第108話 この生意気令嬢を蹂躙していいですか? 2 姫の脱走
「お嬢様、あまりいじめて差し上げるものではありませんよ」
背後の大木から、長髪を後ろで束ねた大男が姿を現した。クローリディアは、シュレン! とその名を呼ぶ。
「貴方も言いなさい、この小僧の顔がいかに滑稽か!」
「はいはい、お嬢様。……皆さん、驚かせてすみません。私はクローリディア様の従者シュレンです。私から説明いたします。お嬢様は6歳の時に呪いをかけられたのです……お嬢様は、キスした相手を、呪いの効力によって、このような姿に変えてしまうのです」
「へえ?」
素頓狂な声を出すユリオ。やっと声が出せるようになったが、調子っぱずれの声だ。
キスした相手を蝦蟇の顔に変える呪い? そんなのあるんだ。
「つまり、この子が俺にキスしたせいで、俺はこうなったってこと?」
「小僧、口の利き方に気をつけるのだ!」
クローリディアは、真っ赤になる。
「誰がお前などにキスを? お前が勝手にキスしてきたんだろう。おお、そのことを口にするのも汚らわしいわ。お前がそうなったのは、まさに正義の報いなのだ。オーホッホッホ!」
また、高笑い。
絵に描いたような性悪令嬢だ。いや、令嬢じゃなくて、本人は女公爵と名乗っているけど。
ユリオは、ちょっと前のあの甘いキスの衝撃が、地獄への招待状だったことを悟った。
ともあれ、俺を蝦蟇の顔に変えたのは、この女。
「ふざけるな! 元に戻せよ! こんな顔で、どうやって生きてきゃいいんだ!」
余裕の態度で見下ろしてくるクローリディアに、ユリオはくってかかる。
「あら、言ったでしょう? 私の靴の裏を舐めるか……あ、いや、あんたなんかに靴の裏を舐められるのも嫌ね。そうね、やっぱり。湿地で虫でも食べて暮らしなさい! オーホッホッホ!」
「もう我慢できません! ユリオ様を侮辱するこの女を、エミナが成敗してもいいのですか!? 許せないのです!」
キリキリするエミナ。ルルが制す。
「待って、エミナ。……クローリディアと言ったわね。呪いの解除方法を教えなさい」
ルルの瞳に、静かな怒りの炎が宿る。
「脅すつもり? でも無駄よ。この呪いは私にも解けないわ」
ツンとするクローリディア。
「なら」
ユリオが低い声を出し、剣の柄に手をかける。
「やっぱりてめえを殺すってのはどうだ? そうすりゃ、この呪いも解けるんじゃねえのか?」
「フン、庶民の小僧、お前なんぞがこの私に手を下すと言うの?」
「おう、やってやろうか?」
「まあまあ」
シュレンが割って入る。
「何とかなると思います。私たちも、そのために旅をしているのです」
「……本当か? 大体さっき、リュクセム公国の現当主と名乗ったよな? そんな大物が、従者1人だけ連れて、こんなところを旅しているわけないだろ? あんたら一体何者なんだ?」
「ご説明いたします」
シュレンは、あくまでもにこやか。
語られた事情は次のようなものであった。
それは、リュクセム公国の公女として生を受けたクローリディアが、まだ6歳の無垢な愛らしさに満ちていた頃のことだった。
リュクセム公国の建国記念祭の日。幼い彼女は、誰かの何かの怒りに触れた。
『美しき薔薇には毒を。其方の愛を乞う者は、皆、泥土に塗れた醜き蛙へと姿を変えるが良い』
突如、恐ろしい呪詛がその身に刻まれたのである。その瞬間から、クローリディアの人生は一変した。
最初は幼馴染の少年だった。お遊戯の最中、不意にその頬へ姫の唇が触れると、次の瞬間にはイボだらけの粘膜へと変わり果てた。次に犠牲になったのは、彼女を慰めようとした優しい家庭教師。
公国の神官や魔術師が総がかりでクローリディアにかけられた呪いを解こうとしたが、駄目だった。呪われた原因すらわからなかった。
キスした相手を醜い蝦蟇の顔に変える少女。
クローリディアが成長し、その美貌が国中に知れ渡る頃には、彼女は「触れてはならぬ美しき災厄」として、男たちから全力で避けられる存在となっていた。
少年も、男も、みんなクローディアから逃げ回った。
「オーホッホッホ! 私に触れる資格のない臆病者ばかり! 清々するわ!」
クローリディアが高笑いするようになったのは、自尊心を守るための防衛本能だった。逃げ出す男たちの背中を見送るたび、彼女の心は硬い殻に覆われ、性格はねじ曲がり、他者を見下すことでしか自身の価値を確認できなくなっていったのである。
みんなに悪徳令嬢、性悪公女と陰で言われるようになった。
事態が最悪の方向へ動いたのは、2週間前。クローリディアの兄である先代リュクセム公が急逝した時だった。
公国継承法によって16歳のクローリディアがリュクセム公として即位したが、大臣や貴族たちは頭を抱えた。
「あのような性格のねじれた『悪徳令嬢』『性悪公女』に、この国の舵取りができるものか!」
「早急に婿を迎え、実権を移譲せねば。だが、あの呪いでは……」
リュクセム公国の婿になれるからといって、蝦蟇の顔になりたい者などいない。諸国の王子公子貴族貴公子で、手を挙げる者はなかった。
誰もが尻込みする中、一人の救世主(あるいは生贄)が現れた。
北方の王国の第三王子、ロスタルドである。
彼は王家の一族でありながら、顔半分が焼け爛れたように歪み、誰からも疎まれてきた「醜怪な王子」だった。王子でありながら、ずっと女から逃げられ避けられてきた。
「私ならば、今さら蝦蟇の顔になろうと構いません。リュクセム公国との同盟のため、この身を捧げましょう」
人格者として知られるロスタルドの申し出に、大臣たちは狂喜乱舞した。彼を婿に迎え、執政とする。クローリディアからは実権を取り上げ、ただのお飾りの女公爵となってもらう。
美貌には違いないのだ。ただのお飾りなら、実にふさわしい。
めでたし、めでたしである。
「ふざけないで! 誰が、あんな歩く化け物のような男と添い遂げるというの!」
この縁談に、クローリディアは大激怒し、謁見の間の鏡を叩き割った。
彼女にとって、美しさこそが唯一絶対の正義だった。自分自身が「呪いの根源」であるという負い目を隠すために積み上げた自尊心が、醜怪なロスタルドとの結婚を拒絶させた。
しかし、国家の決定は冷酷だった。ロスタルドとの縁談は正式に決まった。
リュクセム公国の大臣と貴族たちは、クローリディアの意向など、塵ほども重んじなかったのである。
婚礼の儀まであと3日。彼女は寝室に監禁され、逃げ場を失った。
「お嬢様、お迎えに参りました」
暗闇から現れたのは、彼女が幼少期から唯一信頼を置く巨漢の従者、シュレンだった。
「シュレン……貴方、私を笑いに来たの? 私が、あの醜怪王子を婿として迎えるのを」
「滅相もございません。お嬢様は、お嬢様の望む道を行くべきです。……ご準備を。馬の用意はできております」
シュレンは巨大な大刀を背負い、いつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべていた。主クローリディアの願いを心得ていたシュレンが、脱走の手配を整えてきたのであった。
クローリディアは、重苦しい公女の正装を脱ぎ捨て、その下に着込んでいた最高級の絹と宝石を散りばめた、逃亡には不向きだが「彼女らしい」華麗な衣裳を選んだ。
「いいわ、全て捨ててやるわ! この公国も、女公爵の地位も、あの醜い王子も!」
深夜、シュレンの怪力によって窓の格子は引きちぎられた。
クローリディアはシュレンの逞しい肩に担がれ、追っ手の目を盗んで王宮の壁を飛び越えた。
「目指すはルヴォニアの大森林」
夜霧に消えていく二人の背後で、王宮の鐘が騒がしく鳴り響き始めた。
それが、高慢で美しき「性悪女公爵」が、全てを失い、呪いを解くための放浪者へと堕ちた瞬間であった。




