第133話 殺し屋 2 ダルトンの小屋
鬱蒼とした巨木の群れを抜けると、不意に視界が開けた。
そこには、大森林の険しさが嘘のような、明るい日差しがいっぱいに降り注ぐ美しい草地が広がっていた。難路を歩き続けてきた一行にとって、そこはまさに森の中のオアシスだった。
中央には、さっぱりとした清潔感のある丸太小屋が佇んでいる。小屋の周囲には色とりどりの花々が丁寧に植えられ、立派な花壇となっていた。近くを流れる小川のせせらぎが、涼やかな音を立てている。
あまりにも穏やかで、美しい光景。
だが、ユリオ一行の顔は、一様にこわばっていた。
ルルが一歩前に出て、小屋の扉をトントンと控えめにノックした。
「……はい」
扉が開き、一人の初老の男が姿を現した。
男は自分がダルトンだと名乗った。その表情は穏やかで優しげだったが、シャツの袖から覗く筋張った腕や、無駄のない立ち振る舞いには、隠しきれない精悍さが刻まれている。
ダルトンは、蝦蟇の頭を持つ少年、豪華なドレスの少女、そして巨漢の大男と、もう2人の美貌と、可愛らしさを誇る少女、それに黒猫という、およそ類を見ない奇妙な5人と一匹を、驚いたように見つめた。
「……これはまた、賑やかな客筋だ。あんたたちは、一体どこから来たんだ?」
ダルトンの問いに、ルルが答える。
「バージェスさんのところから来たわ」
ルルの胸に埋もれていた黒猫が、顔だけをひょこっと出して付け加える。
「僕は別のところから来たよ。道に迷っていたところを、この最高にふかふかな場所に乗せてもらったんだ」
「ほう、バージェスの所からか。それに、喋る猫まで一緒とはな……」
バージェスの名前を聞いて、一瞬眉をピクっとさせたダルトン。少しだけ目を細めて一行を観察したが、すぐに相好を崩した。
「いいだろう。立ち話もなんだ、おあがりなさい。丁度茶を淹れようと思っていたところだ」
ダルトンに促され、ユリオたちは緊張を解かぬまま、整えられた丸太小屋の中へと足を踏み入れた。黒猫もまた、当然のようにルルの胸の上に居座ったまま、一行と共に招待に応じた。
◇
ダルトンの小屋の中。外観と同じく清潔で、窓から差し込む日の光が木の床を明るく照らしていた。部屋の中央には、よく使い込まれた素朴な木の卓と椅子が並んでいる。
「さあ、遠慮せずに座ってくれ」
ダルトンに勧められ、ユリオはおずおずと椅子を引いた。自分の異形な姿を思い出す。頭の粘膜と粘液。
ヌルヌル。
ここは野営じゃない。この整えられた空間。汚してしまうのではないかと、柄にもなく気後れする。
「……あ、あのさ。俺、顔はこんなだけど、体の方はちゃんと人間だから。椅子もテーブルも汚したりしねえからな」
言い訳がましく呟いたユリオに、シュレンの肩から降りて隣の椅子に座ったクローリディアが、すかさず冷ややかな視線を向けた。
「オーホッホッホ! わざわざ宣言するなんて、かえって怪しいわ。せめてその醜い頭から垂らす粘液で、このおじ様の家を汚さないように気をつけることね、蝦蟇坊や」
「……っ、うるせえな!」
ユリオが裂けた口を歪めて言い返すと、ようやく黒猫もルルの胸から降り、隣の椅子にちょこんと飛び乗った。
「ああ……名残惜しいな。あの天国のようなふかふかクッション……恋しいよ」
猫は短く溜息をつき、琥珀色の瞳を細めてルルを振り返った。ルルは少し肩を軽くした様子で、静かに椅子に腰を下ろした。
「今、ミルクで淹れた薬草茶を準備する。裏で牛を飼っていてね。今朝搾ったばかりの新鮮なミルクだ」
ダルトンはそう言いながら、手際よく準備を始めた。
「ちょうど焼き上がったばかりのチェリーパイもある。よければ皆でお上がりなさい」
ユリオたちは誰も言葉を返さず、ただダルトンの背中を凝視していた。荒々しい大森林の奥地らしからぬ、平穏で文化的なもてなし。
ルルは、準備をするダルトンの手元をじっと見つめていた。ダルトンは食器棚からカップや皿を取り出す際、普段使いの器ではなく、棚の奥にある最も上等な一揃いを、迷うことなく選んでいた。
(……この人、私たちの正体を知っているのかしら。それとも、バージェスの名前がそうさせたの……?)
やがて、湯気を立てるミルク薬草茶と、甘酸っぱい香りを漂わせるチェリーパイがテーブルに並べられた。
「さあ、どうぞ。冷めないうちに」
ダルトンに促され、一行は黙々と口を動かし始めた。
濃厚なミルクの甘みと、薬草の爽やかな香りが混ざり合った茶が、旅で疲れた体に染み渡る。チェリーパイの生地はサクサクとして、中の果実は驚くほど瑞々しかった。
ダルトンも自分のカップを手に取り、テーブルについた。彼は急かすことなく、自分で淹れた茶をゆっくりと、慈しむように味わっている。
黒猫はチェリーパイをもらわない。皿に分けてもらったミルク薬草茶を、ピチャピチャと小さな音を立てて舐める。
カタ、と皿とフォークが触れ合う小さな音だけが、陽だまりの部屋に響く。
誰も何も喋らない。
新鮮なミルクで淹れた薬草茶の豊かな香りだけが、その空間に漂う。
◇
やがて、5人と一匹の来客たちのカップとお皿は、すっかり綺麗に空になった。新鮮なミルクのコクと、甘酸っぱいチェリーの余韻が、しばしの間、部屋の空気を和らげていた。
ダルトンだけは、まだ半分ほど残っている薬草茶のカップを両手で包み、時が止まったかのように、ゆっくりと味わうように飲んでいる。
部屋を支配する、重厚な沈黙。
その静寂を破ったのは、椅子の上で毛繕いを終えた黒猫だった。猫は琥珀色の瞳をルルに向け、静かに告げた。
「君たちは、もう帰っていいよ。僕はこれから、ダルトンとすることがあるんだ」
ルル、ユリオ、エミナ、シュレン、そしてクローリディア。一行は互いに顔を見合わせると、椅子を引く小さな音だけを立てて、全員が静かに立ち上がった。
一行が入り口の扉に手をかけ、外の眩い光の中へと踏み出そうとした時、背後から黒猫の落ち着いた声が届いた。
「ありがとう。ここに連れてきてくれて。本当に助かったよ」
ルルが足を止める。猫の声には、それまでの軽薄な響きはなく、どこか切実な重みが宿っていた。
「僕の御主人様は病気でね。もう長くないんだ。やっとの思いで、僕をここに送り出したんだ。僕はなんとしても、ご主人様が生きているうちに、仕事をしなければいけなかった。でも、道に迷ってしまって、どうしても自力ではここに辿り着けなくてね……。君たちが送ってくれたから、ようやく間に合った。僕の御主人様の命の灯は、まだ消えていない」
ユリオは、蝦蟇の眼球を動かして猫を振り返った。猫は椅子の上に座ったまま、一行を見送っている。
ルルたちは何も答えず、ただ静かに扉の外へ出ようとした。
黒猫が、最後にもう一度だけ声をかける。
「君たち。ここを出たら、全力で走るんだ。いいかい、決して振り返ったりしちゃいけないよ」
そのどこか引っ掛かる響きに、ルルは堪らず振り返って問いかけた。
「……なぜ? どういう意味なの?」
黒猫は、それまでの神妙な顔をどこかへ追いやり、鋭い犬歯を見せてニヤリと笑った。
「もし一度でも振り返ったら……石になっちゃうぞ」
ルルはそれ以上何も聞かず、小屋から出た。
最後に外へ出たユリオが、背後の扉を静かに閉める。
パタン、と乾いた音が響いた。




