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第144話 秘湯! 熱闘! 大死闘!! 9 救世主の二つの顔




 ヴォシュの村の食堂を満たしていた甘美なメロンの香りと、どこか気恥ずかしい空気は、温かいお茶が運ばれてくる頃にはすっかり落ち着きを取り戻していた。


 ルルはまだ少し頬を赤く染めながらも、いつもの冷静な手つきで茶杯を傾けている。クローリディアは山桃の果実酒ワインの余韻に浸りながら優雅に扇子を揺らし、シュレンとエミナは先ほどの教訓を胸に、ヴォシュの村の市場で買い出すべき食材のリストを嬉しそうに話し合っていた。


 ユリオは、蝦蟇(ガマ)の口に温かいお茶を流し込みながら、ようやく人心地がついたと、横にせり出した金色の眼球を緩めていた。


 「ふぅ……。極楽、極楽。さすがに食い過ぎたな。そろそろ2階の部屋に戻って、一休みするか?」


 ユリオがそう提案し、一同が席を立とうとした。


 その時だった。


 宿の目の前にある村の広場から、地を裂くような絶叫が響き渡った。


 「大変だ! 大変なことが起きたぞーーーっ!!」


 広場に駆け込んできたのは、息を激しく切らし、泥まみれになった一人の若者だった。その顔は恐怖と悲痛さで完全に引き攣っており、その大声は、遮るもののない広場から窓を開け放った食堂の奥の奥まで、はっきりと、容赦なく突き刺さってきた。


 「ダ、ダルトンさんの小屋が……! ダルトンさんの小屋が、跡形もなく吹っ飛んでるんだ!!」


 ダルトン。


 その名が聞こえた瞬間、ユリオの喉がヒュッと鳴った。茶杯を持っていたルルの指先が、目に見えてピキリと凍りつく。


 「な、何だって……!?」


 帳場にいた宿の主人が、顔色を変えて広場へと飛び出していく。家々からも、次々と村人たちが飛び出してくる。みんな、広場へと集まり始めた。村の温泉客湯治客たちも、何事かと足を止め、見に来ている。


 広場に駆け込んできた若者の絶叫は、さらに続いた。


 「炭焼きの帰りに様子を見に行って、見つけたんだ! 小屋は木っ端微塵で、全部焼け焦げて……もう、ダルトン様は、ほんのちょっとの遺品をバラバラに残すだけになっちまってた。ダルトン様が死んだ! あの優しいダルトン様が、殺されちまったんだよぉおおおっ!!」


 「嘘だろ……!?」


 「ダルトン様が……そんな、まさか!」


 広場は一瞬にして、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。集まった村人たちは、誰もが頭を抱え、あるいはその場にへたり込んで涙を流し始めている。


 老いも若きも、誰もがダルトンの死を、我が事のように激しく、心から嘆き悲しんでいた。そのただならぬ、深い悲しみの波が、食堂の窓を通じてユリオたちの肌へと生々しく伝わってくる。


 食堂の中に、恐ろしいほどの沈黙が降りた。


 ユリオ、ルル、エミナ、シュレン、そしてクローリディア。一行は全員、まるで雷に打たれたかのように、椅子に腰掛けたままピクリとも動けなくなっていた。


 ユリオの脳裏に、強烈な記憶の断片が蘇る。


 魔法の爆発で吹き飛ぶ小屋。爆焔に爆風。


 つい昨日のことだ。


 ダルトンを殺害したのは、ユリオ一行である。正確に言えば、ユリオたちと同じくダルトンを殺しに来た暗殺用魔法爆弾猫が殺したのだが、ユリオをたちが殺害したのも同じことであった。


 ユリオは、森で出会った老婦人バージェスに頼まれてダルトン殺害を引き受けたのだ。その理由。ダルトンは、稀代の大悪党だった。追剥強盗、略奪、そして無慈悲な殺人。この恐るべき男は若い頃、己の欲望のままに数え切れないほどの罪のない人々の命を奪い、血の海を築いてきた。人間の皮を被った殺人鬼であった。バージェスの娘も、ダルトンに殺されていた。バージェスは、ユリオたちに、なんとしても、娘の恨みを晴らしてほしいと、懇願したのである。


 だから、正義の裁きを下した。


 しかしーー


 今、ヴォシュの村人たちは。


 広場に集まって、ダルトンのために、涙を流し、大声で嘆き悲しんでいる。


 (なんでだ……? なんで、あんな大悪党の死を、みんながこんなに悲しむんだ……?)


 ユリオは、激しい困惑と、冷たい汗が全身を伝うのを感じていた。


 隣のルルは、真っ白な顔で自らの両手を見つめている。暗殺者の黒猫を抱いていた手。魔法爆弾猫を、ダルトンのところに抱えて行ったのは、他ならぬルルなのだ。ルルは震えながら手をきゅっと握りしめた。


 エミナは狩衣の袖を口元に当て、恐怖に怯えた目で広場を見つめ、シュレンは深く、重苦しい沈黙を保ったまま傍らに立てかけた大刀の柄に手を置いていた。


 ダルトン殺害は、間違いなく正義であったはずだ。


 しかし。


 自分たちが執行した「正義」は、ヴォシュの村人たちの涙となった。


 ダルトンの死。


 それは予期せぬ形で、ユリオたちの肩へ重くのしかかろうとしていた。



 ◇


 

 「ああ、ダルトン様……! どうしてダルトン様のような御方が、あんな無残な目に遭わなければならないんだ!」


 「そうだ、あのお優しいダルトン様が、一体誰に恨まれるというんだ……!」


 広場から地鳴りのように響いてくる村人たちの慟哭。その中で幾度となく繰り返される「ダルトン様」という最高に敬意のこもった響きに、ユリオの胸の奥はざわつき、激しい困惑に満たされていった。


 (ダルトン……様……? 村の連中は、あの老人を崇拝しているのか?)


 ユリオの横にせり出した金色の眼球が、隣のルルを捉えた。ルルもまた、信じられないものを見たというように、青ざめた唇を震わせている。


 ダルトンは、過去の凄惨な大罪から逃れるように大森林の奥へと引きこもり、ひっそりと一人で隠棲していたはずの大盗賊であり、冷酷非道な大悪党だ。王国の追手から身を隠すための隠れ家にここを選んだだけの男が、なぜこのヴォシュの村でこれほどまでに神聖視され、慕われているのか。この村とあの老人との間には、自分たちの知らない、何か深い関係があったのだろうか。


 何かがおかしい。


 背中に冷たい汗を滲ませながら、ユリオ一行は引き寄せられるように食堂を立ち、広場へと足を踏み出した。


 広場は、まさに混沌の渦中にあった。先ほどまでユリオたちに揉み手をして愛想を振りまいていた宿の主人も、今は地面に膝をつき、大粒の涙を流して天を仰いでいる。


 ユリオは、自身の異形な蝦蟇(ガマ)の姿に対する周囲の視線すら忘れたかのように、泣き崩れる村人の一人に歩み寄り、耳まで裂けた大口から、硬く強張った声を絞り出した。


 「……おい、あんたたち。さっきから聞いていれば、ダルトン、ダルトンって……。あの老人が死んだことを、なんでそんなに大騒ぎして悲しんでいるんだ? あの老人が一体、この村とどんな関係があるっていうんだよ」


 ユリオの、どこか問いただすような、そして困惑を隠しきれない口調に、涙を拭った村人の一人が、憤怒と悲しみが混ざり合った目でユリオを見上げた。


 「何だと!? 旅の御方、あんたたちは何も知らないからそんな冷たいことが言えるんだ! ダルトン様はな、このヴォシュの村にとって、ただの近所の老人じゃない! 俺たち全員の命の恩人、いや、この村を救ってくれた『救世主』なんだよ!」


 「救世主……?」


 ルルが、一歩前に出た。


 「それはどういう意味ですか? あの老人は……ダルトンは、ただの隠棲者ではなかったのですか?」


 村人たちは、涙を流しながら代わる代わる説明し始めた。その口から語られる内容は、ユリオたちが、娘を奪われた老婦人バージェスから聞かされていた「殺人鬼ダルトン」の姿とは、あまりにもかけ離れたものだった。


 村人たちの話。


 彼らはダルトンがかつて世間を震撼させた大盗賊の頭目であり、無数の血を流した殺人鬼だとは、全く知らなかった。ここでのダルトンは、ただひたすらに、平和で、慈悲深く、優しい老人そのものだった。


 十数年前、ダルトンはこの村のすぐ近くの森に小さな小屋を建てて移り住み、ヴォシュの村の人々と深い交流を持つようになった。ダルトンは村の子供たちを我が子のように可愛がり、やがて、その有り余る私財を使って、村の人々を全面的に支援するようになったのだという。


 「ダルトン様は、ご自身がかつて商売で築いた莫大な財産があるとおっしゃっていた。それをな、自分のためには一銭も使わず、すべてこの村のために惜しげもなく投げ打ってくださったんだ……。特に、親を亡くした孤児や、その日の食べ物にも困るような貧しい家の子供たちには、毎月のように手厚い金銭の支援や、温かい衣服、十分な食料を分け与えてくださった。ダルトン様のおかげで、餓死せずに成人できた若者が、この村にどれほどいることか!」


 村人たちの一言一言。それがユリオの胸に鋭い楔となって突き刺さる。


 大盗賊としての略奪品、罪なき人々から奪い取った血塗られた財産――それが、この村では「商売で築いた清い財産」として、子供たちを救うために使われていた、そういうことなのか。


 さらに、宿の主人が涙ながらに立ち上がり、ユリオたちに向かって叫んだ。


 「お大尽様方、あんたがたが今、こうして立派な建物で美味い料理を食べ、これから極上の温泉に入ろうとしている……この贅沢が、昔からあったとでもお思いですか!? もともと、このヴォシュ村は、大森林の最深部にあって王国の加護も届かない、ただの寂れた隠れ里だったのです! 毎日が食うや食わずの極貧の暮らしで、冬が来るたびに、誰が飢え死にするかで怯えていた……そんな絶望の土地だったのです!」


 主人は、新しく頑丈に建てられた周囲の家々や、自らの立派な宿屋を、悔し涙に濡れた目で指差した。


 「確かに、昔から温泉は湧き出ていました。しかし、こんな辺鄙な土地に、外から来る客なんて滅多にいるはずがない。ダルトン様がこの地に現れてから、すべてが変わったのです。ダルトン様はご自身の莫大な財産を投じて、荒れ果てていた温泉場を美しい湯治場へと整備し、この宿屋を建て、村の住居を新しく建て替え、私たちが餓死せずに暮らせるように全ての基盤を整えてくださった! それだけじゃない、ダルトン様は財を投じ外の国々へ働きかけ、巡礼者や旅人、狩人たちに向けて『ヴォシュは万病に効く鍾乳洞迷宮の秘湯の村だ』と、大々的に宣伝してくださったのです! おかげで、温泉客や湯治客が大勢訪れるようになり、村は劇的な発展を遂げました。この村の建物がどれも新しく立派なのは、すべて、すべてダルトン様のおかげなのです!!」


 主人はそう叫ぶと、再び地面に崩れ落ち、声を上げて泣いた。


 広場を包む、圧倒的な感謝と、失われた優しき救世主への、狂おしいほどの哀悼の情。


 それを全身に浴びながら、ユリオは目眩めまいを覚えるほどの衝撃に襲われていた。


 自分たちが正義の名のもとに吹き飛ばしたあの老人の小屋。抵抗もせず、ただ静かに死を受け入れたあの優しい瞳。


 ダルトンが過去に犯した罪は、確かに消えない大罪だ。バージェスの涙も、殺された彼女の娘の無念も、紛れもない事実だったはずだ。だから自分たちは、正義の裁きを執行した。


 しかし――その「正義」の結果として今、一つの村の救世主が失われ、無数の善良な村人たちが絶望の底に突き落とされている。


 (俺たちがやったことは……本当に、正しい『正義』だったのか……?)


 ユリオの蝦蟇(ガマ)の顔は、あまりの衝撃に醜く歪み、言葉を失った。


 隣ではルルが、自分がダルトンの元に連れて行った黒猫の爆破魔法の威力を思い出したのか、震える両手を凝視したまま、顔面を蒼白にさせていた。


 血塗られた過去を持つ大悪党と、村を救った聖者。二つの顔を持つ一人の老人を殺害したという事実の重みが、ユリオ一行の心に、底知れぬ暗い影を落とし始めていた。



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