第6話:走れないなら、世界(オブジェクト)の方を動かせ
──ズゥゥゥン……。
奈落の大穴へエリアボスをハメ落とし、天界のクソ神へ言い放った直後だった。
一歩、次へ向けて足を前に踏み出した瞬間、まるで両足の骨の中に鉛を直接流し込まれたかのような、凄まじい重圧と激痛が俺──切磋拓磨を襲った。
「く、っ……あ……!」
あまりの重さに、膝がガチガチと震えてその場に頽れる。
ステータス画面を確認するまでもない。初期状態から俺の肉体を蝕んでいた、次なる移動制限デバフが本格的に牙を剥いたのだ。
【警告:神罰第004号『石の足枷』が発動中です】
【効果:両足の重量が通常の十倍に固定され、歩行時に激しい筋肉痛と骨痛を引き起こします。本効果が適用されている間、あらゆる『走る』『跳ぶ』などの高速移動コマンドは強制的にキャンセルされます】
「くははは! 移動速度低下の鉄板デバフだ!」
天界のクソジジイ神が、前の敗北を取り戻そうと躍起になって脳内に嘲笑を響かせてくる。
「魔力を止め、視界を取り戻したところで、走れねば魔物から逃げることもできん! じわじわと距離を詰められ、いたぶり殺される恐怖を味わうが良い!」
神の言葉に応じるように、ボスを失って統率の崩れた霧の奥から、新たな魔物の足音が近づいてきた。
今度は俊敏性が売りの肉食獣型モンスター『骸狼』だ。走れない人間など、あいつらにとってはただの動く肉塊でしかない。
だが、俺は激痛に冷や汗を流しながらも、完全に冷え切った目でログの『解除条件』を凝視していた。
【神罰第004号・解除条件:移動速度が制限された状態で、自身の『移動距離』を累計10キロメートル以上記録する】
「なるほど、な……。要するに、この激痛に耐えながら、鈍足のままマラソンしろってクソ仕様(仕様)か」
普通なら、狼に追われながら10キロも歩くなんて不可能ですぐにゲームオーバーだ。
しかし、俺の唇はニヤリと吊り上がっていた。
「おいクソ運営。このシステムの判定、ガバガバすぎるぞ。『自身の移動距離』の定義が、座標の変動値だけで計算されてるなら──俺が自分の足で歩く必要なんて、最初からどこにもねえんだよ」
俺は痛む足を無理やり動かし、目の前にある『大穴』の縁へと這いずる。
狙うのは、大穴の周囲に点在している、先ほど骸鋼百足の巨体が激突してへし折れた『巨大な大樹の丸太』だ。
直径1メートル以上、長さは10メートルを超える巨木。
普通なら人間が動かせる質量ではない。だが、今の俺には、先ほど解放した『魔力操作(初級)』がある。
「練り上げた魔力を、手足の表面に薄くコーティング(固定化)して……よし」
俺はへし折れた丸太の端に両手を突いた。
そして、体内の魔力を一気に解放し、丸太の底面へと流し込む。物理的な筋力ではなく、純粋な魔力の圧力によって、巨大な丸太を大穴に向かってグイと押し出した。
ズズズズズッ……!!
傾斜のついた大穴の縁へ向かって、丸太が滑り出す。
俺はその丸太が完全に落下する直前、重い足を引きずって、丸太の『上』へと傷だらけになりながら這い上がった。
ゴトゴトゴトゴトッ!!
重力に従い、巨大な丸太が底なしの大穴へと滑落していく。
──俺を、その上に乗せたまま。
「な、何をしている下等生物……!? 自ら奈落へ身を投げるなど、狂ったか!?」
天界のクソ神が驚愕の声を上げる。
「狂ってねえよ。これはな、オープンワールドのゲームで誰もがやる『オブジェクト(乗り物)の慣性移動』だわ」
俺は丸太の上に立ち、アイテムボックスを開いた。
取り出したのは、以前手に入れた毒草『火傷草』の粘着質なツルだ。それを丸太の表面と自分の足に巻き付け、落下の衝撃で振り落とされないように肉体を完全固定する。
周囲の景色が、凄まじいスピードで上へと流れていく。
大穴の深さは推定数キロメートル。俺の足は一歩も動いていない。しかし、世界のシステムは、俺の肉体が『超高速で移動している』と認識し、移動距離のカウンターを爆発的な勢いで回し始めていた。
【現在の移動距離:1キロ……3キロ……5キロ……】
「シャアァァァッ!」
崖の上から、獲物を見失った骸狼たちがマヌケに吠える声が遠ざかっていく。
もちろん、このまま底に激突すれば即死だ。
だが、俺には以前手に入れた『動体視力向上(初級)』がある。
落下開始から数十秒。猛スピードで迫り来る大穴の『底』が視界に捉えられた。
激突まで、あと3秒。
「2秒……1秒……今だ!」
俺は『魔力操作』を全開にし、足の裏から丸太の表面に向けて、爆発的な魔力の衝撃波(斥力)を真下へ向けて叩き込んだ。
ドゴォォォンッ!!
丸太が底に激突する直前、俺の身体は反作用によって、丸太から上空へ向かって強く弾き出された。落下のエネルギーを、魔力の爆縮によって相殺してやったのだ。
そのまま、少し盛り上がった腐葉土のクッションの上へと、泥臭く転がり込む。
ドサッ!!
全身に強烈な衝撃が走るが、骨は折れていない。生存確定だ。
それと同時に、脳内に大音量のシステムファンファーレが鳴り響いた。
【現在の移動距離:10・2キロメートル──条件を達成しました】
【神罰第004号『石の足枷』が完全解除されました】
【個体名:切磋拓磨の魂に、神格の剥ぎ取り(逆接続)を実行します】
【解除ボーナス:常時パッシブスキル『瞬歩(初級)』を獲得しました】
瞬間、両足を縛り付けていた鉛のような重さと激痛が、霧散するように消え去った。
それどころか、羽が生えたかのように足が軽くなり、軽く地面を蹴るだけで、前方の景色が後ろへ吹き飛ぶほどの爆発的な推進力が身についていた。
【適用中の神罰:残り96個】
大穴の底の暗闇のなか、天界のモニターの向こうから、「ア、アババババ……ッ!? 歩けという呪いなのに……一歩も歩かずに丸太で自由落下して距離を稼ぐなど……そんな横着が許されてまるかぁぁぁーッ!!」という、クソジジイ神の失禁寸前の悲鳴が響き渡る。
俺は新スキル『瞬歩』の軽快なステップを踏みながら、天を見上げて、これ以上ないほど冷酷に言い放った。
「歩けなんて仕様書には一文字も書いてねえんだよ、無能運営。──さあ、残りのデバフ(ゴミ仕様)、全部まとめて持ってこい」




