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第105話 狩人のエルセン (5) 〜指輪に何を誓いますか?



 エルセンの狩人小屋に泊めてもらうことになったユリオたち。


 小屋は瀟酒だが、部屋はたくさんないので、エルセンは自分の寝室で、ユリオたちは居間の絨毯の上で、雑魚寝することになった。


 ユリオは考える。


 エルセン。大金持ちの凄腕狩人。


 何者なのか、ここで何をしているのか、全くわからない。


 狩りで生業を立てている本職(プロ)の猟師でなくとも、凄腕の狩人というのはいる。


 ユリオとエミナも、本職(プロ)狩人(ハンター)ではないが、弓の腕は一流であるし。


 エルセンが趣味で狩りをしていて、超一流というなら、それはそれで良い。

 

 ま。詳しい事情はわからないけれど。


 奴がこれ以上、ルルに近づかないなら、別に問題は無い。



 そして、穴豹。


 危険な獣だ。


 夜行性で、突如襲われる。対策としては、森林での野営(キャンプ)では焚き火を絶やさず、その側で眠ることである。


 しかしながら、眠っている間に焚き火が消えたり、うっかり焚き火から離れて穴豹に襲われる悲劇も後を絶たない。


 熟練での狩人(ハンター)猟師冒険者でも、油断と隙は必ずある。そこを狙われるのだ。


 ルルには気配探知の魔法があって、人や獣の接近を気づくことができるが、まさか毎晩夜通し気配探知魔法を発動しているわけにもいかない。


 大森林。


 どれだけ知識と経験があっても、絶対に安全という保証は無いのである。



 なるべく早く、ここから立ち去ろう。


 穴豹は一旦巣を構えたら、簡単には動かないはずだ。そんなことを考えながら、ユリオは眠りに落ちた。



 ◇



 真夜中。

 

 エルセンの寝室の扉が静かに開いた。


 絨毯の上のユリオたちは、その気配に気づき目覚め、薄く目を開けた。エルセンは外套を羽織り、背にはあの大弓を背負っている。彼は物音一つ立てず、吸い込まれるように闇の中へ消えていった。


 「……行ったわね」


 ルルが小さく呟く。ユリオは剣の柄を握りしめ、エミナは無言で弓を撫ぜた。何が起きるかわからない大森林の中である。小屋の中とは言え、武器を抱いて寝ていたのだ。


 エルセンは、いったいーー


 問いかける言葉は出なかった。彼の瞳に宿っていたあの「鋭利な色」が、今夜がその時であることを告げていたからだ。


 数刻が経った頃――静寂を切り裂き、大森林を揺るがすほどの巨大な咆哮が響き渡った。


 「ルル、エミナ! 行こう!」


 ユリオたちは飛び起き、小屋にあった提燈(カンテラ)を手に咆哮の主へと駆け出した。茂みを掻き分け、深い霧を抜けた先、月明かりが降り注ぐ開けた場所に、それは横たわっていた。


 「……これが、穴豹」


 馬ほどもある体長。濡れたように輝く黒い体毛は、溶岩の闇を凝縮したかのようだ。その眉間には、エルセンが放ったであろう一本の矢が深々と突き刺さっていた。怪物はすでに絶命していた。


 だが、その傍らに倒れていたエルセンの姿を見て、ユリオは息を呑んだ。 彼の腹部は大きく引き裂かれ、純白のシャツは見る影もなく鮮血に染まっている。


 「エルセンさん! しっかりして!」


 ルルが駆け寄り、必死に治癒(ヒーリング)魔法の光を注ぎ込む。だが、エルセンは血を吐きながら、弱々しく首を振った。


 「……無駄だ。もう、助からない……。だが、ルルさん……おかげで、延命はできた……。最後に、頼みを聞いてほしい」


 エルセンは、途切れ途切れの声で、自らの忌まわしい過去を語り始めた。


 彼はかつて、北の国の富裕な貴族だった。数年前、この小屋を友人から借り、美しい婚約者のラディと共にこの地を訪れたのだという。


  「私は、自分の弓の腕前を彼女に見せたかった……。愚かだった。夜の星明かりに映える湖を、彼女に見せたいと連れ出した時に、奴が現れたのだ……」


 当時、この付近に穴豹の縄張りはなかった。だが、その一頭だけが、偶然にもその夜、新たな巣を求めて地底から這い上がってきたばかりだったのだ。ラディはエルセンの目の前で、怪物に奪われた。エルセンがちょっと目を離した隙の、ほんの一瞬の出来事だった。


 エルセンは、ラディの遺体を湖に沈めると、穴豹を討つため、自分の領地財産を処分し、友人からこの小屋を買って、移り住んだのだと言う。


 だが、穴豹は用心深く、なかなか討つ機会(チャンス)は来なかった。しかしーー


 「穴豹は……ラディを襲ったとき、彼女の右腕を食った……。彼女は魔術師で、その右手には、代々伝わる強力な魔法石の指輪をしていたのだ」


 その魔法石は、怪物の腹の中で数年もの間、魔力の波動を放ち続けていた。その感性が、同じく強い魔力を持つルルの存在に共鳴し、用心深い怪物を地表へと誘い出したのだという。


 魔力の響きに我慢のできなくなった穴豹は、自らエルセンの小屋に近づいてきたのだった。


 「奴を倒して、ようやく……終わる。私は……ラディの元へ行ける」


 エルセンは満足げな、どこか救われたような顔をして笑った。


  「小屋に木舟(ボート)がある。船底の栓を抜いて……私を湖に流してくれ。私は、ラディと一緒に沈みたい。それが、私がこの小屋を買い取ったときから決めていた、旅の終わりだ」


 彼は最後に、力尽きようとする指先で怪物の腹を指差した。


  「……ラディの魔法石を取り出してくれ。それは……ルルーシア、君にプレゼントする……。私を助けてくれた、お礼だ……」


 その言葉を最後に、大森林の貴公子は静かに息を引き取った。



 エルセンの言っていた湖、小屋のすぐ近くにあった。


 湖畔には、エルセンが言った通り、幻想的な美しさが広がっていた。木舟(ボート)の栓が抜かれ、水が静かに船内に流れ込み始める。ユリオは、主を失った大弓と共にエルセンを横たえ、ゆっくりと湖の中央へ木舟(ボート)を押し出した。


 やがてボートは重みを増し、月光を反射する水面の下へと、ラディの待つ深淵へと沈んでいった。


 「……私のせいね。私がここに来たから、エルセンさんは死んでしまったのね」


 ルルが肩を震わせ、涙を流す。穴豹の腹から取り出された魔法石の指輪が、彼女の手のひらで、エルセンの魂のように淡く輝いていた。


 「そんなことはない」


 ユリオは、ルルの震える肩にそっと手を置いた。


 ここでお姫様抱っこする? あるいはそれ以上の……は、ないか。


 むろん、気の利いた慰めも言えない。


 でも、今の自分にできる精一杯の言葉を紡いだ。俺の奴隷が落ち込んじゃっているんだ。御主人様として、励まさないと。


 「エルセンは、ずっとこの時を待っていたんだ。あいつにとって、君が来たのは災難じゃない……奇跡だったんだよ。ラディって人に、ようやく会いに行くためのね」


 エミナも黙って、祈るように湖を見つめていた。


 ユリオは、ルルの手の、不思議な光を放つ指輪をまじまじと見つめた。


 「……なあ、ルル。エルセンは『強力な魔法石』だって言ってたけど、これ、一体何なんだ? 普通の宝石とは、明らかに輝き方が違う気がするんだけど」


 ユリオの問いに、ルルは指輪をそっと撫ぜ、自身の魔力を微かに同調させた。すると、石は呼応するようにポッと赤紫色の光を強くした。


 「これは……『星核の雫(アストラル・ドロップ)』。一生を魔術の研究に捧げた賢者か、あるいはよほど強い想いを持った魔術師が、死の間際に自分の魔力回路を一つに凝縮して作り出すと言われている、伝説的な触媒よ」


 「魔力回路を、石に……?」


 「ええ。これを持っているだけで、魔法の発動速度が劇的に上がるし、本来なら数人がかりで儀式をしないと扱えないような大規模な魔法も、一人で制御できるようになる。……エルセンさんが言っていた通り、ラディさんは本当に素晴らしい魔術師だったのね」


 ルルは、指輪に宿る温かな魔力を感じ取りながら、悲しげに微笑んだ。



  一人の誇り高き狩人が命を賭して守り抜いた愛の終焉。


 湖を渡る夜風。エルセンの安らかな微笑みが混じっているかのようだ。


 ユリオは、静かにその場を後にした。



 ( 狩人のエルセン 了 )

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