第136話 秘湯! 熱闘! 大死闘!! 1 隠れ里 【温泉回です! 前編『殺し屋』の続編なので、『殺し屋』から、先に読んでいただけると、理解しやすいです】
ルヴォニア大森林の奥地。王国の統制の呼ばぬ「治外の地」
そこにも、村や集落があった。
隠れ里である。
いわば、大森林という大海に浮かぶ小島である。
大半は、ひっそりと息づく小さな集落や村だが、中には、人が行き交う栄えた村もあった。
「ユリオ様! 前方に何か見えるのです!」
先頭を歩いていたエミナが、長袖の狩衣の袖を揺らしながら声を弾ませた。
ユリオは、横にせり出した蝦蟇の金色の眼球を凝らす。鬱蒼とした木々の隙間から、にわかには信じがたい光景が飛び込んできた。
「あれは……」
切り拓かれた土地に、整然と木造家屋が並んでいる。
人里。
大森林の奥地に点在する、王国の統制も届かない開拓者たちの「隠れ里」なのか。粗末な小屋ではなく、太い丸太を組み上げた頑丈で立派な家屋が、緑の奥からチラチラと見え隠れしている。
大森林の村にしては、立派に見える。
「人里……! それも結構栄えてる? おい、マジかよ、やっとまともな床で眠れるのか!?」
久々の文明の気配に、歓喜するユリオ。
なんだかんだ、大森林の難路には、うんざりしていたのだ。背負った大きな鍋をガタガタと鳴らし、ズボンを履いた足を一歩踏み出し、そのまま嬉しさのあまり里へと走り出そうとした。
だが。
「待ちなさい、ユリオ。不用意に近づいちゃダメなんだから!」
後ろから伸びてきた白い手が、ユリオの狩衣の肩をぐっと掴んで制した。
振り返ると、ルル。
膝下まである狩衣をきっちりと着こなし、首元まで布地で覆った控えめで潔癖な佇まい。しかしその胸の圧倒的な質量は、隠しきれていないーー隠すことなど不可能なのだ。
ルルの表情は真面目で、ビミョーに冷ややかだった。その視線は、ユリオの顔――その醜悪な蝦蟇のイボへと向けられ、ほんの一瞬、拒絶の色の混じった陰りを帯びる。
「……ルル?」
「ねえ、ユリオ、よく考えて。ここは大森林の奥地。王国の庇護もない、「治外の地」よ。そんな場所に、頭が丸ごと魔物に変異したような貴方がいきなり飛び込んでいったらどうなると思う? 十中八九、大森林の魔獣が襲撃してきたと思われて、里の猟師たちに弓や槍で一斉に討伐されるのがオチよ」
「う……」
ルルの正論に、ユリオは言葉を詰まらせた。
すかさず、隣にいたエミナも申し訳なさそうに手を合わせる。
「そうなのです、ユリオ様。エミナは心からユリオ様を尊敬しているのですけれど……今のユリオ様のお顔は、初見の人からすれば完全に不吉な魔物なのです! 近くに寄られると、その、ヌルヌルした粘液が里の人の物にも付いちゃうかもしれないですし、まずはエミナたちが様子を見てくるべきなのです!」
忠実な家臣であるエミナはユリオを主君として護ろうと必死である。しかし、やはりその言葉の端々には、十代の乙女としての生理的な拒否感が透けて見えた。
信頼する2人の少女から向けられる、一歩引いた「ビミョーな距離感」。それがユリオの心をチクリと刺す。
「確かに、お二人の言う通りですね」
背後から、いつも通りのんびりとした声でシュレンが同意した。シャツにチョッキ、ズボン姿の巨漢は、重い大刀と大小の荷物を背負いながらも、穏やかな笑顔を崩さない。
「ここは私がルルさん、エミナさんと共に先行し、様子を見て、里の者と交渉してきましょう。怪しい者ではないと分かれば、ユリオさんも後から迎えられます」
「……分かったよ……。じゃあ、俺はここで待ってる」
ユリオは肩を落とし、蝦蟇の口をヘの字に曲げて地面にしゃがみ込んだ。せっかくの人里だというのに、中に入る権利すら与えられない。まさにギャフンとなる展開だった。
「フン、当然の措置ね。そんな不潔なガマ蛙を連れて歩けば、私の気高き血統まで疑われてしまうわ」
木陰の岩に腰掛けていたクローリディアが、これ見よがしに扇子を広げて高笑いした。
「オーホッホッホ! やはり蝦蟇は蝦蟇らしく、湿った泥の上で留守番をしているのがお似合いだわ!」
クローリディアは相変わらず、大森林にはあまりにも不似合いな、リュクセム公国お抱えの職人が仕立てた深紅のドレスを身に纏っていた。
胸元が深い曲線で大胆に抉られた意匠からは、白磁のような美肌と、豊満な双丘が惜しげもなく露出している。ルルの超爆乳に比べれば一回り控えめとはいえ、寄せ上げられた胸の谷間は、クローリディアの傲然とした美貌を引き立てるのに十分すぎるほどの重厚な存在感を誇っていた。
しかし、ルルはそんなクローリディアを冷徹な目で見下ろした。
「何を勝ち誇っているの? クローリディア。留守番をするのは、あなたも同じよ」
「は……? なんですって!?」
クローリディアのアメジストの瞳が、怒りで大きく見開かれた。
「当然でしょう。大森林じゃありえないド派手なドレスを着て、そんな尊大な態度のお嬢様が一緒に行ったら、公国の追手の目を惹くか、さもなくば、私たちが高値で売れる貴族の誘拐犯だと思われて警戒されるわ。だから、あなたもユリオと一緒にここで待機。いいわね?」
「な、私をこの下賤な小僧と同列に扱うというの!? シュレン、何とか言いなさい!」
取り乱しそうになるクローリディアだったが、すぐに顎を突き上げて昂然とした態度を取り戻した。大貴族たる者、庶民と同じ列には、並ばないのだ。
シュレンは主の威厳を損なわないよう、静かに一歩退いた。
「お嬢様、ルルさんの言う通りです。ここは私に免じて、少しの間だけお待ちください。私がお嬢様のために、露払いしてきます」
「……フン、シュレンがそこまで言うなら、待ってあげなくもないわ。褒めて遣わすから、早く戻ってきなさい。私の食欲を満たす、まともな物資を調達してくるのよ。エミナのシチューもシュレンの肉料理も最高に気に入っているけれど、そろそろ公国の宮廷で飲んでいたような、上質な果実水が恋しいのだから!」
どこまでも我が儘で欲張りな女公爵の言葉を受け流し、ルル、エミナ、シュレンの三人は、木々の向こうの人里へと静かに歩き出していった。
残されたのは、頭だけが蝦蟇のユリオと、深紅のドレスを揺らす性悪女公爵クローリディア。
大森林の静寂の中、不気味なほどに対照的な二人の、不本意極まりない留守番が始まった。
発展した村。久々の文明の匂い。あと1歩だと言うのに。
ユリオは、ケロッと蛙の喉を鳴らす。




