第58話「Summoning Courage ―振り絞る勇気―」
倒したはずの影が、再び現れる。
しかも今度は、救護馬車へ向かって――。
第58話「Summoning Courage ―振り絞る勇気―」
強さだけでは守れないものがある。
それでも、できることはきっとある。
森から現れた二つの影は、別々の方向へ走り出した。
一体は警備所の門へ。もう一体は石壁から離れ、街道沿いの木々へ潜り込む。
「ミライ、二体とも追って!」
『YES、セリス。対象二体を捕捉』
杖の先に浮かぶ魔法陣へ、二つの反応が示された。
速さは、さっき戦った影とそれほど変わらない。位置さえ分かれば、まとめて――。
そう思ったところで、一方の反応が大きく動いた。
木々を抜けた影が、私たちの横を回り込むように街道へ出る。
その先には、走り始めた救護の馬車がいた。
「馬車へ向かってる!」
「街道はわたくしが引き受けるのです! セリスさんは門側を!」
「はい!」
シルキーさんが杖を掲げ、近くの兵士さんへ声を飛ばした。
「ダリオ! 馬車を止めずに進ませるのです!」
「承知しました!」
交代要員をまとめていたその人が、護衛へ合図を送る。
私は門へ向かう影の前に出た。
黒い頭が、こちらへ向く。
次の瞬間、影が地面を蹴った。
「ここは通しません!」
ミライの先端へ魔法陣を重ね、光の軌道を三つに分ける。迫る腕を一本で迎え、残りを左右へ回した。
影が身を翻す。
その動きに合わせて、逃げ道へ伸ばした光を曲げる。
……そこ!
「ミライ、対象の周囲へ!」
『範囲を限定。雷撃』
青白い雷が、三方から黒い身体を包んだ。
影は腕を伸ばしたまま崩れ、光の中へ消える。
『対象一体、消失』
私はすぐに街道へ向き直った。
紫色の雷が、もう一体の行く手を横切っていた。
「《雷槍》!」
シルキーさんの魔術が地面を貫く。
影が跳んでかわすと、雷はそこから枝分かれし、着地する場所を囲んだ。
馬車から遠ざけながら、逃げ道を塞いでいる。
これなら――。
ぱちっ、と雷の端が途切れた。
「……っ」
シルキーさんが杖を返す。
途切れた箇所はすぐにつながったけれど、影はすでにその外へ身を投げ出していた。
黒い身体が地面を転がり、起き上がる。
こちらを振り返らず、また馬車へ走り始めた。
「私が止めます!」
私は影の進路へ意識を向けた。
馬車の後ろ。護衛の人たちより、さらに手前。
「《光壁》!」
街道を横切って、薄い壁が立ち上がった。
影が飛び込む。
ぶつかった光の表面が、大きく波打った。
……あれ?
衝撃を受けた場所だけじゃない。
壁の端まで、一瞬、形がずれた。
『障壁の維持に補正が必要です』
「分かってる!」
私は魔力の流し方を変え、壁を支え直した。
影が黒い腕を押しつける。その向こうで、馬車の車輪が回り続けていた。
「そのまま押さえていてほしいのです!」
「はい!」
シルキーさんの杖へ、紫電が集まる。
今度の雷は枝分かれしなかった。
一本に束ねられた光が、壁に阻まれた影を背後から貫く。
黒い輪郭が膨らみ、崩れた。
『対象二体目、消失』
私は光壁を残したまま、街道の左右を見渡した。
追ってくるものはいない。
馬車も止まっていない。
「……よかった」
ミライを握る指から、少しだけ力が抜けた。
今度は、あの人たちへ近づかせずに済んだ。
◇
その少し前、救護馬車の中で、エリオは目を閉じようとしていた。
まぶたを下ろすたびに、中庭が浮かぶ。
閉じた門。構えた弓。影を消し飛ばした魔術。
そして、背後から聞こえた悲鳴。
エリオは目を開けた。
向かいでは、同じ警備隊の仲間が毛布にくるまっている。隣に座った治療班の女性が、その手首に指を添えていた。
「……眠れませんか?」
治療班を率いるマリアだった。
エリオが頷くと、彼女は水の入った器を差し出した。
「少し飲みましょう」
両手で受け取っても、水面の揺れは収まらなかった。
馬車が揺れているせいばかりではない。
「……倒したのは、分かってるんだ」
器を見つめたまま、エリオは呟いた。
「あの子が、本当に倒してくれた。なのに、また来る気がして……」
外で、馬がいなないた。
「後方より接近! 馬車はそのまま進め!」
護衛の声が響く。
器が手から滑った。
床を打つ音とともに、水が足元へ広がった。
エリオは拾おうとした。
だが、身体を屈めることさえできなかった。
まただ。
胸が詰まり、息が浅くなる。幌の向こうを見なければと思うのに、顔を上げられない。
「エリオさん」
マリアが器を拾い、脇へ置いた。
「私の声は聞こえますか?」
答えようとしても、喉が動かなかった。
門を閉めた。
敵も倒した。
それでも、背後にいた。
「馬車は進んでいます。今も、止まっていませんよ」
マリアの声が続いた。
……進んでいる。
車輪が石を踏み、床が揺れた。
身体が傾く。その揺れを感じて、エリオはようやく座席の縁をつかんだ。
外から雷鳴が聞こえた。
向かいの仲間が身を縮め、毛布を頭まで引き上げる。
エリオも目を閉じかけたが、その前に、幌の隙間を走る護衛の姿が見えた。
誰かが、まだ外にいる。
馬車を進ませるために走っている。
「……マリア、さん」
「はい」
声が出た。
自分でも驚くほど、かすれた声だった。
「後ろ……見えてるか」
「護衛の方が警戒しています」
エリオは小さく首を振った。
うまく伝わらない。息を継ぎ、もう一度言葉を探す。
「一体だけを、見ないで……」
マリアが顔を近づけた。
「門の外を見てたんだ。みんな……そっちを。それで、後ろに……」
中庭の話は、もう伝えた。
それでも今、外で戦っている人たちにも届いてほしかった。
マリアは頷き、幌の脇から護衛へ声をかけた。
「警備所では、別方向からも襲われたそうです! 見えている一体のほかにも注意を!」
「了解! 左右も見ろ!」
声が馬車の外へ渡っていく。
マリアが戻ってきたとき、エリオはまだ座席の縁を握っていた。
「伝わりましたよ」
「……ああ」
息を吐くと、指が少しだけ緩んだ。
怖さは消えていない。
もう一度大きな音がすれば、また動けなくなるかもしれなかった。
それでも、今度は声を出せた。
エリオは足元に落ちていた毛布を、ゆっくりと膝へ引き上げた。
◇
「補正した箇所とは、別のところが揺らいだのです」
シルキーさんは、影の消えた地面を見ていた。
「光球のときと、同じ強さで干渉されると思っていたのです?」
「……ええ。そこは、見誤りました」
私はミライに、先ほどの光壁の記録を出してもらった。
壁を保つために加えた補正が、細い線になって浮かぶ。
一度直せば終わり、という揺れ方ではなかった。
「場所が違うからなのか、影が近づいたからなのか……」
「術式によって違う可能性もあるのです」
シルキーさんは表示を確かめ、それから自分の杖へ目を落とした。
「広く展開する魔術は、特に注意が必要なのです。今のところは、なのですが」
「ミライ、影が消えたあとは?」
『干渉反応は継続。明確な低下は確認できません』
……やっぱり。
二体とも倒した。
けれど、ここに残っているものまで消せたわけではない。
私は馬車の遠ざかった方を見た。
「さっきの影、ずっと馬車へ向かってましたね」
「ええ。わたくしの雷を抜けたあとも、こちらへは来なかったのです」
「私たちより、あの人たちを狙ってたのかな」
シルキーさんは、すぐには答えなかった。
「理由は分からないのです。ただ、追っていた相手は記録しておくべきなのです」
私はミライへ頷いた。
「最初に回り込んだところから、残しておいて」
『YES、セリス』
あの影が考えていたのかどうかは、分からない。
弱い相手を探したのか、馬車の動きに反応したのか、それとも別の理由があるのか。
ただ、こちらが待ち構えている場所へ、全部が来てくれるわけではなかった。
「シルキー様!」
ダリオさんが駆け寄ってきた。
「馬車への被害はありません。護衛から合図が来ました」
「ご苦労さまなのです。こちらも、撤収の確認を進めるのです」
「はっ!」
ダリオさんが警備所へ向き直りかけたところで、私は声をかけた。
「あの、さっき話してくれた兵士さんのお名前、分かりますか?」
「あなたが支えていた……エリオですか?」
「エリオさん……」
ようやく名前を知れた。
助けに来てから、聞く余裕もなかった。
「あいつとは、同じ村の出なんです」
ダリオさんは街道へ目を向けた。
「俺たちが交代に来たときも、森を見るなって、袖をつかんできて……最初は、何を言ってるのか分かりませんでした」
「私にも、森へ行くなって言ってました」
ダリオさんがこちらを見る。
「そのあと、中庭で襲われたことも教えてくれました。怖そうでしたけど、伝えないと、また同じことになるって」
彼は少しの間、黙っていた。
それから、ゆっくり息を吐く。
「……あいつらしいな」
私は馬車の消えた道を見た。
あのとき、エリオさんの手は震えていた。
水の入った器を持つのも大変そうだったのに、話すのをやめなかった。
「次に会ったら、ちゃんと名前を呼んで、お礼を言いたいです」
「ええ。俺も伝えます」
ダリオさんは頷き、交代要員の人たちのもとへ戻っていった。
◇
警備所の中を確かめた兵士さんたちが、門から出てきた。
残っていた記録と、持ち出せる救護用品。手分けして運んできたものを、最後の荷車へ積んでいく。
シルキーさんは報告を受け、人数を確認していた。
私もミライを構えたまま、森を見ていた。
今は何も動いていない。風が吹けば枝が揺れ、葉の擦れる音がする。
でも、静かになったから終わったとは、もう思えなかった。
「……ミライ。ここまでの反応と、移動したときの変化を比べられる?」
『YES、セリス』
「影が近くにいたときも、消えたあとも。違いがあるなら、知りたい」
『記録を比較します』
青白い線が浮かび上がる。
まだ、何を意味しているのか分からない。
けれど、エリオさんの話も、シルキーさんの雷が揺らいだ瞬間も、確かにここに残っている。
「調べることが増えたのです」
隣へ戻ってきたシルキーさんが、表示を覗いた。
「はい。いっぱいあります」
「ふふーん♪ では、戻ったら忙しくなるのです」
「その前に、皆さんを送り届けないとですね」
「もちろん、そのつもりなのです!」
私はミライの表示を閉じた。
影を倒す魔術は使える。
次は、この干渉の中で、どうすれば人を守り続けられるか考えたい。
光壁に、影は通さなかった。
でも、兵士さんたちを苦しめているものまで防げたかは、分からないままだ。
「セリスさん、出発するのです」
「はい!」
最後の荷車が動き出した。
私はその後ろにつき、警備所を離れた。
森から何かが出てきたら、今度もここで止める。
前を進む車輪の音を聞きながら、ミライを握り直した。
お読みいただき、ありがとうございます!
今回の主役は、ある意味エリオだったかもしれません。
恐怖が消えたから動けるのではなく、怖くても、誰かのためにできることがある。
そんな小さな勇気を描いてみました。
そして、影を倒しても残り続ける不可解な現象。
セリスとシルキーの魔術研究にも、新たな課題が生まれそうです。
次回もお楽しみに!
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