第124話 砂地獄のシュレン 3 潜砂夫
ユリオは穴の縁に立ち、眼下に広がる無機質な砂の海を見下ろして、思わず喉を鳴らした。
先ほどシュレンを飲み込んだ流砂は、今は恐ろしいほど静まり返り、獲物を胃袋に収めた後の怪物の腹のように平らだ。
「……なぁ、ルル。飛び込む前に一つ頼む。気配探知の魔法で、シュレンがどの辺にいるか正確に探り当ててくれ。闇雲に潜っても、見つけられなきゃ意味がないだろ?」
ユリオの切実な問いに、ルルはきまり悪そうに視線を逸らした。
ルルの額には大粒の汗が浮かんでいた。先ほどからずっと魔法の行使による集中が続いていたのである。言われるまでもなく、ルルは、ユリオたちがクローリディアと激しい口論を繰り広げている間も、必死に魔力を注ぎ込み、地底の「気配」を追い続けていたのだ。
「……それが、さっきから何度も試しているのだけれど……シュレンさんの存在が、確認できないのよ」
「……はぁ? 確認できないって、どういうことだよ」
ユリオだけでなく、エミナやクローリディアまでもがぎょっとしてルルを凝視した。
気配が探知できない。それは冒険者の常識で言えば、この世からその存在が完全に消え去った――すなわち「死」を意味することが多い。
「ま、まさか……シュレンさんが、もう……」
エミナの声が震える。暗く重苦しい沈黙がその場を支配しようとしたとき、ルルが首を横に振った。
「いいえ、まだ諦めるのは早いわ。……もしシュレンさんが息絶えていたとしても、その遺体はこの魔法に引っかかるはず。それが全く感知できないということは、地下の流砂の激しい流れに乗って、どこか遠い空洞へ流されたか……あるいは、この溶岩洞窟の特異な磁場か何かが、私の気配探知魔法にバグを起こさせているのか……。とにかく、実際に潜って探してみるしかないわ」
ルルは、自分の魔法の不完全さを悔いるように唇を噛み、ユリオを見つめた。
「手がかりなしで、この広大な砂の中に飛び込めってか……。マジかよ、ヤレヤレだぜ」
ユリオはため息をつき、腰の縄を締め直した。目処も立たない『砂潜り』。あまりにも分が悪い賭けだ。ユリオは最後に、高みの見物を決め込んでいるクローリディアを睨みつけた。
「おい、お前! お前もしっかり縄を引く手伝いをしろよ。あと、言っておくが、シュレンを見つけても『お前の荷物』は絶対に捨てていくからな。一人分でも引き上げるのは命がけなんだ」
「オーホッホッホ! 何を馬鹿なことを。この私に、そんな下賤な労働をしろというの? 断るわ! 私の手を汚していいのは、公国の白銀の聖水だけよ」
クローリディアは扇子をパタパタと仰ぎながら、冷徹に言い放った。
「荷物も必ず取ってきなさい。それがシュレンを救う条件よ。私の命令は絶対なのだから、四の五の言わずに潜るがいいわ。この蝦蟇坊や!」
「この女、本当に一回、鍋の底で……!」
エミナが憤慨して小鍋を振り回したが、すぐにユリオを憐れむような目で見つめた。
「ユリオ様、気にする必要はないのです。どうせこの女じゃ、力仕事なんて最初から期待していないのです。エミナとルルさんで、死ぬ気でユリオ様を引っ張るのです!」
「私も魔法使うから。どんなに重くても大丈夫。任せて」
「……ああ、頼むぜ。マジで、干からびる前に頼むぞ」
ユリオは覚悟を決めた。
シュレンの生死は不明。位置も不明。頼れるのはルルの維持する「空気の塊ヘルメット」と、自分の直感だけだ。
「いくぞッ!」
ユリオは目を閉じ、耳まで裂けた口を一文字に結ぶと、緑色の体で暗黒の流砂へとダイブした。
サラサラとした無機質な感触が、瞬く間に全身を飲み込んでいった。
◇
ルヴォニア大森林に、重苦しい夜の帳が降りようとしていた。
野営の中央では焚き火がパチパチとはぜているが、それを囲む四人の間に会話はない。ただ、絶望だけが濃い影となって地面に落ちていた。
「……っ、う、ああ……」
地面に大の字にひっくり返ったユリオが、掠れた呻き声を漏らす。その頭上では、ルルが青白い顔で手をかざし、必死に治癒魔法を注ぎ込んでいた。
ユリオの捜索は凄絶を極めた。視界を奪う砂の海。頼みの綱である蝦蟇の広い視野も、暗黒の流砂の中では無力だった。ユリオは勘と手探りだけで、死の淵を泳ぎ続けたのだ。
引き上げられたユリオの姿は無惨だった。常に湿っているべき蝦蟇の頭部は、砂に水分と粘膜を根こそぎ奪われ、岩肌のようにガサガサに乾きひび割れている。自慢の金色の瞳も細かな傷に覆われ、激痛に震えていた。
「ユリオ、本当によく頑張ったわね……。私、貴方の傷を治すことができて、本当に嬉しいわ」
ルルは努めて優しい笑みを浮かべ、何度も言葉をかける。だが、その指先はわずかに震え、引き攣った笑顔は隠しようもなかった。
ヌルヌルとした粘液が剥がれ、異様な質感に変わった蝦蟇の頭部。それに触れ、魔力を流し込むという行為は、潔癖症のルルにとって吐き気を催すほどの恐怖だったに違いない。
ユリオは、ルルの〝ぎこちなさ〟を肌越しに感じざるを得ない。治癒が終わり体は癒えても、心に深く突き刺さる棘は消えない。
焚き火の明かりが、沈痛な面持ちの四人を照らし出す。
ルルがシュレンのために維持していた「風魔法のヘルメット」は、とっくに魔力切れで消失している。ルルはそれを口に出さなかったが、この場にいる全員が理解していた。
――シュレンは、死んだ。
あれほど高慢だったクローリディアも、今は荷物のことなど一言も口にせず、ただ膝を抱えて炎を見つめていた。その沈痛な表情を人前で見せること自体、気位の高い女公爵の信条に反するはずだったが、もはや取り繕う気力さえ残っていないようだった。
エミナも、愛用の鍋を握ったまま動かない。食事を作る気力すら、深い喪失感に飲み込まれていた。
静寂が、森のざわめきに溶けていく。
その時だった。
ガサッ、ガサガサッ。
背後の草むらが、不自然に揺れた。
「なんだ!?」と、ユリオが体を起こし、一行が緊張に包まれた次の瞬間。
茂みから、ぬっと大きな影が姿を現した。
「……おや、皆さん。そんなに暗い顔をして、どうされたのですかな?」
それは、見間違えるはずもない巨躯。
いつも通り穏やかにニコニコと笑みを浮かべた――シュレンだった。




