第118話 老鉱夫 中
翌朝、ユリオたちは老鉱夫の小屋を後にした。
背後で「黄金だぞ……金脈だぞ……本当にいいのか……」という力ない声が聞こえたが、誰も振り返ることはなかった。
大森林のさらに奥、陽光さえ届かぬ深部へと進むにつれ、周囲の空気が密度を増していく。不意に、ユリオは皮膚がピリピリと痺れるような感覚を覚えた。
「……待って。何かおかしいわ」
ルルが立ち止まり、手を虚空にかざした。気配探知の魔法を展開する。その美しい眉が、わずかに寄る。
「この先、異常な気の磁場が発生しているわ。森の生命エネルギーが歪められて、まるで巨大な渦のようになっている。……かなりの危険地帯よ」
「危険地帯? 魔物でも出るのか?」
「ううん。普通の動物植物が、異常な気の磁場に吸い寄せられ歪められて、凶暴化しているのよ」
「森の生き物が凶暴化? その危険地帯ってのは、どのくらい広がってるんだ?」
「横にずっと。私の魔法でも、捉えきれないくらい伸びている」
「おやおや、ここで通せんぼか。……ったく……。大回りする時間はないよな。ルル、突破できそうか?」
ユリオが尋ねると、ルルは一行の顔ぶれを見渡し、冷静に頷いた。
「ええ。今の私たちの戦力なら問題ないはずよ。行きましょう。私も、ここなら思う存分魔法を使うことができる」
「よし」
先へ進むことにする。大森林も、もうだいぶ奥に来た。王国の魔力探知も届かない。一応ここもヴァルレシア王国の領地ということになっているが、完全に治外の地である。
危険地帯。
上等だ。久々に、思いっきり暴れてやろう。
ルルもやる気のようだ。クローリディアとシュレンも逃亡者だ。ルルの魔法を見ても、特にどうこう言わないだろう
武人ユリオの胸が高なる。蝦蟇顔を治す旅の行く手を遮るもの、容赦できない。このところ、むしゃくしゃしすぎている思い、磁場に狂わされたという動物どもに、ぶつけてやろうじゃないか。
用心しながら進む一行。
歪んだ気の磁場。その中心部へ足を踏み入れた瞬間、光景は一変した。植物は異常に肥大化し、毒々しい原色を放っている。そして、茂みの奥から聞こえてくるのは、およそ通常の動物とは思えぬ、低く濁った咆哮だった。
「ケロッ! ……来たぞ、構えろ!」
蝦蟇の広い視野が、四方から迫る影を捉えた。姿を現したのは、通常の三倍はある巨体に変異し、目を血走らせた狂乱の野兎の群れと、樹上から音もなく滑空してくる大きな飛鼠たちだった。魔物ではない。この大森林に住む普通の動物たちが、磁場の影響で凶暴化した成れの果てだ。
「ユリオ様、右なのです! エミナが射抜くのです!」
エミナが流れるような動作で矢を放ち、飛来する飛鼠を空中で串刺しにしていく。それと同時に、ユリオは正面から躍りかかってきた狂乱野兎の群れを、剣で一閃した。
「シュレン、後ろだ!」
「おっと、失礼」
シュレンは、肩にクローリディアを担いだまま、片手で投剣を放った。銀の閃光が、背後から迫っていた大蛇の眉間を正確に貫く。さらに、彼はもう片方の手で大刀を抜き放つと、迫りくる巨鳥を紙一重でかわしながら、その翼を斬り落とした。
「ルル、囲まれるぞ! 下にもいる! 足元だ!」
「大丈夫よ。――凍てつけ! 凍てつけ! フリーズ!」
ルルが呪文詠唱と同時に地面に手を触れると、ユリオたちの周囲の土壌が瞬時に凍りつき、足元から襲いかかろうとしていた凶暴な毒草や根が、バキバキと音を立てて砕け散った。
「ああっ、冷たいわ! 何するのよ! 私のドレスに霜がついたらどうしてくれるの!」
戦闘の真っ只中、シュレンの肩の上でクローリディアが耳を裂くような悲鳴を上げた。
「いやあああ! 来ないで、この不潔な獣ども! 誰か、誰か掃除しなさい! キャーッ、今こっちを見たわ! 万死! 万死よ!」
「……お、おい、動くな! 剣が振りにくいだろ!」
ユリオが叫ぶが、パニックに陥ったクローリディアはシュレンの髪を引っ張り、手足をバタつかせて暴れまわる。そのおかげでシュレンの軸がブレまくる。これでは戦うところではない。
ユリオがフォローに回らざるを得ない。
「何やってんだ、この女!」
「もーっ! クローリディアさん、静かにしてほしいのです! 弓が狙えないのですーっ!」
ユリオとエミナの抗議も虚しく、クローリディアは「助けて! シュレン! 皆の者! 早く絶滅させなさい!」と喚き散らし続けた。
「ち、わかってるよ」
襲い来る動物を、毒蔓を、剣で薙ぎ払うユリオ。
バキバキと音がした。
森の奥から、巨大な熊が、巨木を薙ぎ倒しながら姿を現したのだ。狂った磁場の影響で異常発達した筋肉が、動くたびに岩のように盛り上がり、血走った眼が獲物を求めて爛々と輝いている。動きが驚くほど疾い。
「キャーッ! なによあのバケモノ! 早く、早く斬りなさいよこの蝦蟇!」
シュレンの肩で喚き散らすクローリディアの声を、ルルの凛とした呪文詠唱が塗り替えた。
「ユリオ、合わせて! 光る光るフラッシュ!」
ルルの声とともに、巨熊に光弾が飛ぶ。目つぶしだ。いきなり強い光を浴びせられて、巨熊の視界は完全に狂わされる。
ルルの魔法が作った隙。ユリオにとっては十分すぎる時間。
「上出来だ、ルル!」
ユリオの喉袋が低く鳴る。
クマさんか。
ルーリャの王熊は、「不機嫌な熊」だったが、今、目の前にいるやつは、さだめし、「荒れ狂う熊」。「不機嫌な熊」に「荒れ狂う熊」。どっちもやばい。
でも。
魔法使いルルとの連携があれば、何でもない。人生2度目の剣での熊狩りといこうじゃないか。
少年のしなやかな肉体は、ルルの魔法で視界を塞がれた巨熊の死角へと、音もなく滑り込んでいた。
ユリオは剣を逆手に構え、一気に地を蹴った。
蝦蟇の金色の瞳がもたらす広い視野が、もがく巨熊の喉元、その分厚い毛皮の隙間にある急所を精密に捉える。
「これで……終わりだ!」
ユリオの体躯が、蒼い閃光となって巨熊を横切った。
剣が、空中に鮮やかな弧を描く。ルルの魔法で視覚を奪われた巨熊は、抵抗することも避けることも許されなかった。ユリオの放った一撃は、巨熊の太い首を一切の抵抗なく断ち切った。
ズゥゥゥン……!
凄まじい地響きと共に、巨熊の巨体が地面に沈む。
ユリオの剣の冴え渡る技、そしてルルの完璧なタイミングの補助。初の連携。上手くいった。ルルと目を合わせ、一つうなずくユリオ。
数刻の激闘の末。
ユリオたちの連携奮戦によって、磁場に狂った動物たちはすべて壊滅した。周囲には静寂が戻り、植物の破片と獣の骸が、ただ、静かに転がっている。
ユリオは荒い息を吐きながら、剣を鞘に収めた。そして、ようやくシュレンの肩から降りてドレスを整えているクローリディアを、睨みつけた。
「おい……。お前、邪魔ばかりしてたな。叫び声で鼓膜が破れるかと思ったぜ。いい加減にしろ」
クローリディアは悪びれもせずフンと鼻で笑い、乱れた髪を優雅にかき上げる。そして、何事もなかったかのように顎を上げ、いつもの上から目線で言い放った。
「オーホッホッホ! お前たち、実によくやったわ! 私の華麗な応援に応えて、見事に害獣どもを掃討したわね。この私を守り抜いたその忠誠心、褒めてとらすわ! 感謝しなさい!」
「……どの口が言ってんだ! 応援じゃなくて、ただの妨害だっただろ!」
ユリオが呆れ果てて吐き捨てると、クローリディアはさらに高らかに笑った。
「良いではないの。結果として私は無傷、害獣は全滅。私の采配が正しかったということよ。さあ、いつまでもこんな死臭の漂う場所にいたくないわ。シュレン、出発よ!」
再びシュレンの肩に収まり、意気揚々と先を指差す性悪公女。
「……あいつ、いつか本当に煮込んで食ってやるのです……」
エミナが呪文のように呟き、ルルは苦笑しながらユリオの肩を叩いた。
一行は、危険地帯を突破した充実感と、それ以上に膨れ上がった疲労感を抱えながら、さらに深い大森林の奥へと進んでいった。
俺たち、かなり強力な隊だな、とユリオは武人の冷静な目。
連携戦闘の訓練にもなった。やはり実戦経験を積むことは必要。この先、もっとやばいところに行くんだし。
この調子なら。大森林突破はわけはなさそうだ。
あの女公爵さえ、おかしな真似をしなければ、だけど。
隊で一番の、いや、唯一の不安材料は、シュレンの肩の上で、得意げに扇子を扇いでいる。




