第153話 秘湯! 熱闘! 大死闘!! 18 男湯女湯
ヴォシュ村名物、鍾乳洞迷宮温泉。
大森林には珍しい巨大な石灰岩塊が、まるで白い怪獣の背中のように森の緑から突き出ている。
その岩肌にぽっかりと開いた、巨大な洞窟の入り口。
噂に名高い秘湯迷宮への門である。
心踊らせる5人。
「おーい、みんな、ここで、湯着と湯布を買いに行くぞ。宿の主人に、あそこで売ってる『巡礼の湯布』ってやつを買わないと中に入れないって言われたんだ」
温泉への入場料である。1人銀貨1枚。大森林の奥地にしてはちと高いが、それだけ有名な観光名所、湯治場、巡礼地と言うことなのだろう。
ユリオは、大きな口をごにょごにょと動かして、『巡礼の湯布』をくれと声をかけた。
頭は緑色、イボだらけの蝦蟇。
入り口の売店の村人たちも、最初は一瞬ぎょっとする。しかし、そこはさすが先客万来の観光地。
「おや、そちらの旦那、珍しい病気かい? ここの湯は万病に効くからね、じっくり浸かっていきな!」
と、愛想よく商売を始めてくれた。
ユリオたちは売店で、やや硬い麻で織られた湯着と、入場料代わりの湯布を人数分購入。
「ふふん、庶民の湯治場にしては、最低限の清潔さは保たれているようね。シュレン、私の最高級の湯布は、ちゃんとその大荷物の中から取り出してあるかしら? ここの湯布なんて、もちろん使わなくてよ」
一歩後ろでは、クローリディアが深紅のドレスの双丘をこれ見よがしに波打たせ、高慢に扇子をパタパタと動かしていた。
相変わらずの態度だが、クローリディアもまた、秘湯温泉を楽しみにしているのが丸わかりだった。
「はいはい、お嬢様。お嬢様専用の特製絹の湯着も、しっかりとお持ちしてございますよ」
買い出しを終えた一行は、いよいよ鍾乳洞の内部へと足を踏み入れる。
◇
鍾乳洞洞窟の中。
思ったより、明るい。
壁龕の置燈が、鍾乳石を妖しく、そして美しく照らし出している。
洞窟の通路の両側にも、果実や酒、軽食につまみを売る売店がずらりと並んでいた。
「すごいです、至れり尽くせりなのです! エミナは、あそこの焼きキノコが気になるのです!」
「エミナ、さっきお昼を食べたばかりでしょ。まずは温泉よ。ここは奥が深く広くて枝分かれしていて完全な迷宮になっているんだから、迷わないように、まず案内図を見ましょう」
ルルが通路の壁に掲げられた大きな羊皮紙の案内図を指差した。
その図面を見て、ユリオは蝦蟇の目をパチくりとさせた。
石灰岩の地下水が地熱で温められ、無数の空洞に湧き出しているその構造は、まさに『鍾乳洞洞窟温泉迷宮』。
それぞれの湯壺によって、含まれる鉱石や成分が全く異なるらしい。
「……全部の湯を制覇するには、最低でも100日はかかる、宿の主人が言ってた通りだな。でも、そんなに滞在はできねえな」
「そうね、100日は無理。でも、せっかくここまで来たんだから、今日1日でできるだけたくさんの面白い温泉を堪能しましょうよ、ユリオ」
ルルが楽しそうに案内図をなぞる。と、その時、ルルとエミナが図面の一角にある文字を見つけて、顔を見合わせた。
「あ、見てくださいなのです、ルルさん! ここにある『白銀の這い湯』ってところ、皮膚の病気や、体にできた嫌な湿疹にものすごく効くって書いてあるのです!」
「本当ね、エミナ! こっちの『黒泥の不老泉』も見てちょうだい。肌の余分な角質を落として、頑固な『イボ』や腫れ物を綺麗に削ぎ落とす効果があるんだって!」
2人の美少女が、急にキャーキャーと盛り上がり始めた。
「ユリオ、これよ! この2つの湯をハシゴすれば、貴方のその……ええと、そのお肌も、少しは見てくれが良くなるかもしれないわ!」
「そうなのです! ユリオ様のイボイボが、これでツルツルに元通りになるかもしれないのです! さあ、早く行くのです!」
嬉しそうにユリオを振り返るルルとエミナ。
だが。ユリオは、横に飛び出した蝦蟇の金色の眼球をどんよりと濁らせ、耳まで裂けた口をへの字に曲げた。
「……あのさぁ」
ユリオは、どす黒い緑色の粘気のある皮膚をペチペチと叩きながら、不貞腐れた声を絞り出した。
「何度も言うようだけど、俺のこの頭はさ……病気でも、肌荒れでもないんだよ。そこにいる女にかけられた、強力な『呪い』なんだぞ? 肌に効く温泉の成分でイボが取れるわけないだろ。なんだ、お前ら、俺の顔を汚い病気みたいに思ってるのか?」
これには、ルルとエミナもまごつく。
「ご、ごめんなさい、ユリオ。私はただ、少しでも良くなればと思っただけなんくだから……。でも、そうね、呪いだものね……」
「エ、エミナも、ユリオ様をバカにしたわけじゃないのです! ただ、その、緑色のヌルヌルが少しでも乾いて、普通の肌っぽくなれば、みんなも近づきやすくなるかなって思っただけなのですーっ!」
「……余計に傷つくだろ、それ!」
こういう扱い、もう慣れてるけど。ユリオは自分の大きな蝦蟇頭を抱えてため息をつく。
「オーホッホッホ! 見苦しいわね、蝦蟇坊や。諦めて一生、そのイボだらけの面で泥水でも啜っていなさいな。温泉の神様だって、あんたみたいな不潔な生き物が湯を濁すのは大迷惑に違いないわ!」
横からクローリディアが、これ幸いとばかりに勝ち誇った高笑いを上げた。
「うるせえ! お前が言うな、お前が! 誰のせいでこうなったと思ってんだ!」
諸悪の根源の女公爵を前にして、裂けた口から威嚇の声を上げるユリオ。
が、その滑稽な様子に、クローリディアはますます面白そうに扇子を揺らす。
◇
「あら、ここで通路が完全に分かれているのね」
鍾乳洞の奥へ。
少し進んだところで、ルルが足を止めた。
目の前の硬い石灰岩の壁には、大きな文字で『男湯』『女湯』と刻まれた木製の案内板が掲げられていた。
この鍾乳洞迷宮温泉は、入り口こそ一つであるものの、少し進んだ先で左右二つの巨大な洞窟へと完全に分岐し、それぞれが独自の広大な温泉迷宮を形成する構造だった。
「本当なのです! ここからは男の子と女の子、別々に行動するルールみたいなのです!」
エミナが少し弾んだ声を上げ、湯着と湯布の入った包みを抱え直す。
「そういうことなら仕方ないわね。クローリディア、エミナ、行くわよ。シュレン、あなたはちゃんとユリオの面倒を見てあげてちょうだいね」
「はいはい、お任せください、ルル殿。ユリオ殿、行きましょうか」
シュレンは相変わらずニコニコと穏やかに微笑み、巨体を揺らして男湯の通路へと一歩踏み出した。
ユリオもそれに続こうとした――その時である。
「……あ、あの、ユリオ?」
ルルが急に、口元を片手で押さえながら、どこかぎこちない声で呼び止めてきた。見れば、隣にいるエミナも、なぜか下を向いて肩を小刻みに震わせている。
「なんだよ、ルル」
ユリオが、横に飛び出した蝦蟇の金色の眼球をぎょろりとルルに向ける。
「その……本当に残念だわ。私とエミナが一緒なら、貴方のその、蝦蟇の頭がお湯に浸かってしまわないように、後ろから支えたりお手伝いができたのだけれど……。男湯じゃ、私たちは入れないものね。く、クスクス……」
鈴を転がすような優等生お嬢様口調を保とうとしていたルル。どうしても耐えきれずに震え、小さな笑い声が漏れる。
「そうなのです! エミナも、ユリオ様のお手伝いができなくて、本当になんとも残念で仕方がないのです! ユリオ様、絶対に、絶対に頭までお湯に浸かっちゃダメなのです! ププッ、ハハッ……!」
エミナにいたっては、すでに必死に笑いを噛み殺そうとして顔を真っ赤に膨らませており、完全に限界を迎えていた。
「お前ら……何がそんなにおかしいんだよ」
ユリオは大きな口をヘの字に曲げ、不機嫌そうに濁った声を絞り出した。
言われずとも、ユリオ自身、分かっている。
カエルは熱い湯には飛び込まない。
頭部だけが完璧に蝦蟇と化してしまったユリオにとって、この温泉の熱い湯に頭を浸けるなどということは、文字通り「茹で上がったカエル」になることを意味する。それはただの自殺行為だった。
体は人間の健康な少年のままだから、肩から下は心地よく湯に浸かりたい。しかし、頭だけは絶対に死守しなければならないのだ。
つまり、ユリオが温泉に浸かるためには、湯壺の中で必死に顎を突き出し、限界まで首を長々と上へと伸ばし、不自然に頭だけを湯面から突き出していなければならないのである。
湯船の中で、必死に首を伸ばして目を剥いてる緑色の蝦蟇の姿。
半分蝦蟇で半分人間で身の悲劇。
自分で想像しても……涙が出るほど滑稽で、あまりにも間抜けな姿。
ルルとエミナも。頭の中で、今まさにその強烈な映像を再生しているに違いなかった。
「だ、ダメよ、エミナ、笑ったら失礼だわ……っ。ユリオは、必死なんだから……プ、ププ……」
「分かっているのです、ルルさん! でも、どうしても茹で蝦蟇のユリオ様が……ひぃ、お腹が痛いのです!」
2人の美少女は、互いに寄り添いながらププ、クスクスと、必死に手で顔を覆って笑いを堪えている。
口ではユリオを助けられなくて残念だ、と言いながら。『蝦蟇の湯浴みの苦行』の光景を想像して、爆笑寸前なのだ。それを必死に抑えている。
毎度ながら、激しく傷つくユリオ。
それだけではない。
ルルとエミナの、心からルンルンな態度。
もう、丸わかりである。
(……喜んでやがる……男湯と女湯が別々だったおかげで、俺の面を近くで拝まずに、のんびり温泉を楽しめる……ホッとしてるんだ……)
どれだけ言葉で心配してくれても。
どれだけ「恩人」や「主君」として慕ってくれていても。
ルルとエミナが年頃の女の子なのには違いない。今のユリオの蝦蟇顔に、こみ上げてくる生理的嫌悪感や拒否感は、どうしても消せない。
別行動になったことで、蝦蟇顔の呪いの現実から一時的に解放される嬉しさが、2人の美少女の晴れやかな笑顔から透けて見えていた。
「オーホッホッホ! 本当に傑作だわ! さあ、とっとと『茹で上がった蛙』におなりなさいな。シュレン、さっさとその蝦蟇を連れていきなさい。私は極上の湯で、この高貴な肌にさらなる磨きをかけるわ!」
クローリディアのトドメの一撃。
高笑いした女公爵は、これ見よがしに豊満な双丘をドレスの中で揺らしながら、女湯洞窟へと歩き出していく。
「それじゃあユリオ、お湯を楽しんできてね。首が疲れたら、ちゃんとシュレンに支えてもらうんだからね? ププ……」
「ユリオ様、茹で上がっちゃダメなのですー!」
ルルとエミナは、最後までクスクスと楽しげな笑い声を響かせながら、クローリディアを追って華やかに女湯の奥へと消えていった。
残されたユリオは。
拳を固く握りしめ、その場に立ち尽くす。
言葉も出ない。
「……チクショウ……。早く元の美少年に戻りてえ……」
「まあまあ、ユリオ殿、お嬢様たちがああ言うのも、照れ隠しのようなものですから。さあ、私たちが先に入って、頭が濡れないで済む湯を探しておきましょう」
シュレンが大きな手で、ユリオの肩をそっと叩いた。
「……おう。行こうぜ、シュレン」
ユリオはため息まじりに濁った声を返し、男湯の洞窟の奥へと歩みを進めた。




