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『目指すは最強! ~魔法オタクの異世界無双~』  作者: 穂乃果
第6幕「絶望情報強度 ― Despair Information Intensity ―」
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第69話「亡き友の槍、届け! 剣聖の意思!(後編)」

亡き友の姿をした、得体の知れない敵。


その槍は、かつて幾度も打ち合った親友のもの。しかし、そこに宿る意志は、アルディスの知る英雄とはあまりにも違っていました。


守るべき人々を背に、剣聖は何を思い、何を斬るのか。


第69話「亡き友の槍、届け! 剣聖の意思!(後編)」、決着のときです!

 剣と槍が、激突した。


 踏み砕かれた土が跳ね、衝撃に木々が震える。


 アルディスは刃を傾けた。槍の重さを正面から受けず、剣の腹を滑らせて外へ流す。


 穂先が肩の横を抜けた。


 踏み込む。


 長大な槍の内側へ入り、鎧の継ぎ目を斬った。


 白い鱗が裂ける。


 血は出ない。傷口の奥で、黒いものが蠢いた。


「がっはははは!!」


 笑い声とともに、石突きが跳ね上がった。


 アルディスは顎を引いて躱す。頬を風圧が叩いた。そのまま返した剣が、槍を握る腕を深く裂く。


 手応えはある。


 鎧も、鱗も、その下にあるものも斬れている。


 それでも、相手の指は槍を離さなかった。


「……痛くもねえってか」


 身を沈める。


 頭上を薙いだ槍が、背後の木をまとめてへし折った。


 倒れてくる幹を横へ避け、アルディスは間合いを取り直した。


 白い鱗。赤い外套。馬鹿みたいに大きな槍。


 見慣れた姿が、折れた木々の向こうで笑っている。


 肩口の傷は、もう閉じかけていた。


「面倒な身体だな」


 巨躯が槍を引く。


 右肩が沈んだ。


「……そこは、左だろ」


 右から振り下ろされた穂先へ、アルディスは半歩だけ踏み込んだ。


 槍身が背を掠める。


 外へ逃げるより近い場所に、刃の通らない隙間があった。


 そこから斬り上げる。


 鎧が割れ、巨躯の肩が跳ねた。


「ドグルなら、左から来る」


 アルディスは足を止めず、相手の側面へ回った。


「俺が右へ逃げる癖を、嫌ってほど知ってたからな」


 何度も剣を交えた。


 最初の一撃を躱して喜べば、次の槍が待っていた。


 それを凌げば、石突き。


 ようやく懐へ入ったと思えば、今度はあの巨体が飛び込んでくる。


 力任せに見えて、恐ろしく細かい。


 こちらの癖を覚え、迷いを嗅ぎ取り、直したつもりの隙まで暴いてくる。


 それが、あの男の槍だった。


 目の前のものも、技は知っている。


 だが、その技で誰と戦ってきたのかまでは、知らない。


「……よくできてるよ」


 アルディスは、わずかに剣先を下げた。


「だが、あいつはもっと性格が悪かった」


 踏み込む。


 誘われた槍が、胸を狙って突き出された。


 アルディスは横へ逃げなかった。


 穂先へ向かって進み、最後の一歩だけ軸をずらす。剣を柄へ添え、槍を肩の外へ押し流した。


 布が裂けた。


 浅い傷を残して、穂先が抜ける。


 その代わり、剣は届いた。


 胸を斬る。


 槍を引き戻す腕を、返す刃で跳ね上げる。


 開いた喉元へ、三撃目。


「……その顔で、笑うな」


 白い頭部が宙を舞った。


 巨躯が膝をつく。


 槍の石突きが地面を打ち、そのまま倒れた。


     ◇


 アルディスは、剣を下ろさなかった。


 倒れた身体。


 離れた場所へ転がった頭部。


 その間を、視線が往復する。


 遠くでは、荷車の軋む音が続いていた。


 まだ動いている。


 それを確かめ、わずかに息を吐いた、そのときだった。


 切断された首から、黒い糸が伸びた。


「……やっぱりか」


 アルディスは即座に踏み込んだ。


 頭部へ伸びる糸を断ち、返す一撃で胸を割る。


 黒いものが飛び散った。


 だが、散ったものは地面へ落ちなかった。


 宙で止まり、引き戻される。


 首が繋がる。


 胸が閉じる。


 斬り離したはずの鎧まで、元の形を取り戻していく。


 アルディスは後ろへ跳んだ。


 直前まで足のあった場所を、槍が薙ぎ払った。


 巨躯が立ち上がる。


 その顔に、先ほどまでの大笑いはなかった。


「……剣聖とは、そういうものか」


 ドグルの声だった。


 だが、その声で、ドグルならしない言い方をする。


 アルディスの眉が動いた。


「今さら、何を覚えた?」


 答えはない。


 相手が槍を構え直す。


 足の位置が変わっていた。


 脇腹を遠ざけ、重心を低くする。先ほど斬り込まれた間合いへ、石突きを残している。


「……なるほどな」


 アルディスは剣を握り直した。


「顔を借りただけじゃ、勝てねえと分かったか」


 巨躯の口元が、ゆっくりと上がった。


「続きを始めよう」


     ◇


 槍が、三度走った。


 一撃目を流す。


 二撃目を躱す。


 三撃目の戻りへ合わせ、アルディスが懐へ踏み込んだ。


 そこで、柄が止まった。


「……っ!」


 石突きが真横から迫る。


 アルディスは鍔元で受けた。


 腕が痺れる。


 靴底が土を削り、背後の木が迫った。


 巨躯が追ってくる。


 アルディスは幹を蹴った。


 横へ飛んだ身体の下を槍が抜け、太い木を貫く。


 着地と同時に、剣を走らせた。


 今度は膝。


 右脚が折れ、巨躯の腰が落ちる。


 肩から斜めに斬り抜いた。


 身体が分かれる。


 しかし、上半身が落ちるより早く、黒いものが両側の傷口を繋いだ。


 巨躯が、空中で捻れる。


 繋がり切らない身体のまま、槍だけが振られた。


「……おいおい!」


 アルディスは身を伏せた。


 髪の先が散る。


 人なら、斬られた時点で崩れるはずの体勢だった。


 骨も筋も繋がっていない。


 それでも、槍は止まらない。


 巨躯が着地したときには、斜めの傷も消えていた。


「斬られることまで、使う気かよ」


「斬れば、止まると思ったか」


 穏やかな声だった。


 かつての友の顔が、楽しげに笑う。


 アルディスは、短く息を吐いた。


「……止まるまで、やるさ」


 再び、剣を構える。


「生憎、それしか取り柄がなくてな」


     ◇


 林の一角から、立っている木がなくなっていた。


 槍が薙ぎ、剣が裂く。


 むき出しになった地面へ、幾筋もの溝が刻まれていく。


 アルディスの頬を、血が伝った。


 肩も切れている。


 握り続けた剣の柄は、汗で滑りかけていた。


 対する巨躯に、傷は残らない。


 しかも、同じ攻めが通じにくくなっている。


 踏み込めば、槍を引く。


 回り込めば、足を入れ替える。


 刃を受ける場所を変え、身体を斬らせながら、こちらの逃げ道を槍で塞ぐ。


 覚えている。


 そして、試している。


 アルディスを、どうすれば殺せるのか。


「……勉強熱心だな」


 槍を弾く。


 その穂先が、初めて彼から逸れた。


 南。


 木々の切れ目を抜ける、最後尾の荷車へ。


 アルディスは即座に踏み込み、槍の柄を斬り上げた。


 跳ねた穂先が、荷車へ続く道の脇を抉る。


 巨躯は、その動きを見ていた。


「そこか」


 笑みが深くなる。


 今度は、荷車へ向けて構えた槍を、途中でアルディスへ返した。


 刃が肩を掠める。


 避難民を狙うふりだけで、こちらの足を止められる。


 それを、覚えた。


「……てめえ」


 低く漏れた声に、相手は笑った。


「よく動くな。あれらを向けば」


 アルディスは答えなかった。


 足を入れ替え、南へ伸びる射線に立つ。


 その位置を、渡さない。


 剣を握る手へ、力を込めた。


 こちらの動きを覚えるなら、覚えさせればいい。


 その先へ行く。


 あの男とは、ずっとそうしてきた。


 アルディスが踏み込んだ。


 いつもより、わずかに深く。


 巨躯は槍を引く。


 覚えたとおりに。


 石突きが返ってくる。


 だが、アルディスは剣で受けなかった。


 槍の戻る向きへ身体を寄せ、左手を柄に添える。押さえ込むのではなく、その軌道を肩の外へ滑らせた。


 触れた掌が裂けた。


 それでも、一瞬だけ道が開く。


 剣が、胸へ入った。


 深く。


 鍔が鎧へ触れるほどに。


 黒いものが刃を包む。


 その手応えに、アルディスの目が細くなった。


 肉ではない。


 骨でもない。


 刃にまとわりつくものは、今までと同じだ。


 だが、その奥。


 ほんの一瞬だけ、剣が押し戻された。


 斬ったものが元へ戻ろうとする、その動きの中心で。


「……そこに、何かあるな」


 巨躯の笑みが止まった。


     ◇


 アルディスは、これまでの斬撃を思い返していた。


 腕を斬った。


 胸を裂いた。


 首を落とした。


 そのたびに、黒いものは元の形へ戻った。


 傷を治しているようで、どこか違う。


 身体を失っても、まだここに立つものがある。


 そいつが、何度でも同じ姿を作り直している。


 ならば。


 身体だけを斬っても、終わらない。


「……届いてねえってことか」


 巨躯の左手が、剣身を掴んだ。


 握られた刃の周囲で、黒いものが固まっていく。


 右手の槍が引かれた。


 この距離では、振り抜く余地はない。


 それでも、石突きを頭へ叩き込むには十分だった。


 剣を捨てれば、逃げられる。


 アルディスには、それが分かっていた。


 離れて、構え直す。


 また斬る。


 また戻る。


 その繰り返しを続けている間にも、こいつは人々へ槍を向ける。


「貴様の剣では、終わらぬ」


 亡き友の声が言った。


 アルディスは、その目を見返した。


「……そうかい」


 息を吸う。


 胸が痛んだ。


 腕も重い。


 それでも、剣を握る手は開かなかった。


「なら、今の俺より上へ行くだけだ」


 かつて、同じことを笑われた。


 倒れたまま、次は勝つと言い張った夜。


 あの男は槍を担ぎ、呆れたように見下ろしていた。


『勝って、それでどうする』


 守る。


 誰にも負けなければ、誰も失わずに済む。


 そう答えた自分に、ドグルは笑った。


『ならば、そこで満足するな』


 差し出された手は、大きかった。


『守るものが増えれば、今の貴様では足りぬ日が来るぞ』


 その手を掴んで、立ち上がった。


 何度も。


 何度でも。


 そして、いつの間にか。


 自分が、誰かを立たせる側になっていた。


 剣聖。


 六英雄。


 そう呼ぶ声の向こうには、いつも人がいた。


 瓦礫の下から伸ばされた手。


 背中へ隠れた子ども。


 道を開くまで、負傷した仲間を抱えて待っていた兵士。


 彼らが信じたのは、負けたことのない剣ではなかった。


 何度膝をついても、立ち上がり、道を開いてきた男だった。


 アルディスは、後ろの足を引き寄せた。


 腰を落とす。


 身体の重さを、柄へ乗せる。


 敵の手に押さえられた剣が、わずかに進んだ。


「……俺は、まだ立ってる」


 石突きが動く。


 アルディスは、剣の柄を捻った。


 身体を斬る角度ではない。


 戻ってくる力。


 刃を押し返す、その奥へ。


「だったら――」


 刃の縁に、細い光が走った。


「届くまで、やるさ」


     ◇


 ――竜神ゼルドラグの神域。


 巨大な闘技場に、槍の石突きが落ちる音が響いた。


 ゼルドラグが、玉座から身を乗り出していた。


 水鏡の中には、白い竜人と、人間の剣士。


 竜神は、白い姿を一度もドグルとは呼ばなかった。


 あの声で笑うたび、肘掛けを握る指が深く食い込んでいた。


 だが、その槍へ挑む剣からは、目を離せなかった。


 力の差を角度で埋める。


 覚えられた技を、次の一手への誘いに変える。


 人を守る位置を譲らず、なお相手を追い込む。


 幾度も見た剣だった。


 ドグルと打ち合い、負けを認めず、また立ち上がってきた剣。


「……そうだ」


 竜神が低く言う。


「そこの槍などに、折られるな」


 そのとき。


 人間の刃に、光が宿った。


 ゼルドラグの指が止まる。


「……む?」


 魔力が膨れ上がったのではない。


 神が、新たな力を授けたのでもない。


 剣を握る男の在り方が、その刃へ重なっていた。


 六英雄の一人。


 剣聖アルディス。


 幾多の人々が、その名に救いを託した。


 彼が剣を抜けば道が開く。


 倒れても、再び立つ。


 そう語り継がれてきた一つ一つの戦いが、今、目の前の意志と重なろうとしている。


 守るために、届かぬ場所へ届く。


 足りなければ、さらに上へ。


 その響きを、ゼルドラグは知っていた。


 《頂点》。


 ただ、他者を見下ろす高さではない。


 守るもののために己を超え、なお先を求め続ける、不屈の頂。


「……お前」


 竜神は、水鏡へ手を伸ばしかけた。


 だが、触れなかった。


 これは、自分が起こした奇跡ではない。


 まだ小さな芽だった。


 神の理を自在に扱うには、あまりにも細く、不確かな。


 それでも、その芽は確かに、人間の剣へ伸びていた。


「人の身で……そこへ、手を掛けるか」


 白い竜人の姿には、何も感じない。


 その向かいに立つ、人間の剣士にこそ。


 かつて己の適合者が示した、あの眩しさがあった。


 魂を譲られたわけではない。


 力を受け渡されたわけでもない。


 共に戦い、言葉を交わし、背中を見てきた。


 ただ、それだけで。


「……ドグル」


 ゼルドラグの口元が、わずかに歪んだ。


「お前の遺したものは……そこにあったか」


     ◇


 剣が、進んだ。


 鎧を砕く音はしなかった。


 肉を裂く感触もなかった。


 ただ、刃を押し返していた何かが、一瞬、張り詰めた。


 アルディスは止まらなかった。


 前へ。


 さらに、前へ。


 胸を貫いていた剣を、握る手ごと捻り上げる。


 細い光が、黒の奥を横切った。


 その瞬間。


 巨躯の身体が、内側から震えた。


「――ッ」


 初めて、笑い声ではない音が漏れた。


 アルディスは剣を斬り抜き、身体を横へ投げ出した。


 遅れて振り下ろされた石突きが、地面へ埋まる。


 土が噴き上がった。


 転がり、片膝をつき、すぐに立つ。


 剣を構えたときには、刃の光は消えていた。


 巨躯の胸に、傷が残っていた。


 黒いものが集まる。


 鱗を繋ぐ。


 鎧を戻す。


 しかし、その奥に走った細い裂け目だけは、塞がらなかった。


 身体は、元の姿を取り戻そうとしている。


 だが、戻ったはずの胸が、同じ場所からまた裂ける。


 何度も。


 何度でも。


「……戻らねえ、か」


 アルディスが呟いた。


 彼自身にも、何を斬ったのかは分からない。


 ただ、今までとは違う手応えが、掌に残っていた。


 それは、急所を突いた感覚ではなかった。


 形を失っても、ここに在り続ける。


 その存在を支えていたものへ、刃が触れた。


 《不可避》の一部に、断たれた箇所が生まれていた。


     ◇


 巨躯は、胸へ手を当てた。


 指の間から、黒いものが漏れる。


 白い鱗の一部が戻らず、鎧の奥が透けていた。


「……ここまで」


 その声から、ドグルらしい抑揚が消えていた。


「貴様の剣は、ここまで届くのか」


 アルディスは、短く息を吐いた。


「届いたみたいだな」


 強がりだった。


 もう一度できるかなど、分からない。


 腕は痺れ、脚も重い。


 それでも、剣先を下げる理由にはならなかった。


「続けようぜ」


 一歩、踏み込む。


「さっきは、何度でも戻ってきただろ」


 巨躯が槍を持ち上げた。


 アルディスも動く。


 穂先を弾き、胸へ斬り込む。


 相手は、初めて大きく身を退いた。


 刃が外套を裂く。


 さらに追う。


 槍が二人の間へ横たえられ、剣を受け止めた。


 衝撃が走った。


 だが、押し合いは続かなかった。


 白い腕の輪郭が、崩れ始めていた。


「……今は、その必要がない」


「逃がすと思うか」


 アルディスの剣が、槍ごと肩を斬り抜いた。


 黒いものが散る。


 それはもう、元の姿へ戻らなかった。


 胸の裂け目を残したまま、巨躯の方が形を手放していく。


「貴様を倒すことが、目的ではない」


 薄れていく顔が、南を向いた。


 そこには、もう荷車の姿はない。


 兵士の声も、車輪の音も、遠ざかっていた。


 アルディスは、その視線を遮るように立った。


「なら、あてが外れたな」


 剣を振るう。


 白い顔が裂け、黒の向こうへ沈んだ。


 それでも、声だけが残った。


「この道では、な」


 アルディスの目が細くなる。


 散った黒が、木々の間へ流れていく。


 どこかへ集まり直そうとする気配を追い、剣を走らせた。


 だが、先ほどの手応えは戻らない。


 刃は黒を裂く。


 その奥までは、届かなかった。


「……名乗れ」


 アルディスは言った。


「その声で消えるな。お前の名だ」


 しばらく、返事はなかった。


 やがて、林の奥から声がした。


「アナンケ」


 豪快さも、懐かしさもない。


 平坦な声だった。


「《不可避》を担うもの」


 アルディスは、その名を聞き逃さなかった。


「覚えたぞ」


「貴様がいかに強かろうと、すべての道には立てぬ」


 声が遠ざかる。


「守るものがある限り、選び続けることになる」


 アルディスは、南へ目を向けた。


 避難民の消えた道。


 その先には、別の街道も、救護所もある。


 追えば、この場から離れる。


 戻れば、あれを取り逃がす。


 その迷いさえ、見られている気がした。


 アルディスは剣を握り直した。


「……選ぶさ」


 黒いものへ向き直る。


「何度でもな」


 最後の一撃が、木々の間を走った。


 残っていた黒が裂け、薄れていく。


 もう、声は返らなかった。


     ◇


 アルディスは、しばらく周囲を見回していた。


 槍の気配はない。


 白い鱗も、赤い外套も消えている。


 だが、討ち取った手応えはなかった。


 剣を下ろすと、左の掌から血が落ちた。


「……いてえな」


 今さらのように呟く。


 布を裂いて巻きつけ、通信魔道具を取り出した。


「アルディスだ。旧街道の避難民は?」


 短い雑音のあと、護衛隊の声が返った。


『南の合流地点へ到着しました! 最後尾も、先ほど通過しております!』


「負傷した老兵は」


『搬送中です。意識はあります!』


「……そうか」


 息が抜けた。


 剣を握っていた肩が、少しだけ下がる。


「こちらには戻るな。亡くなった者の姿をした敵が出た。声も、技も使う」


『亡くなった者の……?』


「詳しくは戻って話す。姿を知っているからといって、近づくな。各隊へ伝えてくれ」


『了解しました!』


 通信を切る。


 林には、折れた木と、抉れた地面だけが残っていた。


 アルディスは剣へ目を落とした。


 光はない。


 いつもの刃だった。


「……何だったんだろうな、今の」


 答える声はない。


 無理に光を求めても、何も起きなかった。


 アルディスは、小さく笑った。


「都合よくはいかねえか」


 剣を拭い、鞘へ収める。


 その手を、しばらく柄に置いたままにした。


「……ドグル」


 顔を上げる。


 枝の失われた林の上に、空が見えた。


「お前の顔で、好き勝手やってくれたぜ」


 腹は立つ。


 思い出すだけで、もう一度斬りたくなる。


 だが、それ以上に。


 あの姿を見て泣いた人々の顔が、頭から離れなかった。


 助けに来たと信じた。


 帰ってきたと、喜んだ。


 それほどまでに、この国には、まだあの男がいる。


「……お前なら、どうした?」


 口にして、すぐに首を振った。


 聞くまでもなかった。


 傷だらけでも、腹が立っていても。


 逃げる人々が無事だと分かれば、まず笑う。


 それから、敵のいる方へ槍を向ける。


『かかってこんか!』


「……だよな」


 アルディスも笑った。


 友は、戻らない。


 あの槍と、もう一度勝負することはできない。


 だが、共に目指した先まで、失われたわけではなかった。


「まだ、足りねえみたいだ」


 包帯の巻かれた手を握る。


「なら、もう少し上へ行くさ」


 背後の林には、斬り伏せた木々が横たわっていた。


 前には、人々の去った道が続いている。


 アルディスは、南へ歩き出した。


 やがて、その足取りが駆け足に変わる。


 守れた者たちの顔を、確かめるために。


 そして、まだ届いていない場所へ、次の剣を届けるために。


 亡き友の姿を借りたものは、闇へ消えた。


 亡き友から受け継いだものは、剣を握る男とともに進んでいた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


今回は、剣聖アルディスの戦いをお届けしました。


亡き友と同じ姿、同じ声、同じ技。


けれど、アルディスが本当に受け継いでいたものは、もっと深いところにあったのだと思います。


そして、竜神ゼルドラグが目撃した小さな可能性。


神から与えられた力ではなく、自らの歩みと意志によって、さらなる高みへ。


……やっぱり、剣聖は格好いいですね!


しかし、最後に名乗った「アナンケ」。どうやら戦いは、まだ終わっていないようです。


次回もお楽しみに!

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