図書館→海
ここへ来るのはいつぶりか。静かな館内、足音を吸い込むカーペットに、心地良く感じるキーボードの打鍵音。そしてそびえ立ち、通路を作る本の棚。
陽伽は地元の図書館へとやって来ていた。行こう行こうとしてようやく時間が取れた。
数人の利用者、司書達の視線を全て受けるが、陽伽は気にせず館内を歩く。
目的は自身のこと。その奥深く、自身の血のこと。
この身に流れる人魚の血、それについて調べに来た。その事が、この地元の大規模とは言えない図書館にあるのだろうかは調べてみなければ分からない。
この地域で産まれ育った陽伽だが、自分の両親はどうだろうか。
この血は母から継いだもの。そしてその母も母から。人魚としての血は母方から継いでいる。母の祖先を辿っても、子は女の子しか産まれないらしい。
陽伽は郷土史の棚を調べるが、どこにも人魚のことを書いている本は無い。あるのは山に関すること、狐や狸などだ。
(狐……)
その言葉を口にすることはしない。もし口に出せば、彼女は恐るべき嗅覚で陽伽の前に現れるはず。
今はまだ、彼女と向き合うべきではない。一方的に傷つけられて終わるだけ。
頭を振って陽伽は人魚についての情報を集めを再開する。それからしばらく探すが、陽伽の探しているものは見つからない。
それならどこを探そうかと、とりあえず館内を散策する。伝説や伝承の棚があればいいのだが、以外にも探し出すのに苦労する。
片っ端から探せる広さだが、あまり目立って声をかけられたら嫌だなと思い、検索用のパソコンで調べてみることにした。
とりあえず『人魚』と打ち込むと何冊か候補が出てきた。大半が童話『人魚姫』の本だったが、何冊は陽伽の求めている物があった。その本の場所を確認した陽伽はその棚へ向かった。
「あった」
目的の本を手に取った陽伽は早速席に着いて内容を確認する。二百ページはあるだろうソフトカバーの本で、内容は日本に伝わる人魚伝説のことを書かれていた。
一度時間を確認してから中を読み進める。
内容は主に、八百比丘尼伝説のことだった。
人魚の肉を食べ、不老長寿になった女性の話だ。そして、陽伽が知りたいのはその人魚の肉の部分だ。この言い伝えが本当なら、人魚の血を引く自分の肉も、食べた者を不老長寿にする効果があるはず。不老長寿がどういう原理かは知らないが、それが鳴月の陽に弱い体質を治せるのではと考えた。突拍子もない飛躍した考えだが、そうならないとは限らない。
ただ、やはり伝説は伝説。文献や人魚のことを書かれた木簡などは見つかっているが、確たる証拠は無い。そしてそれ以外にも理由がある。
一番有名といってもいいだろうか、今読んでいる本にも書かれている、秋田県の洲崎遺跡から出土した木簡に人魚が描かれている。鎌倉時代の物と考えられているその木簡には、人の顔に魚の体、そして腕と脚がある人魚の姿が描かれている。陽伽が引っかかったのは、その人魚の絵だ。人魚のイメージといえば、下半身が魚で、上半身は美女というもの。童話や映画などで描かれる人魚はそのような人魚だ。しかし今陽伽が見ている人魚は、化け物や怪物とでも形容した方がいい人魚だ。
人魚の肉を食べ、不老長寿となった八百比丘尼は、いつまでも美しい姿だったと伝えられる。人魚ではなく、人魚の肉を食べた者が美しい。もしかして、自分はその八百比丘尼の血を引いているのかと考える。ただ、八百比丘尼伝説には様々な派生もあり、日本各地に言い伝えがある。半身が魚になっていたのなら、そのことも記されているはず。今陽伽が調べられる範囲では、そのような記述は確認できない。
つまり、自分の人魚の血は日本由来ではないのかもしれない。
陽伽は自らの右足の太腿を撫でる。これこそが、陽伽が人魚の血を引いている証明する物のはず。
(手足があって鱗がある。確かにこの化け物みたいな人魚と私は似ている。でも、性別が分からないし私は凄く美人。この顔の遺伝子があるのなら、私はこんなに美人じゃない)
とりあえず今読んでいる本の挿絵だけは確認する。そこには他の人魚の絵も描かれていた。中にはその時代の美的感覚で美人として描かれているであろう物もあった。ただ、やはり違和感は拭えない。
考えすぎて疲れてきた陽伽は本を閉じて棚へ戻しに行く。
「疲れた……」
図書館を出て、海を目指して歩く。
雨こそ降っていないが空はどんよりとした曇り空。気温も夏に向かって上がりはじめ、湿度が高くて汗をかいてしまう。すぐに家へ帰るべきかとも考えたが、この梅雨の時期に雨が降っていないのなら、少し海を眺めて帰りたかった。
汗を流しながらも歩き、綺麗とは言えない海に辿り着く。これが晴れていれば、海は太陽の光を反射して輝いて見えていただろうに。
「波の音。やっぱり心地良い」
最近は来られなかった海。後輩との楽しい時間と場所を作ってそっちに浸っていたから。
「でも、どっちも好き。みんなで、海に来たい。でも、時期を考えないと鳴月は難しいかな」
好きな場所で、楽しい時間を、みんなと過ごす。その願いが叶えばいいのに。
今思えばあの時、初めて鳴月と佳と出会った時こそ、今の陽伽が願った時だった。
陽伽は波打ち際まで歩み寄る。そしてそこから波打ち際に沿って歩いて行く。湿った砂浜に足跡をつけて、振り返る。
一人分の足跡が残っているだけの砂浜。目を閉じると浮かび上がるのは三人分の足跡。鳴月と佳、初めてできた大切な人達。
目を開けると、陽伽は自分の手が震えていることに気がついた。
波のような髪の毛を掻き集めて口元を隠す。
(大丈夫……)
数回の深呼吸をして再び目を閉じるが、さっき見えた三人分の足跡は見えない。波に消された訳ではない、初めから存在していなかったかのように。いや、そう考えるのが罪だと言われているような、その光景を想像しようとすると心が抉られるような感覚がする。
「帰る」
好きな場所で、願った願いが、好きな場所にいられなくなる呪いに変わる。かつて言われたあの一言が、あんな言葉一つが、自分を苦しめる呪いとして、未だに陽伽を傷つけ続ける。呪いが呪いを呼ぶ。言葉は魔法のように人を救い、助けることもあるし、人を呪い、傷つけることもできる。
海の宝石のような青い瞳が伏せられる。それを見る者は、誰もいない。




