015話 姉が最強なだけで弟も十分強い
格闘場の隅にある、四方十メートル程の闘技用マットの上で、流斗と弾は互いに戦闘準備をしていた。
弾の陣営には、彼の取り巻きのチンピラみたいな格好をした生徒たちが。
流斗の陣営には、なぜか武藤相馬がいた。
「おい、お前。なんでこっちにいるんだよ」
相馬に話しかけながらも、流斗は念入りに体をほぐしていく。
「君一人だと不憫だろ。それに、僕が興味を持っているのは君だからね」
「チッ、気持ち悪いやつだな。好きにしろ」
流斗は相馬に言われた、死の匂いがするという言葉の意味と、相馬と遥の関係が気になっていた。だが、今はとりあえずこの学園でナンバーファイブに入るという、灰原との戦いに集中しなければならない。
「オイ、準備はいいか? オレはいつでもいけるぜ」
弾のスタイルは裸足にボクシングパンツ、上半身は裸で体格の良さが際立っていた。
「こっちも構わない。さっさと始めよう」
流斗のスタイルは裸足にカンフーパンツ、上半身には袖のない空手の道着を着ていた。
二人は闘技用のマット中央に寄る。
「グローブはつけないのか? それに俺は素足でやるが、お前はボクシングシューズを履いてもいいんだぜ?」
「オレをただのボクサーと一緒にすんじゃねぇよ。オレがやってんのはルール無用の裏ボクシングだ」
「なるほど、乱暴者のお前にはピッタリってわけか」
と流斗は冷めた目で弾を見る。
「テメエ! オレを前にしてその態度、相当肝が据わっているじゃねぇかァ!」
弾は青筋を立てて流斗を睨みつけてくる。簡単に挑発に乗ってくる単純なやつだ。
「つまり、今回の戦いに細かいルールはなしだ。お前も好きなようにやればいい」
「いいのか? 俺が使うのは空手だけじゃないぞ」
「それはオレも同じことだ。ルールは単純! 相手を気絶させるか降参させれば、そこで試合終了だ」
弾は自信ありげにマット中央から去った。
流斗も首を軽く鳴らしながら、マットの端に移動する。
「じゃあ、僕が試合開始の合図をするよ」
いつの間にかマット中央に来ていた相馬の提案に、マット両端にいる流斗と弾は無言でうなずく。周りには人だかりができていた。多少は有名な弾と、初めて見る流斗の戦いに興味があるのだろう。両者の集中力が高まるにつれ、ギャラリーも静かになっていく。
神崎流斗と灰原弾。互いの視線が交差した瞬間、相馬の声が地下闘技場に響き渡った。
「――――試合開始!!」
両者一斉に勢いよく飛び出し、マット中央で駆け引きが始まった。
互いに相手の隙を見つけようと探り合う。
流斗は弾のことを筋肉の付き方から、彼をインファイターだと見抜いていた。
弾の身長は流斗よりも十五センチくらい高く、手足のリーチにも差がある。
(しかし、所詮はボクサーだ。ボクシングにない技には、咄嗟に反応できないはず……)
流斗は弾に接近して、上段と中段に二連突きを放った。弾はその上段突きを首の動きだけで躱し、中段突きは一歩下がることで難なく避ける。
しかし、弾が一歩下がったところに流斗は右上段蹴りを続けて放った。弾がそれを左腕で頭をガードする。だが、流斗は蹴った勢いを利用し、左腕を引手にして鋭い右掌打を繰り出した。
それを弾がボクシングの《スウェー》を使い、上体を後ろへ反らせることによってギリギリで躱した。さらに流斗は弾の下がった上体を狙って左後ろ回し蹴りを放つ。体を旋回させながら脚部を回し込んで放った踵が、弾の左頭部を捉えた。
「ハアアアッ!」
だがその直前に、弾の左手が流斗の蹴りをガシッと掴んだ。
流斗の顔が驚きの表情を浮かべた瞬間――弾が高身長から振り下ろすように右ストレートを放ち、流斗の後頭部を捉えて鈍い音を響かせる。
流斗の体は螺旋を描いて派手に吹き飛んだ。
「しゃあああああああああぁぁぁあッ!」
弾が両手を掲げ、雄叫びを上げた。
この間、わずかに五秒。
周りのギャラリーから歓声が沸くと同時に、流斗のあっけない幕引きにため息を漏らす者もいる。
「一瞬でケリがついちまったなァ。オレをただのボクサーだと思って舐めてかかったことがテメェの敗因だ。言っただろう? オレのは裏ボクシングだって」
弾はうつ伏せで倒れている流斗を見下ろして、ご満悦な様子で語る。
「もうこれで試合終了だ。お前は試合開始前のオレに、グローブはつけないのか? と訊いたな。いざというとき、グローブなんてつけている奴はいねぇんだよ! オレは実戦に備えて、ボクシングに加え空手の鍛錬も積み、拳を硬く鍛えている。それを後頭部にもらえば終わりだ。空手の鍛錬のおかげで、お前のちょこまかした蹴りにも対応できた。この学園には、そういうハイブリッドなファイターも少なからず存在しているんだよ」
少しも反応を示さない流斗に、弾は大きくため息をついて体を翻す。
「チッ、期待外れだったぜ」
その声に、ようやく流斗が反応を示した。
「――待てよ。まだ勝負はついてないぜ」
弾が振り返ると、三半規管へのダメージで平衡感覚を失いおぼつかない足取りではあるが、流斗は確かに立っていた。
「お前……後頭部にあの一撃をもらってまだ立てんのか!?」
「一発まぐれで入れたぐらいで、調子に乗るんじゃねぇよ……」
「……ッ! やるじゃねぇか……。思った以上に楽しませてくれるぜ!」
今度は弾から流斗に接近する。
「《散弾・リバーブロー》!」
弾の左右の拳が次々と流斗の体を襲う。
流斗はそれを必要最低限の動きでゆらゆらと避け続ける。その動き、流水の如く。
弾は曲線的な動きを伴うフックやアッパーが当たらないとみると、キレのあるジャブを放った。だが、それを流斗は上体を後ろへそらすことによって紙一重で躱す。
なかなか拳が当たらないことに痺れを切らした弾が、勢いよく振りかぶって威力のある右ストレートを放った。
「《ジェットハンマー》!」
「《交差炎底》」
火の出るような一撃。張り手に近い、手のひらの手首付近で相手を攻撃する技。流斗は弾の右ストレートに合わせて、その右ストレートの外側から左掌打を放つ。
両者の腕が交差して互いの打撃が、相手の身を砕こうと迫る。
流斗は首の動きのみで弾の右ストレートを避けた。弾も流斗の左掌打が当たる寸前で冷静さを取り戻し、上体を僅かに反らすことで顎先を掠めるにとどめる。
「……テメエ、今の動き……ボクシングか?」
「気づいたか。まぁ、自己流だけどな」
「確かに、お前の動きはボクサーのそれだった。オレのジャブを躱した動きは《スウェー》。さっきの交差技は、ボクシングでいうところの《クロスカウンター》に類似している。だが、カウンターには大きなリスクが付き物だ。そのプレッシャーを跳ね除け、迷わず拳を放つ強靭な精神力、驚嘆に値するぜ。さてはお前、オレに後頭部の打撃をもらったときも、咄嗟に首を殴られる方向にひねって衝撃を緩和していやがったな。そいつはボクシングの高等技術、《スリッピングアウェー》だぜ」
弾が顔を歪めながら、驚いた声で言った。
「さすがは本物のボクサー。そこまで気づいたか。だが、俺はお前の鈍間なブローを避けている間に、だいぶ状態が元に戻ったぜ」
「……クソが! なら完全に回復する前に勝負を決めてやるよ!」
弾は全身の筋肉を引き締め、再度流斗に接近。そして大技に打って出る。
「《コークスクリュー・ブロー》ォォ!」
「《正貫突き》!」
弾の手首を内側に捻り込んだ左ストレートに合わせて、流斗は力強い正拳を放つ。
互いの拳が激突。マット中央で強烈な音を響かせる。
「クソがあああああッ! 倒れろ! 神崎流斗!」
「《赤手腕刀打ち》」
弾の右ハイキックに合わせて、流斗は右腕全体を刀のように振るい、弾の蹴りに打ちつけまたも相殺する。互いの激しい技の打ち合いが、闘技場に爆音をもたらした。
「らあああああああああぁぁぁぁァ!!」
弾は雄叫びを上げながら体全体を大きくねじり、その回転を伴った右の剛腕を流斗に向けて繰り出してくる。
「コォォ……《剛硬鎧》」
特殊な呼吸法で『気血』を腹部に高速で巡らせ、流斗はその攻撃に対してノーガードで拳をもらった。丸太が腹に突き刺さるような衝撃が全身を襲う。弾がようやく拳を当てたことに愉悦の表情を浮かべるのに対し、流斗の表情は垂れた長い前髪で見えない。だが――
「……響かねぇぞ、灰原ァ!」
流斗は前蹴りで弾を後方に勢いよく弾き飛ばした。
「ごほっ、う、えっ……? なん、で?……効いてねェのか?」
弾の口から思わず疑問が漏れた。
「お前がどういう拳の鍛え方をしたのか知らないが、俺にはまったく効かないな。俺は幼少の頃から特殊な筋肉の付け方をしてきた。骨を折って無理やり強化し、体全身を熱した砂に叩き付け皮膚を硬くする。腹筋や内臓にまで、激しい刺激を与えて鍛えてあるんだよ。つまり、お前が最初に攻撃を決めた、後頭部が唯一の弱点だったってわけだ」
流斗は自分の後頭部をトントンと指で示しながら語った。
「お前……一体、何者だ?」
弾は再び戦闘態勢を取ったところで、自分から仕掛けたはずの打撃で両拳が鉄を殴ったように痺れていることに気づいた。
よく見ると、拳の皮が少し裂けて血が滲んでいる。痛みで上手く動かせない。
「お前の底はすでに見えた。……これで決めるぞ!」
今度は流斗が勢いよく弾に迫る。弾は後退しようとしたが、流斗にハイキックした右足も痺れていて、咄嗟に後ろへ下がることができなかった。
「《貼山靠》!」
流斗は右腕を内側に押し込んで、右肩と背面部を弾にぶつける。
弾は衝撃を少しでも抑えようとして後方に逃れようとするが、流斗が右足で弾の足を踏みつけて固定しており、上手く逃げることができず全衝撃が弾の体を襲った。
「《山突き》!」
流れるように、流斗の両拳が上段と中段を同時に狙う。山のように弧を描いて迫る上段突きを、弾はとっさにガードしたが、中段を狙った拳の対応が疎かになり、腹部に深く突き刺ささる。流斗は《山突き》を受けて上体の浮いた弾の足を払い、マットに叩きつけた。
弾はなんとか受け身を取ったあと、すぐに起き上がろうとした。
しかし、弾は両目を開けたまま壊れた人形のように動かない。
否、正確に言えば、彼は身動き一つできなかった。
なぜなら、弾の両目の前には、流斗の指がピタリと据えてあったからだ。
「《二本貫手・眼球潰し》」
流斗は二本の右指でハサミの形を作り、弾の二つの眼球の前に固定していた。
「……降参しろ。お前の負けだ」
流斗がちょっとでも指を動かせば、弾の両目からは永久に光が失われる。
「クソッ、しゃーねぇな。オレの負けだ」
弾の降参を受けて、流斗はスッと目潰しをどけた。
その瞬間、今まで息を詰めて試合を見守っていたギャラリーから大きな歓声が沸く。
「あの灰原に勝ったぞ!」
「変わった技だな……」
「あいつ、どこの誰だ?」
などと、様々な声が行き交い、騒ぎが格闘場全体にまで広がる。
「……マズイな、少し目立ち過ぎた」
流斗は弾に後頭部を打ちつけられたときから、すっかりギャラリーの存在を忘れていた。
今頃になって、勝利の余韻ではなく、自分の正体がばれるかもしれないという焦りが流斗を襲う。
「おい、お前。やるじゃねぇか! オレのダチになれよ」
ギャラリーの歓声に戸惑う流斗に対し、起き上がった弾が肩を組んできた。
「灰原……お前、さっきまでケンカ腰だったのに、急に馴れ馴れしい奴だな」
「オレは、自分より強い奴には敬意を持って接するタイプだぜ。……あ、あとオレのことは弾って呼んでくれ。オレはお前のこと相棒って呼ぶからよ」
「誰が相棒だ! いいから離れろ!」
流斗は鬱陶しそうに弾の腕を払う。
「つれねぇなぁ……オレを倒せる奴なんて、この学年では、お前を除いて一人しかいないと思うぜ」
弾がドヤ顔で胸を張って言う。
「その一人っていうのは、どれぐらい強いんだよ?」
「ンなもん、本人に訊いてくれよ」
そう言って、弾が指をさす先には、真剣な顔付きをした相馬がいた。
「いやぁ、いい試合だったね。二人ともお疲れ様。それにしても神崎君、最後の目潰しには殺気がこもっていたね。怖いなぁ。この戦いで、君の危険度は僕の中で増したよ」
「武藤! お前……」
「次は、僕とも戦ってくれないかな?」
相馬が爽やかな笑みを浮かべて言う。だが、その目の奥は笑っていない。




