第68話「亡き友の槍、届け!剣聖の意思!(前編)」
第68話、ここから前後編です!
竜人国を襲う影の脅威。
その戦場に現れたのは、かつて国を守った英雄の姿でした。
英雄を知る者たちにとって、そして共に戦った剣聖アルディスにとって、その再会が意味するものとは――。
今回は、アルディスに注目です!
竜人国北部、南方中継拠点。
「……北の避難路から、追加の連絡」
ネスラさんが、通信魔道具を置いた。
天幕の机には、何枚もの地図が広げられている。
開いた道へ印を付けたばかりなのに、別の場所から救援を求める声が届く。
「また、影ですか?」
「うん。アルディスさんが護衛している列の後方。林から出たり、引っ込んだりしてるらしい」
私は、北の街道へ目を向けた。
アルディスさんが斬れば、その影は倒れる。
でも、ほかの影が林へ散れば、荷車のそばを離れられない。
強い人が一人いれば、それで全部守れるわけじゃないんだ。
「ミライ。北から届いた記録を重ねて」
『YES、セリス。報告時刻と位置を表示します』
地図に、光点が浮かんだ。
避難民の列。
護衛部隊。
その脇を、途切れ途切れに続く影の目撃地点。
見えていないところには、何も表示されない。
そこに敵がいないという意味ではなかった。
「……林側を押さえられれば、列を進められるかもしれません」
ネスラさんが頷く。
「北へ行こう。僕も一緒に行く」
「ここの引き継ぎは?」
「レスターさんに伝えてある。南の広場へ移す列も、シルキーさんたちが見てくれる」
私はミライを握った。
「分かりました。アルディスさんに、向かっているって知らせましょう!」
◇
北部、旧街道。
「前と間を空けるな! 歩ける者は、荷車の横へ!」
兵士の声に、人々が重い足を動かしていた。
道の片側は浅い斜面、もう片側は林になっている。
荷車を追い越せるほどの幅はなく、一台が遅れれば、後ろも止まらざるを得なかった。
子どもを抱えた竜人の女性が、荷台へ手を添えて歩く。
「お母さん、まだ?」
「もう少し。次のところで休めるからね」
自分にも言い聞かせるように答えた、そのとき。
「林に影!」
護衛の槍が、一斉に向いた。
木々の間に、黒い人影が立っている。
その後ろにも、さらに数体。
「列は進め! 見張りを外すな!」
指揮を執る老兵が命じた。
影は、すぐには近づいてこなかった。
むしろ左右へ退き、木々の間に道を空けていく。
重い足音がした。
一歩ごとに、枯れ枝が砕ける。
黒い輪郭の奥から、長大な槍の穂先が現れた。
続いて、太い腕。
重厚な鎧。
肩から垂れる、赤い外套。
老兵の槍先が、わずかに下がった。
「……まさか」
白い鱗に、立派な角。
金と黒の鎧をまとった巨躯が、街道へ踏み出す。
巨大な竜騎槍を、片手で肩へ担いでいた。
その姿は、広場の像にも、戦勝を描いた絵にも残っている。
だが、老兵は知っていた。
像では動かない口元が、どんなふうに笑うのか。
槍を担ぎ直すとき、肩がどう動くのか。
それを、戦場で見たことがあった。
「……ドグル様?」
声が、掠れた。
背後で、誰かが息を呑む。
「あの、ドグル様……?」
「亡くなられたはずでは……」
列の歩みが鈍った。
止まるなと命じるべき老兵自身が、動けずにいた。
巨大な竜人が、口を開く。
「がっはははは!!」
胸へ響く、太い笑い声。
「何を震えておる! それでしまいか!」
老兵の顔が歪んだ。
何十年も前。
折れた槍を抱えて座り込んだ自分へ、同じ声が降ってきた。
そのあと、あの人は敵の前へ立った。
こちらが起き上がるまで、一歩も退かなかった。
「……お戻りに、なられたのですか」
片膝が、地面へ落ちる。
周囲の兵たちも、槍先を迷わせた。
「武器を下ろすな!」
若い兵が声を張った。
しかし、その声も途中で弱くなる。
目の前にいるのは、自分が槍を持つ理由になった英雄だった。
母親の腕の中で、子どもが顔を上げた。
「あの人、誰?」
「……この国を、守ってくださった方よ」
女性の頬を、涙が伝った。
信じてよいのか、分からない。
それでも、信じたかった。
もう歩けない。
これ以上、逃げられない。
そんなときに、あの英雄が現れたのだから。
◇
街道脇の林で、アルディスは剣を返した。
飛びかかってきた影が、肩から斜めに崩れる。
その向こうでは、別の影が木々の間へ引いていった。
追わない。
街道から離れるほど、列へ戻るのに時間がかかる。
アルディスは幹を背にし、荷車の音を確かめた。
車輪が軋む。
兵士が声をかける。
その音が、ふいに変わった。
人々が、ざわめいている。
悲鳴ではない。
誰かの名を呼び、泣いているようだった。
「……何だ?」
街道へ向き直る。
次の瞬間、笑い声が届いた。
「がっはははは!!」
アルディスの足が止まった。
剣を握る指に、力がこもる。
何度も聞いた。
耳元で聞かされ、うるさいと怒鳴ったこともある。
そして、もう二度と聞けないはずだった。
「……おい」
街道へ駆けた。
低い枝をくぐり、倒木を越える。
笑い声が、もう一度響いた。
同じだった。
腹立たしいほど、同じだった。
◇
「立て!」
巨躯から、声が落ちた。
老兵は顔を上げる。
「槍を持て。戦場で膝をつく暇などないぞ!」
「……はっ!」
身体が、覚えていた。
背を伸ばし、槍を構える。
若い兵たちも、それにつられて姿勢を正した。
ドグルの姿をしたものが、満足そうに頷く。
「そうだ。それでよい」
老兵の肩から、わずかに力が抜けた。
その瞬間だった。
竜騎槍の柄が、低く走った。
構えていた槍が弾かれる。
次の打撃が膝を払い、老兵は地面へ倒れた。
「……え?」
誰かが呟いた。
巨躯は笑っていた。
「どうした。立てと言ったぞ」
老兵が起き上がろうとする。
右脚が、力を受け止めなかった。
槍へ伸ばした手のすぐ横に、巨大な穂先が突き立つ。
土と石が跳ねた。
指先が止まる。
「それでしまいか?」
同じ声だった。
昔、自分を立たせてくれた言葉。
今、その言葉を発したものが、立ち上がれない自分を見下ろしている。
「ドグル、様……」
若い兵が、老兵を引きずろうと駆け寄った。
穂先が、そちらへ向く。
兵士が足を止めたのを見て、巨躯の口元がさらに上がった。
「ほう。そいつを連れていくのか」
背後で、子どもが泣き出した。
視線が、そちらへ移る。
母親が子を抱き直し、荷車の陰へ下がった。
巨躯は、その動きを最後まで見ていた。
「歩けぬ者を待ち、戦えぬ者を庇う」
槍が、地面から抜かれる。
「それでは、いつまで経っても進めんな」
「……おやめください」
老兵が声を絞り出した。
何を止めようとしているのか。
その意味を、まだ認めたくなかった。
巨躯は老兵を見た。
それから、わざわざ親子へ視線を戻した。
「置いていけ」
母親が、子どもの頭を抱え込む。
「そうすれば、お前たちは逃げられるぞ」
誰も、動かなかった。
巨大な槍が、肩の上へ持ち上がる。
老兵は地面を掻き、親子へ手を伸ばした。
かつて自分たちを守った槍が、振り下ろされた。
◇
鋼が、甲高く鳴った。
槍の軌道が逸れ、荷車の脇へ突き刺さる。
地面が裂け、土が噴き上がった。
親子の前に、一人の男が立っていた。
剣を斜めに添え、巨大な槍を外側へ押し流している。
「……アルディス様!」
兵士の声にも、アルディスは振り返らなかった。
白い鱗。
角の形。
槍を握る、太い指。
何度も剣を交えた相手が、刃の向こうにいる。
喉の奥から、名前が出かけた。
だが、その槍先は親子を狙っていた。
「……ずいぶん、懐かしい格好をしてるじゃねえか」
巨躯が、にやりと笑う。
「がっははは! 久しいな、アルディス!」
声まで、同じだった。
アルディスは剣を押し込み、槍を地面から外させた。
背後へ、短く声を飛ばす。
「親子と負傷者を下げろ」
若い兵が、はっと動いた。
巨躯の目が、その兵を追う。
アルディスが一歩ずれ、視線を遮った。
「俺を知ってるなら、こっちを見ろ」
「弱き者に、ずいぶん手を取られるな!」
巨躯が笑った。
「捨ててしまえば、思う存分戦えるぞ!」
アルディスの目が、細くなる。
「……ああ」
声が、低く沈んだ。
「お前は、ドグルじゃねえ」
笑い声が止まった。
「あいつはな。遅いと怒鳴りながら、最後の一人が来るまで待ってるような馬鹿だった」
地面に倒れた老兵を、若い兵が支えている。
アルディスは、それを背中で庇った。
「立てと言うなら、立つまで守った。お前みたいに、足を折って楽しんだりはしねえ」
巨躯は、黙っていた。
やがて、口元だけを動かす。
「……なるほど」
ドグルの声で。
ドグルなら、そんな場面で決して使わない調子だった。
アルディスは剣を構えた。
「誰だ、お前」
返事の代わりに、槍先が沈んだ。
◇
来る。
アルディスは、腰を落とした。
槍が突き出される。
長大な穂先が、胸の高さへ一直線に迫った。
剣の腹を添え、身体を半歩ずらす。
穂先が脇を抜けた、その瞬間、柄が回った。
突きから、横薙ぎ。
アルディスは剣を立てて受け、地面を滑った。
踵が二本の溝を刻む。
重い。
押し込まれた刃の向こうで、白い腕の筋肉が膨れた。
そのまま受け続ければ、背後へ押し戻される。
アルディスは力を抜き、柄を剣の上で滑らせた。
槍が流れた側へ踏み込み、巨躯の脇腹を斬る。
鎧が裂けた。
赤い血は出なかった。
切れ目の奥で、黒いものが揺れた。
巨躯は退かず、槍の石突きを振り上げる。
アルディスは身を沈めた。
頭上を鉄塊が通り過ぎ、背後の木が半ばから折れる。
「全員、南へ! 立ち止まるな!」
剣を返しながら叫んだ。
「で、ですが……ドグル様が……!」
老兵が、若い兵の肩を借りたまま動けずにいた。
巨躯が、その声へ顔を向ける。
「どうした。今度は逃げるのか?」
老兵の顔が歪んだ。
アルディスが間へ踏み込む。
「あいつの声で、こいつらを呼ぶな」
剣が、槍の柄を強く打った。
巨躯の腕が外へ開く。
その胸へ、二撃目を叩き込む。
足元の土が弾け、相手が数歩後退した。
「行け! あれは俺が止める!」
老兵は、裂けた鎧の奥を見た。
白い鱗の下で蠢く黒。
自分へ向けられた、あの槍。
唇を噛み締める。
「……列を、進めろ!」
掠れた命令だった。
「動ける者は荷車を押せ! 負傷者を乗せるんだ!」
止まっていた車輪が回る。
巨躯の槍が、ゆっくり持ち上がった。
穂先は、アルディスへ向いている。
だが、踏み込む足の向きが違った。
アルディスは、先に動いた。
槍が彼の脇を抜け、荷車へ伸びる。
剣で跳ね上げた。
穂先が空を裂き、荷台の上を通過する。
積まれていた布が舞い上がり、人々が悲鳴を上げた。
巨躯が、笑った。
「避けぬのか」
アルディスの頬に、細い傷が開いていた。
自分だけなら、横へ抜けられた一撃だった。
後ろに人がいるから、受けた。
相手は、それを見ていた。
「……そういう戦い方かよ」
剣を握る指が、締まる。
槍が再び迫った。
一撃目を外へ流す。
二撃目は柄を打ち、踏み込む。
三撃目の石突きを剣の鍔元で受けた。
衝撃が腕から肩へ抜ける。
それでも、アルディスは下がらなかった。
左足を相手の足の外へ置き、体勢を崩す。
開いた胸へ剣を走らせると、巨躯が斜面側へ踏み出した。
追う。
次の槍を避ける方向も、街道側には取らない。
相手の外側へ回り、その背を林へ向けさせる。
剣と槍が、立て続けに鳴った。
一合ごとに、二人の位置が道から離れていく。
その間に、最後尾の荷車が進んだ。
◇
巨躯が、槍を片手で回した。
低い位置から穂先が跳ね上がる。
アルディスは肩を引き、刃を紙一重で躱した。
見覚えのある連撃だった。
かつて何度も、このあとに大振りの薙ぎが来た。
受ければ押し潰され、退けば長い間合いに捕まる。
だが、本物は、こちらがどう凌ぐかを見ていた。
その目が面白そうに細くなる瞬間を、アルディスは覚えている。
目の前のものは、違った。
アルディスの剣より、その向こうを走る人々を見ていた。
槍が、途中で向きを変える。
また、街道へ。
アルディスは柄へ剣を叩きつけた。
「そっちは、もういい」
鋼が軋む。
「俺と戦いたかったんだろうが」
巨躯の顎へ、剣の柄頭を打ち込む。
顔が跳ね上がったところへ、肩から斜めに斬り下ろした。
鎧が割れ、白い鱗が裂ける。
巨躯が、初めて大きくよろめいた。
アルディスは追撃しようとして、足を止めた。
裂け目から、黒いものが滲んでいる。
それが地面へ落ちる前に、内側へ引き戻された。
鎧の奥で、何かが動いた。
「……ただの影とは、違うか」
巨躯が顔を上げる。
口元には、まだあの笑みがあった。
傷の痛みも、追い詰められた焦りも見えない。
その姿のまま、槍を構え直す。
肩の高さ。
握りの位置。
わずかに開く足。
何度も向かい合った、友の構えだった。
アルディスの胸に、記憶が浮かぶ。
次は決着をつけるぞ、と笑った顔。
そう言いながら、結局は仲間の危機へ先に走っていった背中。
剣先が、わずかに揺れた。
目の前のものは、その揺れを見逃さなかった。
「……どうした、アルディス」
懐かしい声が、呼ぶ。
「それでしまいか」
アルディスは、息を吐いた。
背後から聞こえる車輪の音は、遠ざかっていた。
兵士の呼び声も、子どもの泣き声も、少しずつ離れている。
それを確かめ、剣を正面へ戻す。
「顔も、声も、技も。よく真似たもんだ」
一歩、踏み出した。
「だが、槍を向ける相手だけは、間違えたな」
巨躯の足元が沈む。
アルディスも、腰を落とした。
もう、街道へ戻すつもりはなかった。
「俺の友は、お前が殺そうとした連中を守って死んだんだ」
剣に、光が宿る。
亡き英雄の姿をしたものが、竜騎槍を引き絞った。
白い鱗の奥を、黒い脈が走る。
「その顔で、これ以上、誰にも触らせねえ」
踏み込んだ二人の足元で、地面が砕けた。
剣と槍が、再び激突する。
今度は、街道ではなく。
人々の去った、北の林へ向かって。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、剣聖アルディスと亡き友ドグルの関係に焦点を当てたお話でした。
姿も、声も、戦い方も同じ。
けれど、その人が何を大切にしていたのかは、共に戦った者だからこそ分かるもの。
そして、剣聖の戦いはまだ終わりません。
次回、第69話「亡き友の槍、届け! 剣聖の意思!(後編)」
アルディスの剣が、何を斬り、何に届くのか。
どうぞお楽しみに!
面白かった、続きが気になると思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです!




