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第102話 狩人のエルセン (2) 〜お姫様抱っこするのはなぜですか?



 「ルル! どこだ、返事をしてくれ!」


 ユリオは声を枯らして叫んだ。心臓が嫌な音を立てて波打っている。 ルルがいたはずの場所には、荒々しく地面を抉った蹄の跡が残されていた。


 深緑鹿(ディープ・ディアー)の足跡。


 それが意味するのは。


 ユリオたちが一頭の深緑鹿ディープ・ディアーを追って離れた隙に、もう一頭の深緑鹿(ディープ・ディアー)が現れ、ルルを急襲したのだ。


 地に落ちたルルの短剣。腰帯(ベルト)につないでいた革紐が千切れている。


 ルルは短剣を抜く暇もなかった。もっとも、巨大な深緑鹿(ディープ・ディアー)の突撃を、短剣を抜いて止められるわけもないが。


 ルルはーーひょっとして、もしかしてーー


 震えるユリオ。


 「ユリオ様、落ち着いてください! この蹄の跡は、さらに奥へと続いているます! 追いましょう! 地面に血痕はありません。ルルさんはまだ無事のはずです!」


 「よし、行くぞ!」


 エミナの鋭い指摘に、ユリオは弾かれたように駆け出した。足跡を追い、木々を潜り抜け、必死にルルの影を探す。頭の中では最悪の想像が渦巻いていた。ルルがどこかで深緑鹿(ディープ・ディアー)(ツノ)に突かれていたら?


  踏み潰されていたら?



 だが、しばらく走った先でユリオの目に飛び込んできたのは、想像とは全く違う光景だった。


 「……あ、ユリオ!  エミナ!」


 聞き慣れた透き通る声。そこには、一人の男に『お姫様抱っこ』をされているルルの姿があった。


 「な……っ!?」


 ユリオは立ちすくんだ。


 ルルを抱えているのは、見たこともない男だった。


 狩人(ハンター)。その格好(いでたち)をしているが。大森林で見かける泥にまみれた狩人猟師とはかけ離れた、洗練された貴公子の佇まい。流れるような髪に、どこか寂しげな微笑を湛えた美青年だ。その背には、見事な装飾が施された大弓が背負われている。


 「ルル! 大丈夫なのか!? その男は誰だ!」


 ユリオが駆け寄ると、男は静かにルルを下ろそうとしたが、ルルは痛そうに顔をしかめた。


 「ごめんなさい、ユリオ。実はあの後、もう一頭の鹿が突進してきて……避けきれなくて、とっさに鹿の背中に飛び乗っちゃったの。そのまま鹿が暴走して、どうやって止めたらいいかわからなくて」


 「鹿の背中に!? それで、どうなったんだよ」


 「このエルセンさんが、助けてくれたの。走っている鹿を、たった一撃で射抜いて……」


 ルルが紹介した男――エルセンは、微かに会釈をした。


 「……当然のことをしたまでです。ルルーシアさんが足を挫いていたので、元の場所までお送りしようと」


 エルセンの声は、低く、冷たく、それでいて心地よく響いた。 ルルを見ると、その頬が心なしか上気しているように見える。無理もない。あんな劇的な助けられ方をされて、おまけに自分よりずっと大人びた、洗練された男に抱きかかえられていたのだ。


 ユリオは胸の奥が焼けるような感覚に襲われた。


 いや、逆上したというべきか。


 ユリオとルルのこれまでの体の接触。ただちょっと、手を取ったり繋いだりしたことがあるだけだ。


 それなのにーー


 突如現れた大森林に似つかわぬ貴公子が、ルルをお姫様抱っこしてやがる!


 けしからん!


 エルセンとかいったな!


 おい、お前、何してるんだ!


 ルルは俺の奴隷だぞ! 勝手に俺の奴隷に手を出しているんじゃねえっ!


 だいたいルル、どういうことだ?


 とっさに深緑鹿(ディープ・ディアー)に飛び乗った?


 そんなの女の子にできる芸当じゃ絶対にない。


 魔法使ったんだな?


 ユリオの心の炎は沸る。今すぐにも、この大森林を燃やし尽くしてしまいたいくらいだが。


 勿論、そんなことはできない。


 ともあれ。エルセンとルルを引き離さなくちゃ。


 「……エルセン、と言ったか。助けてくれたのは礼を言う。でも、もういい。ルルは俺が運ぶ。仲間だからな」


 エルセンが、そっと、実に優雅な仕草でルルを草地に下ろす。王宮の舞踏会並みの完璧さだ。


 エルセンの優雅さはそれだけではなく、


 「少しお待ちください。ルルーシア様の足は腫れています。手当てをします」


 そう言って、大森林でよく使われる膏薬を取り出し、ルルの足へ貼り、さする。


 ユリオは、またバチバチと。


 (何やってんだ! 貴様、ルルに触りすぎだぞ! ルルは俺の奴隷だぞ! ご主人様の許可もなく、気安く触るんじゃねえっ! ルルもルルだ。なんでこんな奴に触らせてるんだ。しかもあの目つき、なんだかうれしそうじゃないか? どうした? 奴隷の本分を忘れたか!)


 奴隷の本分も何も、ルルはとっくに奴隷身分から自分は解放されたと思っているのだが。


 エミナが心配そうに駆け寄る。 エルセンは、ユリオの険しい視線を受け流すように、ただ寂しげな微笑を深めただけだった。


 「さあ、これで大丈夫です」


 終わったか。


 もう絶対にルルに触るなよ。


 「よし。ルル、俺が抱えて行ってやるから」


 「あ、もう大丈夫」


 「え?」


 「そこまでひどい腫れじゃなかったから。エルセンさんに手当てしてもらって、もう歩けるよ」


 「は?」


 口あんぐりのユリオ。


 そうだ。ルルはエルセンに手当てしてもらったとき、自分も足に手を当てていた。こっそり治癒(ヒーリング)魔法を使って治したんだ。


 だったら、最初から治癒(ヒーリング)魔法で治せよ。


 なんでこんな奴に、お姫様抱っこされてたの?


 で、ユリオが選手交代しようとしたら、自分で足を治して、もう歩けます。だって?


 なにこれ。


 そうだ。


 ルルの宿命の冒険の旅とやらに、俺がついてきた理由。


 ルルが旅先で、男と〝間違い〟をしちゃいけないと思ったからだ。ルルの美貌と、究極の身体(ボディ)。男を惹きつけすぎるんだ。


 大森林なんて、男と女がハプニングしちゃう危険がいっぱいだし。

 

 思った通りだ。


 ユリオがルルと再開するのが遅れていたら、ルルとエルセン、一体何をおっぱじめてたんだ?


 (はらわた)が煮えくり返るユリオ。


 しかし、不吉な事態は、終わりではなかった。


 「みなさん、よかったら私の小屋で休んで行きませんか? ちょうど、すぐ近くなのです」


 エルセンの優雅な招待。


 「いや、俺たちは、先を急ぐのでーー」


 ユリオが言うより早く。


 「あ、いいんですか? じゃあ、寄らせてもらいましょう」


 「エミナも大賛成です!」


 2人の美少女はウキウキモード。


 ユリオは、1人ギャフンとなるが、逆らうわけにもいかず。



 ◇


 

 3人を案内していくエルセン。その背中は、どんな獲物を狩る時よりも冷徹で、そして洗練されていた。


 「……凄かったわ、あの人の弓。あんなに狂ったように走る鹿を、一瞬で仕留めるなんて」


 ルルが感嘆の吐息を漏らす。


 ユリオは、ムカっと。ユリオとルルが2人がかりで仕留めた深緑鹿(ディープ・ディアー)の大物を一発で仕留めたなら、確かに狩人としては超一流だろう。


 面白くないので、話題を変える。さっきから気になっていたこと。


 「おい、ルル、どういうことだ? 深緑鹿(ディープ・ディアー)に突撃されて、飛び乗った? お前、そんな芸当できないだろ」


 ルルにそっと囁く。


 「魔法を使ったのよ」


 ルルも小声で。


 「魔法?」


 「うん。乗りこなせ乗りこなせ暴れ馬ならし(ロデオ)って唱えたの」


 なんだそりゃ。妙な魔法があるんだな。


 「でも、急なことだったから、足を挫いちゃって。あ、短剣も引きちぎれちゃった」


 「それなら、俺が拾ったよ」


 短剣を返すユリオ。


 「ありがと。それで、鹿がすごい勢いで走ってるから、止めるのが難しくて……そこでエルセンさんに助けてもらったの」


 「……で、挫いた足、なんですぐ治癒(ヒーリング)魔法で治さなかったんだ?」


 「ううん……私が痛がってるの、エルセンさんに見られちゃったから、急に魔法で治してもう大丈夫ですって言ったら、私が魔法使いだとバレちゃうかもしれないと思って、少しそのままにしてたの」


 本当か? 本当なのか?


 だいたい、ここは大森林。魔法使いだってバレても問題ないはずだと思うけど。


 ルルの美しい横顔。


 不吉にしか見えない。



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