第134話 殺し屋 3 老婦人の依頼
小屋を出たユリオ一行。黒猫の「全力で走れ」との言葉に従うことはなかった。
ゆっくりと歩いていく。
日差しに照らされた草地はあまりに平和だった。その光景に、死や破壊の予感など微塵も感じられない。
美しい花々が咲き乱れる草地。
クローリディアも、自分の足で軽やかに歩いている。
心地よい風が吹き抜け、背の低い草がさらさらと音を立てる。
誰も何も言わなかった。ダルトンの淹れてくれた濃いミルクの薬草茶の温かみは、まだ体の中に残っている。静かな沈黙。
やがて、一行が再び薄暗い森に入ろうとした、その時だった。
――ズ、ズゥゥゥゥンッ!
背後から、鼓膜を突き破るような爆発音が轟いた。森をゆるがす暴力的な音。
5人は反射的に足を止め、振り返った。黒猫の言っていた「振り返れば石になる」という話。本気で信じてなどいない。
視線の先。先ほどまでそこにあったはずの、さっぱりとした丸太小屋は、綺麗に消えていた。
凄まじい爆煙と爆風が天に向かって噴き上がっていた。美しい草地は一瞬にして灰色の塵に覆われる。
それは緻密に計算された、一瞬ですべてを無に帰す、強大な魔法による爆発だった。
やがて爆発が収まり、巻き上げられた塵が風に舞う中、ユリオたちはじっとその光景を見つめていた。
ルルが気配探知の魔法を使う。その指先が微かに光を放ち、爆発の跡地を走査していく。
「……生命反応、なし。……」
死んだ。
ダルトンは死んだ。
そして、あのルルの胸で喉を鳴らしていた黒猫も、跡形もなく消滅した。
あの黒猫は。
魔法仕掛けの爆弾猫だったのだ。
あの猫が言っていた「仕事」。それがこの光景。
黒猫は、初めからダルトンという標的を消し去るために誰かが送り込んだ暗殺者、殺し屋だったのだ。
煤けた小屋の跡地から、熱を帯びた風が吹き抜ける。
オアシスのようだった草地と花壇は、今やただの墓標へと変わり果てていた。
◇
話を2日ほど遡る。
一行は大森林の深い場所で、ある一軒の森小屋に立ち寄っていた。
その小屋の主は、バージェスという名の老婦人だった。絹のような白髪を美しく結い上げた、気品あふれる女性。その姿は、大森林にはおよそ似つかわしくなかった。
バージェスは突然の来客であるユリオたちを、まるで旧知の友人を迎えるかのように丁寧に、そして優雅に歓待した。
「まあ、可愛らしいお客様方。こんな奥地まで、よくおいでくださいましたね」
ユリオたちは、差し出された温かい飲み物を啜りながら、心のどこかで首を傾げていた。なぜこれほどまでに洗練された立ち振る舞いの貴婦人が、猛獣が跋扈する「治外の地」なんぞに独りで暮らしているのか。
翌朝、バージェスは楽しげに一行を誘った。
「近くの渓流に、とても良い釣り場があるのですよ。よろしければ、案内いたしましょうか?」
断る理由もなく、一行は優雅な老婦人に従って険しい崖沿いの道を歩いた。
しかし、その途上、予期せぬ事態が起こる。
――ゴゴゴ、という不気味な地鳴りが響いた直後だった。
頭上の岩盤が、凄まじい音を立てて崩落し始めたのだ。逃げ場のない細い道に、巨大な岩塊が降り注ぐ。
「危ない!」
ユリオが叫ぶより早く、ルルが即座に詠唱を開始した。ルルの放った障壁魔法が、頭上から迫る小石や土砂を弾き飛ばす。同時に、シュレンがその驚異的な剛腕で、一行を押し潰そうとした巨岩を真っ向から受け止め、強引に谷底へと放り投げた。
ユリオとエミナも動いた。蝦蟇の広すぎる視界でいち早く崩落に気づいていたユリオはバージェスの背後に回り込み、老婦人を抱え上げて安全圏へと飛び退く。エミナは機敏な動きで落石の隙間を縫い、退路を確保した。
「……あ、あ、ああああっ! 何よこれ! 私の服が汚れるじゃないの! 助けなさい! 早くなんとかしなさい!」
毎度であるが、クローリディアだけは何の役にも立たなかった。クローリディアは逃げることも守ることもせず、ただ耳を劈くような悲鳴を上げてギャーギャーと騒ぎ立てるばかりだった。もちろん、シュレンが助ける。
やがて土煙が収まった時、バージェスはユリオの腕の中で、乱れた髪を直すこともせず、ただ静かにその光景を見つめていた。その瞳には、恐怖ではなく、何かを品定めするような鋭い光が宿っているのに、ユリオは気づいた。
◇
落盤の土煙が収まった直後、バージェスの態度は一変した。
先ほどまでの気品あふれる微笑は消え去り、その瞳には凍てつくような復讐の炎が宿っていた。
バージェスはユリオの腕から降りると、泥に汚れた膝をつき、一行にすがりつくようにして声を絞り出した。
「……見事な腕前です。あなたたちは、間違いなく真の強者勇者です。どうか、どうかこの老い先短い身の願いを聞いてはくださいませんか」
困惑する一行を前に、バージェスは血を吐くような思いで、この地に留まり続ける理由を語り始めた。
「この先に住むダルトン……あの男は、かつて追い剥ぎや殺人、強盗といったおぞましい犯罪を幾度となく繰り返し、数えきれないほどの命を奪ってきた稀代の大悪党なのです。私の愛する娘も……婚礼を翌日に控えた幸せな夜に、あの男が率いる野盗一味に襲われ、無惨に殺されました」
バージェスは震える手で地面を掻いた。
「私は誓いました。この手で必ず娘の仇を取ると。執念で奴を追い続け、ようやくこの大森林の奥地で、過去を隠し、善良な隠居人を装って暮らすダルトンの住居を突き止めたのです。ですが、私にできるのはそこまででした」
バージェスは悔しさに歯ぎしりをした。
「ダルトンは引退したとはいえ、いまだ凄腕の猛者。非力な私一人が挑んだところで、返り討ちに遭うのが関の山です。ダルトンは私に見張られていることに気づいていながら、逃げようともしない……。私のような年寄りに何ができると、完全に見くびっているのです。ここは王国の法も届かぬ治外の地。訴え出たところで誰も助けてはくれません」
バージェスの視線が、ユリオ、ルル、エミナ、そしてシュレンへと注がれる。その眼光は、獲物を追い詰める猟犬の鋭さを持っていた。
「そこに、あなたたちが現れた……。これぞ天の導き……。お願いです、娘の無念を晴らしてください! あのような大悪党が、平穏に余生を過ごすなど、あってはならないことなのです。必ず正義の裁きにかけなければなりません。あなたたちの力があれば、あの化け物を討ち取ることができるはずです! きっとできます!」
「正義」という言葉が、重く沈黙の中に響いた。
ルルは、唇を噛み締めながら、バージェスの絶望に満ちた瞳をじっと見つめ返した。自身の潔癖さと正義感が、心の天秤を大きく揺らす。やがて、ルルは決然と頷いた。
「……分かりました。私たちが引き受けます。そんな悪行を見逃しておくわけには、絶対にいかないんだから」
ルルの宣言に、ユリオは複雑な思い。
要するに。
殺人の依頼を引き受けたのだ。




