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第104話 狩人のエルセン (4) 〜大金持ちの小屋の近くに潜む獣はなんですか?



 「……ユリオ、さっきの態度は少しひどいんじゃないかしら」


 沈黙を破ったのはルルだった。少し困ったような、咎めるような瞳をユリオに向けている。


 「そうですよ、ユリオ様! 助けていただいた上に、こんなに素敵な場所でもてなされているのです。あんなに疑うような言い方をするのは、勇者様として感心しないのです!」


 何言ってるんだ。俺は別に勇者様じゃねーよ、とユリオは、


 「エミナまで……だって、おかしいだろ。あいつ、ただの狩人じゃない。あの落ち着きすぎた物腰も、この小屋の贅沢さも。だいたい、あの深緑鹿(ディープ・ディアー)をたった一矢で仕留めるなんて、普通じゃない」


 ユリオは立ち上がり、苛々とした足取りで部屋の中を歩き回った。


 「見ろよこれ」


 小屋の中にはエルセンの狩りの成果(コレクション)が展示されてあった。


 天井からは、大森林の最深部にしか生息しないと言われる瑠璃極楽鳥が、その長い尾羽を優雅に垂らして吊るされていた。光の角度によってエメラルドから深海のような青へと色を変えるその羽は、埃一つなく整えられ、死の気配を全く感じさせない。

 

 壁の中央には、先ほどユリオたちが仕留めたものよりも遥かに巨大で、複雑な枝分かれを見せる深緑鹿(ディープ・ディアー)の角が飾られていた。驚くべきは、その角の根元に残された頭部の造形だ。瞳には精巧な義眼が埋め込まれ、その静かな眼差しは、部屋にいる者すべてを見透かしているかのように鋭い。


 部屋の隅には、月の光を反射して輝くと言われる銀狼が、今まさに獲物に飛びかからんとする姿勢で固定されていた。剥き出しになった牙の鋭さ、逆立った毛並みの質感、そして四肢の筋肉の隆起。それは「獲物」としての剥製ではなく、一つの「芸術品」としての完成度を誇っていた。


 「どれもこれも売ったら、すごい金貨(かね)になるぜ。あいつは金貨(かね)が必要と言っていたが、全然そうじゃない。大金持ちなんだ。なんで大金持ちが1人でこんなところに住んでるんだ?」


 「ユリオ、用心深いのは貴方の長所だけど、今は感謝が先だと思うわ。エルセンさんは、私を助けてくれた恩人なのよ?」


 ルルの言葉が、ユリオの胸にちくりと刺さる。「恩人」という響き。その言葉を口にするときのルルの口調。


 ルルの恩人、御主人様は、俺だ。俺1人でいい。


 なんとも面白くない。


 

 ◇



 夜気が深まり、森が真の闇に沈む頃、エルセンが戻ってきた。その背には、月光を浴びて青白く輝く、巨大な深緑鹿ディープ・ディアー(ツノ)を担いでいる。


 「……見事なものだ。これがあれば、しばらくは贅沢な暮らしもできますね」


 ユリオは、なんとなく皮肉を言ってみる。エルセンは今更、稼ぐ必要もなさそうに見えるが。ま、ユリオだって使い切れない金貨(かね)を持ってるわけだし。大金持ちなんてそんなものだ。


 エルセンは(ツノ)を土間に置くと、薄く微笑んだ。


 「さて、夜の森はこれからが本番だ。もう遅い。今夜はここに泊まっていきなさい」


 「ええっ、いいんですか!?」


 ユリオが断ろうと口を開くより早く、ルルとエミナが弾んだ声を上げた。


 「助かるわ、エルセンさん」


 「そうなのです! エルセンさんのような素晴らしいお方の側なら、安心なのです!」


 「……おい。勝手に決めるなよ」


 ユリオの反論は、二人の乙女の歓喜にかき消された。結局、多勢に無勢で、ユリオたちはこの美しい隠れ家に一晩の宿を借りることになった。


 いや、泊まれと言われたら泊めてもらうのが当然なのである。


 野営(キャンプ)より、この大森林らしからぬ豪奢(ゴージャス)な小屋の方が断然よい。まさか人喰い(ハウス)じゃあるまいし!

 


 エルセンが出してくれた夕食は、焼いたパンに温かいスープ、そして干し肉という簡素なものだった。エミナのような華やかな技法は凝らされていないが、不思議と体中がポカポカと温まるような、ぬくもりに満ちた味がした。


 「……私は、料理はあまり得意ではなくてね。不格好で申し訳ない」


 「何をおっしゃるのです! このスープ、素材の旨味がしっかり出ているのです!」


  「本当。心まで休まるような、優しい味だわ」


 ルルとエミナの絶賛を聞きながら、ユリオは一人、不審の火を消せずにいた。スープを口に運びながら、さりげなくエルセンに問いかける。


 「……なあ、エルセン。あんた、ここで一人で暮らしてるって言ってたけど、他の狩人が訪ねてきたりはしないのか? こんな立派な家があれば、目印になるだろう。いつも1人なのか?」


 「……来ませんよ。誰もね」


 エルセンは暖炉の火を見つめたまま、静かに首を振った。


 「この辺りは、巨大な穴豹の縄張りなんです。腕の立つ猟師ほど、この一帯には決して近寄ろうとしません」


 「穴豹……?」


 ユリオの背筋に、冷たいものが走った。聞き慣れない名に、ルルもスプーンを止めて耳を傾ける。


 「ルヴォニアの大森林は、遥か昔の火山活動でできた地盤です。地下には網の目のように溶岩洞窟が走り、地上と繋がっている。穴豹は、その洞窟の中に潜む、この森で最も危険な捕食獣の一つです」


 エルセンの説明によれば、穴豹は日中、日光を避けて地下の闇に潜んでいる。だが夜になると、獲物の匂いを嗅ぎつけ、地面の亀裂や穴から突如として姿を現すのだという。


 「奴らは用心深く、そして狡猾だ。不意打ちの速度は矢よりも速い。魔法使いが呪文を唱え終わる前に、その喉笛は食い破られているでしょう」


 ユリオは顔が青ざめていくのを感じた。自分たちは、そんな超第一級の危険地帯を、何も知らずにのんきに歩いていたのだ。もし、一人で待っていたルルの元に現れたのが、深緑鹿(ディープ・ディアー)ではなく穴豹だったら――。想像するだけで、持っていたスプーンが震えた。


 「……あんたは、怖くないのか? そんな化け物の巣の近くで、一人で暮らしてて。なぜ、ここに?」


 「だからこそ、私はここにいる」


 エルセンの瞳に、一瞬だけ、野生獣にも似た鋭利な色が宿った。


 「私の目的は、あの穴豹を狩ること。それだけですから。ただ、あの穴豹は、なかなか狩れないのです」


 「なぜ?」


 「あの穴豹は、私の力量に気づいています。私を恐れているのです」


 その言葉の裏に、どれほどの憎しみや宿命が隠されているのか。ユリオが問い質す前に、エルセンは「さあ、食事を済ませて休みましょう」と話を打ち切ってしまった。


 外では、風の音に混じって、地底から響くような不気味な唸り声が聞こえた気がした。



 泊めてもらえて本当によかった。


 穴豹の巣の近くで野営(キャンプ)


 とんでもない!


 ユリオは、温かいはずのスープが急に味を失ったような感覚に陥り、ただ、隣に座るルルの無事を確かめるように魔術師の少女を盗み見た。

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