第3話:仕様(オブジェクト)の穴を突くのがゲーマーだ
カチカチカチカチッ!
背後から、獲物を追い詰める骸蜘蛛の不快な顎の音が響く。
音が響いているということは、すでに本物の蜘蛛は『1秒前』にその場所にいたということだ。俺の脳は、聴覚のタイムラグから逆算して、迫り来る敵のリアルタイムの座標を完全に割り出していた。
「ここだな」
俺──切磋拓磨は、狙っていた大樹の根元へと滑り込んだ。
そこには、太い巨木の根がまるで天然の檻のように、V字型に固まって地面から突き出している『隙間』があった。
大人が一人、辛うじて通り抜けられるかどうかの幅。
俺はラグによる独特の浮遊感を脳内で無視し、その狭い隙間へと体をねじ込む。
一歩遅れて、視覚のグラフィックが追いつき、俺の体が木の根の隙間に収まった。
直後──ドスンッ!! という激しい衝撃音が、1秒遅れで耳に届いた。
追うことに夢中になっていた骸蜘蛛が、俺の細い体型を基準にした狭いV字の隙間に、その巨体を時速数十キロの猛スピードで突っ込ませたのだ。
「カ、カシャシャシシッ!?」
蜘蛛が短い悲鳴を上げる。
案の定、骸蜘蛛の赤黒く肥大化した腹部が、ガチガチに固まった巨木の根に挟まり、身動きが取れなくなっていた。前脚をどれだけバタつかせても、楔のようにガッチリと挟まった肉体は1ミリも抜けない。
「ハッ、見事にハマったな。どんな鬼畜ゲーでもな、こういう複雑なアセット(地形オブジェクト)の近くには、判定の隙間が存在するもんだ」
天界のモニターの向こうで、クソ神が「……あ? 何が起きた?」とマヌケな声を漏らした気配がした。
ハメ技の完成だ。
敵は完全に拘束され、こちらへの攻撃判定は届かない。一方で、こちらは安全圏から一方的に攻撃を叩き込める。ゲーム攻略における、最も美しく、最も泥臭い勝利のバグ(仕様の穴)。
「さて、クソ運営。デバフ001号の解除条件は『この状態で最弱の魔物を3匹倒す』だったな」
俺は、拾い上げておいた太く頑丈な木の枝を両手で構えた。
狙うのは、木の根の隙間から無防備に飛び出している、蜘蛛の頭部だ。
一呼吸。視覚のラグを頭の中で引き算する。
「──オラッ!!」
バキィンッ! と鈍い音が響く。
一撃。蜘蛛の頭殻がひび割れる。
バキッ! 2撃。3撃。4撃。
どれだけ殴られても、蜘蛛は暴れることしかできない。1秒遅れて肉体のグラフィックがズレる奇妙な視界のなかで、俺は機械的に、冷徹に、一定のリズムで木の枝を振り下ろし続けた。
前世のブラック企業で、終わりの見えない単純データ入力を10時間連続で狂わずにやり遂げた俺だ。安全圏からの定点攻撃(クリック連打)なんて、ただのボーナスステージに過ぎない。
──ピシィッ!
十数発目。ついに骸蜘蛛の頭部が完全に粉砕され、緑色の体液が飛び散った。
蜘蛛の巨体が光の粒子となって霧に溶けていく。
【骸蜘蛛を討伐しました:残り2匹】
脳内にシステムメッセージが響く。
「よし、仕様通りだな。次だ」
俺はすぐに次の獲物を探すため、周囲の茂みを木の枝で叩き、音を立てた。魔力漏出のデバフのせいで、俺の居場所は勝手に周囲の魔物に伝わる。ハメスポットの目の前で音を立てれば、どうなるか。
ガサガサガサッ!
すぐに、匂いと音に釣られた2匹目の骸蜘蛛が姿を現した。
「いらっしゃい、クソゲーのバグへ」
俺は再び木の根の隙間へ陣取る。
突進してくる蜘蛛。タイミングを合わせて体をずらす。ドスン、と挟まる巨体。あとは、ただの作業(クリック連打)だ。
バキッ! バキッ! バキィン!
【骸蜘蛛を討伐しました:残り1匹】
さらに間髪入れず、3匹目がやってくる。
全く同じルートを通り、全く同じ場所で、全く同じように木の根に挟まる。知能の低い初期モンスターは、ハメ技への対策コードを持たない。
最後の1発を、蜘蛛の眉間に全力で叩き込んだ。
ドサリ、と光の粒子が弾け飛ぶ。
その瞬間、真っ赤に染まっていた俺の視界が、一気にパッとクリアな色彩へと反転した。
風の音と、揺れる木の葉の映像が、完全に、ジャストのタイミングで脳へ同期する。
【条件達成:神罰第001号『五感のミスマッチ』が完全解除されました】
【個体名:切磋拓磨の魂に、神格の剥ぎ取り(逆接続)を実行します】
【解除ボーナス:常時パッシブスキル『動体視力向上(初級)』を獲得しました】
「……ああ、視界がよく見える。音が遅れて聞こえないって、こんなに素晴らしいんだな」
俺は自分の両手を強く握りしめた。
五感のラグが消え去っただけではない。獲得したスキルの効果か、飛び交う小さな羽虫の羽ばたきすらも、驚くほどスローモーションでハッキリと視認できるようになっていた。体の奥底から、確かに『力』が湧き上がってくるのを感じる。
【適用中の神罰:残り99個】
天界のモニターの向こうで、クソジジイ神が「ば、馬かな……!? なぜ我が呪いを、初日で、しかもそんな無様な方法で……ッ!?」と、椅子をガタつかせて驚愕している声が、ハッキリと脳裏に伝わってきた。
俺はクリアになった視界のまま、天の向こう側を見据えて、フッと口元を歪めた。
「おい、クソ運営。最初のチュートリアル(初級ステージ)はクリアだ。──次、かかってこいよ。お前の作ったゴミ仕様、全部バグ技で踏み潰してやるからよ」




