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第111話 女公爵の矜持とよくできた従者



 ルヴォニアの大森林を、5人の奇妙な一行が進む。


 ユリオは相変わらず、左右に飛び出した蝦蟇(ガマ)の目で周囲を警戒していた。


 これはこれで、慣れてしまえば便利。


 視界が広すぎて、少し離れた場所でルルが「……はぁ」と小さくため息をつく姿まで見えてしまうのが、いかにも辛いが。


 女の子というのは、所詮蝦蟇(ガマ)顔より美少年が好きなのだ。


 現実を突きつけられる。


 「ユリオ様、そんなに落ち込まないでほしいのです! 今日の獲物は、エミナがとびきり大きな野兎を仕留めてみせるのです! 元気をつけてもらうための御馳走を作るのです!」


 エミナが弓を引き絞り、茂みの奥の気配を伺う。その時だった。


 「――おっと。そこですね」


 シュレンが、シャツの上に羽織った革のチョッキの内側へ、するりと手を滑らせた。


 次の瞬間、銀色の閃光がユリオの目の前を横切った。


 「えっ……!?」



 シュッ、



 空気を切り裂く鋭い音。


 エミナが矢を放つよりも早く、茂みの奥で鈍い音が響いた。駆け寄ってみると、そこには眉間を一撃で射抜かれた野兎が転がっていた。刺さっていたのは、装飾のない無骨な短剣だ。


 「……投剣!? 短剣を投げて狩りをしたのかよ!」


 ユリオは、裂けた蝦蟇(ガマ)の口をあんぐりと開けて驚愕した。


 「すごいのです……!  弓より早く、こんな正確に当てるなんて、見たことがないのです!」


 シュレンはいつも通りニコニコしながら、獲物を回収した。


 「なに、矢を(つが)えるより、短剣を投げた方が簡単なんです。昔からこればかりでして」


 チョッキの内側を見れば、そこには整然と十数本の短剣が吊るされていた。この大男、穏やかな顔をしてとんでもない技術の持ち主だ。


 そもそも、旅商と名乗っているユリオを、主クローリディアの護衛に使える武人だと、見抜いているみたいだし。


 シュレン。


 ただ者ではない。それはよくわかった。



 ◇



 夕暮れ時。野営(キャンプ)の火が焚かれた。


 今夜の夕食は、エミナとシュレンがそれぞれ腕を振るうことになった。


 「お嬢様、今夜は兎の香草焼きと、キノコの煮込みです。少しお待ちくださいね」


 「楽しみだわ、シュレン。貴方の料理は、どの王宮の料理人よりも私の口に合うのですもの」


 クローリディアは特等席の毛皮に座り、誇らしげに胸を張った。


 一方で、ユリオ、ルル、エミナの三人は、エミナが作った「野兎と木の実のシチュー」を囲んでいた。


 「さあ、ルルさん、ユリオ様。できたのです! 召し上がれなのです!」


 「ありがとう、エミナ。いい香りね」


 ルルが微笑んでスプーンを動かす。ユリオも自分の顔を恨めしく思いながら、蝦蟇(ガマ)の口へシチューを流し込んだ。


 すると、隣でシュレンの料理を優雅に食べていたクローリディアが、チラリとこちらを蔑むように見た。


 「オーホッホッホ! 哀れね、庶民の料理を必死に啜るなんて。ねえ、蝦蟇(ガマ)の小僧に下女、そして端女(はしため)さん。少しは本物の味を教えてあげてもよくてよ? シュレン、そこの3人に、お裾分けして差し上げなさい。私の寛大さに感謝することね!」


 「……いらねえよ! 俺たちはエミナの飯が世界一美味いと思ってんだ。お前の恩着せがましい料理なんて、喉を通らないぜ! それになんだ、ルルは端女(はしため)じゃねえ!」


 ユリオは語気を荒らげて拒絶した。ルルは端女(はしため)じゃなくて、奴隷だし。


 「ユリオ様の言う通りなのです! エミナは自分の料理に誇りを持っているのです!」


 またまた下女と言われたエミナも、頬を膨らませて怒った。


 一方、端女(はしため)と言われたルルは。


 スープの匙を動かす手を止めることすらしなかった。


 ルルは優雅な所作で一口スープを口に運ぶと、ゆっくりと器を膝に置いた。

そして、焚き火の爆ぜる音だけが響く静寂の中、クローリディアの方へと視線を向けた。


 その瞳は、怒りで燃えることも、悲しみに潤むこともない。ただ、どこまでも透き通った、深い湖の底のような冷徹さで、クローリディアという存在を観察していた。


 「……クローリディア。貴女の言葉選びは、公女としての品格を自ら貶めているわ」


 鈴の鳴るような、静かだがよく通る声。


 ルルは、優等生らしい落ち着いた口調のまま、淡々と言葉を続けた。


 「私をどう呼ぼうと自由だけれど、その言葉は私を傷つける代わりに、貴女の周りにいたはずの敬意をすべて消し去ってしまう。それがどれほど愚かなことか、リュクセム公国の教育では教わらなかったのかしら?」


 「なっ……!  貴女、この私に説教をするつもり!?」


 クローリディアの眉が吊り上がり、頬が屈辱で赤く染まる。


 高圧的に捲したてるクローリディアに対し、ルルはわずかに小首を傾げた。その動作は、駄々をこねる子供を眺める大人のような、圧倒的な余裕に満ちていた。


 「説教ではなく、事実を述べているだけよ。貴女がいま口にしているシュレンの料理も、この森が与えてくれた獲物があってこそ。そしてその森を歩くための護衛が、今貴女の目の前にいる『私たち』。……賢い貴女なら、誰を敵に回すべきではないか、理解できているはずだわ」


 「…………っ」


 クローリディアは言い返そうと口を開けたが、ルルの放つ静かな威圧感に気圧され、言葉を飲み込んだ。


 ルルはそれ以上追及することなく、また穏やかな表情に戻ってエミナに微笑みかけた。


 「エミナ、このシチュー、とっても美味しいわ。隠し味のベリーが効いているわね」


 「……あ、ありがとうございますなのです、ルルさん!」


 エミナはルルの毅然とした態度に救われたように、大きく頷いた。


 ユリオは、そんなルルの横顔を蝦蟇(ガマ)の目でじっと見つめていた。


 (……おお、久々に見た、我らがクラス委員長琴見咲良(ことみさくら)! やっぱりすごい。あんな最低で終わってる女公爵相手に、一歩も引かずにやり込めるなんて……あの威光威厳……これを待ってた! 女公爵より、高校のクラス委員長の方が、よっぽど上だぜ! ザマーミロ!)


 クローリディアは、ルルの冷静な反論が予想外に効いたのか、毒気を抜かれたようにプイと顔を背けた。


 「……フン。生意気な女ね。せいぜいその無駄に高い自尊心(プライド)を、魔物から身を守る盾にでもすることだわ。オーホッホッホ……」


 少しだけ力の抜けた高笑いが、夜の森に虚しく響いた。


 

 ◇


 

 微妙な空気の中、2組の食事は続く。


 (おや?)


 ユリオは便利な蝦蟇(ガマ)の目で見逃さなかった。


 クローリディアの視線が、エミナのシチューをじっと見つめている。その鼻腔が、エミナの隠し味に使った森のベリーの甘酸っぱい香りを捉え、喉が「ゴクリ」と動くのも見えた。


 (なんだ?……あ。あいつ、結局、エミナの飯が食いたいんだな)


 呆れるユリオ。さんざんあの態度で。ま、エミナの料理は天下一品だから、無理はないか。


 しかし、あれだけのことがあったばかりだ。


 食べさせてくれとは、プライドが邪魔して絶対に言えない。


 それが丸わかりだ。


 クローリディア。自分の国から脱出してきた女公爵様。


 無駄にふんぞりかえっているが、なんだかんだ、まだ16歳。


 案外、わかりやすい小娘だ。


 ちょっと優越感を覚えるユリオ。


 しかし、クローリディアの様子に気づいたのは、ユリオだけではなかった。


 シュレンがニコニコとして、提案した。(あるじ)の心は、この男にすぐ伝わるのである。


 「お嬢様。これだけの獲物が捕れたのですから、今夜は『交換会』にしませんか? 森では全てを分かち合うのが鉄則にございます。エミナさんのシチューも、大変興味深い香りがします。私も勉強したくございます。お嬢様の料理と少し交換して、旅の親睦を深める……これも女公爵としての『外交』と言えるのではないでしょうか」


 明るく、さっぱり、あっけらかんとした言い方。ピリピリした空気が一変した。みんな、ごく自然にそれもいいか、となる。


 途端に、クローリディアの瞳が輝く。頬がほころぶ。


 わりやすい反応に、呆れ返るユリオ。


 急にウキウキした様子になったクローリディア、待ってました、とはさすがに言えないので、扇子で笑みがこぼれそうになっている口元を隠すと、


 「……外交。ええ、外交なら仕方ないわね。シュレンがそこまで言うなら、毒見がてら、その不潔そうな……いえ、庶民のシチューを味わってあげてもよくてよ!」


 「はいはい。決まりですね。では、エミナさん。これ、お嬢様の分です。代わりに私の料理を皆さんでどうぞ」


 シュレンから渡された兎の香草焼きを一口食べた瞬間、ユリオとルルは目を見開いた。


 「……っ! なんだこれ、めちゃくちゃ美味いぞ!」


 「……お肉が、口の中で解けるわ。シュレン、貴方、ただの護衛じゃないわね」


 エミナもシュレンの料理を一口食べ、衝撃を受けていた。


 「……負けたのです。でも、すごく勉強になるのです!  シュレンさん、どうやってこの火加減を……!」


 「あはは、後でお教えしますよ。それより、お嬢様?」


 クローリディアは、エミナのシチューを一口運ぶなり、アメジストの瞳を輝かせていた。


 「……ふ、ふん。まあ、予想よりは食べられるわね。ベリーの酸味がアクセントになっていて、悪くないわ。下女の分際で、少しは知恵を使ったようね。お代わりを……じゃなくて、もう少しだけ分析のために頂戴!」


 「素直に美味しいって言えばいいのです! でも、お代わりならいっぱいあるのです!」


 エミナは笑って、クローリディアの皿にシチューをなみなみと注いだ。


 さっきまでの険悪な空気は、温かい湯気の中に溶けていくようだった。


 「シュレンさん、この短剣の扱いも、料理のコツも、今度エミナに伝授してほしいのです!」


 「いいですよ、エミナさん。弓の扱いについては、私も教えていただきたいですしね」


 2人は焚き火を挟んで、楽しそうに話し込み始めた。


 ユリオは、シュレンの美味しい肉を咀嚼しながら、少しだけ心が軽くなるのを感じた。


 (……クローリディアの奴め。性格は最悪だけど、飯を食う時だけは年相応の女の子だな。単純なんだ。ま、あいつに何かあったら、俺も元の顔には戻れない。せいぜい護衛は頑張ってやるからな。それにシュレン、あの性悪お嬢様に信頼されるだけあって、お嬢様のお守りの仕方は心得てるな。それにしても、なんであんな凄い奴が、あんな女の従者をしてるんだろう?)


 新たな謎。



 不意に、ルルがユリオの顔をじっと見つめているのに気づく。


 「……ユリオ。やっぱり美味しいものを食べると、顔が少し明るくなるわね。元の顔に戻ったら、またみんなで、美味しいお店を探しに行きましょう」


 「……っ、ああ! 絶対だ、ルル!」


 元の顔に戻らないと、料亭(レストラン)にも入れやしない。早く、『(くら)き銀の城』とやらに行かなきゃ。


 ユリオは、夜の森の深みへと視線を向けた。



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