012話 学び舎の若人
目的の教室までたどり着くと、扉を横に引いて中に入る。教室の端にある椅子には、二十代半ばくらいの、外向きに勢いよく跳ねた短髪で、活気のありそうな女が座っていた。
「来たわね。私は桐生茜よ。これから君が所属することになる二年四組の担任教師をしているわ。歳は今年で『二十七歳』よ」
自分の担任になるという茜が自己紹介をしてきた。
なぜか最後の二十七歳というところをやけに強調してきた気がする。
もうすぐ三十路になることを気にしているのだろうか。
「俺は神崎流斗です。よろしくお願いします」
『日向』ではなく『神崎』。そう名乗った。それが自分の新たな名前。
流斗は昨日、すでに新たな人生の第一歩を踏み出しているのだ。
「よろしくね、流斗君。目付きは悪いし、どこか影があるけど、うん。見た目はなかなかいいじゃない」
茜の目が獲物を捕らえた肉食獣のそれになっているのは、気のせいだろうか。
茜は流斗の手を取って握手をしたあと、手を握ったまま部屋から出て、二年四組のある教室へと手を引いて向かう。その言動に、流斗は微かに身の危険を感じていた。
(こいつ、まさかとは思うが、俺を異性として見ているんじゃないよな? 十歳以上歳の離れた子供を狙うなんて、切羽詰まりすぎだろ……。先生、どれだけモテないんだよ)
「ところで流斗君。さっき、この近くの廊下で、魔術を使用した乱闘騒ぎがあったみたいなんだけど、何か知ってる?」
突如振られた話題が、思いっきり自分に関係のあることで、流斗は少し焦った。
その焦りが、握った手のひらを通して茜に伝わることを恐れる。
「……いや、知りません」
「そう。ならいいんだけど。あんまり魔術を使って勝手に暴れられても困るのよね~」
茜の顔は笑っているように見えて、どこかぎこちなく見える。まるで他の感情を必死に押し隠しているような。
「ははっ、確かにそれは困りますね」
流斗もその場は苦笑いでうなずいておいた。
◇ ◇ ◇
少し話をしていると、すぐに目的の教室にたどり着いた。
教室の中からは騒がしい話し声が聞こえている。
「じゃあ、先生は先に入ってちょっと君の紹介をしてくるから、ここで待っていてね」
「はい」
「それで、私が呼んだら入ってきて自己紹介よろしく」
「わかりました」
廊下に流斗を残して、茜が教室に入っていく。流斗は廊下で一人考える。
「自己紹介、ねぇ……」
流斗の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
「ここの生徒のレベル、少し試させてもらうか」
騒がしかった教室は、茜が入るとすぐに静かになった。
教師がいいのか、それとも生徒が真面目なのか、それは流斗にはわからない。
静寂に包まれた教室からは、茜の話し声だけが聞こえている。
おそらく、『今日は転校生がいます』とでも説明しているのだろう。流斗がまだ学校に通っていた頃、自分の通う小学校でも稀にそういうことはあった。
「神崎君、入ってきてー」
茜が教室に入ってから思いのほかすぐに呼ばれた。
流斗は平然と扉を開けて教室に入る。教室には三十名ほどの生徒がいて、教壇には茜が立っていた。生徒たちの視線は、一斉に転校生である流斗へと向けられる。
その生徒たち一人一人に対し、各々に明確な殺害のビジョンを持って、流斗は禍々しい殺気を放った。ほとんどの生徒が流斗から一瞬目をそらし、体をビクッと震えさせる。
例え一般人であっても、体が自然に生命の危険を察知し、多少の反応が起きるものだ。
そんな中、わずか数名が、放たれた殺気を流斗のものだと明確に認知した反応を示す。
まず、一番後ろの窓際の席に座っている生徒。
くすんだ金髪を逆立て、学ランのズボンの上にワイシャツではなく紫色のアロハシャツを着用し、首から銀色の鎖のようなネックレスを下げた、チンピラのような出で立ちをした少年。
その少年が、立ち上がりざまに真っ直ぐこちらを睨んできた。
離れてはいるが、流斗の身長では立ち上がった少年を見上げなければならないことが明確にわかるほど背が高く、筋肉質な体型も相まって威圧的な雰囲気を放っている。
しかし、その少年は立ち上がったあと何をするでもなく席に着いた。
次に、前から三番目、ちょうどクラスの中央付近にいる、目立つ金髪縦ロールがこちらを指さしながら興奮した様子で顔を赤くしている。
この金髪縦ロールこと、宝条院椿姫は、流斗の殺気に反応を示したのか、単に先程出会ったばかりの自分との再会に、過剰な反応を示しているのか判別がつけがたい。
またも予期せぬ出来事にパニックになっているのか、口元をもにょもにょと動かし、「あわあわあわわ」と言っているのが、なんだか面白いと思った。
最後に、一番後ろの廊下側の席に座っている、焦げ茶色の髪を持つ少年。
その少年は流斗が放った殺気に対し、動じることをなく、静かに闘気をぶつけてきた。
今は大人しく席に座り、流斗がこれから起こす動向を見守っている。
これで生徒三十名の中、わずかに三名が流斗の放つ殺気に目ざとく反応したことになる。
そして、もう一人――背後から伸びてきた手に、流斗は頭を掴まれた。
首を回して後ろを見ると、茜が顔を怒らせながら、右手でしっかりと流斗の頭をホールドしている。茜は口元を流斗の耳に近づけ、周りには聞こえないように囁いた。
「神崎ぃいいい。お前、登校初日に廊下で乱闘騒ぎを起こしただけでは飽き足らず、クラスメイトに殺気を向けるとは、いい度胸をしているじゃないか」
「あははっ、先生……やっぱり知っていたんじゃないですか。それならそう言ってくれればいいのに人が悪いなー」
茜の右手から逃れようとするが、頭はギリギリと鈍い音を響かせるだけでまったく逃れられる気配がなかった。よく見ると、茜の半袖から覗く右腕の筋肉が異常なほど盛り上がっている。
(……肉体強化魔術か)
「悪いことをしたら、まずはどうするのかな~?」
茜が暗い笑みを浮かべながら問うてくる。流斗の頭蓋骨はすでに悲鳴を上げていた。
「ご、ごめんなさい。もうしないので許してください」
流斗は頭蓋が砕ける前に、素直に謝った。
「……わかればよしっ!」
茜が微笑みを浮かべながら右腕を元に戻して流斗の頭を離すが、流斗にとって茜は恐怖の対象となっていた。周りのクラスメイトは特に驚いていない。茜が教室に入った途端静かになったのは、すでに茜の恐怖を知っていたからかもしれない、と流斗は思った。
「ほらっ、自己紹介をしろ」
茜が教壇を指しながら促す。流斗は黒板の前に立つと、自分の名前を書いて振り返った。
「俺の名前は神崎流斗です。家庭の事情でこちらに転校してきました。選択科目は《武術》を履修する予定です。よろしくお願いします」
ごくごく自然な自己紹介をして頭を下げる。笑みを交えることも忘れてはいない。
先程はクラスメイトを試すようなことをしたが、この学校に通う以上、普通の生徒と変わりなくふるまう必要がある。遥や士道に迷惑をかけたくはなかった。
「それじゃあ、武藤の隣に新しく席を作っといたからそこに座って」
茜が流斗の殺気に反応を示した、焦げ茶色の髪の少年を指で示す。
「わからないことがあれば、そいつに訊いてくれ」
流斗は言われた通り、廊下側の一番後ろの席に座る、武藤と呼ばれた少年の隣に座る。
「俺は神崎流斗だ。よろしく」
流斗は何事もなかったかのように隣の席へと話しかけた。
「僕は武藤相馬だ。何かわからないことがあれば訊いてくれ」
相馬もさっきのことは大して気にしていないようだ。
(つまり、殺気程度でいちいち騒ぐような人生を送ってはいないということか……)
教壇では茜が朝のホームルームを始めている。廊下での乱闘騒ぎが話の主題のようだ。
前の方の席では、椿姫がせわしなく体を揺らしていた。流斗が乱闘を起こしたことがばれている以上、椿姫も今朝暴れたことはばれているのだろう。
「なぁ、一つ訊きたいんだけど、茜先生っていつもあんな感じなのか?」
流斗はさっそく相馬に尋ねる。
「いや、先生は普段はもっと明るくふるまっているよ。女子にも人気があるほうだし、男子生徒を若干将来の結婚相手に狙っているふしがあるけど」
「それなんだけど、なんで茜先生ってモテないんだ? 見た目は結構いい方じゃないか」
「君もさっき間近で見ただろう。茜先生は怒ると身体を強化して筋肉を膨張させる癖があるんだ。さっきのはまだましだよ。過去に、先生の全身を強化した姿を見てしまった生徒が殺されたという噂があるくらいだからね」
「どんな癖だよ気持ち悪っ……っていうか全身!? 右腕だけじゃないのか」
(全身強化ということは、士道さんの魔術に近い……かなりの実力者ということか)
「正直、怒っているときの先生は、雌ゴリラと呼ばれるぐらい凶暴だよ」
「誰が雌ゴリラじゃ、コラァ!」
小声で話していたというのに、耳ざとく聞きつけた茜が相馬にチョークを高速で放った。
相馬がそれに気づいたときには、すでにチョークは物凄い勢いで相馬の眼前まで迫っており、強烈な音を立てておでこに直撃していた。
(さらに、地獄耳であると)
流斗の隣で、相馬は額を机に押しつけ呻き声を上げている。かなり痛そうだ。
この学校にいる間、流斗は茜には逆らわないことを静かに誓った。
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