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第112話 復讐の宝剣



 大森林の旅。


 そう言うからには、ひたすら並ぶ巨木が並び下草が生い茂る中を、えっちらおっちら歩いて行くのが基本だけどーー


 たまには、歩きやすい穏やかな場所もある。


 鬱蒼とした巨木の群れが突如として途切れ、目の前には輝くような緑の草地が広がっていた。色とりどりの植物が風に揺れ、そこだけが切り取られた楽園に見えた。


 「あら、なんて素晴らしい眺めかしら! シュレン、降ろしなさい。今すぐよ!」


 それまでシュレンの屈強な肩を「椅子」にして担がれていたクローリディアが、身勝手な声を上げた。


 「お嬢様、まだこの先は安全が確認できておりませんが……」


 「うるさいわね! ずっと貴方の肩に座っているのも退屈なのよ。あそこの花、私の瞳の色に似ていて素敵じゃないの!」


 シュレンが苦笑しながら公国の姫、いや、16歳の少女君主を地面に降ろすと、クローリディアはドレスの裾を翻して走り出した。


 この光景には、ユリオも慣れた。クローリディアは、基本、シュレンに担がれ、歩きやすそうなところだけ、歩きたい時だけ、歩くのである。

 

 でなきゃ、この柔足(やわあし)の深窓の令嬢が大森林の旅などできるはずがない。


 「見て頂戴! あの青い花、公国の庭園にもなかった珍品だわ!」


 「ああっ、クローリディアさん、勝手に走ったら危ないのですー!」


 優しい光に包まれた秘密の草原に飛び出したクローリディア。


 その姿は、この世のものとは思えないほど鮮烈だった。


 身に纏うのは、リュクセム公国の伝統的な最高級(シルク)を贅沢に使用した、深紅のドレス。後ろをふんわりとした貴婦人特有のデザインである。森の緑の中で、その赤はあまりにも挑発的で、まるで一輪の毒華が咲いたかのような錯覚を抱かせる。


 ドレスの胸元には、公国の紋章が黄金の刺繍で細密に施され、動くたびに太陽の光を反射してキラキラと粒子を撒き散らす。腰から後ろにかけて大きく膨らんだドレスは、走る動作に合わせて生き物のように波打ち、何層にも重ねられたペチコートの白いレースが、まるで波飛沫のように裾から覗く。


 そして、もちろん。


 胸元の開いた夜会服(ローブ・デコルテ)で、揺れる(バウンドする)豊満な双丘。


 これだけは、いつも眼福すぎるユリオ。ずっと見ていたい。


 ああ、クローリディアに沈黙の魔法をかけて置物にすることができたらいいのに……


 

 「見て頂戴、この光! 行き詰まる離宮の庭とは大違いだわ!」


 そう叫んで走る16歳のリュクセム女公爵の足元には、編み上げ式の白い山羊革のショートブーツ。草を踏みしめるたびに、ドレスの裾が軽やかに跳ね、細い足首がチラチラする。

 

 クローリディアの波打つ亜麻色の長髪(ロングヘア)は、結び目から解け、風に乗って背後で眩い尾を引く。それはまるで、草原を駆ける一筋の流星にみえる。

  

 首元には、親指ほどもある大きなアメジストのペンダントが揺れ、姫の瞳の色と共鳴して怪しく光る。


 走りながら振り返り、「オーホッホッホ!」と高笑いするその横顔は、肌を刺すような冷たい気品と、自由を手に入れた少女の無邪気さが混ざり合い、見る者を圧倒した。


 ユリオは、そのあまりの美しさに一瞬だけ毒気を抜かれ、自分の蝦蟇(ガマ)の顔の原因も忘れ見惚れる。


 黄金の草原に舞う「深紅の毒華」。そういったところか。


 

 「うーむ……あいつ、性格があれじゃなきゃ、本当に女神様みたいなんだけどな……」


 柔らかい光の中を舞うクローリディアは、絵画から抜け出したお姫様そのものだった。無邪気さと歪んだ誇りが交錯している。


 一行は思わず足を止め、自由気ままな女公爵の少女に見惚れる。


 


 だが。


 ここは大森林である。


 危険がいっぱい。


 「お嬢様、止まってください!  ――伏せろっ!」


 突如、シュレンの顔から笑みが消えた。


 背の高い茂みが激しく揺れたかと思うと、クローリディアを目掛けて、岩のように巨大な大猪が突進してきたのだ。その牙は槍のように鋭く、まともに喰らえば肉体など容易く貫通するだろう。


 「いやああああっ!」


 クローリディアの悲鳴。


 「お嬢様の前に出るなッ!」


 シュレンが地を蹴った。大男とは思えぬ瞬速でクローリディアの前に立ちふさがる。


 彼は、普段から背負っている巨大な荷物の脇に、分厚い布で厳重に包まれた長尺の業物(わざもの)を固定していた。


 シュレンの手がその布を掴み、一気に引き剥がす。


 現れたのは、装飾を一切削ぎ落とした、無骨で巨大な大刀だった。


 「ハァッ!!」


 短い呼気と共に、シュレンは大刀を正眼に構える間もなく、抜き放った勢いのまま振り抜いた。


 大気が悲鳴を上げるほどの豪速。


 大猪の突進の重みと、シュレンの一撃の威力が真っ向から衝突する。



 ――ズンッ!!



 鈍い衝撃音が草原に響き、直後、信じられない光景が広がった。


 シュレンが振り抜いた大刀は、大猪の硬い頭蓋を真っ向から両断し、その巨大な胴体を縦に割り裂いていたのだ。


 血飛沫が上がる間もなく、真っ二つになった巨体がクローリディアの両脇をすり抜け、土煙を上げて転がった。


 「……ふぅ。お嬢様、お怪我はありませんか?」


 シュレンは、返り血を一滴も浴びることなく、大刀を一閃して血を払った。

その刀身は、まるで鏡のように冷たく、一点の曇りもない。それを再び手際よく布で包み、荷物の脇へと収めた。


 「な、なによ……。いきなり飛び出してきて、私のドレスが汚れたらどうするのよ!」


 「……はは、面目次第もございません。ですが、お嬢様の身に傷がつくよりは、猪に肉になってもらう方が合理的ですから」


 シュレンは、先ほどまでの死神のような威圧感を霧散させ、いつもの柔和な笑顔に戻っていた。


 「……おい。シュレンさん、あんた……」


 ユリオは、蝦蟇(ガマ)の眼球を限界まで見開いて硬直していた。


 シュレンの実力。投剣だけじゃない。ユリオも、武人だけにわかる。


 魔法強化もしていないズッシリした重い大刀を短剣のように軽々と扱い、突撃してくる大猪を真っ二つ。


 (……ありえねえ。こんな芸当ができるのは、王国に幾人いることやら。この人、一体何者なんだ……?)


 シュレンの圧倒的な「静」と「動」。


 それは、公女をたった一人で守り抜いてきた男の、底知れない実力を物語っていた。


 一同がその神業に目を奪われていた、その時だった。


 「――待て! クローリディア、動くな!」


 ユリオの濁った声が響いた。


 「なによ、蝦蟇(ガマ)の分際で私に命令――」


 「いいから黙ってろ!」


 クローリディアのさらに背後。腰の高さまである草むらから、音もなく巨大な大蛇が鎌首をもたげていた。その牙が彼女の白いうなじに届こうとした瞬間、ユリオの剣が閃いた。


 一刀両断。


 大蛇の頭部が草の中に転がり、クローリディアが「きゃっ!」と短く叫んで飛びのく。


 「……助かったよ、ユリオ殿。よく見ていましたね。私でも、猪に気を取られて一瞬遅れました」


 シュレンが感心したように声をかける。


 「ユリオ様、すごいのです! 今の、後ろを向いたまま斬ったように見えたのです!」


 「……別に、大したことじゃない。ただ、見えただけだ」


 ユリオは不貞腐れたように剣を鞘に収めた。


 みんな、あっ、そうかという顔をした。


 理由は明快。蝦蟇(ガマ)の顔になり、横にせり出した金色の眼球は、人間のそれとは比較にならないほど広い視野を持っていた。シュレンが大猪に集中している間、ユリオの右目は同時に背後の草の揺らぎを捉えていたのである。


 「ふん、お前のその醜い蝦蟇(ガマ)面も、少しは役に立つのね」


 クローリディアが、乱れた髪を整えながら尊大に言い放った。


 「なんだと? それが助けてやった相手に言う言葉かよ」


 「事実を言ったまでよ。感心したわ、その視野の広さ。便利だわ! お前、元の顔に戻る必要なんてないんじゃないかしら? ずっとそのままで、私の背後を守っていなさいな。オーホッホッホ!」


 「……っ、ふざけんな! 誰が一生このツラでいたいかよ! ルル、今の聞いたか?  こいつ本当に最低だぞ!」


 「……ええ。でも、それがクローリディアの精一杯の『ありがとう』なのかもしれないわね」


 「そんなわけあるか!」



 ◇



 その日の夕食は、シュレンとエミナが共同で腕を振るった猪料理だった。


 「エミナ殿、この肉の脂身は削がずに、強火で焼き固めましょうか」


 「さすがシュレンさん、分かってるのです!  旨味を閉じ込めるのがエミナ流なのです!」


 2人の名コンビによって作られた猪のステーキは絶品で、クローリディアも上機嫌だった。食後、彼女はシュレンに命じて、巨大な荷物の中から一つの箱を開けさせた。


 「さあ、皆。今日の褒美に、私の宝物(コレクション)を見せてあげるわ!」


 箱の中から現れたのは、大森林の旅にはおよそ不釣り合いな、豪華絢爛な品々だった。もちろん、旅に不要なものばかり。


 目を奪われるユリオたち。


 だがーー


 「……おい、待てよ。それ、リュクセム公国伝来の香炉だろ? なんでそんなもん持ってるんだ?」


 「あら、これくらい当然よ。この銀細工も、この絹の面紗(ヴェール)も、公国で一番良いものを持ってきたわ。……ユリオ、今日の働きに免じて、何か一つ、お前に授けてあげてもよくてよ?」


 「……いらねえよ! お前、逃げ出すからって、そんな大事なものを持ち出すなんて……。少しは残された国や民のことも考えろよ。これじゃただの火事場泥棒じゃないか」


 ユリオの言葉に、クローリディアの瞳が冷たく燃え上がった。


 「民? 国? 笑わせないで頂戴! あいつらが私をどう扱ったか、お前に何がわかるっていうのよ!」


 「な、なんだよ急に……」


 「私はね、呪われた瞬間から人間扱いされなかったのよ! 社交界デビューさえ許されず、公国の恥として離宮に閉じ込められた。15歳の時にはね、遠国の老いぼれ王子に売り飛ばされそうになったのよ。その老いぼれ王子は、私の肌に触れない代わりに、私をただの『珍しい置物』として飾るつもりだったの!」


 「……クローリディア……」


 ルルが静かに名前を呼ぶ。


 「老いぼれ王子が結婚前に死んだからこの話は流れたけれど、あいつらにとって、私は政治の道具ですらなかった。ただの、ゴミよ! ただ、どこに捨てるかが、問題だっただけ。だったら、私が何を奪って逃げようが、誰にも文句は言わせないわ!」


 クローリディアは腰に差していた一振りの剣を抜き放った。それは鞘に宝石が散りばめられた、リュクセム公国伝来の宝剣だった。


 「これは、私を虐げたリュクセム公国への復讐よ。この宝剣も、財宝も、すべて奪い取ってやったわ。これは私と公国との『戦争』なのよ!」


 夜の森に、抜身の剣身が青白く輝く。


 「呪いを解いて、完璧な美しさを取り戻した時、私はあの国を私の足元に跪かせてやるわ。……私の人生を笑った連中、全員をね! オーホッホッホ……!」


 狂気を帯びた高笑いが、深い闇に吸い込まれていく。


 ユリオは、重苦しい溜息と共に、自分の変形した大きな頭を抱えた。


 「……ヤレヤレ。ルル、これ、ただの呪い解きの旅じゃないぞ。俺たち、反逆者の片棒を担がされてるんじゃないか?」


 「……そうね。でも、あの子の怒りも、本物よ」


 「だいたい、あんなにゴッソリ持ち出してきたら、追手を出してと言っているようなものじゃないか。リュクセム公国の連中、カンカンになっているだろうな……」


 ユリオの旅は、いつの間にか一国の存亡を賭けた、泥沼の闘争へと足を踏み入れようとしていた。



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