029話 冬の寒空の下で
西暦2072年12月某日。
冷たい風が頬を撫でた。季節はもう冬になる。
今にも雪が降りだしそうな寒さだ。
真っ黒いペンキで塗り潰したような冷たい空を、月だけが黄金の光で地上を照らし、その存在を強く主張していた。
御園学園で、神崎(日向)流斗と宝条院椿姫が引き起こしたあの激戦から、すでに三か月以上が経過している。その後のクラス代表戦では、流斗のサポートもあり、椿姫は難なく二年生の部で優勝を果たした。
そして、椿姫は学年代表として一年生の学年代表者と戦い、実力の差を見せつけて勝ち上がり、見事決勝戦まで進んだ。
しかし、その最終戦で、三年生代表にして、御園学園中等部現徒会長に敗北を喫した。
椿姫は生徒会長に負けはしたものの、その戦いは非常に拮抗しており、生徒会長も椿姫の実力を高く評価していた。おそらく来年の生徒会長は宝条院椿姫となることだろう。
◇ ◇ ◇
――――――現在。
流斗は神崎家の大きな門の前で、真っ黒い戦闘服に身を包み、静かに立っていた。
闇夜の中にその格好でいると、その場の情景に紛れ込んで、はっきりと姿が見えない。
流斗の隣には、彼の義姉である遥も黒っぽい高校の制服姿で並んでいる。
真っ黒な戦闘服は、過去の椿姫との戦いでコートの裾が裂けて焦げ、あちこち痛んでいた。流斗はこのほうが使い古した感があってしっくりくる、と思うことでなんとかこの惨状を誤魔化している。そろそろ姉さんにおねだりして新しく作ってもらおうかと画策中だ。
「じゃあ流斗、もう一度だけ言うわね」
こちらの顔の横から、遥が確認するように声をかけてきた。
「今回、私に緊急の依頼が入って、本来受けていた依頼をこなせなくなってしまった。その本来の依頼とは、政府の目を盗んだ、違法な奴隷の売買をしている者の、粛清と拘束」
「……ああ、今の日本では、政府公認で奴隷の売買なんてものが行われている。だが、そこにもルールがあり、それを破ったものは犯罪者となる、だっけ?」
「そう。でもそのルール自体も曖昧で、要は政府の利益になるものは許可され、それ以外のものが犯罪と見なされているのだけどね」
「まったく、六十年前の人類が聞いたら呆れる制度だぜ。相変わらず上層部は腐ってやがるな。それに加担している奴等も皆同類だ。いつか裁きを下さなければならない」
「それを言ったら、軍属である私たちもその加担者になってしまうのだけどね」
やはり悪魔の襲撃が世界に及ぼした悲劇は大きい。この世界は酷く歪んでいる。
「大人しく政府の命令に従うのは癪だが、奴隷商人に捕まっている人たちを見捨てるわけにもいかないな。今回は奴隷を売り買いする側ではなく、助ける側だ。そしてその許可も下りている。であれば、なんの愁いもなく、無辜な彼等を救うことができる」
「だから、流斗一人でなんて少し不安なのだけど、あなたにこの依頼を任せてもいいかしら?」
遥が小首を傾げながら心配そうに尋ねてくる。
依頼が成功するかどうかが不安なのではなく、自分のことを心配してくれているのは、その慈愛に満ちた目を見ればすぐに分かった。いついかなるときも優しい姉である。
「任せてくれ。俺に頼ってくれた姉さんのためにも、依頼は必ず遂行する」
「気を付けるのよ、この依頼にはまだ何か裏がある。今回の依頼は一人でこなすには少し荷が重いかもしれない。ピンチになったら迷わず離脱して。命大事に行きましょう」
「……分かった。でも姉さんのほうこそ気を付けてくれ。緊急の依頼ってことは、かなり切羽詰っているんだろ?」
「うん。《中将》である父さんにも召集がかかっているみたいだし、ちょ~っとばかり大変そう。まったく、面倒だわ」
「はぁ」とため息を吐きながら、遥が気怠そうに笑った。
だが、遥の余裕そうな顔を見ていると安心できる。
彼女の鈴を転がすような声を聞くと心が落ち着く。
遥のことを思い浮かべるだけで、流斗の世界は色鮮やかに輝いていく。
やがて、二人は絶妙なタイミングで互いの目を合わせ、その拳を軽くぶつけ合った。
「よしっ! じゃあ、また後で会いましょう、流斗」
「ああ、こっちは任せてくれ、姉さん」
そう言い残して、遥は流斗の元を速やかに去った。
流斗は自らも遥に渡された携帯端末で目的地を確認しながら移動を始める。
ここ数ヶ月でいろんな人に出会い、流斗は成長してきた。
神崎遥、神崎士道、立花香織、灰原弾、武藤相馬、宝条院椿姫、その他大勢の人たちと関わることで、流斗は変わることができたのだ。
「俺は生きる理由を見つけた。やっと自分の存在を肯定することができた」
流斗の今の『夢』は、遥と二人で少しでもこの世界を良くすることだ。まだまだこの世界は、過去の流斗のように悲惨な運命を背負う人たちで溢れている。それを今度は流斗が救うのだ。世界を良くしていこうと思う、同じ志を持った武藤相馬という友達もいる。
だから、これからこの世界はもっと良くなっていくはずだ。
「俺の力にも何か意味があるのかもしれない。この力で姉さんを守れるのなら、俺は――」
絶望が溢れたこの世界で、少年と少女は愛を求めて生き続ける。
「……姉さん、俺はあなたを守る。ずっと、永遠に。たとえこの命が尽きたとしても……守りたい大切なあなたがいなければ、俺はひとりぼっちの世界を彷徨うだけだから」
流斗は遥を心の底から愛することによって、自らの価値をようやく見出した。
彼女と一緒ならどこまでもいける、流斗はそんな気がしていた。
しかし、それでもこの世に永遠なんてものは存在しない。何事にも終わりがある。
どんなに大切なものも、どんなに大切な時間も、いつかは終わってしまうのだ。
そのときが確実に近づいていることを、彼が知る由などなかった。
◇ ◇ ◇
郊外を抜けて森の中に入った流斗は、奴隷売買が行われている場所を鋭く見据える。
その瞳は暗殺者独特のもので、光のない闇夜でも遥か遠くを見渡すことが可能だ。
「ふん……奴隷か。気に食わないな」
昔、日向家に仕えてくれていた使用人も元は奴隷で、流斗の父である日向陣が連れてきた人間だ。だから、流斗には奴隷に関して思うところがあった。
いつか彼等を救いたいと思っていた。ずっと理不尽に虐げられている人間を憐れんでいた。日向家に仕えてくれていた彼女は、とても優しく美しい人だった。救いたい。
そのチャンスが思っても見ない形で訪れたというわけだ。
俄然やる気も湧いてくる。
静まり返った森の陰で黙祷を捧げた。
今まで出会ってきたすべての人に感謝を込めて。
「姉さん……この依頼、必ず成功させます。救いを求めている人のためにも! あなたのためにも! そして俺自身が一つのけじめをつけるために……!」
流斗は薄暗い森の中を、漆黒のコートに身を包んで駆け出した。
第二部、開幕!




