5. その穴の向こうにあるものは
心の奥に穴があるんだ。
ずっと埋められないままの。
◇
僕と彼は、学生時代からの親しい友人だった。
同じ理系クラスで、試験の度に成績を競い合っていた。
両親を早く亡くした彼には、身体の弱い二つ年下の妹がいた。
虚弱体質の最たる原因は、生まれつき壊れていた彼女の心臓らしかった。当時、彼ら兄妹は遠縁の家に世話になっていた。
「じゃあ、僕は医学部を目指しているから、心臓外科医になろうかな」
他に成りたいものもなく、かと言って父の仕事を継ぐ気にもならず、彼ともう一人の級友との一位争いだけが楽しみだった僕は、何の気なしにそう言った。
そうしたら彼は頷き、笑った。
「僕は医学より、テクノロジーに興味があるから、そちらの方に進む。そして妹を治す金を稼ぐよ」
もう一人の級友、竜は自信あり気な笑顔を見せる。
「俺は、親父が精神科医だからな。親の跡を継いでおまえの妹を支えてやる」
竜と、彼の妹の沙羅。二人が良い雰囲気になりつつあることは、僕も彼もよく知っていた。
そして僕には、目の前の相手の強い気持ちが、頭の奥に響くという特殊な能力があった。
それが激しくなるとテレパシーというものになるんだろうか。
心を開きっぱなしにすると、相手の強い感情に翻弄されて疲れるから、いつも半分くらい閉じていた。
人は僕の性格を、〝執着しない〟と評した。
そういうわけでもないけれど、ただ、心を開いていると疲れるんだよね。誰とも何もわかちあえていない、空虚さはあるけれど仕方ない。
ただ、僕の能力は医者として患者に接する際は、有利なものになるだろう。
何と言っても、怖がっているとか、不安だとか、目の前にいる相手のいちばん強い感情が自動的に僕に入ってくるのだから。
そして彼からは、〝妹を守りたい〟という気持ちだけが感じられ、そういうものかなと考えていた。
二四世紀のトーキョー。
数百年前の天変地異、そして相次いで起きた戦争で一度壊滅的に破壊された僕らの街は、巨大都市とスラムが併存する混沌の街となっていた。
◇
三人で将来の話をした日から数年。
大学時代に僕が師事した教授の一人は人工心臓移植の権威、宵山教授だった。
最新科学と融合した教授の技術は凄まじく、術後の適合がスムーズにさえ行けば、日常生活や運動も普通にできるようになると保証されていた。
だが、宵山教授の執刀は、莫大な治療費を必要とする。
それは、富裕層しか支払えないと言われるほどだった。
僕の家はそこそこの金持ちで、僕が親から借りて君に貸そうか、という申し出はあえなく断られた。
彼はAI研究に心血を注ぎ、大学時代からベンチャー企業を立ち上げ、それが軌道に乗ってきたから大丈夫と言うのだ。
その頃、国が有能なAI研究者を探していると噂になった。
時期を同じくして、彼女が倒れた。
助かる方法はただひとつ、人工心臓を移植すること。
運良く宵山教授に執刀してもらえることになったと、彼は笑った。
それは、ただ運が良かっただけの出来事だっただろうか?
手術の成功を聞いた翌日、彼だけが消えた。
数日後に妹に届いた、たった一通の手紙を残して。
◇
〝沙羅、幸せを祈ってる〟
手紙には、彼の筆跡でその一言だけが記されていた。
「ムカつくわよね」
手術が終わって数日後、快方に向かっていた彼女はそれを読み、ぽつんと一言呟いた。
「幸せを祈ってる、とか……。私が喜ぶとでも思ったのかしら?」
「俺と、太郎と一緒に手立てを考えるか?」
軽い口調で竜が笑う。竜と沙羅が恋人同士になって数年が経過していた。
「なんで僕が巻き込まれてるのかわからないな」
不満気にもらした僕に、沙羅が言い当てた。
「太郎ちゃんは怒ってるとき、何も話さなくなるのよね」
僕は思わず眼鏡の奥の目を細める。
沙羅は続けた。
「私、回復したら看護学校に戻るわ。卒業できるようにがんばる」
彼女が幸せになることを、彼が望んだからこうなった。僕の内心を見透かすように、彼女は続けた。
「私は、竜と幸せになるわ。そして探すわ」
何を、とは言わなかった。
だが彼女は射抜くように僕を見つめていた。
僕は息を吐く。
「手を尽くすよ」
「そうこなくちゃな」
竜が楽し気に頷く。
彼――沙羅の兄、司がどこにいるのか。
突き止めることで、いや、見つけることで、この胸の穴は埋まるのだろうか?
あの時もっと、何かしてやれることはなかったのか?
司がたった一人でどこかに……おそらく国が探していた研究者として、招かれることを選ぶその前に。
◇
医者としての業務の傍ら、竜と一緒に〝聖域〟のコンピューターに侵入を試みる。
僕たちはもう一つの噂話を、藁をつかむような思いで心の奥に持っていた。
〝聖域〟と呼ばれる国の軍事施設に、ひとりの研究者が招かれた。
そこには、国が探して匿うという名で監禁した多くの異能力者を収容している。
僕の能力ももっと甚だしいものであれば、聖域行きだったのかと思わされた。
そして、金で買われたその研究者は、施設の全コンピューターを一手に握っている、と流布されていた。
彼は金の代わりに自分を聖域に売り、外に出ることはかなわない。
なぜなら、AIを操る自身の能力を、極限まで試してみたいから、と。
◇
ある日、病院から帰宅中、遠くでサイレンが鳴っていた。
雨に消される程度の、でも耳に触る音がうっすらと響き続ける中、帰り着いたアパートの階段脇に、白い何かがうずくまっていた。
最初は大きな野良犬かなにかかと思い近づいた。
でも違った。
白い、少女だった。
脇腹には、訳ありな感じの銃創……血が流れていた。まだ新しい傷だ。
僕の家は富裕層エリアの端にあり、治安は比較的悪くない。時々かっぱらいが出ることもあるが、刃傷沙汰なんて滅多にない。
どういうことだ……?
そして、その子は目立つアルビノ。
髪の色も、肌の色も薄かった。
僕と竜が侵入できた〝聖域〟のシステムは、表層だけ。
聖域内で能力開発をされているという〝異能〟を持つ人々のリストが、最初のフォルダに入っていた。
侵入とも言えないごく簡単なパスワードで見ることができる。まるで刑務所か何かのように、白い服を着て上半身だけ映された顔写真と、番号と名前が入力されただけの一覧表。
「……最近見た子に似てるな……」
僕は思わず呟く。
たしか、田中……サナだったか? 四九番という番号が振られていた。
「医者としても助けないわけにはいかないな」
僕は彼女を抱き上げる。その小さな身体がびくんと震えた。
「ああ、大丈夫だからね」
優しく言うと、安心したようにまた意識を手放したようだった。
その時は、何も感じていなかった。
ただ、司を探す手がかりになると思っただけだ。
でも、まるで猫か何かを拾ったような、その軽さ、その熱さに……実際彼女は発熱していたが、何か胸の奥がつかまれたようになったのは、気のせいだとは思えなかった。
◇
訳ありなアルビノの少女、その脇腹の弾傷を手当てして、そのままベッドに寝かせる。
ちょうど、うちで夕食を取ろうと言って沙羅が来ていた。沙羅の身体と人工心臓はうまく適合し、看護師の資格を取り、竜の父が経営する病院に採用されている。
その後、竜が合流したところで、聖域の職員と思われる男たちが捜索に来た。
彼らを煙に巻き、僕たちは少女をかくまうことにひとまず成功した。
最初は明らかに怯えていた。
聖域に入れられているということは、何らかの異能があるということだろう。だが、僕が微笑むとつられたように仄かに笑う。
小鳥が親鳥についていくみたいだな、と僕は内心で考えていた。彼女の持つ何らかの能力でこちらを攻撃するような雰囲気は、まったく感じられなかったから。
そして、夜はおかゆを食べさせて、翌朝フレンチトーストを作ったら、驚くほど感動していた。その時、ふわっと僕の頭の奥に、響いてきた言葉があった。
〝この人に恩返しする〟
……いや、そんなこと考えなくていいんだ。
僕が君を拾ったことは、司につながるんじゃないかって、かなり打算もあったのだから。
でも、ただ純粋なだけとしか言い様のないその言葉……もしかしたら、この少女のこれまでの人生のつらさを反映しているのかもとは思わせたけれど……を知って、僕はふわりと微笑んでいた。
僕は言った。
「あのさ、サナ。ひとまず、傷を治すことが先決なんだ。この部屋は空き部屋だったし、しばらくはこの部屋で生活したらいいよ」
「……でも、あの、めいわくじゃ」
「僕はロリコンではないし、でも、外科医だから怪我人はほっとけない。治るまではここにいること。約束できる?」
ふと、雨がやみ光が差してきたことに気付いたらしく、サナは窓の方に視線を流した。淡い日光が差し込んでくる。
しばらくの沈黙の後、サナは僕をまっすぐに見た。
そのとき僕の奥に流れ込んできたのは、ありえないほどの安堵と信頼。
彼女は言った。
「約束、する。治るまで、ここにいさせてください」
僕はなぜだかとても嬉しく、微笑んで頷いていた。
自分の感情の流れが不思議だった。
最初はなんでもいいと思ったんだ。
利用できる者はこの子供でも利用しようと。
そしてサナに言ったように、僕はまったくロリータ趣味など無いけれど。
この少女のおびえる様子を見ていると、なぜだか胸が痛んだ。
交錯したこの子供との日々が何になるのか、見ているのも悪くない。
そこで司が見つかるのなら、尚良いだろう。
いつも心に半分蓋をして、その暗い穴の奥を覗き込まないようにしていたけれど。
ほんの一瞬、風が吹いた気がしたんだ。
それはなんだか、かすかな光みたいに感じられた。
Caita SF部・部誌『穴』に寄稿した太郎視点の一編となります。




