第55.5話「六柱の神々の推し活事件簿、魔術革命編!?」
神界には、六つの異なる神域がある。
地上で一日が過ぎる間に、百年分の思索を巡らせる神もいれば、一人の少女の言葉を、何度も繰り返し眺めている神もいる。
国の興亡。英雄たちの戦い。人々の願い。
そのすべてを見守る六柱の神々は、今日も、それぞれの水鏡へ目を向けていた。
映っているのは、魔族国ヴァルゼオンの、とある研究室。
そして、銀髪の少女である。
もっとも。
ほかの五柱も同じ少女を《我が適合者》と呼んでいることを、彼らはまだ知らない。
そんな神々の目の前で、世界の常識が、ひっそりと書き換えられようとしていた。
◇
――鍛冶神グランディルの神域。
果てしない工房の中央で、グランディルが筆を止めた。
「……ふむ?」
水鏡には、銀髪の少女と、小柄な魔族の魔術師が映っている。
二人の間に置かれているのは、小さな銀色の指輪だった。
『こちらから微弱な魔力場を作って、戻ってくる変化を拾うのです?』
『はい!』
老神は、身を乗り出した。
魔石から魔力を供給する仕組みなど、珍しくもない。
決められた術式を動かす魔導具も、すでに地上には数多く存在する。
だが、少女とミライが組み立てた仕組みは、その先へ踏み込んでいた。
使用者の内的世界と、外部の魔力場を共鳴させる。
思い描いた変化を受け取り、現象へ結びつける。
「……待て待て」
グランディルの指が、髭を撫でたまま止まる。
「これは、決められた魔術を呼び出すだけのものではないぞい?」
水鏡の中で、シルキーが顔を上げた。
『魔力を持たない人が、魔術師になれるかもしれないのです!』
老神の手から、筆が落ちた。
しばしの沈黙。
そして、次の瞬間。
「そういうことかぁぁぁ!!」
神域中の炉に、一斉に火が入った。
「魔力の供給源と、顕現の主体を分離したのか! しかも、あの小さな指輪に収めおった!」
グランディルは新しい筆を取り、机へ向き直った。
「セリス! シルキー! よくぞ形にした!」
指輪の構造を描き、その隣へ別の案を走らせる。
魔石の配置。共鳴を拾う経路。装着する指の太さに合わせた調整機構。
「……交換式にすれば、魔石を使い切っても済むのう」
一枚。
「こちらの配置なら、装着部分をもう少し薄くできるか……」
さらに一枚。
水鏡の中では、セリスがミライへ条件を伝え、演算結果を確かめている。
その様子を見るたびに、老神の机にも図面が増えた。
「ふぉっふぉっふぉ! 我が適合者、また面白いものを作りおったわい!」
……なお、描き上げた設計図を地上へ渡すつもりはない。
自分たちで次の改良に気づくところまで、見たいからである。
◇
――人間神アストレオンの神域。
白亜の神殿。
玉座に座るアストレオンは、水鏡に映る一人の女性を見つめていた。
『私、魔力がまったくないんです』
アリアと名乗った女性は、指輪を前に、困ったように笑っている。
魔力を持たない者。
魔術が文明の基盤となる世界で、その不便は決して小さくない。
魔導具を使えば、補えることも多い。
それでも、自分の思い描いた通りに魔術を顕現する感覚を、彼女は知らなかった。
やがて、水鏡の中で小さな光が灯った。
アリアが、棚の奥を見つめている。
もう少し手前へ、と意識を向けると、光がゆっくり移動した。
『……私が、動かしているんですか?』
『はい。あなたの、魔術です』
アストレオンは、静かに目を閉じた。
「……よい」
低く、満足げな声だった。
「実によい」
これまで届かなかった場所へ、一人の可能性が届いた。
それは、暗い棚の奥だけを意味しない。
魔術を使えなかった昨日。
自分の意志で光を動かしている今日。
その先に、アリアが思い描く明日は、もう同じものではないだろう。
「新たな道が、開かれたか」
アストレオンは目を開けた。
アリアが、眩しそうに細めていた目を緩める。彼女が柔らかな明かりを思い浮かべると、光も穏やかに変わった。
神の口元が、わずかに緩む。
「……もう一度、見ておくか」
水鏡が、少し前へ戻った。
『はい。あなたの、魔術です』
「……よい」
もう一度。
『あなたの、魔術です』
「……実によい」
人間神アストレオン。
数多の文明を見守ってきた《繁栄》の神は、今、一人の女性が初めて魔術を使う場面を、繰り返し眺めていた。
再生するたび、玉座の肘掛けを叩く指が、少しずつ弾んでいる。
「我が適合者、まことに見事」
◇
――竜神ゼルドラグの神域。
巨大な岩の闘技場で、ゼルドラグが腕を組んだ。
「……む?」
水鏡に映っているのは、小さな銀色の指輪だった。
少女が説明している。
魔石から魔力を供給し、使う者の内的世界と共鳴させるのだという。
「ほう。魔力を持たぬ者でも、魔術を使えると?」
アリアが指輪をはめた。
しばらくして、小さな光が生まれる。
「……小さいな」
竜神は、水鏡へ顔を近づけた。
戦場を埋め尽くす衝撃も、空を裂く雷もない。
指先から少し離れたところに、淡い光が一つ浮かんでいるだけだった。
だが、その光が動いた。
アリアが見つめた先へ、ゆっくりと。
明るさを変え、位置を変え、彼女の思いに応じて形を整えていく。
本人の魔力は、依然としてゼロ。
ゼルドラグの目が、見開かれた。
「……越えおったか」
低く呟き、それから大きく口を開く。
「がっははははは!!」
巨大な尾が、闘技場の床を叩いた。
「よい! 実によいぞ、アリア!」
水鏡の中で、女性が泣きそうな顔で笑っている。
「生まれ持った魔力がない。それで終わりにはせなんだか!」
竜神が立ち上がると、足元に亀裂が走った。
「昨日までできなかったことが、今日できるようになったのだ! 光の大きさなど、些細なことよ!」
己の限界を超える。
その一歩を、ゼルドラグは何より好んだ。
「見事だ! セリスも、シルキーも、よくぞ道を作った!」
ひとしきり笑ったあと、竜神は再び指輪を覗き込んだ。
「……ところで」
目が、さらに輝く。
「これで《インパクト》も使えんのか?」
……やはり、竜神である。
◇
――魔神ヴァルゼオンの神域。
漆黒の空に、赤い月が浮かんでいる。
その下で、ヴァルゼオンは水鏡を見つめていた。
『まだ分かりません!』
『分からないのです!?』
『だから、試してみたいんです!』
「……ふっ。相変わらずだな」
未知を前にして、少女は笑っている。
成功する保証などない。
それでも、知りたいから試す。分からないところを確かめ、一つずつ形にしていく。
《挑戦》を司る神にとって、好ましい姿だった。
「だが、今回の挑戦者は、お前だけではないな」
シルキーが、見慣れない構造の回路を確かめている。
ミライが演算結果を示し、セリスが修正を加える。
そして、アリアが指輪へ手を伸ばした。
『……本当に、私でいいんでしょうか?』
その声には、不安があった。
できなかったことを、もう一度試す。
期待して、また失望するかもしれない。
彼女が差し出した指先は、わずかに強張っていた。
ヴァルゼオンは、黙って見守った。
最初は、光が灯らない。
アリアが謝りかけると、セリスは彼女の言葉を聞き、ミライと仕組みを調整し始めた。
しばらくして、再び手が伸ばされる。
今度は、棚の奥に光が生まれた。
「……見事だ、アリア」
魔神は、静かに頷いた。
恐れがなかったわけではない。
それでも彼女は、自分の一歩を選んだのだ。
水鏡の中で、セリスが嬉しそうに笑っている。
ヴァルゼオンの口元も、緩んだ。
「お前は、自分の挑戦に、ずいぶん楽しそうに人を巻き込むな」
少女は指輪と光を交互に見つめ、何か新しいことを思いついたように顔を上げた。
隣のシルキーが、慌てて記録用紙を引き寄せる。
「……自分がどれほどのことを成し遂げたのか、分かっておるのか?」
少し考えてから、魔神は笑った。
「まあ、よい。まずは、存分に喜ぶがよい」
我が適合者の次の挑戦も、どうやら遠くはなさそうだった。
◇
――森神エルフィリアの神域。
透き通った泉のほとりで、エルフィリアが水鏡を見つめていた。
指輪から広がる微弱な魔力場。
使用者との共鳴によって生じる変化。
そして、その変化を現象へつなぐ繊細な制御。
「……美しいわ」
女神は、頬へ指を添えた。
「こんなに小さな仕組みに、よく収めたものね」
最初の試験が始まる。
しかし、アリアが手を伸ばしても、光は灯らなかった。
エルフィリアの眉が、ぴくりと動く。
「……共鳴は、起きているのに」
水鏡へ近づき、指輪の周囲を拡大した。
「場所を、決めきれていないのね」
その直後、セリスが顔を上げた。
『じゃあ、手を伸ばした方向と、共鳴の変化を合わせてみよう!』
女神の目が輝いた。
「そう。その手もあるわ」
ミライが演算し、セリスが回路へ調整を加える。
もう一度試すと、今度は棚の奥へ光が灯った。
エルフィリアは、その直前の場面へ水鏡を戻した。
調整前と調整後の術式を並べ、魔力の流れを見比べる。
「……ふふっ。ここが、つながったのね」
ただ失敗を消したのではない。
使う者の仕草まで受け取り、望む現象へ近づける形になった。
不完全だったものが、よりよくなる。
《完成》の女神は、その変化を嬉しそうに眺めた。
「……でも、まだ磨けるわ」
水鏡を止める。
少し進め、もう一度戻す。
回路の検証をしていたはずが、いつの間にか、アリアの光が滑らかに動くところまで見届けていた。
「我が適合者。次は、ここに気づくかしら」
女神は、楽しげに微笑んだ。
……なお、最初の試験場面へ戻ったのは、これで十二回目である。
◇
――獣神ラグナティスの神域。
果てしない草原で、ラグナティスが静かに水鏡を見つめていた。
映っているのは、研究室の隅にある棚。
アリアが、その暗い奥を指さしている。
『道具の管理札があるんです。でも、いつも影になっていて……』
ラグナティスの耳が、ぴくりと動いた。
セリスが、彼女の指した場所を覗き込む。
何をしたいのか、どこが見えないのか。その話を聞いてから、もう一度、指輪を調整した。
「……なるほど」
必要なのは、部屋中を照らす強い光ではない。
彼女が見たい場所へ届き、読める明るさになること。
やがて、棚の奥に小さな光が灯った。
アリアが目を細める。
少し眩しいと思ったのだろう。光が柔らかくなり、札の文字が浮かび上がった。
『……読めます』
女性の顔が、ほころんだ。
「よい判断だ」
ラグナティスは、静かに頷いた。
自分の暮らしの中で、困っていたことを変えられる。
そのための手段が、一つ増えた。
《生存》の神は、水鏡を閉じなかった。
アリアが光を手前へ呼び、棚へ戻す。
今度は隣の札を照らし、嬉しそうに文字を読む。
誰かに代わってもらうのではなく、自分で確かめている。
ラグナティスは、その様子を最後まで見届けた。
「……我が適合者」
口元が、少しだけ緩む。
「お前は、また誰かの生きる道を広げたのだな」
◇
六つの神域で、六柱の神々が、同じ小さな光を見つめていた。
それぞれが異なるものを見いだし、異なる喜び方をしている。
だが、その胸に浮かぶ言葉は同じだった。
――我が適合者。
そのとき。
六つの神域に、同時に通知が響いた。
《世界初の魔力非保有者による自発的魔術顕現を認定》
《功績者三名への経験値付与完了》
《セリス・アルフィーネ:Lv405》
《シルキー・リーン:Lv804》
《アリア:Lv25》
神々の動きが、止まった。
グランディルは筆を持ったまま、通知を見直した。
「……八百が、八百四?」
もう一度、数字を確かめる。
「レベル八百が、四つも上がったじゃとぉぉぉ!?」
炉の炎が、一段と高く噴き上がった。
一方、ゼルドラグは大きく膝を叩いていた。
「がっはははは! 世界も、この一歩を認めおったか!」
闘技場の床が、また割れる。
アストレオンは三人の名を順番に見つめ、深く頷いた。
「道を開いた者も、そこへ踏み出した者も。……うむ、よい」
ヴァルゼオンは、満足げに笑う。
「見事だ、挑戦者たちよ」
エルフィリアは通知から水鏡へ視線を戻した。
「成長したのなら、また違う調整もできるわね」
ラグナティスは、アリアの名のところで目を細めた。
「……その力で、次は何ができるようになるか」
それぞれの歓喜が、それぞれの神域へ広がっていく。
……なお、全員が同じ少女を推していることは、まだ誰にも知られていない。
◇
――魔族国ヴァルゼオン。
魔術師団の研究室。
「……へっくしゅん!」
セリス・アルフィーネが、突然くしゃみをした。
「……あれ?」
首を傾げたものの、隣から返事はなかった。
シルキーは、自分のステータスを見つめている。
「……四つ。四つも上がったのです……」
先ほどから、同じところを何度も確かめていた。
一方、アリアは指輪をはめた手を、そっと持ち上げた。
淡い光が、指先から少し離れたところへ浮かんでいる。
もう少し、手前へ。
そう思うと、光が近づいた。
手のひらへ載せるように意識すると、そこへ静かに収まる。
「……ふふっ」
アリアが笑う。
光を細く伸ばしてみようとすると、少しいびつな形になった。
彼女は驚いたあと、もう一度、ゆっくり思い描いた。
今度は、さっきより細く、柔らかな光になった。
「……セリスさん」
「はい!」
「本当に、ありがとうございます」
セリスはアリアの手元を見て、それから笑った。
「えへへ。こちらこそ、試してくれてありがとうございます!」
その声に、シルキーがようやく顔を上げる。
「……形まで変えたのです?」
「あ、はい。こんなふうになったらと思ったら……」
「記録するのです! 今のも、もう一度見せてほしいのです!」
紙を引き寄せるシルキーの横で、セリスがミライを持ち上げた。
「ミライも、ありがとう!」
『YES、セリス』
アリアの手の上では、小さな光がゆっくり姿を変えていた。
それを見るセリスの目が、また輝く。
「……これ、風でもできたら面白そうですね!」
「まずは、今の記録が先なのです!」
研究室に、明るい声が重なった。
――六柱の神々が、同時に次の試みを待ち始めたことなど。
もちろん、セリスは知る由もなかった。




