第110話 我儘勝手な女公爵
ルヴォニアの大森林。昼なお暗く、湿った空気が肌に纏わりつく。
ユリオにとって、その「湿り気」が以前よりも心地よく感じられてしまうことが、何よりも屈辱だった。
(クソッ、俺は、絶対に蝦蟇なんかじゃないぞ)
とは、言うものの……
左右に飛び出した金色の眼球は、首を動かさずともルルの歩く姿と、エミナの警戒する様子を同時に捉えている。視界が広すぎて、自分の鼻が見えない。時折、喉の奥から「ケロリ」と、自分のものではないような鳴き声が漏れそうになるのを、ユリオは必死で飲み込んでいた。
蝦蟇の顔、蝦蟇の金色の瞳を持ったことによる広視角。かなりな高能力には違いない。
正直、うおっ、スゲーとは思う。
だけど。全然嬉しくない。
蝦蟇の能力を貰ったって……
クソッ、
なんで俺はこんな目にあってるんだ?
それもこれも全部……
「オーホッホッホ! ちょっとそこの蝦蟇坊や、立ち止まらないで頂戴。私の視界に、そんな不潔な生き物の背中をいつまでも映さないでくれるかしら?」
後から来るクローリディアが、扇子で顔を隠しながら高らかに笑う。16歳の女公爵。こんな森の中でも、汚れ一つない華麗なドレスの裾を従者シュレンに持たせ、まるで王宮の回廊を歩くかのような足取りだった。
もちろん、このお嬢様に、森林の難路をずっと歩いて行くのなんて無理だ。疲れたり、道が悪くなった時は、シュレンがそのがっしりとした肩に担いでいく。クローリディアは、ただただ勝手気儘。
いい気なもんだ。
「お前……! 誰のせいでこんなことになったと思ってんだ! 俺だって、好きでこんな蝦蟇面してるわけじゃない!」
ユリオが裂けた口を震わせて怒鳴るが、声は奇妙に濁って響く。
「あら、聞こえなくてよ? 蛙の鳴き声にしか聞こえないわ。ねえシュレン、この森にはもっとマシな話し相手はいないの? 例えば、知性のある小鳥とか。こんな不潔な庶民の小僧と話すと、私の格まで下がってしまうわ!」
「まあまあ、お嬢様。ユリオ殿はこう見えても腕利きの方のようですから。いざというとき頼りにするのです。仲良くしましょう」
背後で巨大な荷物を担ぐ大男、シュレンがいつも通りニコニコと笑って仲裁に入る。
だが、エミナは黙っていられなかった。
「クローリディアさん! さっきから聞いていれば失礼すぎるのです! ユリオ様に、 謝るのです! さもないと、今夜のご飯にだけ苦い草を混ぜるのです!」
「……っ、下女が私を脅すというの!? オーホッホッホ! 誰もあんたの料理何か食べないから。このシュレン、結構料理が得意なの。ほんと、何でもできるのよ。私は彼さえ居ればそれで充分。私はシュレンの料理を食べるから。心配しないで!」
「なっ……! エミナは下女じゃないのです! それに、エミナたちがみんなであなたの護衛をするというのに、なんですか、その態度は! 」
「ユリオ、エミナ。二人とも落ち着いて。クローリディアも、少し口を慎みなさい」
最後尾を歩いていたルルが、冷静な声で釘を刺した。クローリディアは「フン」と鼻を鳴らして前を向いたが、それ以上の毒は吐かなかった。
(……ルル。エミナ……)
ユリオは2人の加勢をありがたく思い、振り返った。だが、目が合った瞬間、ルルの眉が微かに、ほんの一瞬だけピクリと動いた。ビミョーな表情。ルルはすぐに微笑んだが、その視線をすぐ逸らす。
「ユリオ、大丈夫? 」
なんだか、ぎこちない。
「……ああ、平気だよ。ルル」
「それは良かったです。ユリオ様は強いのです!……あ、でも、あんまり近づきすぎると、その……ヌルヌルがルルさんの服についちゃうから、一歩下がって歩くのが安全なのです!」
ぐほっ……
ヌルヌル? そりゃ、そうだけど。
エミナも気を遣ってくれているのだが、その言葉には、否応なく〝生理的な忌避感〟が透けていた。女の子にとって、今のユリオの顔は直視するに堪えないものなのだ。ルルとエミナに、ビミョーな距離感を感じる。一歩引かれている。当たり前とは言え、ユリオには面白くなかった。
(……やっぱり、この顔じゃダメなんだ。どんなに心配してくれても、前みたいにはなれない。当然か)
醜怪な蝦蟇の顔でハーレム大魔王を目指し、全世界の美少女を恐怖に叩き込む……そういうルートは……
うーん、やっぱり嫌だ。
ちなみに、クローリディアには、エスト=デュレイの身分証を見せて、自分はピエの旅商だ、ユリオは愛称だと言っておいた。ユリオと言う名前自体は、この世界では珍しくない。
蝦蟇顔のユリオが、ルーベイ大公爵ユリオだとは、まさか思うまい。
庶民の小僧だなんだ罵られるのは、実に腹が立つが。
ああ、こいつだけは。この蝦蟇の顔のまま徹底蹂躙してやりたい。軽やかに足を運ぶクローリディアを蝦蟇の広視角で見ながら、ユリオはため息をつく。
◇
「おい、クローリディア。一つ訊かせろ」
ユリオは歩きながら、クローリディアに問いかけた。この辺は、大森林にしては道が良いので、我儘姫の軽やかな足取りも、ずっと続いている。
「気安く名前を呼ばないで頂戴。……何かしら、蝦蟇坊や」
「……その『昏き銀の城』に行けばお前の呪いも解けるんだろ? だったら、なんで公国は正式に騎士団でも出して、お前をそこへ行かせてやらないんだ? 一国の当主なんだろ? 逃げ出す必要なんてなかったはずだ」
その問いに、クローリディアの足が止まった。
彼女は冷たいアメジストの瞳でユリオを射抜いた。その顔には、先ほどまでの高慢な笑みはなく、どろりとした憎悪が滲んでいた。
「……公国の大臣も貴族たちも、みんな、私のことなんて信用していないのよ。あいつらにとって、私はただの『呪われた厄介者』。都合よく醜い王子に差し出して、実権を奪うための道具でしかないわ」
「え……?」
「『昏き銀の城』への旅を願い出たところで、あいつらは鼻で笑うだけ。私が呪いを解くことなんて、誰も望んでいないのよ! 私がどうなろうと、あの老人たちにはどうでもいいことなの!」
「お嬢様……」
シュレンが悲しげに目を細める。
クローリディアは、またいつものように高飛車に扇子を広げた。
「だから私が自分自身のために、シュレンを連れて脱出したのよ! オーホッホッホ! 私が呪いを解いて戻った時の、あの奴らの絶望した顔を見るのが楽しみでならないわ!」
高笑いして再び歩き出す彼女の後ろ姿は、煌びやかで、それでいてひどく孤独に見えた。
なるほど。
不幸にも呪いをかけられて、ずっと孤独だった。それが原因だったとは言え、クローリディアの性格は、もう呪いとかの問題ではなく、完全に終わっている。
公国は、とっくにクローリディアを見捨てていたのだ。
ここまで性悪じゃ、しゃーないけど。一公女の身ならともかく、君主ってのは……
ユリオは、自分の大きな蝦蟇の口をギュッと結んだ。
憎たらしい女公爵と、一歩引いてしまう仲間たち。
呪いの宿命。
早く解かなきゃ。




