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第150話 秘湯! 熱闘! 大死闘!! 15 姫のブーツの底に見えるのは?



 圧倒的なクローリディアの高飛車カンチガイを前に。


 すっかり調子を狂わされたラズ。


 からかうような色男の態度は崩さないものの。


 戦術を大胆に変えることにした。


 このカンチガイ令嬢。


 もう、言葉や財力で落とせない。

 

 ならば。


 生物としての「格の違い」を見せつけるまでだ。


 ラズは一歩、音もなくクローリディアとの距離を「死線の内側」へと踏み込んだ。そして、常に浮かべている軽薄な薄笑いの裏から、数多の人間を屠ってきた本職(プロ)の殺し屋としての、鋭く冷徹な「殺気」を、ほんの一滴だけ抽出して目の前の少女へと放った。


 普通の人間の女の子であれば、この圧倒的な捕食者の気配に触れた瞬間、血の気が引き、恐怖で身体を震わせ、蛇に睨まれた蛙のように、目の前の男に命乞いをするごとく従順になる。


 最後は暴力。


 いや、暴力の気配による精神的格付け(マウンティング)――それが、ラズが裏社会で生き残るために磨き上げてきた、究極の手段であった。


 どんなに伊達者洒落者色男を気取ってようと、所詮、殺し屋は殺し屋なのである。


 ラズの目が、一瞬にして冷酷な獣のそれへと変わった。


 周囲の空気の温度が、一気に数度下がったかのような錯覚を覚えるほどの重圧と殺気。

 

 しかし。


 クローリディアは、眉一つ動かさない。


 それどころか、ラズのその鋭い眼光を見つめると、はっと息を呑み、両頬をうっすらと赤らめて、自らの胸元に手を当てたのである。


 (まぁ! 何ということでしょう!)


 クローリディアの脳内カンチガイは、ラズの意図とは完全に真逆の、恐るべき方向へと暴走していた。


 (服装は卑しく、身につけている物のセンスも三流の下民ですけれど……その眼光! 私のあまりの美しさと高貴さに圧倒され、狂おしいほどの情熱と独占欲を抑えきれずに、獣のように私を睨みつけていますわ! そう、まるで私のすべてを奪い去りたいと願う、哀れな崇拝者の目ですわね! あまりの美の暴力に理性を焼き切られ、恐怖と興奮のあまり殺気立つなんて、実に殿方らしい情熱的な反応ですこと! 無論、本来なら、この私にこんな目線を向けるなんて、打ち首に処するところですが)


 クローリディアは再び扇子を広げると、顔を真っ赤にして引き攣っているラズに向かって、この上なく慈悲深く、そしてどこまでも上から目線の微笑みを投げかけた。


 「まぁまぁ、落ち着きなさい、哀れな子。貴方が私の美しさに脳を狂わされ、理性を失って獣のような目を向けてしまう衝動は、理解できなくもありませんわ。何しろ、私は完璧な美の具現者なのですから。この無礼は、その熱烈な眼光に免じて許し、いえ、褒めて遣わしますわ!」


 「は……? ほめ……?」


 「でも、駄目よ。諦めなさい。なるほど、貴方は、こんな山奥で暮らしているから、わからないのでしょう。身分をわきまえないと言う事は、貴方のような下民の身を滅ぼすだけですわ。貴方がどれほど私を激しく求め、その獣のような瞳で私を組み敷きたいと願ったところで、私と貴方との間には、天と地、太陽と泥ほどの超えられない隔たりがあるのです。貴方に許された唯一の特権は、一生、その卑しい身を震わせながら、遥か遠くから私を仰ぎ見て、ため息をついて暮らすことだけ。分かったら、その昂ぶった情熱を静め、私の影を踏まない場所まで退きなさい。おーほっほっほっほ!!」


 満場の観客の前で歌い上げる歌姫のように、広場に響き渡るクローリディアの高笑い。


 クローリディアの目には、ラズが「殺気」を放っているのではなく、「自分への抑えきれない崇拝と情熱に身を焦がして興奮している」ようにしか見えていなかった。


 完璧な脳内変換。


 どれほど鋭い刃を突きつけようとも、逃亡中の女君主クローリディアの無敵の自尊心(プライド)という盾の前では、すべての殺意が「歪んだ屈従の告白」へと変換されてしまうのだ。


 「……っ……!!」


 ラズは完全に限界を迎えていた。


 百戦錬磨の殺し屋。


 王国の闇で暗躍し、どんな強者も、どんな美女も、己の意のままに操ってきたはずの男が。

 

 今、大森林の温泉村の広場で、全裸で冷水を浴びせられたかのようにガタガタと震えている。


 恐怖ではない。これは、未知の生物に対する圧倒的な「敗北感」と「不気味さ」であった。


 自分の放った本気(ガチ)の殺気を、「私を崇拝して興奮している下民の情熱」と解釈されたのだ。これ以上、何をどうすればこの女のペースを崩せるのか、ラズの天才的な脳細胞をどれほど総動員しても、一切の解決策が浮かんでこなかった。


 (なんなんだ、こいつは……! 幽霊や化け物の方が、まだ会話が通じる分だけマシだぞ……! 刃を抜いて首を撥ねようとしたって、きっと『私に触れたくて必死なのね、下民』とか言い出すに決まってる……! 恐ろしい、恐ろしすぎるぜ、この女……!)


 ラズの背中を、本物の冷たい戦慄が駆け抜けた。女の子をひっかけるどころの騒ぎではない。これ以上この空間に留まっていれば、自分の存在そのものが完全に粉砕され、本当にただの「下民の犬」に改造されてしまう……。


 これはヤバイ。


 本能的な防衛本能が警報を鳴らしていた。


 「あ……あ、いや〜……。お見それ、しました。あはは……」


 ラズは引き攣った、今にも泣き出しそうな薄笑いを浮かべながら、一歩、また一歩と後ろへと下がり始めた。


 「俺にはちょっと……いや、かなり、刺激が強すぎるお嬢さんだったみたいだねえ。うん、俺みたいな下民には、君のそのまばゆい光は強すぎて、目が潰れちゃいそうだ。お命頂戴どころか、俺の理性が頂戴されちゃう前に、退散させてもらうよ……」


 クローリディアは、ラズのその敗北を認めたかのような、命からがら逃げ出そうとする様子を見て、高傲に顎を上げた。


 「あら、もう行くのですか? 下民にも、私の顔を拝む権利はあってよ。でも、自らの分際を弁え、身の程を知った引き際としては、実に賢明で良い判断ですわね。去りなさい、情熱的な下民! 貴方のその諦めの良さに免じて、私の美貌を一生の思い出にすることを許してあげますわ!」


 「へいへい……ありがとよ……! もう二度と近づかねえよ……!」


 ラズは冷や汗を手の甲で拭うと、回れ右をして、まるで背後から巨大な魔獣にでも追われているかのような猛スピードで、早足に広場から逃げ出した。


 広場に残されたクローリディア。


 去り行くラズの背中を見送りながら、象牙の扇子を優雅に揺らし、深くため息をついた。


 「ふふ、この身の業。私は、また一人、圧倒的な美と尊貴さの暴力によって、下民を狂わせてしまいましたわ。でも、仕方がありませんわね。高貴に生まれ、美しく育ってしまったことは、そう、私の罪ではなく、世界の祝福なのですから。おーほっほっほっほ!!」


 クローリディアは、自分が盛大なカンチガイをしていることなど一ミリも気づかない。気づくわけもないのだ。


 完璧な精神的勝利、「顔見せデビュー」大成功の自己陶酔の余韻に浸り、再び優雅に広場を歩き始めるのだった。



 ◇



 ラズが脱兎のごとくクローリディアから離れようと、一目散に駆け出しかけた、その時ーー

 

 殺し屋としてのラズの執念深い眼。


 捉えていたのだ。


 ドレスの裾から一瞬だけ覗いたクローリディアの足元。


 クローリディアが履いている、しなやかな白い山羊革のブーツ。その靴底の、特異な刻印パターンの形状。


 (――ッ!?)


 ラズの脳裏に、ダルトンの小屋の跡地、あの雨上がりの泥濘で見た「真新しい五人組の足跡」の光景が鮮烈にフラッシュバックした。

 

 間違いない。


 あの泥の上に残されていた、小柄な女のものと思われる繊細な足跡の形状と、今この女が踏み締めている靴底の紋様は、完全に一致している。


 (あの靴底……まさか、あいつが!? あの頭の可哀想な、関わってはいけないレベルの極限カンチガイ女が、ダルトンを暗殺した手練(プロ)の5人組の一味だっていうのか!? あのポンコツが、御主君ワレンシュルド公爵の絶対機密文書を奪い去った冷酷な犯人だっていうのかよ!?)


 ラズの頭の中は、一瞬にして大洪水のような大混乱に陥った。


 点と点が見事に繋がったはずなのに、あまりにも目の前の人物のキャラクターと「冷酷な暗殺者」という事実のギャップが大きすぎて、脳の処理が完全に追いつかない。


 (どういうことだ……? 何が起きているんだ? 一体全体、どういう理屈であんな奴が裏社会の抗争に絡んでくるんだよ!?)


 逃げ出しながらも、ラズは狂ったように頭を掻きむしった。


 とにかく、一度頭を冷やさなければ駄目だ。このままでは思考が焼き切れてしまう。


 (ああ、クソッ! わけが分からねえ! とにかく温泉だ! 秘湯につかって、じっくりゆっくり考えれば、何かまともな答えが導き出せるはずだ……! そうに決まってる……!)


 ラズは精神的にボロボロになりながら、冷や汗を手の甲で拭い、温泉へと向かって一心不乱に走っていくのだった。

 

 広場に残されたクローリディアが、自分が重大な容疑者としてマークされたことなど一ミリも気づかぬまま、「ふふ、業な女ですわね、私は。これも我が運命(さだめ)」と悦に浸っていることなど、今のラズは知る由もなかった。



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