第56話「倒したのに、終わらない!?」
今回から第6幕「絶望情報強度」開幕です!
魔族国での魔術研究も絶好調!
セリスとシルキーの魔術談義は、今日も止まりません(笑)
ところが、国境から届いたのは、ちょっと奇妙な報告で……?
新章も、魔法大好きセリスの冒険をお楽しみください!
森を走っていた。
枝が頬を裂き、足元の石に爪が欠けても、群れの長は足を止めなかった。背後には仲間たちが続いている。聞き慣れた足音を数えながら、川へ向かってひた走る。
五つあった足音が、四つになった。
次に振り返ったときには、三つ。
今、ついてきているのは二人だけだった。
何が起きているのか分からない。
縄張りを荒らす魔物なら戦えばいい。勝てない相手なら、群れを連れて逃げればいい。それが森で生きるための掟だった。
だが、倒れた仲間が立ち上がったのだ。
名前を呼んでも答えず、差し伸べた手へ襲いかかってきた。あの身体には、もう見知った顔さえなかった。
木々の向こうに、川面が見えた。
「先に行け!」
長が叫ぶと、若い仲間が振り返った。
「でも、長は!」
「俺は後から行く! 川を越えて、岩穴まで走れ!」
あそこなら、細い入口を塞いで休める。乾いた薪も、食べ物も残してある。
二人がたどり着くまで、自分がここで止めればいい。
若い仲間は何か言いかけたが、隣の一人に腕を引かれ、再び走り出した。
その背を確かめてから、長は闇へ向き直った。両手で棍棒を握り、足を踏ん張る。
「来い!」
木々の間に、黒いものが立っていた。
動かない。
襲いかかってくる気配もない。
それなのに、棍棒を握る指が震えた。息を吸っても胸の奥まで届かず、足元の土が遠く感じられる。
長は歯を食いしばり、川へ目を向けた。
二人が浅瀬へ下りていく。
あと少しだ。川を越えれば、岩穴まで――。
対岸の茂みが揺れた。
黒いものが一つ、岸へ出てきた。その隣にも、もう一つ。
「……おい」
若い仲間が立ち止まった。
行く手を塞ぐものを見て、それから、長の方を振り返る。
助けを求める顔だった。
長は踏み出そうとした。川へ走り、二人を別の道へ逃がさなければならない。
だが、膝が動かなかった。
手から棍棒が滑り落ちる。
拾おうとしても、指の感覚が分からない。
自分が、川へ行けと言った。
あそこを越えれば助かると、信じて。
……逃げ道など、なかったのか。
水の音が遠ざかった。仲間の叫びも、自分の呼吸も、深いところへ沈んでいく。
足元から、身体の輪郭が黒く滲んだ。
やがて、そこに残ったものが歩き出した。
川へ。
長が逃がしたはずの、二人のもとへ。
◇ ◇ ◇
「……えへへ」
机の上で、小さな光がくるくる回っている。
指を動かすと右へ。手を開くと、薄く広がって図面を照らす。もう一度指先へ集めても、今度はちらつかなかった。
「シルキーさん! 今の、見ました!?」
「もちろん見ていたのです!」
隣から、シルキーさんがぐいっと身を乗り出した。
「ふふーん♪ 接点の配置を変えた甲斐があったのです!」
「こっちの調整も、うまくいったみたいです! ミライ、さっきの式を表示して!」
『YES、セリス』
青白い文字列が、図面の上へ浮かび上がった。
万物方程式の一部、共鳴顕現方程式。アリアさんが自分の魔術を使えた、あの仕組みだ。
今は、使う人のイメージをもっと滑らかに現象へ反映できるよう、ミライと調整している。
シルキーさんが文字列を睨み、すぐに図面へ視線を戻した。
「……こちらの回路なら読めるのです」
「同じことを書いてるんですけどね」
「同じに見えないのです!」
でも、光の動きが変わったことには、私より先に気づいていた。
やっぱり、一緒に研究できるのって楽しい。
シルキーさんの机には、もう一本、短い試作杖が置かれていた。共鳴顕現方程式を刻んだ、研究用のものだ。
ミライのように術式を考えてくれるわけではないし、《発光》一つ登録していない。周囲の魔力を自動で集める機能だってない。
魔力とイメージを現象へ結びつける、基礎の部分だけが入っている。
「そっちは、何から試すんですか?」
「まだ決めていないのです」
「えっ。昨日、あんなに図面を描いてたのに?」
「試したいことが増えすぎて、決まらないのです!」
……ああ。
それは、とってもよく分かる。
「じゃあ、片っ端から?」
「もちろん、そのつもりなのです!」
顔を見合わせ、二人で笑った。
次は光の形をもっと細かく変えてみようか。それとも、風の流れと組み合わせたら――。
「シルキー様!」
研究室の扉が開き、伝令兵が駆け込んできた。
シルキーさんが顔を上げる。さっきまで笑っていた口元が、すっと引き締まった。
「北西の国境警備所より、緊急報告です! 警備隊が、壊滅状態に……!」
「襲撃を受けたのです?」
「確認中です。交代要員が到着したところ、隊員の大半が行動不能になっていました。一部は行方が分からず、呼びかけにも、まともな返答が……」
私はミライを握り直した。
「怪我をしてるんですか?」
「外傷のない者が多いそうです。砦そのものにも、大きな損傷はありません」
外傷がないのに、動けない。
毒だろうか。それとも、精神に働きかける魔術?
今の話だけでは、何も分からない。
でも、怪我が見えないから平気、ということではないはずだ。
「治療班と搬送の手配をお願いするのです。わたくしも現地へ向かいます」
「はっ!」
伝令兵が出ていくと、シルキーさんは愛用の杖を手に取った。
「私も行きます。ミライなら、原因を調べる手伝いができるかもしれません」
「頼りにしているのです。ただし、何が起きているか分かるまでは、慎重に動くのです」
「はい!」
机の上では、さっき作った小さな光が、まだ静かに回っていた。
私はそれを消し、シルキーさんの後を追った。
◇ ◇ ◇
国境警備所は、森の入口に建つ小さな砦だった。
見張り台は崩れていない。石壁にも目立った傷はなく、門も開いている。
けれど、中へ入ると、思わず足が止まった。
中庭に人がいる。
それなのに、迎える声が一つもない。
壁にもたれた兵士は、顔を伏せたまま動かなかった。井戸のそばでは別の兵士が両手で頭を抱え、同じ言葉を繰り返している。
交代要員らしい人が水を差し出していたけれど、それにも気づいていないようだった。
「……皆さん、こんな状態なんですか?」
「話せる者もいます。ですが、何があったのか聞こうとすると……」
答えた兵士も、ひどく疲れた顔をしていた。
私は近くに座り込んでいた人の前で、膝を折った。
「聞こえますか? 助けに来ました」
しばらくして、その人が顔を上げた。私を見て、唇がわずかに動く。
「……森へ、行くな」
「森?」
「あいつが……まだ……」
指が、私の袖をつかんだ。
驚くほど強い力だった。
「何をしても……」
その先は言葉にならず、兵士さんは俯いてしまった。
シルキーさんが隣にしゃがみ、様子を確かめる。
「精神に干渉を受けているようなのです。ただ、わたくしの知る呪術とは、様子が違うのです」
「ミライ。何か分かる?」
『周辺に、通常の魔力変動では説明できない干渉反応を検出。原因は特定できません』
「この人たちの状態と、関係あるのかな」
『判断には、追加の観測が必要です』
分からないことばかりだ。
それでも、手がかりはある。
「じゃあ、まず――」
ぱきり、と枝が折れた。
袖をつかんでいた手が、急に強くなる。
私は顔を上げた。
開いた門の向こう、木々の間に何かが立っていた。
人に似た形。けれど、顔も服も見分けられず、黒い輪郭がゆっくり揺れている。
その頭が、こちらへ向いた。
「ひっ……!」
兵士さんが息を詰まらせた。
井戸のそばで蹲っていた人も、地面を掻くようにして後ずさる。
「来た……!」
「門を……閉めろ……!」
私の胸の奥にも、冷たいものが触れた。
嫌な感じ。
あれを、ここへ入れたくない。
「シルキーさん、皆さんをお願いします」
「任せるのです!」
兵士さんの手をそっと袖から外し、立ち上がる。
背後で結界が広がるのを感じながら、私は門へ進んだ。
「ミライ、あの影を観測して」
『対象を捕捉』
影の身体が沈んだ。
次の瞬間、地面を蹴って飛び込んでくる。門までの距離が、一気に縮まった。
……速い。
でも、目で追える。
「そこまで!」
ミライの先端へ魔法陣を重ねた。光の軌道が幾筋にも分かれ、影の進路を囲む。
影は横へ跳んだ。
私はその動きに合わせて一本を曲げ、残りを逃げ道へ回した。
ミライが展開を支えてくれる分、相手の動きに集中できる。
うん。これなら――。
「捕まえた!」
光が黒い身体を貫いた。
影は大きく揺れたが、倒れなかった。腕を振り上げ、そのまま私へ迫ってくる。
私は斜め前へ踏み込み、伸びてきた腕の下を抜けた。
振り向いたときには、影だけが門の外にいる。
「ミライ、放電範囲を対象の周囲へ!」
『対象周囲へ限定。雷撃』
青白い雷が、黒い身体を包んだ。
一瞬、影の輪郭がくっきりと浮かぶ。
次いで、眩しい光の中で崩れ、消えた。
私は杖を構えたまま、森を見た。
追ってくるものはいない。
「……ミライ?」
『対象の反応消失。観測範囲内に、同様の活動反応は確認できません』
そこでようやく、息をついた。
「よしっ。倒せましたね!」
振り返ると、シルキーさんも森を確認していた。兵士さんたちを覆う結界は、まだ保たれている。
「こちらに被害はないのです」
「よかった……!」
初めて見る相手だったけれど、魔術は通じた。
これなら、ほかに現れても対処できそうだ。
あとは兵士さんたちを安全な場所へ運んで、何があったのか、落ち着いて聞ければ――。
「……来るな……」
かすれた声がした。
さっきの兵士さんだった。
両腕を抱え、門を見つめたまま震えている。
私は駆け寄り、目線を合わせた。
「もう倒しました。ここには入ってきませんよ」
兵士さんの目が、私へ向いた。
「……倒し、た?」
「はい。今、シルキーさんも守ってくれています」
つかえながら、息を吐く音がした。
ほんの少し、肩の力が抜ける。
けれど、次の瞬間には、その肩がまた跳ねた。
「……っ、あ……」
胸元を握りしめ、身体を折る。
私は思わず手を伸ばしかけて、止めた。
「苦しいですか?」
兵士さんは答えようとした。
何度も息を吸って、それでも言葉が出てこない。
怖かったことが、すぐに消えないのは分かる。
倒したと言われたって、簡単には信じられないのかもしれない。
でも、これは。
「シルキーさん……」
「分かっているのです」
シルキーさんが兵士さんを支える。その顔からは、戦いが終わった安堵が消えていた。
私も隣へしゃがみ、ゆっくり声をかけた。
「無理に話さなくて大丈夫です。ここにいますから」
震える手が、また私の袖をつかんだ。
「ミライ。さっきの干渉は?」
『現在も検出しています』
「影は、消えたんだよね?」
『はい。対象消失後も、周辺の干渉反応に明確な低下はありません』
私は門の外を見た。
影の立っていた場所には、何も残っていない。
焦げた地面と、風に揺れる草があるだけだ。
それなのに、ここではまだ続いている。
「……倒せば、止まるんじゃないんだ」
シルキーさんが、静かに頷いた。
「まずは、この場所から離すのです。調べるのは、それからなのです」
私は兵士さんへ向き直った。
「立てますか? 難しかったら、支えます」
返事の代わりに、袖をつかむ指が動いた。
私はその手を支えながら、ミライを握り直した。
敵は倒した。
ちゃんと、倒せた。
けれど、この人を助けるには、まだ何かが足りない。
兵士さんの震えが、私の手に伝わっていた。
新章初戦、セリスは今回も絶好調!
……のはずが、どうやら倒すだけでは解決しない相手のようです。
謎の影の正体は?
そして、兵士たちに何が起きているのか?
ここから少しずつ、世界に異変が広がっていきます。
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次回もお楽しみに!




