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第127話 「勇者病」の少年 2 覚醒した勇者



 「エミナ、きつけ薬を。ユリオ、その子の頭を少し高くしてあげて」

 

 ルルの的確な指示が飛ぶ。


 ユリオは泥だらけの少年の上半身を抱え起こした。エミナがきつけ薬を飲ませる。


 ゼノは「……う、ぅ……」と微かに呻く。


 やっと瞼が持ち上がった。


 焦点の定まらない瞳が。目の前に広がる蝦蟇(ガマ)の顔を捉えている。

 

 「……っ!? ……ば、化け物……!」

 

 「莫迦(バカ)! 化け物じゃねえよ。介抱してやってるんだ、落ち着け」

 

 ユリオが濁った声で宥めると、エミナが素早く滋養のある乾果をゼノの口に放り込んだ。

 

 「さあ、これをよく噛んで飲み込むのです! 勇者様なら、これくらいでくたばっちゃダメなのです!」

 

 ゼノは言われるがまま、無意識に顎を動かして果物を飲み下した。直後――

 

 ――ギュルルルルル……ッ!

 

 ゼノの胃袋から、森の静寂を切り裂く凄まじい「咆哮」が鳴り響いた。

 

 「……ぷっ。オーホッホッホ?  魔王を倒す勇者の雄叫びかと思えば、ただの空腹の悲鳴だったのね! 見苦しいことこの上ないわ!」

 

 シュレンの肩の上で、クローリディアが扇子を激しく動かして嘲笑う。

 

 「シュレン、ちょうどいいわ。小休止にしましょう。こんな不潔な小僧の胃鳴りを、これ以上高貴な私の耳に入れさせないで頂戴」

 

 「承知いたしました、お嬢様。ちょうど良い獲物も手に入っていますしね」

 

 シュレンは慣れた手つきで荷物を下ろすと、エミナと協力して瞬く間に火を熾した。

 

 今日のメインは、先ほどシュレンが仕留めた大猪のロースと、道中で狩った山鳥だ。エミナが岩塩と香草を振り、シュレンが絶妙な火加減で肉を炙っていく。パチパチと爆ぜる脂の香りが周囲に漂い、食欲を暴力的なまでに刺激した。

 

 「ほら、食えるか? 勇者様よ」

 

 ユリオが、焼きたての猪肉を串のままゼノに差し出した。


 ゼノは「俺は……別に腹など……」と強がろうとしたが、立ち昇る湯気には抗えない。ひったくるように肉に食らいついた。

 

 「ガッ、ムグッ、ゴフッ……!!」

 

 「ちょっ、落ち着くのです! 肉は逃げないのです!」

 

 エミナの静止も虚しく、ゼノは獣のような勢いで肉を口に詰め込んでいく。しかし、あまりの猛烈さに、途中で喉に詰まらせて顔を真っ赤にさせた。

 

 「……げほっ! ごふっ、お、俺は……っ、んぐっ!」

 

 白目を剥きかけるゼノの背中を、シュレンが「おっと」と大きな手で力強く叩く。その衝撃でなんとか肉を飲み込んだゼノは、休む間もなく次の山鳥に手を伸ばした。止まらない食欲。胃袋で直接喰っているかのようだ。

 

 「おいおい、そんなに食うのかよ。何日食ってなかったんだ?」

 

 「……三日……いや、四日だ。俺は勇者だ……いろいろ忙しくてな……」

 

 ゼノは口の周りを脂まみれにしながら、ようやく一息ついた。

 

 散々肉を食らい、エミナの差し出した水筒の水を一気に飲み干すと、死人のようだったゼノの頬に、ようやく生きる意志を感じさせる赤みが差してきた。

 

 それを見届けたルルが、静かに腰を下ろして彼を見つめる。

 

 「……少しは落ち着いたかしら。ゼノ、貴方一人でこの森を? パーティーの仲間はどうしたの?」

 

 ルルの問いに、ゼノは肩の襤褸(ぼろ)――もといマントをギュッと握りしめ、再び不遜な笑みを浮かべた。

 

 「俺に仲間など必要ない。俺は……孤独な勇者だからな」

 

 そう語るゼノの瞳には、空腹を満たしたことで、再び無駄に高い矜持(プライド)が宿り始めていた。



 ◇



 食後の焚き火が爆ぜる。

 

 先ほどまでの死にかけの表情が嘘のように、ゼノは脂で光る口元を、かつてマントだった襤褸ぼろで拭った。そして、膝を抱えるように座るユリオたちを見下ろすように、昂然と胸を張った。


 「……ふぅ。まあ、貴様たちの献身、しかと受け取った。俺は恩を忘れるような男ではない。俺が魔王を討った暁には、今の食事を『勇者の晩餐』として後世に語り継がせてやろう」


 「……はぁ。それはどうも」

 

 ユリオは、蝦蟇(ガマ)の大きな口を歪めて生返事。


 呆れてゼノを見つめるばかりの5人。


 注目を集めている。そう感じたゼノは待ってましたと言わんばかりに、自らの「輝かしい」半生を滔々と語り始めた。

 

 「いいか、よく聞け。俺は幼い頃から、周囲の凡骨どもとは違っていた。お前たちが泥遊びに興じている間、俺は常に(いにしえ)の勇者たちの英雄譚、その冒険記を読み漁っていたのだ。……英雄(ヒーロー)の面影、この目にしっかりと焼き付けてきたのだ。古びた書物のページを捲るたび、俺は震えた。俺には確信があった。いずれ、俺もあちら側……歴史に刻まれるべき『勇者』になるのだとな。俺に約束された運命だ。天が定めた道だ」

 

 ゼノの瞳。泥まみれの自分の姿を一切認識していないような、不気味なほどの輝きが宿っている。


 「そして、ついにその時が来た。……俺は悟ったのだ」


 ゼノは遠くを見つめ、酔いしれたように言葉を紡ぐ。


 「想像してもしきれないほど、俺の頭の中には完璧な地図が出来上がっているのだ。聖剣を手にした俺が、闇の軍勢を一人で一掃し、麗しき姫君の涙を拭う。村人たちは口々に俺を称え、風さえも俺の歩みに合わせて祝福を贈る……。そんな光景が、現実よりも鮮やかに見えていたんだ。ああ、そうだ。俺にとってこの世界は、俺が勇者として完成するための、巨大な舞台装置に過ぎないのだよ」


 「…… あの、ゼノ様。それはあくまで本の中の話だと思うのですが……」


 エミナが、呆れたように小鍋を抱えながら尋ねる。


 「当然だ! だからこそ俺は、その『本』を現実に上書きしに来た! 十五歳の誕生日……俺は決断した。今こそ、俺という名の伝説が幕を開ける時だと。俺は、物置に眠っていた家に伝わるこの一振りの長剣……これこそが、今は錆びていようとも、魔王を屠る瞬間に聖なる輝きを取り戻すはずの『伝説の種』だと確信し、一切の迷いなく旅に出たのだ」


 「……物置の剣を持って、そのまま飛び出してきたってことなのですか?」


  「勇者に準備など不要。迷いは禁物。必要なのは、自らが勇者であるという揺るぎない気持ちだけだ! とにかく覚悟! まずはどうしようかと考えた。普通の人間なら足を踏み入れれば数刻で発狂し、決して生きては戻れぬというこのルヴォニア大森林……。こここそが、俺という大器を育むための『武者修行』に相応しい舞台だ。この森の奥地で、巨大な古龍や悪魔の軍勢と戦い、満身創痍になりながらも奇跡的な覚醒を遂げる……。勇者の目覚めだ。俺の未来地図では、すでに俺は最強の勇者として完成していたのだよ!」


 熱くなるゼノ。しかし、もちろん、まともに聞いていられる話ではない。


 あまりのことに、もう限界。限界を破ったのはーー


 「オーホッホッホ! 計画、ですって? 行き倒れて、庶民に恵んでもらった肉を無様に貪り食うのが計画? 勇者の道? リュクセム公国の喜劇より面白いわ!」

 

 クローリディアが扇子を叩きながら爆笑する。だが、ゼノはその冷笑さえも「勇者への試練」と言わんばかりの涼しい顔で受け流した。


 「笑うがいい、今はまだ、俺の覇道の序章に過ぎない。……だが、俺は確かにここに辿り着いた。この森の深部こそが、真の勇者への登竜門なのだからな」


 ユリオは、誇らしげに襤褸(ぼろ)を翻そうとするゼノを見つめながら、背負った大鍋の重みを改めて感じていた。


 (こいつ……本物の『勇者病』だ。思い込みで正義突撃しちゃうルルやエミナに比べりゃマシ……なわけないか。この性格……ある意味、クローリディアより救いようがねえぞ……この世界の知識から何から全部おかしい)


 自身のハーレム大魔王になりたいの夢も、この『勇者病』少年の夢と大した差はなかったのだが、ユリオはそのことには気づかない。


 森の暗闇が深まる中、自称・勇者の独演会は、夜風に乗って延々と続いていく。



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