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第126話 「勇者病」の少年 1 勇者の証



 ルヴォニア大森林の湿った空気が、ユリオの変形した鼻腔を抜ける。


 頭部だけが巨大な蝦蟇(ガマ)と化した今のユリオにとって、この森の匂いは以前より鮮明で、そして少しだけ生々しく感じられた。


 湿気。空気の揺れ。大地の響き。


 伝わってくる。


 さすがは蝦蟇(ガマ)。土と水に生きるものの能力(ちから)


 そして。


 とてつもなく広い視界。

 

 「おい、シュレン。この先、少し地盤が緩んでる。ひょっとしたら地下に、溶岩洞窟の空洞があるのかもかもしれないぞ」

 

 ユリオは、横にせり出した金色の眼球で周囲の地形を分析しながら言った。人間だった頃にはあり得ない、死角のない視野。それが今は武器。


 地下の空洞には、最大限気をつけている。


 また、落盤崩落に巻き込まれたら、嫌だからだ。

 

 「流石はユリオ様! 蝦蟇(ガマ)の目は伊達じゃないのです! 地面の震えまで感じ取っているみたいなのです!」

 

 エミナが弓を手に歩調を合わせる。だが、ユリオを見るその視線には、尊敬と共にどうしても拭いきれない影が。ユリオがふと顔を近づけると、エミナは無意識に一歩、距離を取る。

 

 「……あ、ごめんなさいなのです。その、ユリオ様のお肌から出てる粘液が、エミナの服につくと大変かなって思って……!」

 

 「わかってるよ、エミナ。気にすんな」

 

 ユリオは寒い笑み混じりに答えるが、心の中では溜息をついていた。

 

 最後尾を歩くルルも同様だ。魔防戦衣の上から狩衣を羽織り、ユリオが唯一無二の爆乳と太鼓判を押す豊かな胸を布で厳重に締め付けているが、歩くたびにその質量は隠しきれず揺れている。

 

 「……ユリオ、あんまり無理をしないで。目が疲れたら言ってちょうだい」

 

 ルルの声はどこまでも優しく、凛としている。だが、ユリオと視線が合うと。


 美少女の綺麗な眉がほんの一瞬だけ強張り、不自然に視線を逸らす。


 潔癖症で優等生のルル。今のユリオーーグロテスクな異形ーーは、理性で抑え込もうとしても、どうしても拒絶反応が出てしまうものなのだ。


 ユリオはとっくに諦めている。自分の姿形。女の子が一歩引いちゃうのは、やむを得ない。もう、慣れたから……といっても、溜息が出てしまうが。

 

 そんな奇妙な緊張感の中。先頭を歩くシュレンが突然足を止めた。

 

 「――お嬢様。前方に何か動きが……人間ですね」

 

 肩に乗せられていたクローリディアが、扇子をパッと広げて顔をしかめた。

 

 「人間? こんな湿気臭い場所に、私たち以外の人間がいるというの? 追手かしら、それともただの野蛮な浮浪者?」

 

 一行が茂みをかき分けてみると、そこに「それ」はいた。

 

 巨木の根元に座り込んでいたのは、一人の少年だった。年頃は、ユリオと同じくらい。15歳ほどに見える。


 だが、その姿は壮絶だった。

 

 弓と(えびら)を背負い、腰に一振りの長剣を差してはいるが、服はボロボロのドロドロ。かつては立派な旅装だったのかもしれないが、今は元の色すら判別できない。髪はボサボサに荒れ、顔色は青白くやつれ果てている。

 

 「……死んでるのか?」

 

 ユリオが警戒しながら一歩踏み出す。

 

 「待ちなさい、蝦蟇(ガマ)坊や。汚らわしいものが伝染ったらどうするのよ」

 

 クローリディアがシュレンの肩から命じるが、少年はユリオの足音に反応し、ゆっくりと顔を上げた。

 

 「……なんだ、君。ここで何をしてるんだ? 行き倒れか?」

 

 尋ねるユリオ。ボロボロの少年は震える膝に力を込め、ゆっくりと立ち上がった。泥にまみれた体でありながら、少年は背筋をピンと伸ばし、腰の剣に手を当ててユリオたちをキッと睨みつけた。


 泥にまみれた前髪の間から、ギラリと鋭い眼光が放たれる。少年は、目の前に立つ異様な存在――首から上が巨大な蝦蟇(ガマ)と化し、背中に巨大な鍋を背負ったユリオを、その瞳に映した。

 

 次の瞬間、少年の顔が驚愕と正義感〝らしきもの〟に歪む。

 

 「――出たな、魔物めッ!  覚悟……しろ……っ!」

 

 少年は掠れた声で叫び、腰の長剣を抜こうと手に力を込めた。

 

 「さては貴様! 人里離れた大森林に潜み、旅人を喰らう邪悪な蝦蟇(ガマ)魔人……! そうだな?  俺が、勇者ゼノが……今ここで、討伐して……やる……っ!」

 

 気勢を上げるゼノ。


 だが。


 少年は、剣を引き抜くどころか、柄を握る指先さえ小刻みに震えている。立ち上がろうとした膝は笑い、そのまま地面にずり落ちた。完全に疲労困憊している。それはすぐに見て取れた。

 

 「……魔人?  誰がだよ」

 

 ユリオは、せり出した金色の眼球をこれ以上ないほど冷ややかに細めた。

 

 (あーあ、またかよ……。初対面の第一声が『討伐』か。何なの? 俺がいつから討伐対象に? そりゃ、史上最高額の賞金首だけどさ。史上最高額賞金首から、蝦蟇(ガマ)魔人に? どんどん俺の立場悪くなってる? これ、もう慣れるしかないのか?)

 

 自分の不運な蝦蟇(ガマ)顔を呪い、ユリオが深く溜息をつこうとした時、背後からルルが素早く前に出た。

 

 「待って!  剣を引いて、ゼノ。この人は魔物じゃないわ」

 

 ルルは怯える少年を宥めるように、優等生らしい落ち着いた、けれど通る声で説明した。

 

 「彼は人間よ。私と一緒に旅をしている大切な仲間よ。今はちょっと……不幸な事故で呪いをかけられて、そんな姿になっているけれど。中身は貴方と同じ、普通の人間なの」

 

 「……の、呪い……? 呪われし……蝦蟇(ガマ)騎士、だと……?」

 

 「いいえ、ただの森の旅人よ」

 

 ルルが苦笑混じりに訂正するが、ゼノは「討伐」という言葉を吐いただけで精根尽き果たしたのか、再びカクンと首を垂れた。

 

 「……はぁ、はぁ……。呪いか……。それなら、いい……。だが……俺の……剣が届かぬ……距離に……いろ……」

 

 「どの口が言ってんだよ。そんなフラフラで」

 

 ユリオは呆れながら、剣の柄から手を離した。出会い頭に「魔物」と呼ばれた不快感よりも、目の前の少年があまりに無様であることへの同情が、わずかに勝ってしまったのだ。

 

 「ユリオ様、寛大なのです! でも、本当に魔物と間違えられるなんて、エミナとしても心外なのです!」

 

 エミナが憤慨しながらも、背負った小鍋を揺らして歩み寄る。

 

 「とにかく、話は後なのです。この少年、今にも干からびそうなのです!」


 ユリオを討伐するとか大言壮語した少年。


 干からびそう。確かにそうだ。見れば見るほど、ボロボロの姿である。


 その肩に。何かが揺れている。それは、辛うじて肩紐一本で繋がっているだけの布切れだった。肩からがぶら下がった布切れが、風に揺れている。


 いや。


 それは、「かつては布切れであったもの」といったほうがよかった。


 もう元の色さえわかぬほど色褪せ、汚れ、破れている。正真正銘の襤褸(ぼろ)である。


 かつては「布きれだったもの」、今やただの襤褸(ぼろ)でしかないそれを、ゼノと名乗った少年は誇らしげに揺らした。


 「で、君は一体誰で、何をしているんだ? さっき勇者とか言ったような気がしたけど……聞き間違いかな」


 絶対に勇者なんかには見えないと、ユリオ。

 

 「……無礼者め」

 

 少年は、ひび割れた唇で掠れた声を絞り出した。

 

 「はぁ?」

 

 ユリオは思わず、蝦蟇(ガマ)の大きな口を開けて呆けた。

 

 「まずは……貴様たちからちゃんと名乗るのが……筋ではないのか? 俺は、安易に名を明かす身分ではないのだぞ」


 何言ってるんだ?


 この襤褸(ぼろ)少年は?

 

 あまりにも無駄な尊大な態度。泥だらけの顔に浮かぶ、歪なほどの自信。

 

 「な、なんなのですか、この失礼な少年は! ユリオ様を差し置いて威張るなんて、万死に値するのです!」

 

 エミナが憤慨して弓を構えようとするが、ルルがそれを制した。ルルは少年の様子を観察し、その「不健康な眼光」に何かを感じ取ったようだった。

 

 「いいわ、エミナ。……私はルル。こちらが仲間のユリオとエミナ、そして――」

 

 「オーホッホッホ! 私の名を、こんなドブネズミのような小僧に教える必要なんてないわ! シュレン、さっさと掃除してしまいなさい!」

 

 クローリディアが昂然と言い放つ。大貴族としての身分威厳威信がすべての少女なのである。クローリディアにとって、格下の者が名乗りもせずにデカい態度をとるなど、あってはならない侮辱だった。

 

 しかし、少年はクローリディアの罵倒など耳に入っていないかのように、ユリオをまっすぐに見据えた。

 

 「……ユリオ、と言ったか。……ふん、まあいい。覚えておいてやろう」

 

 少年は鼻で笑うと、肩の襤褸(ぼろ)をバサリと翻そうとして――重みに耐えきれず、よろけた。それでも少年は、かなり必死に再び背筋を伸ばし、大仰な身振りで自分の胸を叩いた。

 

 「我が名はゼノ。魔王を討ち、世界に光を取り戻す宿命を背負いし者……『勇者ゼノ』だ!」

 

 その宣言が森に響き渡った瞬間。

 

 「……あ」

 

 勇者ゼノは、白目を剥いてそのまま前向きにバタっと倒れ込んだ。

 

 「おい、ゼノ!? 勇者!? 大丈夫かよ!」

 

 ユリオが慌てて駆け寄る。

 

 泥の中に伏した「勇者」は、ぴくりとも動かなかった。


 唖然となるユリオたち。


 しかし、やっと気づいた。


 倒れ伏した少年の肩に引っかかっている「それ」の正体に。


 泥を吸って重く垂れ下がり、無惨に裂け、もはや地面の腐葉土と見分けがつかないほどに薄汚れた布切れ。


 しかし、意識を失った少年の体が傾いた拍子に、その端がかすかに、かつての役割を誇示するように風に舞ったのだ。


 それは、勇者がその背に翻すべき象徴――「マント」だった。



 「……あれ、マントだったのか」

 

 ユリオは、あまりの襤褸(ぼろ)っぷりに絶句した。

 

 「勇者の証……。あんなにボロボロになるまで、一人でこの森を彷徨っていたというのですか……?」

 

 エミナも呆然とした声を漏らす。

 

 「オーホッホッホ! あれがマント!? 雑巾の間違いではなくて? あんな汚らしいものを背負って勇者を名乗るなんて、滑稽にも程があるわ!」

 

 クローリディアの高笑いが、静まり返った森に虚しく響く。

 

 自称「勇者」ゼノは、その泥だらけの襤褸(ぼろ)マントを誇り高き勲章のように肩に掛けたまま、完全に意識を失っていた。



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