第130話 月下、水浴のルルーシア 上 光の裸身
ルヴォニア大森林の夜。
生きとし生けるものの吐息が重なり合う、深い沈黙に包まれている。
パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが、時折、静寂を優しく叩く。ユリオは、背負っていた大鍋を傍らに置き、柔らかい草の上で眠りについていた。
その後ろでは、シュレンが巨木に背を預けて静かな寝息を立て、クローリディアは、シュレンが敷いた最高級の毛皮の上で、まるでお城の天蓋付きベッドにいるかのように、優雅に身を丸めている。エミナもまた、愛用の弓を抱きしめたまま、ユリオの足元で「むにゃむにゃ」と料理の夢でも見ているのか、幸せそうな顔で眠っていた。
そんな中。
ルルはふと、意識の底から浮かび上がるように目を覚ました。
(……今、誰かに呼ばれた?)
声が聞こえた、そんな気がしたのだ。
ルルはゆっくりと身を起こした。
魔防戦衣の締め付けられた胸元を整えながら、周囲を見渡す。仲間たちは深い眠りの中にあり、物音ひとつしない。
ただただ、夜の静寂が深くーー
呼ばれた、と思ったのは気のせいかと、再び横になろうとした瞬間――
『……こっちへ。……清らかな乙女よ、こちらへおいでなさい……』
それは、耳で聞く音というよりは、直接魂の琴線に触れるような、透き通った呼び声だった。幻聴にしては、あまりにも鮮明。ルルは導かれるように立ち上がり、月光が降り注ぐ森の奥へと歩き出した。
下草を踏みしめる音さえ、この夜の静寂には不釣り合いなほど大きく聞こえる。
ルルは、魔導師特有の鋭い感覚を研ぎ澄ませながら、銀色の光が指し示す方角へと進んだ。幾重にも重なる巨大なシダの葉を掻き分け、太古の溶岩が冷え固まってできた黒い岩肌を乗り越える。
やがて、視界が唐突に開けた。
その光景に、目を瞠るルル。
「……なんて、美しい……」
ルルの唇から、感嘆の吐息がこぼれた。
そこには、大森林の懐に隠された、完璧なまでの円を描く泉があった。
天頂に輝く満月が、一点の濁りもない水面にその姿を鏡のように映し出している。周囲の溶岩石には青白い苔が群生し、それが月光を反射して、まるで無数の小さな蛍が水辺に集まっているかのような、幻想的な燐光を放っていた。
泉の底からは、太古の火山の名残だろうか、微かな温もりを伴った透明な水が絶え間なく湧き出している。水面に浮かぶ睡蓮のような白い花は、時折、風もないのに震え、甘く清涼な香りを周囲に振りまいている。
水辺の岩盤は、かつての溶岩流が滑らかな曲線を描いたまま固まっており、まるで神殿のテラスのようだった。
その清冽な空間には、森の荒々しさも、追手の恐怖も、そして仲間の騒がしさも届かない。ただ、月と水と、静寂だけが支配する聖域。
ルルは、月明かりを透かして美しく発光するその泉の縁に立ち、吸い寄せられるように、自らの装束の合わせ目に手をかけた。
誰かに見られているような気配はない。けれど、何かに急かされるように、ルルは一人、夜の静寂へと溶け込んでいった。
◇
ルルは、揺らめく銀色の鏡面をじっと見つめていた。
水底から立ち上る微かな湯気と、冷徹な月光が混じり合い、17歳の少女の視界を非現実的な淡い白光で満たしていく。泉の精霊が手招きしているような、抗いがたい誘惑。
ルルは指先で、魔防戦衣の留め具を一つずつ、儀式のように解いていった。
夜の静寂の中に、衣の擦れる柔らかな音だけが響く。
重厚な生地が足元に滑り落ちると、そこには月光を吸い込んで真珠のような光沢を放つ、一柱の女神の如き肢体が現れた。
背中を覆うのは、漆黒の夜をそのまま紡いだような、艶やかな黒髪の奔流。腰のあたりまで届く長い髪が、微風に揺れて白い肌をなぞり、神秘的なコントラストを描き出す。
そして、その胸元には、この世の豊穣を一身に集めたかのような、圧倒的な重みを湛えた双丘が鎮座していた。
それは、たわわに実った禁断の果実のように、ルルが呼吸を刻むたびに、ゆったりとした曲線を描いて揺れる。重力に逆らうことなく、それでいて神々しいまでの張りを保ったその豊かさは、見る者の理性を溶かすほどの質量を持ち、先端に灯る淡い紅色の徴は、冷えた夜気の中で、秘めやかな高まりを見せていた。
ルルは滑らかな溶岩石の縁に腰を下ろし、そっと片足を水に浸した。
波紋が広がり、月を砕いていく。
太腿からふくらはぎへと続く流麗なラインは、鍛えられたしなやかさと、女性特有の柔和な膨らみを併せ持っていた。膝を抱えるようにして座るルルの姿勢に合わせて、その大いなる双丘は、さらに豊かな厚みを増してその膝の上に零れんばかりに横たわる。
「……不思議。心が、透き通っていくみたい……」
ルルは膝を抱えたまま、じっと水面を見つめ続けた。
夜露に濡れた黒髪の隙間から覗く、吸い込まれるような瞳。
首筋から肩口、そして重厚な弧を描く胸の谷間へと流れる光の帯は、この大森林のどこかに眠るという伝説の宝石よりも、なお眩しく、気高く輝いている。
キラキラと光る水面は、少女の美しさを羨むように、その裸身の影を優しく揺らしていた。少女は自らの豊潤な肢体を惜しげもなく月下に晒しながら、しばし、時が止まったかのような静寂の中で、己という存在が自然の一部へと還っていく感覚に身を委ねていた。
大森林 の深い闇の中で、少女の白銀の体躯だけが、世界の中心であるかのように、ただひたすらに、美しく、重く、輝き続けていた。
ルルは意を決したように、ゆっくりと立ち上がった。
岩場から一歩、また一歩と泉の奥へと足を進める。透明な水がしなやかな膝を浸し、やがてその豊潤な太腿を割り、そして、世界中の甘美を凝縮したかのような腰のくびれまでを飲み込んでいく。
「冷たい……けれど、なんて心地よいのかしら……」
水面に腰まで浸かったルルの姿は、まさに森に降臨した「水浴の女神」そのものであった。
ルルは両手で水を掬い上げ、自らの肩、そして月光に輝く大いなる双丘へと、清冽な水を振りかけた。
夜の静寂を破る、柔らかな水の音。
滴る水滴は、ルルの漆黒の長髪を伝い、その圧倒的な質量を持つ白銀の山嶺を滑り落ちていく。水に濡れた肌は、月明かりの下でいっそう妖艶な輝きを放ち、その瑞々しさは、もしそこに純白の白鳥がいたとしても、その神々しさと色香に、恥じらいのあまり翼を伏せてしまうに違いなかった。
ルルが陶酔したように目を細め、胸元を洗う手つきに力を込めた、その時だった。
水面を覆っていた無数のキラキラとした光の粒が、磁石に引き寄せられるように、一箇所へと集まり始めた。
「……えっ?」
ルルは動きを止め、目の前の異変を凝視する。
光の集合体は、まるで生き物のように水の上を滑り始めた。
それはルルの鼻先まで急接近したかと思えば、おどけたように彼女の周りを一回転し、濡れた肩のすぐそばをかすめて飛ぶ。まるで彼女の当惑する表情を楽しんでいるかのような、軽やかな、悪戯っ子のような動き。
翻弄されるルル。目を白黒させることしかできない。と、その光は彼女の正面、数メートルの位置で急激に輝きを増した。
光が膨らみ、縦に伸びる。
眩い残光が網膜を焼いた次の瞬間、光の奔流は収束し、そこにははっきりと、人の輪郭を持った「何者か」が立っていた。




