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第115話 エミナの小さな冒険 上



 ルヴォニアの大森林。その深部に足を踏み入れるほど、植生は奇妙な変化を見せていた。


 そんな中、一行の食料調達係であるエミナは、群生する鮮やかな紫の葉を見つけて目を輝かせた。


 「ユリオ様、ルルさん! 見てほしいのです! これは『太陽の呼び声』という、とっても貴重な薬草なのです! 食べれば疲れも吹き飛んで、元気百倍になるのです!」


 「へえ、そいつは頼もしいな。最近、この蝦蟇(ガマ)の頭も重くてかなわねえんだ」


 ユリオが蝦蟇(ガマ)の口を震わせて笑う。シュレンもニコニコと頷いた。


 「それは助かります、エミナ殿。お嬢様も少しお疲れのご様子ですから」


 「当然よ。こんな湿気た森を歩かされているのだもの、それくらいの贅沢はさせなさいな。オーホッホッホ!」


 お前は肩に担がれてるだけだろう、と、みんなは思うのだが……

 


 夕暮れの野営(キャンプ)


 エミナは鼻歌を歌いながら、大鍋で猪の肉とその薬草『太陽の呼び声』をじっくりと煮込んだ。今日は1人で作ると言って、シュレンにも手を出させない。


 「できたのです! 特製の元気もりもりシチューなのです! ……あ、いけない! 薬味のハーブを摘むのを忘れていたのです。すぐそこにあるから、取ってくるのです!」


 空腹に目を光らせる四人を前に、エミナは木べらを置いた。


 「皆さんは先に食べていてほしいのです! 冷めないうちにどうぞなのです!」


 エミナが森の奥へ走り出してから数分。香ばしいハーブを抱えて戻ってきたとき、そこには地獄のような光景が広がっていた。


 「……え?」


 焚き火の前。ユリオ、ルル、シュレン、そしてクローリディアの四人が、糸の切れた人形のように地面に転がっていたのである。


 「ユ、ユリオ様! シュレンさん!? どうしたのです、冗談はやめてほしいのです!」


 エミナは真っ青になって駆け寄った。だが、ユリオは蝦蟇(ガマ)の目を剥いたままピクリとも動かず、ルルは冷静な仮面が剥がれ落ちたような顔で白目を剥いている。最強のシュレンすら、大刀を握る力もなく指先を痙攣させていた。クローリディアに至っては、高笑いの形のまま顔が固まっている。


 「……う、嘘。ま、まさか……私のシチューが……あの薬草が、毒だったのですか!?」


 実は、エミナが摘んだ「太陽の呼び声」は、このルヴォニア大森林の一部にだけある特異な土壌の毒を吸い上げ、強力な神経毒へと変貌した変種だったのだ。大森林でも限られた土地にしか、この変種は生えてないので、エミナも知らなかったのだ。


 一般に採集され食用や薬になる植物でも、場所や環境によって、危険な毒を持つ事はあった。しかし、非常に稀なことであり、熟練の採集者でも、毒に当たるのを避けるのは難しかったのである。


 そんなこととは露知らず、エミナは介抱を試みる。が、誰一人として意識を取り戻さない。持参の毒消しの薬をみんなの口に押し込むが、効果はない。


 「エミナが、皆を……死なせてしまうのです。ううっ、そんなの嫌なのです! 皆さん、待っていて下さい。エミナが、きっと皆さんを助けるのです。絶対に、絶対に助けるのです!」


 エミナは涙を拭い、夜の闇が降りてくる森へと走り出した。「解毒剤」か「誰かの助け」を求めて。


 ユリオの荷には、アスティオの高価な回復薬(ポーション)があり、解毒できたが、使ったことないエミナは、回復薬(ポーション)のことを、単なる体力回復薬だと勘違いしていた。



 エミナは必死だった。


 月の光も届かぬ深い森、エミナは弓を握りしめ、一歩一歩進む。


 「誰か……誰かいないのですか! 助けてほしいのです!」


 カサリ、と茂みが揺れた。


 思わず、ゾッとなるエミナ。


 現れたのは、光る目を持つのは夜這い狼ナイト・レイド・ウルフの群れだった。数が多い。闇の中、どれだけいるかもわからない。普段ならユリオやシュレンが瞬時に片付ける相手だが、今はエミナ一人しかいない。


 人里離れた大森林の夜の基本。事故があっても絶対に慌てない。夜に動きまわってはいけない。それは、状況を悪くするだけだ。


 エミナもこの基本は承知していた。しかし、皆が死んでしまうかもしれないという恐怖に我を忘れ、基本は頭から吹っ飛んでいたのだ。


 「来ないでほしいのです! エミナは、皆を助けなきゃいけないのです!」


 エミナは震える手で矢を(つが)え、放った。奇跡的に先頭の狼の鼻先に当たったが、群れは怯まない。うう、と低いうなり声を上げ、エミナを狙う。


 こんなのに四方八方から襲われたらたまらない。


 エミナは無我夢中で巨大な古木の枝へと這い上がった。


 「あうぅ、怖いのです……。でも、泣いてる暇はないのです!」


 すぐ足元では、闇に紛れて音もなく迫る夜這い狼ナイト・レイド・ウルフの群れが、獲物を逃すまいと樹を囲んでいる。


 見上げれば、葉の隙間から冷たい月光と、無数の星々が降るように輝いていた。だが、エミナの目に映るのは、地上でうごめく無数の「光る瞳」だけだった。


 「……怖いのです。手が震えて、矢が(つが)えられないのです……。でも、エミナがここで食べられたら、誰が皆を助けるのですか!」


 エミナは泥だらけの袖で涙を拭い、愛用の弓を強く握りしめた。


 下からは、狼たちが樹皮を削る不気味な爪音と、飢えた唸り声が聞こえてくる。


 「一人じゃないのです。ユリオ様が見てくれている……ルルさんも、シュレンさんも、クローリディアさんも、皆、エミナを待っているのです!」


 覚悟を決め、彼女は(えびら)から一本の矢を引き抜いた。


 月明かりに照らされたエミナの瞳が、一瞬だけ鋭い狩人(ハンター)のそれに変わる。


 「……そこなのです!」



 シュッ、



 と風を切る音。


 放たれた矢は、闇の中で一際ギラリと光った瞳を正確に射抜いた。



 キャンッ!



 と鋭い悲鳴が上がり、一頭の狼が崩れ落ちる。


 だが、群れは怯まない。かえって仲間の血の匂いに興奮し、次々と樹の幹を蹴って跳び上がってきた。


 「こっちに来ないでほしいのです! ――えいっ! えいっ!」


 エミナは次々と矢を放った。


 一本、また一本。


 星明かりの下、エミナの放つ矢は正確に狼たちの眉間や喉元を射抜いていく。父ヴァイシュが教えた「心の眼で射る」という教えが、極限状態の中で開花していた。


 最後の矢が、群れの中でも一際大きなリーダー格の狼の足元に突き刺さった。


 「次こそ、そのおでこに当てるのです! エミナは本気なのです!」


 エミナの叫びが夜の森に響き渡る。


 小さな少女から放たれる凄まじい気迫と、次々と仲間を仕留められた恐怖に、夜這い狼ナイト・レイド・ウルフたちはついに尻尾を巻いた。一頭、また一頭と闇の奥へと消えていき、やがて森には不気味な静寂だけが戻ってきた。


 「……あ。……いっちゃったのです?」


 張り詰めていた糸が切れたように、エミナは弓を抱えたまま、木の枝でへなへなと座り込んだ。


 「……やったのです。勝ったのです。でも、矢がもうないのです。……早く、早く、みんなが助かる何かを探さなきゃいけないのです……!」


 震える足で木を降り、エミナは再び、愛する仲間たちのために、出口の見えない夜の迷宮へと踏み出していった。



 ◇



 遠くにぼんやりとした光が見えた。


 「あ、明かり!? きっと誰か住んでいるのです!」


 エミナは必死の思いで木を降り、光の正体へと突き進んだ。イバラに足を取られ、泥だらけになりながら辿り着いたそこは、単なる「光る苔」の群生地だった。


 「……違うのです。これじゃないのです。ルルさんなら、魔法でなんとかできたかもしれないのに。シュレンさんなら、道を知っていたかもしれないのに……!」


 孤独と恐怖が、小さな背中にのしかかる。



 夜の闇をさらに突き進むエミナ。涙で視界が歪むが、止まるわけにはいかない。


 「……思い出したのです! 昔、父上から聞いたことがあるのです。この森のどこかに、月光を浴びて銀色に輝く『月滴草ムーン・ドロップ』が咲いているはずなのです。あれなら、どんな痺れ毒も一瞬で消せるのです!」


 エミナは必死に記憶の糸を手繰り寄せ、崖の斜面や大木の根元を血眼になって探し回った。


 「お願い……お願いなのです。皆を助けて……!」


 毒草に倒れた皆を救うために。『月滴草ムーン・ドロップ』を求めエミナは夜の大森林を彷徨う。



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