三枚起請の回 その8
しばらくして,西島がトイレから戻ってきた。隣には村井沙紀も一緒だった。
「トイレから出たところで偶々合流したんです」
西島は鼻の下を伸ばしている。ちょっと忌々しい。
「あれ,それ何ですか」
村井沙紀が机に置いてあるCDを見つけた。
「CDです。落語の。俺,落研なんで」
落研だからといって落語のCDを持ち歩いていいるわけはないのとは思うが,変に思われただろうか。
「え! 先輩落研なんですか!」
俺の心配とは裏腹に村井沙紀は目を丸くして驚いている。俺は思わずたじろぐ。
「え,ええ。はい,そうです」
「あ,すいません。実は落研に仲のいい友達がいるんです。それでつい驚いちゃって。……山田さんってわかります?」
今度は俺が驚いた。まさか村井沙紀から山田の名前が出るとは。するとそれを聞いた西島が口を挟んできた。
「山田って山田七海ですか」
「お前も知ってるのか」
「ええまあ。同じクラスなので。ついでに言うと隣の席です」
意外な展開に世間は狭いななどと思う。いや,世間と言っても所詮は学校内の事なのでそんなもんかもしれない。
なるほど,山田の知り合いか。ふむ。
村井沙紀は珍しいのかしげしげとCDを眺めている。
「この,こめあさって人が落語家さんですか?」
「米朝です。桂米朝。人間国宝です」
「へー! すごい人なんですね。こっちが落語の題名ですか? ええと,つると……さんまいきせい?」
「三枚起請ですね」
「三枚起請……。どんなお話なんですか?」
おお,まさか村井沙紀と落語の話ができる日が来ようとは。西島の顔をちらりと伺うと下唇をかんで,ものすごい顔をしていた。そんなにか。
「三枚起請はですね,その名の通り三枚の起請が出てくる噺です」
「その,起請っていうのは?」
「起請っていうのは約束を破らないことを神様仏様に誓うときに使う手紙みたいなもんです。この起請を嘘や仇でかくと『熊野で烏が三羽死ぬ』って言われるくらい厳格なものなんですが,この噺は同じ一人の遊女から結婚を約束した起請をもらった男3人が出会うところから始まるんです」
「ダメじゃないですか」
「はい,ダメなんです。だからこの三人で同時に押し掛けて遊女を問い詰めようって噺ですね。都都逸に掛けたサゲできれいに終わる,人気の高い演目の一つですね」
そこまで聞くと西島が一人でぼそりとつぶやくのが聞こえた。
「似てる」
俺は心の中でうなずいて,同意を示す。
そう,似ている。一人の女と,それに思いを寄せる三人の男。まさにいまこの状況によく似ている。
村井沙紀はそんなことには気づかない様子で,俺の話に感心している。嬉しい。
「面白そうですね,三枚起請。落語って聞いたことないからちょっと気になってたんです」
「良ければ貸しましょうか,それ」
「いいんですか?」
「勿論。返すときは山田にでも渡してもらえれば」
本当は部活の備品なので俺にそんなことを言う権限はないのだが,どうせ部室で埃を被っているのだ構うまい。俺がそういうと村井沙紀は嬉しそうに礼を言った。
俺は腕時計を確認してみる。名無しの権兵衛を待ち始めてからもう少しで一時間経ちそうだった。
「来ませんね」
村井沙紀が残念そうに言った。
「来ないと思いますよ」
俺はあくまで冷静にそう告げる。
「そうですね,体調でも崩してしまったのかもしれないですし,今日はもう来なさそうですね」
どこまでいい子なんだ。でも,俺の言ったのはそういう意味じゃない。
「いや,そうじゃなくて最初から来ないんです,名無し……ごほん。失礼,3人目なんて」
「え?」
村井沙紀はきょとんと首を傾げた。西島もポカンとしている。
俺は机に並べてある手紙の中かから剥き出しの便箋を手に取って西島に渡した。
「読んでみろ」
「え? ……まさか先輩,僕等のいない間に手紙を」
「いや違う! 俺は読んでないぞ断じて。いいから読んでみろ」
「いや,でも人様のラブレターを」
「そうだ。だから俺は読まないんだ」
そう告げると西島は最初意味わからないようだったが,はっと何かに気づくと便箋を開いて読み始めた。その間村井沙紀はよくわかっていない様子で目をぱちくりさせていた。かわいい。
手紙を読み進めた西島はちょっと悲しそうに溢した。
「同じ,だ」
三枚起請にもこんな場面あったな,と思う。




