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第135話 殺し屋 4 受け止めきれないもの



 ダルトンの小屋の跡。煤煙の立ち上る草地を背に、再び歩き始める一行。


 ついさっきまで、そこにあった、小屋をオアシスのように美しく整え、花を植え、優雅に茶を飲む老人の姿。それはすべて奪った命の上に成り立つ偽りの平和だったのだ。


 ダルトン抹殺というバージェスからの依頼は、ユリオたちの手を汚すまでもなく、あまりにあっけなく、そして魔法の爆音と共に完了した。


 「……結局、あいつも俺たちと同じだったんだな」


 ユリオが濁った声で呟いた。蝦蟇(ガマ)の広い視界の片隅で、崩れた小屋の残骸が遠ざかっていく。


 「あの黒猫も、ダルトンを恨む誰かが送り込んできた殺し屋だったんだ。……にしても、だいぶポンコツだったよな。道に迷って、俺たちが拾ってやらなきゃ目的地にすら辿り着けなかったんだから」


 ユリオの言葉に、ルルは前を見据えたまま静かに応じた。


 「そうね……。ご主人様が瀕死の病気で、必死にあの魔法仕掛けの爆弾猫を作ったって言っていたもの。あれが限界だったのね。制御回路が不安定だったのか、ただ単に猫の気まぐれが混ざってしまったのか……」


 ルルの声は淡々としていた。ユリオはふと足を止め、少女の横顔を見た。


 「……ルル、お前、気づいてたのか? あの猫が爆弾だって」


 「抱き上げた時から、違和感はあったわ。生き物の鼓動じゃなくて、魔力炉の微かな振動が伝わってきたんだから。だから、あの子を胸から降ろしたくなかったの。もし変な場所で起爆したら、みんなを巻き込んでしまうでしょう?」


 ルルは、あの黒猫の重みを思い出すように自分の胸元に手を当てた。


 「結局、俺たちの受けた依頼、あの黒猫に押し付ける形になっちまったな。俺たちの手で引導を渡す手間が省けたってわけだ」


 ユリオが吐き捨てるように言うと、ルルは「うん、そうだね」と短く同意した。しかし、ユリオにはどうしても拭いきれない違和感があった。


 「でもさ、……おかしいんだよ。あの黒猫の爆発だけで、ダルトンほどの猛者が仕留められるか?  あいつの面構え。まだまだ衰えちゃいなかった。猫にかなう相手じゃない。バージェスが言う通りの男なら、猫が光りだした瞬間に逃げるなり、結界を張るなりできたはずだ」


 ユリオはまた、猫に禁じられた後ろを振り返った。


 「ダルトンは、見抜いてたんだ。黒猫も、それを運んできた俺たちも、自分を始末しに来た殺し屋だってことを。自爆猫から逃げたところで、外には俺たちが控えている。どのみち、逃げ場も勝ち目もないと悟ったんだよ。だから、抵抗せずにあの猫と一緒に死ぬのを選んだ……。あいつも、自分の年貢の納め時だって悟ったんだな」


 ユリオの言葉に、クローリディアが「ふん、罪人の末路なんてそんなものよ」と鼻を鳴らした。


 一行はそれ以上、死んだ老人と猫について語ることはなかった。


 ただ、ルルの足取りだけが、先ほどよりも少しだけ重くなっているように見えた。それは、自分たちが運んだ「死」の重みなのか、それとも、あの暗殺用爆弾猫が残した「幸せの重み」の残滓なのか、ユリオには分からない。



 深い森の静寂が、再び一行を包み込んでいた。湿った土と腐葉土の匂いが立ち込め、時折、遠くで鳥の鋭い鳴き声が響く。


 「……やっぱり、殺しの依頼を受けるのは嫌だわ」


 ルルが、誰に聞かせるともなくポツリと呟いた。その声は、森の湿り気に吸い込まれるように低かった。


 ユリオは隣を歩きながら、蝦蟇(ガマ)の大きな眼球を動かしてルルを盗み見た。


 「どうして? ……無抵抗の人間を殺すのが嫌なのか?」


 それは、ユリオなりの気遣いだったのかもしれない。自分たちが正義の名の下に、一人の老人の余生を終わらせたことへの、割り切れなさを代弁したつもりだった。


 だが、ルルは歩みを止めることなく、感情を削ぎ落としたような声で返した。


 「そうじゃない。……殺せなかった時、自分はなんて弱い人間だろうと思うのが嫌なの」


 ユリオは、何も言えない。


 ルルが恐れていたのは、道徳的な罪悪感ではなく、自らの甘さや未熟さが引き起こす決断の欠如だった。その冷徹なまでの言葉の裏には、ルルが背負っているものの重さと、この過酷な世界で生き抜くための剥き出しの覚悟が隠れていた。


 一行を沈黙が支配した。


 誰かを殺す覚悟。あるいは、殺される覚悟。


 口で言うのは容易いが、いざその瞬間に立ち会った時、人はどれほど無力で、震える指先を隠すのに必死になるか。ダルトンの最期を目の当たりにした彼らには、その覚悟の輪郭が、痛いほどに理解できた。


 しばらくして、ルルがふっと空を仰ぎ、独り言のように言った。


 「……樹上に気をつけないとね。また、猫が降ってくるかもしれないんだから」


 その言葉に、ユリオは少しだけ口角を上げた。それが冗談なのか、それとも本気の警戒なのかは分からなかったが、張り詰めていた空気がわずかに緩んだのを感じた。


 「ああ、そうだな。今度は受け止めきれないかもしれないしな」


 一行は、二度と振り返ることなく、大森林のさらなる深淵へと足を踏み入れていった。



 ◇



 ユリオたちが立ち去って、だいぶ時を経た後ーー



 煙の収まった草地には、むせ返るような焼けた草の匂いと、焦げた肉の臭いがわずかに漂っていた。


 かつての美しい花々は爆風でなぎ倒され、降り積もった灰が、雪のように黒ずんだ大地を覆っている。せせらぎを奏でていた小川には、破壊された丸太小屋の木片が無残に浮いていた。


 そこへ、カサリと草を踏む音がした。


 バージェスだった。


 2日前、ユリオたちの前で見せた、すがりつくような哀れな老婦人の姿はどこにもない。汚れ一つない漆黒のドレスを纏い、背筋を真っ直ぐに伸ばして、かつての敵が住んでいた場所へ歩み寄った。


 バージェスの視線の先に、何かが光った。老婦人はゆっくりと屈み込むと、灰の中から一本の焦げたスプーンを拾い上げた。それはダルトンが来客をもてなすために棚の奥から取り出した、一番上等の銀食器の成れの果てだった。


 「趣味のいいこと」


 バージェスはふっと、冷ややかな笑みを浮かべた。


 旅立つ前に再びバージェスのところに寄ったユリオたちから、事情はすべて聞いていた。


 ダルトンは逃げなかったという。それどころか、わざわざ最高の茶と菓子を用意し、死を運んできた者たちを丁寧に歓待した。


 それは、彼なりの贖罪だったのか。あるいは、かつての荒ぶる大悪党としての誇りが、惨めな逃亡を許さなかったのか。


 「さようなら、ダルトン。……娘の隣には、行かせないわよ」


 バージェスは拾い上げた銀のスプーンを、小川の深い澱みへと放り投げた。


 そして一度も祈るような仕草を見せず、そのまま踵を返した。


 その後ろ姿。復讐を遂げた充足感に満ちているようでもあり、あるいは、これまですべてを懸けてきた目的を失った虚無感に沈んでいるようにも見えた。


 大森林に、静寂が戻る。


 遠く、ユリオたちが歩んでいった先からは、新しい風が吹き抜けてきた。だが、この焦土に再び花が咲くのは、ずっと先のことになりそうだった。




 ( 殺し屋 了 )

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