58.構音障害
さて、攻略対象たちのために動くと決めたけれど、そればかりにかまけているわけにはいかない。
私の貴族としてのお仕事──久しぶりのサロンである。
今回のサロンは、うちで運営している幼稚園に通う子どもたちの保護者のみとした。
堅苦しい感じは抜きにして、みんなでお茶を飲みながら、日々の子どもの様子について語り合う場として設定した。いわば保護者会というか、懇親会だ。
真ん中のテーブルにお菓子を置き、その周囲に島状にソファーとテーブルを数個配置している。誰とでも気軽にお話できるように、席は自由に移動できるように、場を設定した。
「ルカくんにはいつも遊んでもらって……ダニエルからルカくんのお話はよく聞きますのよ」
「こちらこそ、ダニエル様には仲良くしていただいて! 昨日はダニエル様と一緒に砂でお山を作って遊んだとか──」
「先日うちの子がお昼寝したくないとぐずった時に、ミア様が手を繋いでくださったと先生からお伺い致しました」
「うちのミアったら、デイジーちゃんのことが大好きで──」
あちこちから、お互い談笑する声が聞こえてくる。
さすが皆さん、貴族の方なだけあってコミュニケーション力が高い。
「うちのセオですが……もう4歳になりますのに、言葉がはっきりしませんの」
私の隣でため息をついたのは、アイオライト伯爵夫人。
中等部2年生の息子さんがいて、思春期の息子との接し方に悩んでサロンにいらしてくださったのが始まりだ。そこからもよくサロンに顔を出してくださっており、幼稚園を開園した際にも真っ先に末の息子さんを入園させたいと希望してくださった。
「言葉がはっきりしないっていうのは?」
アイオライト伯爵夫人は菫のような青紫色の瞳を細めて、困ったように首を傾げた。
園の先生方からは、特に言葉の遅れが気になるような子はいないと聞いているけれど……
「発音が下手なのですわ。『すき』が『ちゅき』になったり、『ソーセージ』が『ちょーちぇーじ』になったり……自分の名前すら正確に発音できないのです」
彼女は明るく気さくな方で、貴族の嗜みでもある婉曲な表現を使用しない。取り繕うことなく、明け透けに話していく。
「喋り方がまだ赤ちゃんなんです。……幼稚園の他の子たちがしっかり喋ってるのを聞くと、心配になってしまって……」
「なるほど。私もセオ君とはおしゃべりしたことがありますが、でも言ってることがわからないほどではなかったですよ」
「それはそうなんですが……このまま放っておいて良いものなのでしょうか。何か特別な訓練など、始めた方が良いのでしょうか?」
滑舌が悪い状態を、医学的にいうのであれば構音障害という。
構音障害の場合、一番鑑別しなきゃいけないのは、形態的な──形の異常だ。
例えば上顎にすき間が空いている口蓋裂、舌の動きが悪くなる重度の舌小体短縮など、口腔内に構造的な異常があればうまく発音できなくなる事があるのは、想像に易いだろう。
口蓋裂は口の中を見せてもらえたら判断できるし──たまにわからないくらい喉の奥に病変がある事があるけど──、舌小体短縮はあっかんべーをしてもらって、舌先がハートの形にならないかどうかを確認する。
今回は、その形態異常はないと仮定して。
「4歳の滑舌の悪さは、まだ気にしなくていいと思いますよ」
様子を見ましょう。
そうやって伝える時は、具体的にいつまで様子を見るのか、どうなってきたら再相談したほうがいいのか、明確にしておく必要がある。
「5歳くらいまでは、まだ滑舌が悪くても普通です」
具体的には、サ行は一番最後まで残りやすい。
実際、アイオライト伯爵夫人のおっしゃっていた例もすべてサ行だった。
「コミュニケーションをとるのに障害になるくらいの滑舌の悪さなら、早めに対応が必要ですが……セオ君のように言ってる事がわかるのであれば、様子を見て大丈夫です」
言葉なんて、やりとりをするためのツールなのだから、やりとりに支障がなければそれでいいのだ。
「それでも気になるのであれば……そうですね、何かするとすれば、口のトレーニングでしょうか」
発音は、口の筋肉を使って行われるもの。
口の動かし方のトレーニング──すなわち筋トレをするのが良い。
「トレーニング! 発声練習でしょうか?」
「発声練習はもう少し成長されてからであれば良いかもしれませんが、発音できないのに何度も言い直しさせたれたりすると、自己肯定感を下げてしまうかもしれませんので……幼い子どもの場合、トレーニングらしいトレーニングは向きません」
「ではどのような風にすればよろしいのですの?」
「遊びながら楽しく、が原則なんです。楽しくないと続きませんもの」
いろんな方法がある。
前世の外来でお勧めしていたのは、風船だ。膨らませるだけで口の筋トレになる。
あと正式名称はよくわからないけど、夜店とかで売ってた、吹くとビロビロが伸びるやつ! 遊びながら、口の筋肉を動かす練習ができる。
この世界でするとしたら……
「そうですね、例えば笛などの吹く楽器も良いですね。あとはタライに水を張って葉っぱを浮かべて、大人とどっちの方が早く動かせるか、息を吹いて競ったりして遊ぶのも良いかもしれません」
「楽しそうですわね!」
「あとは、おやつにスルメを与えるなど、固いものを噛む練習をしれもいいかもしれません」
アイオライト伯爵夫人はニコニコと瞳を輝かせて、相槌を打ってくれる。
そうやって聞いてくださると、ついついこちらも嬉しくなってしまう。
「ラピスラズリ公爵夫人様は、何をお伺いしてもいつもしっかり教えてくださりますわね。まだお若いのに……」
「そんな、買いかぶりすぎです。でもありがとうございます」
照れ隠しに、ハーブティーを口に含む。
今日のハーブティーは白桃のフレーバーがつけてあって、甘い香りがする。
「あとひとつ、注意するとすれば……ついついお子さんに、赤ちゃん言葉で話しかけてしまったりはしていませんか? 子どもは、聞いた言葉から学んでいくので、滑舌を機にするのであれば大人が正しい言葉をお手本として使ってあげる事をお勧めしますよ」
「……おっしゃる通りです。つい、可愛くって……!」
くぅぅ! とアイオライト伯爵夫人が拳を握る。
その力の入り具合から、彼女がセオ君を溺愛している事が伝わってくる。
「わかります、可愛いですよね。成長が嬉しくないわけではないのですが、いつまでも赤ちゃんでいて欲しいような、さみしいような……」
「そうなんです! うちのは上のがもう中等部で大きいでしょう? ヒゲも生えて、すね毛も生えて、ゴツくなってきて! なおさらセオが赤ちゃんに見えてしまって、可愛くて可愛くて……!」
「ふふ、わかります」
そのまま談笑を続けていると、アイオライト伯爵夫人の言葉の隙間を縫うように、ヘリオドール子爵夫人も声をあげた。
「あの、うちのルカも言葉のことで悩んでいて……! 一緒にお話をお伺いしても?」
「もちろんですわ。どうぞ、こちらに」
アイオライト伯爵夫人は少し身体をずらし、ヘリオドール子爵夫人のために隙間を開ける。
「それで、ヘリオドール子爵令息はどのようなお方なのですか?」
「うちの息子は、──どもるんです……」
今回はちょっと軽めのお話です〜
貴重なお時間を使って読んでいただき、ありがとうございました。
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