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第146話 秘湯! 熱闘! 大死闘!! 11 迫り来る二つの凶刃



 話は少し遡る。


 前日のことである。


 ユリオ一行が、暗殺者黒猫によってダルトンの小屋を爆破・殺害した――そのわずか数刻後のこと。


 立ち上る黒煙と火の粉はすでに大森林の湿った夜気に掻き消され、ただ焼け焦げた木材の臭いだけが、生々しく周囲に漂っていた。跡形もなく木っ端微塵に吹き飛んだ小屋の前に、一人の男がふらりと姿を現した。


 「いやいや、こいつは驚いたねえ。あのダルトンの爺さんも、とうとう年貢の納め時ってわけかい?」


 男は軽快な足取りで灰を払いながら、楽しげに口笛を吹き鳴らした。


 金髪を雑に後ろで結わえ、常に薄笑いを浮かべたその面構えは、一見するとただの軽薄そうな色男だ。整った顔立ちをしてはいるが、その双眸の奥は一切笑っていない。


 軽薄さの裏に、底知れない冷酷さを隠し持っているのだ。


 男の名はラズ。


 ヴァルレシア王国の大貴族、ワレンシュルド公爵の「懐刀」と陰で呼ばれる男。

 

 主人の裏の仕事を一手に引き受ける冷徹な殺し屋だった。秘密の情報収集から暗殺、脅迫、誘拐まで、主人の利益のためならどんな汚い仕事でも平然とこなす。


 大貴族たちの裏の争い、その闇の中で生き抜いてきた男である。


 引き締まった痩身に、派手な刺繍の入った真っ赤なベスト、動きやすい高級(シルク)のシャツ。両腰には、妖しく煌めく美しい『双短剣(ツイン・ダガー)』を帯びており、その格好はどこからどう見ても旅の道楽貴族にしか見えない。


 もちろん、殺し(コロシ)にかけては超一流。


 ひとたび刃を抜けば、人間の動体視力を置き去りにする超高速の連撃――迅速剣を繰り出す手練れであるが、本人は殺しの最中でさえピクニックにでも来ているかのように饒舌で陽気だった。


 ラズは、主君であるワレンシュルド公爵の命を受け、この大森林の縁でダルトンをずっと監視していた。


 ダルトンは、単なる大盗賊の頭目ではなかったのだ。


 現役時代、ダルトンはワレンシュルド公爵と裏で深く繋がり、その命令によって公爵の政敵たる貴族たちの邸に侵入しては、公になっては困る機密文書をいくつも盗み出し、公爵へと献上していた。


 無慈悲な殺人鬼ダルトンは、裏で大貴族のために働き、その庇護を得ていたのである。


 同時に、ダルトンはワレンシュルド公爵の凄惨な悪事と重大な弱みを握る危険な存在となった。だからこそ、盗賊を引退した後も、こうしてラズのような監視役が張り付いていたのである。


 「さてさて、お仕事お仕事。おちおち温泉にも入っていられないね」


 ダルトンが死んだ。


 今、ラズがすべきこと。


 あの爺さんが隠し持っていたはずの、ワレンシュルド公爵の悪行を記した機密文書を何としても回収することだった。もしあれが外の者に渡れば、公爵は一発で破滅する。


 王国中枢のワレンシュルド公爵と稀代の大悪党ダルトンが実は繋がっていた。その証拠が表に出ただけで、終わりなのだ。


 ラズは相変わらず陽気に口笛を吹きながら、慎重に、かつ手際よく小屋の跡地とその周辺を調べ始めた。


 「ふむふむ。派手にやったもんだねえ。可燃性の油を撒いたわけじゃない……。こいつは、強力な爆破魔法の跡だ。それも一発で一帯を消し飛ばすような、なかなかの腕前の魔術師がお熱い一撃を食らわせたってところかな?」


 ラズは焼け焦げた地面の魔力の残滓を嗅ぎ分け、そう判断した。どこかの魔術師がダルトンを殺害し、あの重要な機密文書を奪い去ったに違いない。


 さらに範囲を広げて周囲を探索していたラズ。その目が、ふと、小屋から森の奥へと続く一本の獣道で止まった。前日の雨のせいで、そこはひどい泥濘(ぬかるみ)となっていた。


 「おや、見ーつけた」


 ラズの薄笑いが、少しだけ深く歪んだ。


 そこには、真新しい五人組の足跡が、はっきりと残されていた。足跡の深さや歩幅から、体格のいい男、小柄な女、そして一際重い荷物を背負った大男などが混ざっていることが見て取れる。


 そして、その足跡が向かっている方角は――大森林の先にある、ヴォシュの村だった。


 「さてさて。ダルトンの爺さんを木っ端微塵にした不届き者は、どこのどいつかな? 公爵様の秘密を盗み見て、生きて帰れると思わないことだよねえ。あーあ、可愛い女の子が混ざってるといいんだけど、もしそうなら殺しちゃうのがちょっと勿体ないなあ」


 ラズは肩をすくめてうそぶくと、両腰の双短剣(ツイン・ダガー)の柄を軽く叩いた。


 そして、獲物を追う猟犬のような鋭い眼光を薄笑いの裏に隠しながら、軽やかな足取りで、楽しげにヴォシュの村の方へと歩き出した。



 ◇



 ラズの軽やかな足取りがヴォシュの村の方角へ消えてから、さらに数刻後。


 深い闇が降りるダルトンの小屋の跡地に、もう一人の男が音もなく立っていた。


 「…………」


 男は一言も発せず、ただ周囲の空気を凍りつかせるような不気味な威圧感を撒き散らしていた。大森林をよく知る熟練の猟師たちでさえ、この男の姿を遠目に見た瞬間に本能的な恐怖を察知し、目を合わせることすらできずに慌てて道をあけるほどだった。


 男の名はレルドン。


 ワレンシュルド公爵の政敵であるレスキュラ伯爵に雇われた、孤高の殺し屋戦士である。かつてワレンシュルド公爵がダルトンに命じて盗み出させた、伯爵自身の「極悪非道の証拠文書」――それをご破算にし、力ずくで奪還するために、この地へ送られてきた刺客であった。


 その面構えは、感情というものを完全に削ぎ落としたかのような強面であり、まさに「鉄仮面」と呼ぶにふさわしい。額から右頬にかけてザックリと刻まれた古い刀傷が、無数の修羅場をくぐり抜けてきた凄みを引き立てていた。


 体格は、先ほどのラズとは対極の、鋼のような筋肉に覆われた圧倒的な巨漢。服装は、光を一切反射しない漆黒の『耐魔革鎧』を全身に纏い、背中には身の丈ほどもある、巨大で重厚な漆黒の大剣を背負っていた。


 得意技は、その規格外の巨体から繰り出される『一撃必殺の剛剣』。並の剣士なら受け止めることすらできず、剣ごと肉体を両断される。その一振りが生む風圧だけで、周囲の人間を吹き飛ばすほどの圧倒的な(パワー)の体現者だった。


 性格は冷徹にして極端な寡黙。言葉を発することは滅多になく、喋ったとしても「……フン」「消えろ」「標的確認」といった、地を這うような冷たい言葉のみである。


 しかしレルドンは、その荒々しい外見とは裏腹に、極めて冷静で丁寧な観察眼と、獣並みの嗅覚の持ち主だった。


 ダルトンの小屋が完全に吹き飛ばされている。現場を一瞥しただけで、それが魔法による強力な爆発であることはすぐに分かった。


 ダルトンは消された。ならば、己の使命はどうなるか。当然、回収すべきレスキュラ伯爵の機密文書は、ダルトンを殺害した者が持ち去ったに違いない。


 レルドンはラズと同じように、無駄のない動きで、小屋の跡地とその周辺を丁寧に調べ始めた。


 やがて、巨体を屈めて地面を這うように観察していたレルドンは、ある異変に気づいた。


 焼け焦げた草地の一角に、奇妙な透明の粘液がこんもりと溜まっている。


 「…………」


 レルドンは手袋を外し、その粘液を指先ですくい上げた。


 レルドンには、非凡な触感の記憶力と嗅覚があった。指先を擦り合わせ、鼻腔をくすぐる僅かな臭いを嗅ぐ。


 ――これは、カエルだ。


 だが、通常の雨蛙や沼蛙のそれとは明らかに違っていた。分泌されている粘液の量が尋常ではない。人間ほどの大きさがある特大の蝦蟇(ガマ)がここに現れ、魔法でダルトンを殺したというのだろうか。今のレルドンにはまだ謎であった。


 この粘液は。


 小屋が爆発した瞬間、黒猫の魔法爆弾の威力に度肝を抜かれたユリオが、思わず口から垂らしてしまった本物の蝦蟇(ガマ)の分泌液だった。レルドンはそこまでの事情は察せなかったが、犯人に繋がる決定的な重要証拠であることだけは確信した。


 やがてレルドンもまた、泥濘の中に残された5人組の足跡を見つけた。


 それはラズが追ったものと全く同じ、ヴォシュの村へと続く足取りだった。

レルドンは立ち上がり、背中の巨大な漆黒の大剣をわずかに鳴らした。


 あの特大の蛙の正体を掴み、伯爵の機密を取り戻す。そのためだけに、男の意識は一点へ向かう。


 「……標的、捜索」


 地を這うような低い声でそう呟くと、レルドンは漆黒の外套(コート)の裾を揺らし、大森林の奥の隠れ里へと、静かに、しかし確実な死を予感させる足取りで歩みを進めた。



 お互いの存在も、その正体もまだ知らぬまま。


 ワレンシュルド公爵の光たるラズと、レスキュラ伯爵の影たるレルドン。二つの凶刃が、ユリオたちの潜むヴォシュの村で、今まさに交錯しようとしていた。



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