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第119話 老鉱夫 下



 ユリオ一行が立ち去った静かな小屋で。


 残された老鉱夫は一人、(テーブル)の上に置いた黄金の原石を狂おしい眼差しで見つめていた。暖炉の火に照らされたその輝きは、老鉱夫の濁った瞳を怪しく染めている。


 老鉱夫の語ったことは、すべてが虚飾にまみれた嘘だった。


 彼は若い頃からこの森で金脈を追い続けてきたが、結局、一粒の黄金さえ自らの手で掘り当てることはできなかった。この原石も、かつて洞窟で行き倒れていた旅人の遺品を掠め取ったものに過ぎなかった。


 だが、長年の孤独と執着は、老人の精神を病ませた。彼はいつしか「自分は金脈を見つけたのだ」という妄想を真実だと思い込むようになった。そうして、小屋を訪れる旅人に偶然を装って原石を見せ、興味を惹き、甘い言葉で金鉱探しに誘うようになったのだ。


 (わしの夢を、誰にも渡してなるものか……)


 誘いに乗った旅人には、偽の地図を渡した。その先にあるのは、一度足を踏み入れれば二度と戻れぬ底なしの沼地や凶悪な獣の巣。老人の話を信じた欲深い旅人たちは、誰一人として森から帰ることはなかった。老人はそれを「黄金への生贄」として正当化した。罪悪感すら忘れていった。


 歪んだ思考の濁流の中で、老人の意識は10年前――初めて自らの手が「黄金」よりも赤く汚れたあの日の記憶へと引き戻されていく。


 (ああ……思い出す。あの日も、今日のように湿った風が吹いていた……)


 老人の脳裏に、かつてこの小屋の扉を叩いた、一人の若い旅人の姿が浮かぶ。それは、今のユリオのように希望に満ちた、どこにでもいる冒険者の若者だった。


 (わしだって、最初からこうだったわけじゃない。わしもかつては、ツルハシ一本でこの森のどこかに眠る『真実(ほんとう)の輝き』を見つけられると信じていた。だが、掘っても掘っても出てくるのは、泥と、腐った木の根と、己の老いさらばえていく影だけだった)


 そんな時だ。あの洞窟で、行き倒れた男が抱えていたこの原石を見つけたのは。


 老鉱夫は、震えた。この輝きさえあれば、人生の空白はすべて埋まる。


 だが、この原石が、この森のどこかに眠る金鉱を示す鍵なのか、それさえもわからなかった。原石は、無常に輝くばかりだった。


 どのみち、独りで掘り出す力はもうない。


 でも、ひょっとして。誰かが老人を見つけられなかった金鉱を、どこかで見つけたりしたら……


 それだけは、それだけは嫌だ。


 ……だから、嘘をついた。


 『金脈を見つけた、山分けにしよう』と。


 最初に扉を叩いたあの若者の、ギラついた欲望に満ちた目を見た時、老人の心に冷たい快感が走ったのを、はっきりと覚えている。老鉱夫は、自分を裏切り続けたこの森の恐ろしさを、誰かに肩代わりさせてやりたかったのかもしれなかった。


 老人は、偽の地図を渡した。その先が、決して戻れぬ『絶望の沼』だと知りながら。若者が『ありがとうございます、おじさん!』と笑って小屋を飛び出していった時、老人は祈った。いや、呪ったのか。


 ――わしが手に入れられなかった黄金の夢を、貴様も同じように、死ぬまで追い続けろ、とな。


 あの最初の若者が戻ってこなかった時、老人の心の一部は完全に壊れた。それ以来、老人は何度も同じ「嘘」を繰り返した。金鉱の夢を見せ、希望を抱かせ、最後には森の深淵へ突き落とす。それが、この森に人生を奪われた老人にとっての、唯一の復讐だったのだ。


 しかし、今度の旅人たちは。


 ユリオたちは、黄金に目もくれなかった。


 「……なぜだ。なぜ、あいつらは驚かなかった」


 老人の口から、乾いた声が漏れる。


 これまでこの原石を見せた旅人の多くは、誰もが欲望に目を剥き、跪いて分け前を乞うた。それなのに、あの蝦蟇(ガマ)頭と連れたちときたら、まるで道端の石ころを見るような目で一瞥し、あまつさえ「金には困っていない」などと吐き捨てた。


 その光景を反芻するうちに、老人の胸の奥で、毒々しい疑念の芽が急速に膨らみ始めた。


 (……おかしい。どう考えてもおかしい。この輝きを見て、心が動かぬ人間などいるはずがない。……待てよ。そうか、そういうことか。あいつらが驚かなかったのは、もう知っていたからだ。真実(ほんとう)の金脈を!


 ……そうだ、あの女狐(ルル)の顔を思い出すがいい。わしの申し出を断った時の、あの余裕に満ちた微笑。あれは哀れみだ。わしが持っている程度の小石など、あいつらが既に手に入れた財宝の山に比べれば、塵に等しいと言わんばかりの……。くそ、くそッ! あいつら、どこでそれを見つけた!? わしがこの森を何十年這いずり回ったと思っている!


 ……いや……合点がいったぞ。あの蝦蟇(ガマ)頭、ユリオとか言ったか。あいつが小屋の道具をジロジロ見ていたのは、わしが何を知っているか探っていたのだ。自分たちの金脈を横取りされないよう、わしの腹の内を偵察していたに違いない。ああ、間違いない。あいつらの荷の中には、わしの原石よりもずっと眩い金塊が詰まっているんだ。だからわしの誘いに乗らなかった。自分たちの分け前が減るのを恐れたのだ!


 ……許さん……。この森の黄金は、わしのものだ。数十年、孤独と泥にまみれて生きてきたわしの権利だ。あいつら、わしを出し抜いて、わしの黄金を盗んで逃げようとしている。今もどこかで、わしを嘲笑いながら、金脈へと急いでいるはずだ……!)


 老人の瞳には、もはや理性は宿っていなかった。


 妄想は雪だるま式に膨らみ、老鉱夫の中では「ユリオたちは金脈の窃盗犯」という確信へと変貌を遂げていた。精神を病んだ老人の内側では、現実と幻想の境界が完全に消失していた。長年かけて、自分を騙し、他人を騙してきた結果である。


 「返せ……わしの黄金を返せ!」


 老人は震える手で、壁に立てかけてあった錆びついたツルハシを掴んだ。


 あいつらは先を急ぐと言っていた。それこそが証拠だ。わしを煙に巻き、一刻も早くあの場所――老人が生涯かけても見つけられなかった幻の金脈――へ向かおうとしているのだ。


 「わしを差し置いて、黄金の夢を見ることは許さん……!」


 老鉱夫は、ツルハシを握り締め、小屋を飛び出した。ユリオたちの足跡は、あの「危険地帯」へと向かっている。そこがどれほど恐ろしい場所か、誰よりも老人が知っていた。


 だが、もはや正気ではなくなっていた老鉱夫は走り続けた。


 磁場が狂い、空気が淀む森の深部へと。


 金鉱に先回りされようとしているのである。止まることができなかった。


 

 老鉱夫が辿り着いたのは黄金の山ではなかった。そこには、ユリオたちが掃討した後に、血の匂いに誘われて次々と湧き出してきた新たな「狂乱」の群れが待ち構えていた。


 「ぎゃああああっ!!」


 老人の絶叫が大森林の静寂を切り裂いた。


 その叫びを聞きつけたのは、危険地帯を抜けようとしていたユリオたちだった。


 「ケロッ!? ……今のは、あのじいさんの声か?」


 「戻るわよ、ユリオ!」


 ルルの鋭い指示で、一行は来た道を駆け戻った。


 そこで見たのは、無残にも巨大な毒草に絡め取られ、凶暴化した狼たちに肉を裂かれた老人の姿だった。シュレンが瞬時に大刀で獣を蹴散らし、ユリオが毒草を斬り捨てたが、老人の命の灯火は今にも消えようとしていた。ルルの治癒(ヒーリング)魔法も、もう追いつかないのは一目でわかった。


 「……じいさん、しっかりしろ! なんでこんなところに来たんだ!」


 ユリオが老人の体を支える。老人は口から血を吐きながら、虚ろな目でユリオを見上げた。


 「……わしは……お前たちが……金脈を盗むと思って……」


 老人は、掠れた声でこれまでのすべてを告白した。金鉱が見つからなかったこと、原石が盗品であること、そして多くの旅人を死地へ追いやったこと。


 「これは……報いだ。黄金の呪いに……わし自身が食われたのだ……。当然の、罰だ……」


 最後に自嘲気味な笑みを浮かべ、老人の体から力が抜けた。人の一生を狂わせた「嘘の黄金」への執着が、その最期と共に霧散していくようだった。


 「……最低な男だわ。でも、寂しい死に様ね」


 クローリディアが、珍しく毒を吐かずに冷めた瞳でその亡骸を見下ろした。


 ユリオは何も言わず、老人の側に落ちていたツルハシを拾い上げ、道端に突き立てた。


 「行くぞ。俺たちの目的地は、ここじゃねえ」


 老鉱夫の歪んだ夢は、深い森の土へと還された。


 一行は二度と振り返ることなく、聖石「至高のアイリス」が眠るという『(くら)き銀の城』を目指し、再び歩き始めた。




( 老鉱夫 了 )




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