#05 失った力
何かの犠牲だとか
いざという時の保険だとか
そんな考えは一切なかったのに。
今、目の前に立っている青年は迷わず使えと伝えてくる。
護る為に拾われた自分は
護る為に使われるべきだと。
ガーディアンはそういうものだと。
静かな海のような瞳は
優しい色を宿したまま決して退かない深さを湛えていた。
今回の異変に対応するには高い能力と強い意志。そして何よりこの国を想う清い心が必要となる。
確かに彼が適任だ。だが、できることならそれは避けたかった。
彼に手を差し伸べたあの日から自分の子どもになった。そんな彼にこの歪みを背負わせることなどできるはずもない。
だからこそ模索しているのだ。
自分にもっと強さがあれば。
妻と出会った頃のような力があれば…
迷う事無くこの身を投じるのにっ……
無意識に噛み締めた奥歯がギリっと音を立てた。
十年前に先代スピカである妻が冷たい体で帰ってきた時、オレは罪を犯した。
愛しくて愛しくて
何を引き替えにしてもいいほど愛していた。
すれ違いもあった。
幾度も傷つけ、泣かせ、責められた。
たくさん喧嘩もした。
それでも愛しかった。
彼女だから総てを許したのだ。
それほど想っていた相手を易々と手放せるわけがない。
禁忌とされる術を使うべく、腰に刷いた国宝である輪廻の剣を迷うことなく抜いた。
この剣と自分の力を用いて彼女の輪廻の輪を壊せば、彼女はどこにも行けず、再びここへ降り立つだろう。
そうすればまた一緒にいられる……そうだろ?
想いに答えるように鈍い光が刀身にまとわりつく。
あの時の自分は現実を受け入れられず…狂っていたのだ。
そんな事をすれば、彼女の魂は還ってくるどころか行き場を失って彷徨い、永遠に暗闇に閉じ込められるだけなのに。
だけど、盲目的になってたオレは、臣下を全員下がらせ、一人祭壇で儀式を行った。
全ては滞りなく進んでいく。
空も地も、邪魔をしなかった。
あと一振りすれば、妻は還ってくる。と、その時。
「……さま…とーさまぁ」
泣きじゃくりながら必死に自分を探す娘の声が心と耳に直接届く。
その声に導かれるようにゆっくり首を巡らすと二つの影が見えた。
いつもの鈴のような声は、零れ落ちる涙によって痛々しいものに変換され、それでも声と心で呼んでいる。
そのすぐ後ろには、少年から青年になろうとしている息子。何一つ見落とすまいと辺りを見回しながら歩を進めているのか影が首を振っている。
我に返って絶望した。
オレは今、何をしている??
自己満足の為にいくつのものを犠牲にしようとしていたのか。
だが、握った剣の力はすでに固まり、自分の中に戻すことはもはや不可能だった。
それだけでは終わらない。不安定に固まった力が暴発しないように更に上から力をかけなくてはならなかった。
今、暴発すれば間違いなく二人を巻き込む。
それだけはあってはならない。大人として、男として、父親として。
そんな時、娘の小さな足が見えた。
刹那、自分は声を張り上げる。
「来るなっ!!」
その声にビクリと震える娘が目に入ったが、その一言を発しただけでも疲労が襲ってくる。
額に汗が浮かぶ。視線すら送ることができなくなった。
頼むから…ここから離れろ
離れてくれっ
強い重圧がかかったかのように崩折れる膝。
体が鉛になったかのように立ち直せない。
「………っ!」
妻の名を呼んだ。
この二人だけは助けたくて。
だけど、力の圧力はどんどん増していき、そのまま全身が地に伏しそうになる。
「とーさまぁっ!!」
もう、来るなと叫ぶこともできない。
体が限界を訴え、総ての力が抜けきる寸前。小さな手が柄に触れた瞬間だった。力の本流が水泡のように静かに昇って消えたのは。
突然軽くなる身体。
固まり暴走するしかなかった力が不意に消滅したのだ。
荒い呼吸を続け、辺りを見回すと陽の光をそのまま溶かしこんだような金色の瞳と目が合う。
いつものルビーは全く見えない。スピカとしての能力を使った証のそれに、自分は息を呑んだ。
こんな小さな少女にすでにスピカの力が宿っている。
金色の瞳が目蓋に遮られるやいなや、ぐらりと少女の身体が傾いだ。
先程と違って軽くなったとはいえ、体力的にも限界にきていた自分の身体を叱咤し、無理矢理動かして地に着く前に抱き留めた。
腕の中に無事に収まった事を確認すると急いで仰向けに抱き代える。
てきぱきと状態確認をしたのは娘が倒れたと同時に駆け寄ってきた息子だった。
一通り確認するとほぅっと一息ついて気を失っているだけということを教えてくれた。
詰めていた息を全て吐き出す。
そして、改めて顔を上げた時、泣きそうで怒りたそうな瞳とかち合った。
それでも彼は黙っている。
「大事な息子にこんな顔させるなんて、親として最低だな」
それを聞いた彼の瞳が揺れる。
正直、立ち上がれる余裕もない自分は娘を片手で抱き直すと空いた右手で手招く。
それに導かれて膝を着いた彼との距離は手を伸ばせば頬に添えられるほど。だが、それでは足りない。膝を付き合わせるくらい近づくように手振りで伝える。
無言でそれに従う彼が自分の思う距離まで近づくと、肩を抱き寄せて謝罪と感謝の思いを告げた。数秒の後、青の海から雫が零れ落ちた。
それを見て見ぬ振りをして更に力強く抱くと肩に額を押しつけて小さな声で初めてお願いをしてきた。
「私が貴方に恩を返せるまで…ここにいてください」
いつか、彼から“父”と呼ばれてみたいなぁと思いながら静かに頷いた。
見返りを求めたわけでも
同情で拾ったわけでもない
あいつがどう予言しようと最終的に決めるのは自分だ。
何度も絶望を感じ、それでも生きたいと運命に抗ってきた小さな子ども。海を溶かしこんだ瞳で見上げられた時に間違いないと感じた。
この子だと。
この国を支え、守るあの子を護れるのは。ガーディアンにふさわしいのは。
自分の勘には妙に自身があった。
だから手を差し伸べた。彼が躊躇っても自分は迷いなく差し出した。
そう。この手を取ってくれることも、やっぱり勘で感じ取っていたから。




