第64話「守るために、退くのだ!」
守り抜いた砦。けれど、戦いは城壁の前だけで起きているわけではありません。
届かない報せ、帰らない人々。
迫り来る危機の中、竜人国のアルゼイン王は、ひとつの決断を迫られます。
今回は、剣を振るうだけでは守れないもののお話です。
竜人国、王都。
「北部第二救護所との通信も、途絶えました」
アルゼイン・ヴェルグラードは、机上の地図へ目を落とした。
壊滅が確認された第一救護所。その南にある第二救護所へ、通信途絶を示す札が置かれる。
「予備の連絡経路は?」
「応答がありません。確認隊と騎馬伝令を出しておりますが、街道で影の目撃が相次ぎ、到着が遅れています」
王は、隣に置かれた書類を引き寄せた。
避難民の出発と到着を記した一覧だった。
出発欄には、人数と護衛部隊の名が並んでいる。
しかし、到着欄には空白が目立った。
「第三街道を通った一団は?」
「第一救護所への到着を確認できておりません」
「経路を変えた可能性は」
「近隣の拠点へ照会中です。護衛隊からの報告も、まだ……」
報告官が言葉を切る。
記録が届いていないだけかもしれない。
別の道へ逃れているのかもしれない。
だが、確認できない人数は増えていた。
アルゼイン王は、地図の北へ視線を移した。
砦を示す駒は、すべて残っている。
「各砦の兵力と、後方へ出せる予備兵力を集めよ」
「はっ」
「補給路の状況もだ。軍議を開く」
◇
竜人国北部、国境警備砦。
「第二波、接近!」
見張りの声に、竜人兵たちが盾を並べた。
黒い影が、砦へ押し寄せてくる。
人に似たもの。四つ足で駆けるもの。揺らぐ輪郭が重なり、門前の地面を覆っていく。
「弓兵、放て!」
矢が先頭の影を捉えた。
崩れた身体を乗り越え、後続が迫る。
兵士の一人が、短く息を詰まらせた。
胸の奥が冷える。
盾を握る手から、力が抜けかける。
「右を見ろ! 一人じゃない!」
隣の兵士が、盾を打ち合わせた。
硬い音が響く。
兵士は歯を食いしばり、足を踏み直した。
「槍兵、突け!」
盾の間から槍が伸びる。
砦の上で雷が弾け、押し寄せた影を引き裂いた。
「右側、三体!」
「任せろ!」
巨体の竜人が踏み込み、槍を横薙ぎに振るう。
影が吹き飛んだところへ、隣の兵が追撃を加えた。
「深追いするな! 門から離れるな!」
指揮官の命令に、隊列が戻る。
やがて、最後の一体が黒く崩れた。
「……討伐完了!」
兵士たちが息を吐く。
盾を下ろした若い兵士の額から、汗が滴った。
「負傷者を救護班へ! 次が来る前に矢を補充しろ!」
指揮官の声で、砦は再び動き始めた。
「今日も、通さなかったな」
隣の兵士に言われ、若い兵士は頷いた。
「ああ」
振り返れば、南へ続く街道が見える。
そこを、朝まで避難民の荷車が通っていた。
「……皆、次の救護所には着いたかな」
「着いているさ。俺たちが、ここを守ったんだ」
若い兵士は、槍についた泥を拭った。
次も止める。
そう思いながら、再び門の外へ向き直った。
◇
王都、軍議室。
「各砦は、引き続き襲撃を撃退しております」
軍務官が北部の駒を指した。
「補給には遅れが出ていますが、直ちに維持できなくなる状況ではありません」
「後方へ送った予備部隊は?」
「救護所と街道へ配置済みです。新たに動かせるのは、王都守備隊の一部のみとなります」
別の官吏が、報告書を広げた。
「第三救護所では、到着予定の半数ほどしか受け入れを確認できておりません。負傷者の搬送も滞っています」
「迂回している者は?」
「確認できた分は差し引いております」
軍務官の眉が寄った。
「……護衛を増やしても、足りぬか」
「拠点を守れば街道が手薄になります。街道へ出せば、今度は救護所から増援の要請が……」
言葉が途切れた。
アルゼイン王は、報告を聞きながら地図を見つめていた。
北部の砦には、まとまった兵力がある。
その後方では、小さな部隊が幾つもの街道と救護所を守っている。
敵の侵入経路は分からない。
しかし、人々が危険にさらされている場所は、既に分かっていた。
「北部の防衛線を、縮小する」
軍務官が顔を上げた。
「……砦から兵を引く、と?」
「段階的に撤収し、避難路の防衛へ回す」
広間がざわめいた。
「陛下。砦を離れれば、現在押し留めている影も南下します。撤退中に追いつかれれば、兵も民も、城壁のない場所で戦うことになります」
「承知している」
王は、後方の救護所を指した。
「だが、ここで護衛を待つ者たちには、その城壁すらない」
軍務官は、地図へ目を戻した。
「砦の兵を動かさずに、救護所と避難路を守り切れるか」
しばらく、返事はなかった。
「……現状の予備兵力では、困難です」
王が頷く。
「これまでの防衛が誤りだったとは思わぬ。兵が踏みとどまったからこそ、村を空にし、民を逃がす時間を得た」
北端の駒へ、手を添えた。
「その民が、今は後方で足を止めている。ならば、兵を届けねばならぬ」
「撤収の順序は、いかがなさいますか」
軍務官の声が変わった。
王は、中央の砦から南へ続く街道をなぞる。
「各砦が一斉に離れることは避ける。街道と連絡を確保できた部隊から、負傷者と輸送隊を先に出す。隣接する砦と時刻を合わせ、後衛を残して撤収せよ」
「途中の避難民と合流させますか」
「そうだ。ただし、物資の回収で出発を遅らせるな。運び切れぬものより、生きている者を優先する」
書記の筆が、紙の上を走った。
「王都を一時的な受け入れ拠点とする。だが、全員をここへ集める必要はない。教国や獣人国へ直接抜けられる一団は、確認の取れた道へ誘導せよ」
「受け入れ人数と護衛の引き継ぎ地点を、両国へ照会いたします」
「頼む。援軍先遣隊にも新しい配置を伝えよ。到着先だけが変わり、連絡が追いつかぬ事態は避けたい」
軍務官は地図を見渡し、深く頭を下げた。
「承りました。撤収計画を、各砦へ送ります」
「もう一つ」
王の声に、筆が止まる。
「命令には、兵たちが砦を守り抜いたことを記せ」
軍務官が顔を上げた。
「敗れて退くのではない。守る相手のもとへ向かうのだ。そのことを、曖昧にしてはならぬ」
アルゼイン王は、居並ぶ者たちを見渡した。
「土地を取り戻す戦いは、生き残ればできる。失った命を迎えには行けぬ」
その声は、広間の奥まで届いた。
「守るために、退くのだ」
「はっ!」
軍務官たちが、一斉に動き出した。
◇
北部国境警備砦。
「……撤収命令、ですか」
指揮官は、伝令が差し出した書状を読み返した。
隣接する砦との連携。
負傷者の先行搬送。
後方街道で滞留する避難民との合流。
その下に、救護所の被害が記されていた。
「隊長!」
若い竜人兵が駆け寄ってきた。
「砦を離れるというのは、本当ですか?」
「ああ。南へ移動し、避難民の護衛に就く」
「ですが、俺たちはまだ戦えます! 今日だって、影を通していません!」
「知っている。門前で見ていた」
指揮官は、書状を下ろした。
「だから、その力が後ろで必要なんだ」
若い兵士が、言葉を止める。
「……後ろで?」
「第一救護所が失われた。第二救護所とも連絡が取れない」
兵士の顔から、血の気が引いた。
「そんな……。朝の荷車は、あそこへ……」
「今、所在を確かめている」
指揮官は、若い兵士の肩へ手を置いた。
「お前たちが戦った時間は、無駄ではない。村を出られた者がいる。この門を通り抜けた者がいる」
兵士は、南へ続く街道を見た。
朝、荷車から手を振った子どもがいた。
槍を見上げて、すごいな、と笑っていた。
「……まだ、道の途中なんですね」
「ああ。今度は、そこを守りに行く」
若い兵士は、握っていた槍を立てた。
「何から運びますか」
指揮官が頷く。
「担架を頼む。自力で歩けぬ者から先に送る」
「はっ!」
兵士が駆け出した。
指揮官も振り返り、声を張る。
「撤収準備! 負傷者を先行させろ! 輸送隊は荷車の空きを確認、後衛は門前の警戒を継続!」
砦の中を、人と荷車が行き交い始めた。
矢を束ねる者。
治療用の魔石を箱へ収める者。
歩ける負傷兵が荷物へ手を伸ばし、仲間に止められている。
最後尾の出発前に、砦の旗が降ろされた。
指揮官は受け取った旗を畳み、濡れぬよう布で包んだ。
「隊長、準備完了です」
「よし」
城壁へ、一度だけ目を向ける。
何度も敵を退けた門が、開いていた。
指揮官は旗を抱え、部下たちの待つ街道へ歩き出した。
◇
竜人国、王都。
広場へ運び込まれた大鍋から、湯気が上がっていた。
「こちらは休憩所です! 治療が必要な方は、右の天幕へ!」
「ご家族と一緒にお進みください!」
「教国方面へ向かう方は、出発の前に名簿を確認します!」
人々の列を、兵士と文官が案内していく。
幼い子どもを抱えた母親が、腰掛けへ座り込んだ。
差し出された水を受け取る手が、震えている。
「……ここで、少し休んでもいいんですか」
「はい。次の出発までは時間があります。食事も、すぐに運びます」
母親が頭を下げた。
その腕の中で、子どもが兵士を見上げる。
「また、歩くの?」
「次は荷車に乗れるようにするよ。お母さんと一緒にな」
兵士がしゃがんで答えると、子どもは母親の服を握ったまま、小さく頷いた。
少し離れた場所で、アルゼイン王がその様子を見ていた。
「教国側への第一陣は?」
「受け入れの確認が取れました。護衛の引き継ぎも手配済みです。獣人国側へ抜ける経路は、斥候隊の報告を待っております」
「到着を確認するまで、一団ごとの記録を追え。出発させただけで、送り届けたことにしてはならぬ」
「はっ」
側近が書類へ記す。
「援軍の飛行魔道具にも、撤収方針を伝えました」
「返答は」
「到着後、後方の救援へ動けるよう準備するとのことです」
王は、小さく息を吐いた。
広場の一角で、泣いていた子どもが母親と再会した。
抱き合う二人の傍らで、案内役の文官が目元を拭っている。
王は、その光景をしばらく見つめた。
「……この先へ、送り届けねばな」
側近が、深く頷いた。
◇
竜人国に向かう飛空艇内。
「……砦から、退くんですか?」
私が聞き返すと、カナメさんが通信記録を頷いて示した。
「前線の兵を、避難路の防衛へ回すそうでござる。今も、各砦で撤収が始まっている」
机の上の地図には、南へ向かう幾つもの線が引かれていた。
砦は守れている。
でも、その後ろで、助けを待っている人たちがいる。
アルゼイン陛下は、そちらへ兵士さんたちを向かわせたんだ。
「……難しい命令じゃな」
ドーンさんが、腕を組んだ。
「勝っている兵に退けと命じるのは、負けた兵を引かせるより難しいこともある」
「だが、決めた」
アルディスさんは、地図から顔を上げた。
「なら、俺たちは退いてくる連中を助けよう」
「受け入れ先の変更を確認するでござる。ルカ殿にも、新しい移動経路を」
「私から伝えますね」
ルシャナさんが通信魔道具へ向かう。
隣では、シルキーさんが器材箱の蓋を閉じていた。
「観測器材は、現場へ持ち出す分を分けてあるのです!」
「救護班も、すぐ下ろせるようにしておく」
レスターさんが、船員さんたちへ声をかける。
ネスラさんは航路図を開き、操船担当の人と確認を始めた。
私もミライを握った。
「ミライ。街道で使う結界の記録を出して。馬車を動かしたまま守れるようにしたい」
『YES、セリス。該当記録を表示します』
青銀色の光が、地図の隣へ浮かぶ。
砦を離れた兵士さんたちは、これから城壁のない場所で戦う。
だったら。
必要なところへ、私が壁を作ればいい。
「シルキーさん、この部分、一緒に見てもらえますか?」
「もちろんです!」
船は、北へ進み続けていた。
◇
竜人国北部、南へ続く街道。
「最後尾、合流しました!」
報告を受け、砦の指揮官が頷いた。
撤退部隊は、途中で足を止めていた避難民の一団を加え、南下していた。
負傷者を乗せた荷車。
子どもの手を引く家族。
杖をつき、懸命に足を運ぶ老人。
その両側を、竜人兵たちが固めている。
若い兵士は、荷車の後ろへ肩を入れた。
車輪が窪みを越えると、荷台の老女が振り返る。
「すまないねえ」
「大丈夫です。この先は、少し平らになりますから」
顔を上げると、前を行く子どもがこちらを見ていた。
朝、砦を通った荷車に乗っていた子だった。
「……あんた、門にいた人だ」
「ああ」
兵士は、息を整えながら笑った。
「追いついたぞ」
子どもが、初めて少し笑った。
そのとき、後方から声が上がった。
「隊長! 北の森に動き!」
指揮官が振り返る。
木々の間から、黒い影が現れていた。
一体が街道へ出る。その後ろに、さらに数体。
「後衛、展開。前の荷車は止めるな」
兵士たちが槍を構えた。
だが、森から出てくる影は途切れなかった。
木の幹に隠れていたものが、次々と街道へ流れ込む。
そのさらに奥でも、黒い輪郭が重なっていた。
「……隊長」
見張りの声が、強張る。
指揮官は近くの荷車へ足をかけ、後方を見渡した。
来た道が、見えなくなりつつあった。
影は街道だけではない。
両脇の林からも、枝を揺らして姿を現している。
「伝令!」
「はっ!」
「大規模な影の群れを確認。避難民を護衛して南下中。現在位置を伝え、救援を求めろ!」
伝令が馬へ飛び乗る。
指揮官は、残った兵たちへ向き直った。
「後衛は交代で下がる! 敵を追うな、列から離れるな! 歩けぬ者を荷車へ乗せろ!」
若い兵士が、子どもの背をそっと押した。
「前へ。お母さんと一緒に行くんだ」
「兵隊さんは?」
兵士は、迫る影へ視線を向けた。
胸の奥に、冷たいものが広がっていく。
それでも、盾を持つ仲間の隣へ立った。
「すぐ後ろにいる」
指揮官の声が響いた。
「槍、構え!」
穂先が、一斉に北を向く。
「敵の数は!?」
見張りが答えようとして、息を呑んだ。
森の奥から、まだ影が出てくる。
先ほどまで数えられていた隙間が、黒く埋まっていく。
「……数え切れません!」
指揮官が、槍を握り直した。
背後では、荷車の車輪が軋んでいる。
子どもを呼ぶ声と、歩みを励ます声が続いていた。
もう、守るべき人々は遠くの救護所にはいない。
兵士たちの、すぐ後ろにいた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は「勝っているのに退く」という、少し難しい決断のお話でした。
砦を守り抜いた兵士たちの努力は、決して無駄ではありません。その力を、今度は助けを待っている人々のもとへ。
アルゼイン王、なかなか格好いい王様じゃないでしょうか!( *´艸`)
そして、若い兵士の「追いついたぞ」。
守る場所が変わっても、守りたいものは変わらないんですよね。
……とはいえ、最後の影、多すぎませんか!?
次回、いよいよ英雄たちの出番です!




