部屋中に撒いて、この子と一緒に外に隠れていたの。こうすれば、私が魔族の子に食べられたと思うに違いない、そう思ってね」
「血を撒いた……ルルが? あの血は、自分で流したってこと?」
「うん。手首を切ったの」
「ええっ? かなりな血溜まりだったよ。そんなことして大丈夫だったの?」
「そりゃ、辛かった。もちろん普通に流せる血じゃないよ。限界が来たら、魔法で止血して、アスティオに貰った回復薬を使って体力を復活させたの。で、また、血を出して。結局、回復薬を三つ使っちゃった。でも、十分な細工できたわね。追って来た魔術師は、うまく騙された。私が食べられたと騒いでいるのを外で聞いていて、仕上げをしたの。この子と2人で、魔力を合わせて大きな魔力飛翔体を作って飛ばしたの。私たちの旅と、反対の方向にね。魔族の力が鮮明な飛翔体。あの魔術師は、この子が飛翔の魔法を使って飛んだと勘違いし、追って行った。それで何とか、無事に切り抜けたよ」
あっけらかんと語るルル。
愕然となるユリオ。
なんだ、そりゃ。
自分の手首を切って血を流し、わざわざ回復薬を使って体を回復させ、あの血溜まりを作った? なんてことするんだ。超貴重な回復薬を3つも使っちゃった? 魔族の子を助けるために? アスティオが聞いたら、どう思うことやら。大胆なことするなあ。そして飛翔体をつくって飛ばして、うまいこと魔術師イーセルのやつを引っ掛けた。
なるほど。
完璧な作戦だ。
ちなみに、宿の宿泊部屋は、2階である。折よく窓の外に大きな木があったので、それを伝って降りて下に隠れ魔力飛翔体を飛ばし、イーセルが慌てて追って行ったのを見て、また登ってきたのだと言う。
イーセルを綺麗に騙した。今頃あいつはシルミール高原を、居もしない魔族の子を追って、目の色変えて捜しているだろう。
こうしてみると。イーセルも、王国の魔力監督官なんて大層な地位にありながら、だいぶ、そそっかしいやつなのかもしれない。真面目で仕事熱心で正義感の強いやつには違いなかったけど。
それでも。
ルルのしたこと。危険すぎる。
ものすごい重罪行為。王国、いや、人間世界への裏切りじゃないのか?
王国魔術師を欺いて魔族を匿うなんて。自分だって危ないかもしれないのに。
「ルル……一体なんでそこまでしたんだ? なぜ、その子を助ける必要がある? 魔族がこの世界でどういう扱いなのか、わかっているのか? 一歩間違えれば、お前は破滅するところだったんだぞ。魔族を匿い護ろうとするなんて。その子を王国の手に委ねて、何が問題だったんだ?」
「この子を、王国の手に委ねる?」
レンティエをそっと抱くルル。
「ユリオ、あなたが私のことを心配してくれているのは、本当によくわかっている。ええ、あなたが正しいわ。本来なら、そうするべき。当然よね。でも、できなかった」
「どうして?」
「この子は、拾ってくれたシンシアのことを、本当にお母さんと慕ってたの。この子は魔族。でも、一番の愛する大事な人は、人間なの。魔族と人間の間に、強い絆が生まれていたの。それを引き裂くなんてできない。この子を王国の手に委ねる。そんなことしたら、この子はすぐ殺される。こんなに人間が大好きな子が、魔族というだけで抹殺されるなんて。それにはどうしても耐えられなかったの。だからなんとしても、この子を救いたい。お母さんに会わせてあげなきゃ、そう思ったの。それから先はどうなるか、私にはわからないけど」
レンティエの赤い髪を撫ぜるルル。その髪の下には、魔族の徴である2本の角があるんだ。
今のやりとり、レンティエは理解しているのだろうか。紅い瞳の少女、表情を全く変えない。
旅の女魔法使いシンシアと、孤児の魔族少女レンティエ。
心を通い合わせていた。それでルルは、なんとしても助けたかった。大変な危険を犯して、自らの血を流してでも、魔族少女を救ったのだった。
やっぱりやり過ぎじゃないのか? たまたまうまくいったけど。それにーー
「なんでずっと俺たちに黙ってたんだい? 本当に心配したぜ。いや、目の前が真っ暗になった。お前が死んじまったと思って」
「ごめんね」
ルルは、優しく微笑む。
「あなたたちを巻き込みたくなかったの。バレたら、大きな罪に問われるし。もし事前に話してたら、知らないフリ、知らなかったフリ、そんなのとてもできなかったでしょ?」
それはその通りである。ユリオもエミナも。事前に知ってたら、王国魔術師の追及にボロを出していただろう。知らなかったからこそ、拾った子供が偶然魔族だった。そして魔族が牙を剥き、惨劇に遭った。との筋書きで通せたのだ。
何はともあれ、かなり危ない場面を切り抜けることができた。ルルの咄嗟の機智である。それでも、あのイーセルが割とマヌケでなかったら……かなり危なかったかもしれないけど。
「で、どうするの? これから」
「それは、この子のお母さん、シンシアを待つのよ」
当然のように言うルル。
◇
繁栄都市ドルジェの中央広場。今日も賑わっている。
広場に面した喫茶店のテラスで。
ユリオとエミナの2人、お茶をしていた。騒動のあった翌日である。エミナは、大きな布包を抱えている。くるまれているのは、魔族少女レンティエである。また、噛みついたりはしないか? ヒヤヒヤするユリオだが、レンティエは、今日はおとなしくしている。本当に物静かな子だ。
旅装の女性が近づいてきた。
広場に入るなり、まっすぐにユリオとエミナへと歩いてきたのだ。
「シンシアさんですね」
ユリオが声をかける。
「はい」
優しげな女性だった。じっと、エミナが抱える我が子を見つめている。
「どうぞ」
エミナが立ち上がり、レンティエを渡す。
しっかりと受け止め、抱きしめるシンシア。
深い喜びと安堵に満ちたその顔。こんな優しい顔を、ユリオはまだ見たことがなかった。いや、幼年のユリオに向けられる母セシルの顔も、こんなだったかもしれない。
「すぐ、わかったんですね」
訊くエミナ。
「ええ、自分の子ですから。皆様が、この子を助けてくれたんですね? 本当に感謝します」
さっそく、念話とやらでレンティエから経緯を聞いたのだろう。
懐から、金貨を取り出すシンシア。
「これ、本当に僅かですが、お礼です」
「受け取れませんよ」
慌てて手を振るユリオ。
「シンシアさんも、罰金刑だなんだ、いろいろ大変だったでしょう。これからの旅もあるし。俺は、金貨なら十分過ぎるほど持っているんです。それに、金貨のためにできることじゃ、ありませんから。これからも、どうかご無事で」
「ありがとうございます。ご恩は決して忘れません」
深々とお辞儀すると、レンティエを抱えたシンシアは立ち去っていた。レンティエはずっと無言。表情を変えない。
見送るユリオとエミナ。
広場の外れで。
シンシアに、物陰から現れた、フード付マントをすっぽりと被った人物が近づく。
ルルだ。ルルは死んだことになっていた。昨夜の事件に、宿の人はびっくり仰天していた。ルルが、このドルジェでユリオやエミナと一緒にいられるところを見られるのは、まずいのだ。
何か立ち話するシンシアとルル。
やがて、2人は別れ、シンシアは去って行った。
北を目指して。
「何を話してたんだい?」
ユリオたちは、西へ。一緒に乗合馬車に乗るのもまだ危険かもと思い、次の宿場町までは、歩いて行くことにした。
もう、背にしたドルジェは、遠い。街道には、気持ちの良い風が吹いている。
「シンシアさんは、どうするって?」
先ほど別れた女魔法使いのことをルルに訊くユリオ。2人で何を話してたんだろう。
都から離れた街道なので、ルルはもうフードをかぶっていない。長い艶やかな黒髪を風にたなびかせている。
「王国を抜けて、北の故郷へ帰るんだって。向こうは魔法の取り締まりや魔力探知の監視も緩いから、レンティエと一緒に暮らしやすいだろうって言ってた」
「そうなんだ。ずっとあの子、魔族の子と暮らすつもりなんだ」
「うん。レンティエもシンシアになついてるし」
「しかしなんで、魔族の少女なんか拾ったんだろう?」
「南の境界の森で、不意に、木の陰から現れたんだって。その時、すごく訴えかける瞳をしていたんだって。自分を守って欲しいって訴えている。それがすごく可愛いかったんだって。シンシアは、思わず抱きしめた。レンティエも、しっかりと抱きついてきた。それであの2人は母娘になったの」
「……それだけ」
「そうよ」
それだけなんだ。やや呆れるユリオ。魔族を人間の世界に連れ込む。そして一緒に暮らす。コトの重大さを考えれば、そんな、可愛いと思ったから、とか、それでやっていいことだとはとても思えないけど。
ポルぺのイカれた魔術師みたいに、自分の研究熱のために魔獣を引っ張り込んでくるよりはマシか。
「きっとうまくいきます! あの2人には、強い愛情と絆を感じました! 大丈夫です!」
ピンク色に顔を輝かせるエミナ。
相変わらず呑気だなあ。
魔族。緋の色を好む種族。
人間と。
本当に一緒に暮らしていけるのだろうか?
ずっとレンティエの魔力と魔族の気配、魔族の徴である角を、隠し通すことができるのだろうか? 2人でひっそりと暮らす。その夢は叶うのだろうか。バレたら、どこの国でも深刻な迫害の対象だ。
魔族と人間の血腥い抗争の歴史は、長い。
ユリオの父クロードも、対魔族戦役で戦死している。
だからといって、ユリオに魔族に対する種族的憎悪はない。
ただ、人間と魔族は共存不可能。魔族はこちらに寇なす敵。戦わなければ攻撃される。ずっとそう教えられているのだ。それが当然だと思っている。
確かに、あれこれの伝承の中には、人間と魔族が一緒に暮らしたとか、仲良くなったとかの話も伝えられてはいるが。
あの子はどうなんだろうーー
「そういえばルル、あの子、お前の胸に噛み付いてたけど」
「ああ、あれね。あの子は『魔力吸い』なのよ」
「魔力吸い?」
「うん。魔力を持っている人に噛み付いて、魔力を吸うの。シンシアも、時々、魔力をあげてたみたい」
「……それ、大丈夫なの?」
「うん。ちょっとしか吸わないから。私に飛びついてきたのも、私の魔力を嗅ぎ取って吸いたくなったからかもね」
「……」
やっぱり。
なんだか危険な気がする。
おっぱいの代わりに、噛み付いて魔力を吸う?
イーセルが言ってた。魔族の中には、突如人間をまるごと食べちゃう種族もいるとか。
それとは、違うらしいけど。
あの子だって、今はシンシアになついているけど、突如、牙を剥くこともあるかも。
助けたりしちゃって、よかったのかな。
なんだか不安になる。ルルは自信満々、エミナも大賛成してるけど。
この2人の女子、結構向こう見ずだからな。もうちょっと、後先のことを考えた方が良いような。
ルルは言う。
「人間同士だって、憎み合って殺しあったりするじゃない? 信じてる人に裏切られたり。種族が同じだからって、本当に信頼できるとは限らない。そして、種族が違うからといって、必ずしも憎み合って滅ぼし合うだけとは限らない。あの母娘は、私たちに種族を超えた絆の強さの可能性を見せてくれるかもしれない」
どうだか、とユリオ。
悟ったようなこと言うな、お嬢さん。お前はまだ、簡単に詐欺に引っかかっちゃうような、17歳の女の子なんだぞ。人間同士だからって信頼できない。確かにそうだ。俺だって、国王に裏切られたんだ。あんなに尊敬していた国王に。そしてーー
今、隣を歩いているルルのことを、俺は年柄年中蹂躙したいと欲望してるけど、このお嬢さんは、まるで気づいてないのだ。
それが人間。
少しは己というものを知ったほうがいいぞ。
ルルの涼しい顔を横目で見ながら、ユリオは思う。
ま。
ここで俺がどう言ったって何かなるわけじゃない。
後のことは、運命に任せよう。
あの人間と魔族の母娘は。
もう別の世界、別の国の話なんだ。
街道を歩く3人。
気持ちのよい風は、ずっと吹いていた。
( 緋の色を好む少女 了 )




