027話 『わたし』を助けて
ここにいるのは、神崎流斗と宝条院椿姫。二人だけだ。
早く暴走した椿姫を助けなければ、魔力が枯渇して、やがて死に至るだろう。その過程は緩やかで、この世で五つの指には数えられるほど苦しい死因と言われている。
「俺はあいつを殺すために戦っていたんじゃない。あいつの力になるために戦っていたんだ。あいつのことを理解したくて。だから、俺が……あいつを助ける!」
流斗は地面から上がっている火柱を避けながら、空中にいる椿姫の元へと近づいていく。
すると、宙に浮かぶ椿姫がゆっくりと振り返った。
「あなた……まだ、いましたの? もう、わたくしにはどうすることもできない。このまま魔力が枯渇して、生命力を吸い取られて、わたくしはここで死ぬのですわ。もうその結末からは逃れられない。先輩や教員の救助も間に合わないでしょう。自分の魔術で死ぬなんて無様な姿、誰にも見られたくありません。……あなたもここにいたら巻き込まれますわよ。早くお逃げなさいな。こんなことをしでかしておいて言えることではないけれど、できれば犠牲は少ないほうがいいですもの。死ぬのはわたくし一人で十分ですわ」
椿姫の目に希望はなく、その顔は、もはや生きるのを諦めていた。
「大丈夫だ。俺がお前を救ってやる」
「まだ、そんな戯言を……わたくしは、もう……」
椿姫の体が壊れたロボットの様にギシギシと音を立て、左右の手のひらを流斗に向ける。
「……あっ、危ない! 避けて!」
椿姫の悲鳴と共に、彼女の意思とは無関係に、高威力の炎弾が高速で流斗に放たれた。
「――《神経二重加速》ッ!」
全身に重い負荷がかかり、脳が痺れる感覚。流斗の運動能力、反射神経、動体視力、思考力、判断力等が、通常の四十倍にまで一気に跳ね上がる。
流斗の目には世界が緩やかに映った。全身がビリビリと痺れるような熱を帯びる。
炎弾を悠々と躱しながら椿姫へと近づき、流斗は頭上を見上げて何食わぬ顔で言った。
「お前は俺が助けてやる。だから、安心して大人しくそこで見ていろ」
「なんで……なんで! そうまでして、なんの関係もない、わたくしを助けてくれようとするの? こんな変な男は初めて見ましたわ。もう、わたくしには、あなたのことがわからない。理解不能よ。全然、これっぽっちもわかりませんわ!」
流斗は炎弾を最小限の動きで避けながら、椿姫との距離をゆっくりと埋めていく。
それはただ肉体の距離を詰めるというよりも、心の間隔を近づけようとしているようで。
「そんなもんだろ。俺もお前のこと、半分もわかっちゃいねぇよ。所詮、自分以外の人間なんて、どこまでいっても他人だ。完全に理解し合うことなんてありえない」
「だったら、なぜ?」
「一部の例外を除いてな。俺と姉さんは二人で一人。完全に一体化している。その絆に不可能はない。とはいえ、他の人間とそういう関係になりたいなんて、俺はまったく思っちゃいない。だからな、その一部の例外っていうのは、そう――友達ってやつだと思うぜ」
「……とも……だち。……わたくしに、友達……」
(俺は、あのとき姉さんに助けてもらって救われた。宝条院椿姫、お前は姉さんに助けてもらう前の俺と同じだ。俺は……お前を助けたい……力になりたい)
「だから大切なのは、誰かが困っているとき、そいつの側にいて支えてやることだ。俺はそう思うよ。それが自分の好きな相手ならなおさらな」
流斗の言葉に椿姫がうつむいた。そして、ぽつりぽつりと呟く。
「わたくしは……本当は一人で辛くて、ずっと誰かに助けてもらいたかった。でも、誰かに助けてもらうことは、その人の重荷になる。だから、わたくしは強くなりたかった! 誰かの手を借りなくてもいいように。そして有名になって、死んでしまったお父様の名前を世間に知らしめたかった! でも……一人は寂しい。一人は辛い。一人は冷たい……」
椿姫が言葉の途中で顔を上げる。その目には溢れんばかりの大粒の涙が浮かんでいた。
「だから、誰かにずっと助けてもらいたかった。誰かに支えてほしかった。誰かに側にいてほしかった。わたくしだけのヒーローを待ち焦がれていた。ずっと、わたくしは……」
「そうか。だったら、この場で俺がかける言葉は一つだけだな」
「……『流斗』……お願い! わたくしじゃない、『わたし』を助けて……っ!」
椿姫が顔を歪めて泣きながら漏らした、初めて誰かに助けを求める言葉。
それを流斗はしっかりと心で受け止めた。取りこぼさないように。
「了解。その言葉、しかとこの胸に刻んだぜ。待ってろ、今……助けてやる!」
流斗は地面を強く蹴りつけ、急激に飛躍した運動能力で一気に椿姫の頭上まで跳躍する。
その動きを、椿姫の目は追うことができなかった。
あまりにも速く動いた流斗の体は、焼け焦げたコートの黒い残滓を残して天を舞う。
しかし、椿姫の手のひらが勝手に圧縮した風で壁を生み出し、流斗を拒んだ。
「へぇ、自動防御ってやつか。人様の身体を使っておいて、生意気な野郎だぜ」
「なっ……なんで!? また、体が……勝手に」
それは暴走した魔力が無意識に、椿姫の体を守ろうとしたのだろう。
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
流斗は空中で右脚部を《硬化》させながら一回転し、風壁に強烈な踵落としをぶち込む。
「――乾坤一擲! この壁を壊して――絶対にお前を助け出すッ!」
分厚く強固な風の壁と、鉄槌の如く打ち下ろされた踵落としが天空で激突。
「まだだ……もっと硬く! もっと強く!! ここですべてを出し切る!」
生来の細い《魔力神経》から、ありったけの体内魔力を右脚部の《硬化》に注ぎ込む。
幾重にも束ねられた絶大な硬度を誇る風壁と、己の魔力すべてを絞り出した強靭な剛脚が鬩ぎ合い、落雷のような轟音を宙にまき散らす。二人の間に漂う熱風が消し飛んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ! ――ぶち抜けェェェッ!!」
獣のような唸り声とともに、鋼のような流斗の右足が風壁の中央を抉る。
「俺が……お前の世界に――光を差し込んでやる!」
全力全開、すべての力を込めた猛撃を受けて、風の壁は吹き飛び霧散した。
ビキビキと音を立てて風壁が壊れ、流斗の体は椿姫と一緒に落下する。
空中で椿姫を両腕で受け止めて胸に抱えたまま、流斗は地面に着地した。
「ッ……! くっ、あ、あががぁ! あ、熱い!」
椿姫の体は魔術の影響で発熱していた。制服もあちこちボロボロに破けて可愛らしいピンク色の下着が覗いており、髪を束ねていた白いリボンも焼け落ちてしまっている。
両腕を熱で焦がしながらも、流斗は椿姫の体をゆっくりと優しく地に下ろして尋ねる。
「……大丈夫か?」
「は、はい。でも、あなたが……」
流斗の体は、椿姫との戦いでところどころ焼けてただれており、その身には今もなお火がついて燃えていた。生まれつき《魔力神経》が細く、魔術の才能もない、肉体強化魔術以外に取り得がない流斗は、ろくに《魔力障壁》を張ることもできないのだ。
「これぐらい……大丈夫だ。まぁ、家庭の事情ってやつ?」
「い、一体どんな家庭の事情ですの!?」
流斗は体の火を手で払って消しながら、椿姫に心配させまいとおどけてみせる。
彼女からは、まだ熱風が発せられている。しかし、椿姫自身にはダメージはないようだ。
(彼女の体には、火傷の跡もない……よかった……女の体を傷付けるわけにはいかない)
椿姫の体とは対称に、流斗の体はコートの下で黒々と焼け焦げていた。全身がヒリヒリと焼けるように痛む。おそらく、一生火傷の跡が残るだろう。
でも、それは椿姫が知らなくてもいいことだ。自分が墓まで隠し通せば済む。
流斗は椿姫の目の前に立った。慌てて彼女が両手を突き出して、流斗のことを拒む。
「ちょ、あなたっ! これ以上わたくしに近づいたら、また燃えますわよ!」
「いいんだ、別に」
流斗は自分の体が燃えることもいとわず、椿姫の儚げな体を優しく抱きしめた。
「俺が嫌いならそれでもいい。それでも俺は……お前を助けたい」
疲弊しきった流斗は、崩れ落ちそうな膝を奮い立たせて、椿姫の耳元で囁いた。
「……べ、別に、嫌いではありませんわ」
なぜか椿姫が頬を染めて焦った様子で言う。
「そうか、よかった。今までよく一人で頑張ったな。もう……休んでもいいんだ」
「……………………はい」
流斗は椿姫の首筋に手刀を打ち込み、彼女の意識を絶った。完全に意識を失えば、魔術が暴走することはない。椿姫の体から発生している熱も、じきに収まるだろう。
「姉さん……今度は、俺がこいつを救ったよ。俺も、誰かのために生きることができるんだ。誰かを助けることができるんだ……」
辺りを見渡すと、もう観客席にも生徒は残っていなかった。相馬や弾のおかげで無事に脱出できたのだろう。これで自分の役目は果たした。だから、もういいよな。
荒れ果てた予備アリーナの中央で、流斗は椿姫の体を支えたまま、静かに気を失った。




