第8話「雲がわれたあぁぁ!?」
森を抜ける小道を、二匹の青いスライムがぴょんぴょん跳ねている。
「エル、レイ。そっちは道じゃないよー?」
声をかけると、二匹はぴたりと止まり、揃ってこちらを向いた。
……かわいい。
さっき名前をつけたばかりなのに、もう呼びかけに反応してくれる。偶然かもしれないけど、少なくとも声に反応することは分かった。
エルは魔力が外へ広がる傾向にあって、レイは内側へ集まる傾向にある。同じ個体から分かれたはずなのに、魔力の流れは少しずつ違っていた。
この違いが成長にどう影響するのか。そもそも、スライムの魔力循環はどんな仕組みなのか。
……ああ、調べたいことがいっぱいだ。
「ふふっ。帰ったら、いろいろ試してみようね」
二匹がぴょこんと跳ねた。
リーヴェルに戻ったら、まずフィーネさんに薬草を届けよう。それからエルとレイを紹介して、魔力循環を観察して……。
あ、そうだ。宿に戻ったら、今日の研究記録も整理しなくちゃ。
やりたいことが多すぎるなあ。
そんなことを考えていたときだった。
「うわあああっ!」
遠くから悲鳴が聞こえた。
続いて、木が折れるような音。
「……ん?」
私は足を止めた。
「下がれ! まともに受けるな!」
「無理だ! もう盾がもたねえ!」
風に乗って、切羽詰まった声が届く。
「……ちょいピンチ?」
いや、声の感じからすると、ちょいどころじゃないかも。
「エル、レイ。ちょっと失礼!」
二匹を抱き上げ、声のする方へ走った。
木々の間を抜けた先には、少し開けた場所があった。
そこで目にしたものに、思わず目を丸くする。
「……ワイバーン!?」
大きい!
緑がかった鱗に覆われた巨体。鋭い爪と長い尾。そして、左右に広がる巨大な翼。
本物だ!
あの翼の面積で、どうやってあの身体を飛ばしているんだろう。魔力による浮力の補助があるなら、翼は姿勢制御に使っているのかもしれない。
……って。
「今はそれどころじゃない!」
ワイバーンの足元では、五人の冒険者が必死に戦っていた。
盾を構えた男の人は片膝をつき、後ろでは仲間が負傷者を引きずっている。魔術師らしい女性も、杖を支えにして立つのがやっとという様子だった。
ワイバーンが首をもたげる。
狙われているのは、盾の男の人。
あの距離なら、次の攻撃まで数秒もない。
「よーし、まずは引き離そう!」
私はエルとレイを近くの茂みに下ろした。
「ここで待っててね!」
二匹が小さく跳ねるのを確認して、前へ出る。
「みなさーん! 伏せてくださーい!」
「なっ!? 誰だ、お前!」
「説明はあとでー!」
ワイバーンの頭が下がった。
このまま地上で攻撃したら、冒険者たちまで巻き込んでしまう。
なら、先に安全な場所へ移動させればいい。
私は右手を突き出した。
「《ウィンド》!」
初級風属性魔術。
風を生み出す、ごく基本的な魔術だ。
ただし、今回は風を横へ広げない。
ワイバーンの腹の下へ魔力を集め、上向きの流れを作る。
巨体を持ち上げるには、風の勢いだけじゃ足りない。翼の下面にかかる圧力と、姿勢を崩さないための流れの調整が必要だ。
暴れられても地上へ戻らないように、風の向きを少しずつ変えていく。
「よーし、上がれ〜!」
ゴオオオオッ!
猛烈な上昇気流が、ワイバーンを持ち上げた。
「グギャアアアアッ!?」
巨大な翼がばたつく。
ワイバーンは姿勢を立て直そうとするけど、風はその動きに合わせて向きを変えている。
翼を広げれば下から押し上げられ、閉じれば身体ごと持ち上がる。
そのまま、巨体がぐんぐん空へ昇っていった。
「な……なんだ、あれ……」
「ワイバーンが……飛ばされてる……?」
冒険者たちが呆然と空を見上げている。
よしよし。これで地上から引き離せた。
あとは倒すだけ。
……なんだけど。
「……あっ」
私は右手を見つめた。
前に無属性魔術を使ったときは、山のてっぺんがなくなったんだった。
あれは、さすがにやりすぎた。
魔物を倒せても、周囲まで吹き飛ばしていたら意味がない。
今回はちゃんと出力を絞ろう。
ワイバーンは上空。地上に人はいない。
射線も確保できている。
なら、魔力を拡散させず、細い範囲へ集中させれば……。
「……あれ?」
思わず口元が緩んだ。
風で持ち上げて、安全な方向へ撃つ。
これなら威力を抑えつつ、周囲への被害も減らせる。
「ふふっ。天才か、私」
ちょっと自分を褒めておこう。
私は指先に魔力を集めた。
前回の感覚を思い出しながら、出力を大幅に下げる。魔力の流れを一本にまとめ、余計な方向へ逃がさない。
ワイバーンは十分な高度に達している。
狙いを定めた。
「それじゃ、いっくよー!」
《インパクト》。
初級無属性魔術。
指先から放たれた光が、一直線に空へ伸びた。
次の瞬間。
ドォォォォォォォォンッ!!
空が震えた。
光がワイバーンを貫き、巨体が一瞬で砕け散る。
そのまま衝撃が上空へ突き抜けて――。
雲が、割れた。
「…………」
私は空を見上げた。
白い雲の真ん中に、青空の道が一本できている。
「……雲割れたああ!?」
思わず空を指さしてしまった。
いや、待って。出力はちゃんと絞ったよね?
前回よりずっと小さくしたはずなんだけど……。
……あ。
そうだ、地上は!?
慌てて周囲を見回す。
木は倒れていない。
地面もえぐれていない。
冒険者たちも無事。
遠くの山並みも、ちゃんと残っている。
「……おおっ!」
私は小さく拳を握った。
「大成功じゃん!」
雲は割れちゃったけど、地上への被害はなし!
魔力の出力と射線を調整すれば、これだけの威力でも周囲への被害を抑えられる。
うんうん。これは大きな進歩だ。
「ふふふ。やっぱり研究って大事だねえ」
満足して振り返ると、五人の冒険者がこちらを見ていた。
全員、口を開けたまま動かない。
「……あれ?」
盾を持った男の人が、ようやく声を出した。
「……お嬢ちゃん」
「はい?」
「……今の、魔術か?」
「そうですよー」
「……何級だ?」
「初級ですけど?」
「…………」
男の人が空を見上げた。
雲の割れ目は、まだ残っている。
「……初級?」
「はい! 無属性魔術の《インパクト》です。最初に使った風魔術も初級ですね」
「…………」
沈黙。
隣の魔術師らしい女性が、震える声で呟いた。
「……私、二十年魔術を使ってきたけど……」
「おおっ、大先輩ですね!」
「……初級魔術で空が割れるなんて、聞いたことないわ……」
「えっ、そうなんですか?」
私はもう一度空を見上げた。
確かに、雲が割れるのは少し派手だったかもしれない。
「……まだ調整の余地がありますね!」
「調整……?」
「はい! 今回は地上への影響を抑えられたので、次は雲も割らないくらいにできればいいなって」
女性は何も言わなくなった。
……あれ?
変なこと言ったかな。
まあいいか。
「それより、みなさん怪我は大丈夫ですか?」
私は負傷者の方へ駆け寄った。
倒れていた人は仲間に支えられながら身体を起こしている。腕を押さえていた人も、意識ははっきりしていた。
「……ああ。助かった」
盾の男の人が、深々と頭を下げた。
「本当にありがとう。あんたが来なかったら、全滅してた」
「いえいえ! 間に合ってよかったです!」
そう答えると、男の人は苦笑した。
「俺たち、全員A級なんだがな……」
「……えっ、A級!?」
私は思わず目を丸くした。
A級って、ギルドでもかなり上のランクだったはずだ。
「じゃあ、あのワイバーンって相当強かったんですね!」
「ああ。A級五人で、ようやく討伐を狙える相手だ。今回は完全に押されてたがな」
「へええ……!」
なるほど。
あの巨体に飛行能力、頑丈な鱗。
確かに、地上から攻撃するだけでも大変そうだ。
……もっと観察したかった気もするけど、今回は仕方ない。
怪我人がいたんだから、倒すのが先だ。
そう考えていると、視界の端に文字が浮かび上がった。
《経験値を獲得しました》
《取得経験値増加補正が適用されました》
《レベルが上昇しました》
「……おっ!」
レベルアップだ!
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
「……おお?」
まだ続く。
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
……あれ?
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
ちょっと待って。
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
《レベルが上昇しました》
……止まった。
私は、そっとステータス画面を開いた。
《セリス》
《Lv128》
「…………」
百二十八。
さっきまで百十三だったから……。
「……十五レベル!?」
思わず二度見した。
ワイバーン一体で、十五レベルも上がったの?
……これは。
「ふふふっ」
口元が勝手に緩んだ。
すごいな、ワイバーン。
経験値、めちゃくちゃおいしいじゃないか。
十五レベルも上がったなら、筋力も敏捷も知力も、かなり変わっているはずだ。
前回の記録と比較すれば、能力値の上昇規則ももっと詳しく調べられる。
レベルによって上昇量は変わるのか。
能力ごとの補正は一定なのか。
……ああ、早く見たい!
「……お嬢ちゃん?」
「はい?」
「……何か、いいことでもあったのか?」
「レベルが上がりまして!」
「……そ、そうか」
「ええ! 思ったよりたくさん!」
男の人は少し不思議そうな顔をしたけど、それ以上は聞いてこなかった。
私はステータス画面を閉じる。
詳しい数値は、帰ってからゆっくり見よう。
……できれば、串焼きでも食べながら。
うん。悪くない。
そんなことを考えていると、冒険者の一人が空を見上げながら呟いた。
「……それにしても、なんでこんなところにワイバーンが……」
「……え?」
私は顔を上げた。
「この辺りって、ワイバーンが出る場所じゃないんですか?」
「ああ。少なくとも、俺たちが知る限り、この辺りで目撃されたことはほとんどない」
「へえ……」
珍しい魔物が、普段はいない場所に現れた。
……なぜ?
私は腕を組んだ。
考えられる理由はいくつかある。
餌を追って移動してきた。
縄張り争いに負けて追い出された。
何かから逃げてきた。
あるいは、生息環境そのものが変化した。
「……ちなみに、ワイバーンって普段はどこに住んでるんですか?」
「山岳地帯だな。特に人が近づかないような高い山だ」
「……山?」
「ああ。崖や山頂付近に巣を作ることが多い」
「…………」
山。
高い山。
山頂。
…………。
「……あっ!」
私は、そっと視線を逸らした。
昨日の光景が脳裏をよぎる。
消し飛んだ山頂。
住処を失った魔物。
もし、あの山にワイバーンが住んでいたとしたら。
山頂がなくなって、行き場を失ったとしたら。
……それで、普段は来ない低い場所まで降りてきた?
「……なるほど!」
筋は通る。
もちろん、まだ仮説だ。
実際にあの山に巣があったかどうかは分からないし、別の理由で移動してきた可能性もある。
でも、時期と場所を考えると……。
「……あの」
私は盾の男の人に尋ねた。
「最近、この近くの山で大きな変化ってありませんでした?」
「……山?」
「はい!」
「……そういや、昨日、山頂が消えたって騒ぎになってたな」
「…………」
ビンゴ。
……いや。
待って。
それって。
「……私じゃん!」
「ん?」
「あっ、いえ! こっちの話です!」
私は小さく咳払いした。
なるほどね。
山を吹き飛ばすと、そこに住んでいた魔物が移動する可能性がある。
つまり、魔術の影響は着弾地点だけじゃない。
周囲の環境にも広がるってことだ。
……これは覚えておこう。
次からは山を吹き飛ばさない。
うん。
今日みたいに、ちゃんと空へ向けて撃てばいい。
幸い、今回は誰も死なずに済んだ。
ワイバーンも倒した。
レベルも上がった。
……だったら。
「……ま、次から気をつけよう!」
過ぎたことは仕方ない。
それより、次に同じ失敗をしないことの方が大事だ。
私は茂みの方へ歩き、待っていた二匹を抱き上げた。
「エル、レイ! 帰ろっか!」
二匹がぴょこんと跳ねる。
「今日は収穫が多かったねー。薬草も採れたし、ワイバーンも倒せたし……」
……十五レベル。
思い出すだけで、また頬が緩む。
「ふふっ。帰ってからが楽しみだなあ」
私は冒険者たちに手を振った。
「それじゃあ、みなさん! お気をつけてー!」
「……あ、ああ」
「……本当に、ありがとうな」
「どういたしまして!」
私は軽い足取りで、リーヴェルへの道を歩き始めた。
今日も、いい一日だった。
薬草も採れた。
エルとレイにも再会できた。
ワイバーンまで倒して、十五レベルも上がった。
しかも、山は無事!
……完璧じゃない?
「……ふふっ。私、なかなかやるじゃん!」
腕の中で、エルとレイが揃って跳ねた。
その背後で。
「……おい」
「ああ……」
「あの子、何者なんだ……?」
五人のA級冒険者たちは、まだ雲の割れた空を見上げていた。
けれど、そんなことは知らない私は。
「……今日の串焼き、一本増やしちゃおうかな」
そんなことを考えながら、街への帰り道を進んでいくのだった。




