第25話 奴隷少女が夜の蝶していいですか?
王都に夜の帳が下りた。
ルルは、帰ってこない。
今日は遅くなると思うから、待ってなくていいよ、と言われていた。
エミナと2人の夕食。すぐに終わる。
「俺はもう寝るから、エミナも早く寝なよ。ルルは仕事だ。帰りを待たなくていいって言ってたし」
「はい。ユリオ様、私も寝ます。おやすみなさい」
昼の鍛錬のしすぎで、疲れたようだ。エミナは、ふう、と息をし、2階へ上がっていく。
ユリオは、居間の燭台を吹き消し、寝室へ。
広くて頑丈なベッドに、ゴロンとなる。ゴロゴロしてばっかだ。潜伏生活なんて、そんなものなんだろうけど。フラグの立ちようもない。
それに引き換えルルは。夜の王都で今頃大仕事だ。美貌を活かしての情報収集活動。唯一無二の美貌で、男を蕩かす。まさに女スパイ。クラス委員長時代には、考えられなかったことだ。
「何してるんだろうなあ」
気になって仕方がない。ルルが情報収集活動してるのは、王国上層部の連中がタムロする高級料亭だ。料亭といっても、ただ、飲食するだけの場所じゃなくてーー
「やっぱり危ない。ルルが1人で、そんなところに。あいつは、貴族の悪徳の底恐ろしさを、まだ知らないんだ。いろいろ順調に行き過ぎてるんで、調子に乗ってるんじゃないか。俺の奴隷が、あんな場所で顔を晒すのは……クソッ、ルルを愛でていいのは、俺だけなんだぞ。ルルは俺のものだ。他の男にジロジロ見回されるなんて……いや、見られるだけなのか? ひょっとして……俺だってまだ、指一本触れてないってのに……くう……そうだ、御主人様たるもの、自分の奴隷の監督くらい、ちゃんとしなくちゃ……」
いてもたってもいられなくなった。
ガバっとベッドから起きる。
そして。
とうとう、フード付マントをすっぽりと被ると、2階で眠るエミナに気づかれぬように、そっと蜂蜜館を出た。
◇
夜の王都。風が心地よい。
ほっと息をする。
謀反人宣告をされて逃げ込んだ日から、これまで一歩も館から外へ出ていなかった。ずっと閉じこもっていた。
「よし、行くぞ」
歩き出すユリオ。日本の昔の提灯のようなものを手に下げている。この世界での、夜の携行照明だ。
王国は、まだユリオのことを、血眼になって探している。当然である。国王の一大決断である、謀反名目でのルーベイ大公爵家の取り潰し。肝心のユリオが捕まらないのであれば、王国の面目丸潰れである。ユリオは、誰か有力な貴族に匿われているに違いない。そう考えられている。ユリオが今だ捕まっていない事実は、国王の独断横暴に対する貴族の抵抗と解釈されていた。近頃は、捕吏警吏密偵の活動も、街中よりも、貴族社会内部の情報収集に、重点が置かれていた。ユリオと通じ、王権に逆らう貴族がいる。それなら暴かねばならない。
こうした事情で、ひと頃より、路上の誰何検問も減っていた。
とはいえ。
フラフラと、ユリオが外を出歩いていい状況では全くない。危険すぎる。それはわかっているのだがーー
「これか」
ユリオは、街中に貼り出されている布告状を、初めて見た。提灯の灯りで読む。
ーーユリオを捕らえた者には、1万パナード(約1億円)、捕縛につながる情報を提供した者には、5000パナード(約5000万円)。ユリオを匿った者は、厳罰に処す。
人相書きもあった。
ルルの情報の通り。こんなのが王都中、いや、王国中に貼り出されているんだ。やはり寒気がする。
「やっぱり、館に戻ったほうがいいかな」
さすがに少し弱気になるが、
「何、せっかくここまで来たんだ。ルルの様子をちょっと見てくる。それだけだ。御主人様として、当然のこと」
無謀無思慮無分別にも、また歩き出す。ユリオは決して勇敢でも大胆でも無いのだが、ルルの美貌と肢体。思い浮かべると、理性が吹っ飛んでしまうのだ。
蜂蜜館は、王都の高級住宅街にある。閑静な住宅街。しかも夜である。行き交う人は、ほとんどいない。
目指す場所、歩いて行ける。ルルも、いつも歩いて行って帰ってきているのだ。
しばらく行くと。
「あそこだ」
ルルから聞いている。
〝宵寝の小鳩亭〟
王国上層部御用達の、高級料亭。
〝宵寝の小鳩亭〟とは可愛い名前だが。
堂々たる、立派な館である。高級住宅街でも、目立っている。凝った城館のような造り。
そして、入り口には、提灯や大きな松明やこれまた巨大な凝った装飾の燭台が並べられ、盛大に焚かれ、灯され、明るく輝くイルミネーションとなっている。
この世界では電気ガスが無く、燈油や蝋燭は高価なため、基本、夜に灯りはほぼ無く、真っ暗となる。煌々と惜しげもなく燈油や蝋燭を消費するこの料亭は、超上級特権階級のみに許された場所であることを、その輝きで誇示していた。
〝宵寝の小鳩亭〟
上級貴族たちの、夜の社交場である。社交場、と言っても、夫婦で来る上品な場所ではない。欲望を滾らせた男たちの来る、娯楽場だ。売り物は、酒に料理、賭博、貴族たちの秘密の情報交換、それに女である。大貴族の上客を歓待する歌姫踊り子が、手ぐすね引いて待ち構えていた。歌も踊りもできない〝商売女〟もいた。客にふさわしく、選び抜かれた一流の美女ばかりである。自分の女を連れてくる貴族もいた。女というのは囲っているだけでは物足りなく、他人に見せびらかしたくなるものらしい。城館の中には、気に入った女とコトに及ぶための小部屋もあった。
接客する女の方も、誰でも入れるわけではなく、厳密な身元審査があったが、ルルはここの給仕に金を掴ませて潜り込んだのだ。もちろんルルの美貌ならここにふさわしいでしょう、OK、いいです、と、通されたということもある。
◇
高級料亭〝宵寝の小鳩亭〟のどっしりとした大きな扉から少し離れて、ユリオは自分の提灯の火を消し、物陰に隠れ、様子を伺う。夜である。街灯というものはないので、自分の灯りを消すと宵闇に紛れ、見えなくなる。向こうは提灯松明燭台の煌々たるイルミネーションが光り輝いているので、昼のようだ。
入り口の扉の前は、広い車寄せとなっていて、何台も立派な馬車が停まっていた。店の中に入れない貴族の従者や御者たちがタムロし、騒いでいる。今日も賑わっているようだ。王都の情勢が緊迫しても、人間の欲望というのは変わらないものだ。
「ルルは、今、この中にいる」
この〝夜の社交場〟のことは、ユリオも知っていた。大人の欲望と悦楽の巣。しかし、踏み入れることは、許されていなかった。何しろ鉄のパンツ少年である。以前は当主デビューしたら、レイド叔父さんにでも、ここを案内してもらおうと思っていたのだが。
「どうしよう……本当に何も考えないで来ちまった。あー、俺、何やってるんだろう」
ルルが心配で来たのだ。ルルはここで、夜の蝶として華麗に舞いながら、せっせと情報収集活動をしている。酔客をおだてて話を聞いてくるだけならいいのだが……自分の奴隷に、もし何かあったら……しかし、来たはいいものの、やきもきしながら、ここで突っ立ってるしかない。まさか、中に乗り込むことはできない。
誰がどう考えても、軽率過ぎたのだ。これじゃ、蜂蜜館でゴロゴロしてたほうがマシだ。妖しくド派手な店構え。料亭の前で自分の主人を待つ従者御者たちも、大声で下品で猥雑な話をしていた。気が気でないユリオ。夜の社交場を目の前にして、指を咥えているしかない。ただ、心配が募るばかり。
まだ1台、馬車が来た。荘厳な金ピカの紋章が、イルミネーションに照らされる。頭の禿げ上がった年寄りの貴族が、ふんぞりかえって馬車を下りる。従者が料亭の扉を叩き名乗りを上げると、扉はすぐ開き、中から店の者が飛び出してきた。老貴族にペコペコと頭を下げる。老貴族はロクに店の者を見もせずに、ふんぞり返ったまま中に入る。開いた扉から、歓声に嬌声、笑い声に音楽が、聞こえてきた。扉が閉まる。また、外の従者御者の雑談が始まる。
「ルーベイ大公爵ユリオであるぞ」
本来、それでこの扉は開くのであるが、今はとても無理。謀反人宣告のお尋ね者である。隠れているしかない。
「ルルが出てくるのを待とう。昨日だって自分で帰ってきたんだ。大丈夫だ。心配することない」
奴隷の出待ちとは。この御主人様は、一体何をしているのだろう。間抜けなピエロだ。それはわかっている。でも。何もできないと分かっても、どうしてもその場を去ることができなかったのだ。
ぼうっと夜の星を見上げること、しばし。
扉が開いた。
「あっ!」
ルルだ。出てきた女。間違いない。今は面紗を上げている。妖しく華やかに輝くイルミネーションで、顔がはっきりと見える。ロングドレス姿。
いかにもな、夜の蝶だ。店からの上り。
「無事だったんだな」
ほっとする。
が。
ルルに続いて、飛び出してきた男がいた。飾りのいっぱいついた派手な服を着た、でっぷりと太った中年の貴族。
「どこへ行くのだ? 待つのだ。これからではないか。ずっとわしの側にいろ、そう言ったではないか」
高飛車な物言い。命令することに慣れている貴族の口調である。脂ぎった顔。たるんだ皮膚。貪婪好色そのものといった光が、くぼんだ眼の奥にみえる。
「ラーグ公爵だ」
ユリオは、その貴族のことを知っていた。上級貴族の世界は、みんな顔見知りなのである。
ラーグ公爵。王国の上級貴族。有力者。広大な領地を待つ。無類の女好きで知られていた。気に入った女を手当たり次第に掻き集め、もう30人も囲っているという話である。宏壮な邸宅には、立派な大理石の大浴場があり、手に入れた女全員と入って乱脈痴態の限りを尽くすのだという。その領地経営は、冷酷無慈悲で知られていた。困窮した領民に暴利で金を貸付け、返済できないとその娘を召しあげるといった、時代劇の悪代官さながらの暴虐非道ぶりであった。領民救済のために無償で私財を投じたユリオの父クロードとは、完全に真逆である。
ユリオはラーグ公爵のことを、〝理想の師匠〟と密かに考えていた。
ラーグ公爵のようになりたい、ならねば、そう考えていた。ラーグ公爵とは、まだ儀礼上の付き合いしかなかったが、ゆくゆくはあれこれ悪徳の手ほどきを受けたいものだ、そんなふうに思っていた。
〝宵寝の小鳩亭〟こういう店に通ってくるのは、当然ながら新たな女を手に入れるためである。もともと、そういう店であるが。
しかし。
今のラーグ公爵の獲物は。
ルルだ。間違いない。店から出たルルに、飛びかからんばかりにしている。
貪婪好色この上ないあの男がルルを見たら、当然こうなるだろう。
ユリオの脳は沸騰した。
ラーグ公爵が〝理想の師匠〟だったのは、どこかへ吹っ飛んだ。今はただ、
ルルしか見えない。誰よりも大事なルル。ルルーシア。琴見咲良。
「ラーグ公爵め、何をしてやがる! 勝手に人の奴隷に手を出そうとしてるんじゃねえっ! 見るな! 触るな! 手を出すな! どういうつもりだ! それでも王国貴族か! だいたい今、何が起きてると思ってるんだ! 筆頭貴族が取り潰され、王と貴族の間の緊迫が高まってるんだぞ! ルーベイ大公爵が謀反人宣告。これをどう考えてるんだ! 王国のため、貴族が結束して王の横暴を抑えるべきじゃないのか! 女を追い回している場合か! 女にうつつを抜かしている場合か! こんなところで遊び呆けて……けしからん! ありえない! 王国筆頭貴族として、成敗してやる!」
自分が奴隷への欲望のまま、無思慮に館から飛び出してきたこともそっちのけで、憤懣やるかたないユリオ。
ルルに迫るラーグ公爵。ギラつく瞳。貪婪好色丸出し。
「お前、わしが誰かわかっておるのか」
「はい。ラーグ公爵閣下ですね。承知しています」
ルルの涼やかな声。この声だけでも、ユリオは陶然となる。
ラーグ公爵は横柄な態度で、
「閣下ではない。猊下と呼べ。無礼な。このわしは、王国出納頭であるぞ」
王国出納頭というのは、王国の古い財務の役職である。今は専門の財務長官がいるので、王国出納頭は、財務の仕事などしていない。単なる上級貴族のための栄誉職である。
ルルは丁寧に頭を下げた。
「失礼いたしました、猊下。何分礼儀を知らないもので。ご容赦を」
しおらしいルルの態度に、グヘッ、ウホッ、デヘヘッ、となるラーグ公爵。獲物を前にヨダレを垂さんばかり。さすがユリオの〝理想の師匠〟らしく、弱い立場の者を嬲るのが、大好きなのだ。相手がひれ伏すと、余計調子乗り、虐めようとする。
「ふむ。物を知らないとな……いや、気にせんで良い。わしは寛容な人間だ、そうだろう?」
ぐるりと見回す。
取り囲むのは、自身の従者護衛、〝宵寝の小鳩亭〟の店員、それに他家の従者御者。みな一斉に、
「ラーグ公爵猊下こそ、慈愛と寛容の主様にございます。王国の誉にございます」
と、唱和する。
ラーグ公爵は満足げに、
「うむ。聞いたか。そういうことだ。誰もが敬い崇めるのが、このわしだ。わかったか。今の非礼、許してやろう。さあ、来るんだ。店へ戻るのだ。いや、何ならこのまま、我が城に行こうか。いろいろいっぱい教えてやるぞ。この世の中の理についてな。わしの恩徳を、たっぷりと浴びせてやろう。グヘッヘッヘ。どんな女でも大喜びするわしの恩徳をな。フホッ、……物を知らない哀れな者に、王国随一の恩徳を授ける。それがこのわしだ。この運命に感謝するがよいぞ」
脂ぎった顔をさらにギラつかせるラーグ公爵。その本心は、誰の目にも明らかであった。ルルを自分の籠中の女としようというのだ。たとえ、どんな手段を使ってでも。
「あー、もう、言わんこっちゃない」
ラーグ公爵の〝心の弟子〟であるユリオ。当然〝師匠〟が、何を考えているか、手に取るようにわかる。店内でルルに目をつけ、しつこく迫ったが、体よくあしらわれ、断られた挙句逃げられたので、血相を変えて外まで追ってきたのだろう。
「やっぱりダメだったんだ。あの美貌……それに極上の肢体を利用して、酒席に潜り込んで情報収集活動なんて。スパイ映画じゃ、美女が危機になると、必ずヒーローが助けに来るもんだが、現実じゃそうはいかないぞ。ラーグ公爵の城に引っ張りこまれたら……俺がやろうと思ってたこと、全部やられちゃうんだ」
耐まらず自分も飛び出たいところであったが。
さすがにまだ、理性の一片は残っていた。ユリオも一応、剣を帯びてはいるが。
ルルは、ラーグ公爵の従者護衛に取り囲まれている。見守る店員や、他家の従者御者も、当然、ラーグの味方だ。とても救出して逃げることはできない。
かなり切迫した状況。ルルは落ち着いた笑みを浮かべている。
余裕だな、とユリオ。
冷静に考えてみると。ルルの算段、それはわかる。
儚げで無力な夜の蝶に見えて、強力な魔法使いである。
魔法ズドンで、この場を逃げられる。
いや、エミナ救出の時に見せた魔法体術でも、取り巻く男たちを、風のように倒すことができるだろう。いざとなれば、魔法で逃げられる。だからこそ、女の子にとって危険な〝夜の社交場〟に出入りできるのだろうが。
しかし。
魔法ズドンをすれば、王国魔法協会の魔力探知網に引っかかる。
魔法体術を使ったらどうか? 何度も使ったら、さすがに怪しまれるだろう。魔法を使ったと、バレる、疑われるかもしれない。王国の捕縛から逃げた
エミナを助けた同一人物だと、気付かれるかもしれない。
そうなったら。
王国魔法協会も、大魔術官ベリルの配下黒犬団とやらも、目の色を変えて捜索する。怪しい魔法を使う女が、王都で何か探っている。ユリオの仲間らしいーー
いろいろまずい。そもそも、ルルは顔をしっかり見られている。魔法体術で逃げても、もう、情報収集活動はできない。せっかくの狩り場がフイになる。
それで、様子見をしてるんだ。後々のことを考えている。
もちろん、ラーグ公爵なんぞに身体を委ねるつもりはない。一線を越えさせるつもりはない。
魔法とか使わず夜の蝶として、この場をうまいことやりすごして、また活動を続けようと思っているんだ。クラス委員長、思案のしどころ。
そうはいってもーー
ラーグ公爵の貪婪好色にギラつく眼。もう、うまいこ躱わす状況ではない。夜の蝶など、いや女など、完全にモノだと認識している男だ。
「わかったな。さあ、来るのだ」
下卑た笑みを浮かべたラーグ公爵は、太い腕を伸ばし、ルルの二の腕を掴む。ルルは動かない。
ユリオの頭は沸騰。
「何しやがる! その女が誰かわかっているのか! 俺の奴隷だぞ! 勝手に触るな! 触っていいのは俺だけだぞ! 俺もまだ……触れてないけど……くうう……いくら師匠だからって、許さん! だいたい、お前は女がゴマンといるだろう……俺に分けてくれるなら、ともかく……奪うなんて……ルルもルルだ。何してるんだ。余裕かましている場合か。さっさと逃げなきゃ。他の男に疵物にされていいのか……それでも奴隷か! ちゃんと奴隷の務めを果たせ! どいつもこいつも、この世の理を無視しやがって! もう勘弁ならん。俺はルーベイ大公爵だ。筆頭貴族だ。王国の正義、見せてやる! この世に正義を知らしめるのが、俺の務めだ」
思慮を失い、とうとう剣の柄を握った。剣を抜いて飛び込んでも……絶対にどうなるものでもないのだが。むしろ破滅である。
その時。
一台の馬車が来た。〝宵寝の小鳩亭〟の前に止まる。立派な馬車だ。毛並みの良い馬が4頭。一目で上級貴族のものだとわかる。
何事か、と料亭の前の面々は、固まる。ラーグ公爵も思わずルルの腕を、離した。
馬車の扉が開き、降り立ったのは。
まだ若い貴族だった。立派な服に、優雅な仕草。
「アスティオ!」
その顔を、ユリオは知っていた。
アスティオ。間違いなく、モーリツ伯爵の令息アスティオだった。17歳。スラリとした長身に、夜のイルミネーションに輝く美貌。
ユリオの学友である。
「なんだ? なぜ、アスティオがここに?」
掴んだ剣の柄のことも忘れて、ポカンとなるユリオ。アスティオは品行方正な優等生で知られている。いかがわしい夜の社交場に、出入りするような男ではない。
それはラーグ公爵も同じらしく。間の抜けた顔で、眼を白黒させている。
つかつかと進み出るアスティオ。
「これは、とんだところでお目にかかりましたな、ラーグ公爵」
「え?……ふむ……これは……こちらこそ。ここで、モーリツ伯爵のご令息の顔を拝めますとはな。その……いったい、なぜここに?」
ルルに顔を向けるアスティオ。
「このお嬢さんに、用があるのです」
えっ、という顔をするルル。アスティオは、優雅な仕草で素早くルルの耳元に口を寄せ、何か囁く。ルルが驚きの表情を浮かべた。
「さ、行きましょう」
ルルの手を取るアスティオ。そのまま、自分の馬車に連れて行こうとーー
口あんぐりだったラーグ公爵が慌てて、
「ちょ、ちょっと、いけませんな。ご令息。その娘は、これからわしの城に連れていく、そういうところだったのですぞ。野暮はおやめなされ。ほれ、この店の中には、いくらでも好い女がおりますぞ。女が入用なら、中で選びなされ。わざわざ、わしの女を連れて行くとは……さすがに無法……見逃せませんな」
アスティオはルルに、
「ラーグ公爵と城に行く約束をしたのですか?」
「いいえ」
と、ルル。
「この方とは、今日初めてお会いしました。今、お別れの挨拶をしていたところです」
「では、これから私と一緒に来ていただけますか?」
「はい」
ルルは、笑顔を浮かべる。輝かんばかりの女神の笑顔。
アスティオは、ラーグ公爵を振り返り、
「そういうことです。このお嬢さんの、意思を尊重せねばなりません。行かせてもらいます。それでは。また、王宮でお目にかかりましょう」
軽く会釈すると、実に貴族らしく優雅な仕草でルルの手を取り、恭しく馬車に乗せーーそれは夜の蝶相手に貴族が取るべき態度を明らかに超えていたーー自身も颯爽と馬車へ。
「さ、行け」
と、御者に、馬車を発たせる。馬の嘶きとともに、モーリツ伯爵家の紋章の豪奢な馬車は、走り去った。
ぽかんとして見送る面々。公爵の従者護衛も、さすがに相手がモーリツ伯爵の令息と知ると、手が出せない。
ラーグ公爵は、コッテリした顔の脂肪がずり落ちそうになっていた。しばらく口も聞けない。モーリツ伯爵は、ラーグ公爵より、王宮での地位は上だった。ラーグ公爵のような人間は、何より上下関係を重視するのである。上のものにはとことん愛想良くするのだ。自分の狙った女が持っていかれるという、ありえない椿事でも、腕ずくで、というわけにはいかない。ただ、何が起きたのかもわからぬまま、呆然とするだけ。
周囲のものは固唾を飲んで見守る。
ややあって。
ダランと顔中の贅肉と脂肪をずり下げていたラーグ公爵。やっと気を取り直す。みるみる、顔が真っ赤になる。プヨプヨの膚がテカテカ光る。
「なんだ、あいつは!」
大声で怒鳴る。
「若造め。礼儀も何も知らん! チッ、貴族の流儀も…落ちぶれたものだ! 嗜みも何もない。夜の遊びの心得もない。不粋……あまりにも不粋……人の女に手を出すなんて! 絶対にやってはならないことだ!」
これまで他人の女を強奪しまくってきたラーグ公爵だったが。自分の暴状は棚に上げて、吠えまくる。
「だいたい、この店が悪いのだ! つまらん女ばかり置きやがって! 若造貴族だけでなく、女の態度もなっとらん! このわしを莫迦にしてる! こんな店、もう来んぞ! 城に帰る!」
結局のところ、自分より高位のモーリツ伯爵に喧嘩を売ることはできないので、料亭に八つ当たりするラーグ公爵。慌てて宥めようとした店員を、思いっきり張り飛ばした。下の者には、どこまでも横暴なのである。
それで多少は気が済んだのか、ふんぞりかえって、自分の馬車に乗り込む。従者護衛が慌てて従う。不機嫌なラーグ公爵を乗せ、馬車はガラガラと走り去った。
少し離れた暗がりの中。
宵闇に紛れて、結局のところ誰にも見つからず、ユリオはずっと呆然となっていた。剣の柄を握ったまま。
一体何が起きたのか? ラーグ公爵以上にわからない。
でも。
間違いのない現実。
アスティオが、ルルを連れ去った。
ユリオの学友、モーリツ伯爵の令息アスティオ。
「あいつ……ルルの手をとって、馬車に乗せた。ルルに……触りやがった。チクショウ……どいつもこいつも……俺の奴隷に手を出しやがって……そうだ、こうしちゃいられない」
アスティオは、自分の邸にルルを連れて行ったのだろう。学友の邸。ユリオも知っている。ルルを自分の邸に連れて行って、それでアスティオはーー
ダメだ。
とんでもない。追わなきゃ。
何が起きているのかもわからぬまま。ユリオは走り出した。
そこいら中に、自分の手配書人相書きが貼り出されている、夜の王都を。




