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第103話 狩人のエルセン (3) 〜贅沢な森小屋ってありますか?



 エルセンに導かれ、深い霧の幕を幾重も潜り抜けた先に、それは突如として姿を現した。


 「ここです。ごゆっくりしていってください」


 そう言ってエルセンが指し示したのは、大森林の景観に溶け込むように佇む、瀟洒な丸太小屋だった。切り出されたままの巨木を組み上げた無骨な外観とは裏腹に、窓枠の彫刻や扉の設えには、辺境の狩小屋にはおよそ似つかわしくない洗練された美意識が宿っている。

 

 「……ここ、エルセンさんの家なの? 素敵、まるでおとぎ話に出てくる隠れ家みたい」


 ルルが、瞳を輝かせて声を上げた。


 「恐縮です。一人で住むにはいささか持て余す広さですがね」


 エルセンは寂しげな微笑を浮かべたまま、重厚な扉を開け放った。 家の中に一歩足を踏み入れると、外の湿った空気とは対照的な、乾燥した薪の爆ぜる音と、鼻をくすぐる芳醇な香草の匂いが一行を迎え入れた。


 「さあ、こちらへ。ルルーシアさん、その椅子にかけて」


 エルセンに促され、ルルは、厚手のクッションが敷かれた長椅子へ座る。ユリオとエミナもその隣に。


 「では、温かい飲み物を用意しましょう。少し待っていてください」


 エルセンがキッチンへと向かうと、それまで周囲を警戒していたエミナが、感嘆の声を漏らしながら部屋を見渡した。


 「すごいのです! こんな森の奥深くなのに、埃ひとつ落ちていないのです! それにあの壁にかかっている装飾品……どれも一級品に見えるのです!」


 「本当ね。この絨毯の織りも、王都の高級店で扱っているものと遜色ないわ……」


 ルルとエミナは、完全にこの「趣味の良い隠れ家」に魅了されていた。 だが、ユリオだけは一人、部屋の隅々まで疑いの眼差しを向けていた。


 (おかしい……何から何まで、辻褄が合わないんだ)


 ルヴォニアの大森林。王国の直轄領禁制地である。狩人小屋猟師小屋というのはあるが、これは森林税を払って狩人(ハンター)組合(ギルド)猟師組合(ギルド)に加入すれば、誰でも利用できる共同の小屋だ。


 しかし、ここは、共同の猟師小屋などではない。


 エルセン個人の森小屋。


 確か、個人でも、大森林に自分の小屋を持つ事はできる筈だ。しかしそのためには、王国に対して特別な森林税を納めなければならない。


 かなりの金額になる。それは、一生を狩りに捧げる熟練の猟師たちが、数人がかりでようやく払えるかどうかの額なのだ。

 

 ましてや、この内装だ。 壁に立てかけられたエルセンの予備と思われる弓には、魔力を帯びた稀少な銀細工が施されている。キッチンの棚に並ぶ陶器は、遠く東方の島国から運ばれてきた名産品だろう。


 こっそり自分の小屋を建てました、というようにも見えない。


 (あいつ、何者なんだ? 腕が良いのは認めるけど、とてもじゃないがただの狩人には見えない。本職の猟師なら、もっと泥臭くて、獲物の血の匂いが染み付いているはずだ。でも、エルセンからは……あの洗練された香草の匂いしかしない)


 単純な結論。


 エルセンは大貴族か富裕な大商人で、趣味で大森林での狩りを楽しんでいる貴公子だ。


 しかし、それにしては。


 そういう連中なら、必ず従者だ護衛だ取り巻きだを大勢従えているはずだ。


 ただ1人で、森の中で狩猟を楽しんでいる大金持ちの貴公子?


 そんなのがいるんだ。



 やがて、エルセンがトレイに乗せて運んできたのは、見たこともないほど透き通った琥珀色のハーブティーだった。


 「森で採れた青露草と、蜜蜂の巣から分けた蜜を少々。痛みを和らげる効果もあります」


 「わあ、ありがとうございます!」


 ルルが嬉しそうにカップを受け取る。その白い指先が、カップから立ち上る湯気に包まれる。一口含んだ彼女は、今日一番の幸せそうな笑顔を浮かべた。


 「……美味しい! ユリオ、エミナ、これ凄いわよ! 体の中から温まって、疲れが溶けていくみたい」


 「本当なのです! 鼻に抜ける香りが、まるで天国にいるみたいなのです!」


 2人が大喜びする中、ユリオは差し出されたカップを無言で受け取った。 口に含めば、確かに驚くほど美味い。エミナの料理にも驚かされたが、この男が提供するものは、それとはまた別の、王侯貴族が嗜むような「優雅さ」に満ちていた。


 「……あんた、どうしてこんなところで一人で暮らしてるんだ?」


 ユリオは、カップを見つめたまま、低く問いかけた。


 「ルヴォニアの森でこれだけの暮らしを維持するには、相当な金がいるはずだ。あんた、本当は何者なんだ?」


 その問いに、部屋の空気が一瞬だけ凍りついた。 ルルとエミナが困惑したようにユリオを見る。だが、エルセンは動じなかった。彼は暖炉で燃える炎をじっと見つめ、その横顔に深い影を落とした。


 「……ただの、世捨て人ですよ。かつて、守るべきものを守れなかった男の、ささやかな終焉の地として、この森を選んだに過ぎません」


 その声には、深い谷の底に沈むような、逃れがたい哀しみが宿っていた。 過去に何を経験し、どのような経緯でこの贅沢な孤独を手に入れたのか。その核心に触れるような言葉は、ついには語られなかった。


 「詮索が過ぎましたね。夜は冷えます、ルルーシアさんの足も落ち着いたばかり。今夜はここで夜を明かされるといい。私はこれから、先ほど倒した深緑鹿(ディープ・ディアー)(ツノ)をとってきます。おっしゃる通り、大森林の暮らしには、(かね)がかかりますからね。皆さんは、ゆっくりと寛いでいて下さい」


 エルセンはそう言って、小屋を出て行く。


 残されたユリオは、冷めかけたハーブティーを飲み干した。喉を通る熱さは心地よいはずなのに、胸の奥にある黒いモヤモヤ、不信感は、少しも静まる気配がなかった。


 窓の外では、大森林が不気味なほどに静まり返り、何か大きな運命が動き出す前の静寂を保っていた。



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