第38話「怖かったから、調べたいんです!」
怖いものは、苦手だ。
暗いところも、突然大きな音がするのも、あんまり好きじゃない。
ましてや、何がいるのか分からない森なんて。
「……うう」
私は、研究ノートの上に置いた手を見つめた。
指先が、少し震えている。
王立研究院の一室。
窓からは朝の光が差し込み、廊下の向こうから研究者さんたちの話し声が聞こえていた。
平和だ。
とっても平和。
なのに、あの日のことを思い出すだけで、胸の奥が冷たくなる。
北西大森林。
スタンピードの終盤、森の奥に感じた何か。
あれが何だったのか、今でも分からない。
「……やっぱり、怖かったですねえ」
「ぷい……」
「ぷるん……」
エルとレイも、今日は少しだけ静かだった。
私は、二人をそっと撫でた。
「……でも、気になるんですよねえ」
怖い。
ものすごく怖い。
だけど。
分からないままなのは、もっと気になる。
「……よし!」
私は、研究ノートを開いた。
そして、大きく書いた。
『あの森の何かを、見つける方法!』
「……何それ」
「ひゃあっ!?」
突然、背後から声がした。
振り返ると、ネスラさんが資料の束を抱えて立っていた。
「ね、ネスラさん! びっくりしたじゃないですか!」
「……三回、声かけた」
「えっ?」
「……全然聞いてなかった」
「……えへへ」
ネスラさんは、私のノートを覗き込んだ。
「……あの森?」
「はい!」
私は、勢いよく頷いた。
「スタンピードのとき、森の奥に何かいたでしょう?」
「……うん」
「……あれ、何だったんでしょうね」
ネスラさんは、少しだけ表情を引き締めた。
「……ちょうど、その報告を持ってきた」
「……えっ!?」
◇
机の上に、地図が広げられた。
北西大森林。
周辺の街道。
魔物が現れた場所。
そして、魔物たちが逃げてきた方向。
「……王国軍が、情報を整理してくれた」
「わあ! もうこんなに!」
「……うん。魔法師団の記録も合わせた」
ネスラさんが、地図を指さした。
「……魔物たちは、森の奥から逃げるように移動してた」
「……ですよね」
「……でも、何から逃げていたのかは分からない」
私は、地図を見つめた。
ゴブリンも、オークも、オーガも。
災厄級の魔物まで。
みんな、同じ方向へ逃げていた。
「……やっぱり、変ですよね」
「……うん」
「普通なら、あんなに違う魔物たちが一緒に逃げたりしませんよね?」
「……少なくとも、僕は聞いたことがない」
ネスラさんは、別の資料を差し出した。
「……それと、森の奥の異変を感じた後、魔物の流入が止まってる」
「……はい」
「……ただ、それが原因かどうかは分からない」
「そうですね」
私は、頷いた。
何かがいた。
魔物たちは逃げていた。
でも、その二つが本当に関係しているかどうかは、まだ分からない。
「……ちなみに、森の調査は?」
「……深部には入らない。陛下の命令」
「……よかったです」
私は、ほっと息をついた。
「……意外」
「えっ?」
「……君なら、行きたがると思った」
「ええっ!? 行きませんよ!?」
私は、慌てて首を振った。
「だって、何がいるか分からないんですよ!? 危ないじゃないですか!」
「……ちゃんと怖がってるんだね」
「もちろんです!」
私は、胸に手を当てた。
「……ものすごく、怖かったです」
エルが、肩の上で小さく震えた。
「ぷい……」
レイも、静かに揺れる。
「ぷるん……」
「……でも」
私は、研究ノートを開いた。
「怖かったからこそ、調べたいんです!」
ネスラさんが、顔を上げた。
「……どうして?」
「だって、何が怖いのか分からなかったら、次に同じことが起きたとき、どうすればいいか考えられませんから!」
「……なるほど」
「それに……」
私は、少しだけ笑った。
「……知らないことって、気になるじゃないですか!」
ネスラさんが、小さく息を吐いた。
「……やっぱり、君らしいね」
◇
「……で、どうやって調べるの?」
「それなんです!」
私は、勢いよく立ち上がった。
「ネスラさん! 見えないものって、どうやったら見えると思います?」
「……何の話?」
「魔力です!」
「……魔力感知なら、魔術師は普通に使うけど」
「そうじゃなくて!」
私は、両手を広げた。
「誰でも見えるようにしたいんです!」
「……誰でも?」
「はい!」
私は、にっこり笑った。
「魔力って、目で見えたら便利だと思いません?」
「……便利、だけど」
「例えば、魔物が近づいてきたとき!」
私は、机の上に置かれた小さな魔石を指さした。
「魔力の変化が見えたら、何かが起きてるって分かるかもしれません!」
「……うん」
「それに、魔術が上手く使えない人も、自分の魔力がどう動いてるか分かったら、練習しやすくなりそうです!」
「……確かに」
ネスラさんは、少し考え込んだ。
「……でも、魔力を見えるようにする魔術なんて……」
「じゃあ、作りましょう!」
「…………」
「……ネスラさん?」
「……今、何て?」
「作りましょう!」
私は、元気よく答えた。
「ないなら、作ればいいんです!」
「…………」
ネスラさんが、ゆっくりと目を閉じた。
「……君、本当に簡単に言うね」
「えへへ!」
私は、研究室の中央へ移動した。
「じゃあ、ちょっと試してみますね!」
「……ちょっと?」
「はい!」
私は、右手を床へ向けた。
「《アースウォール》!」
ゴゴゴッ!
床から、薄い石の壁がせり上がった。
高さは、私の背丈くらい。
幅は、両手を広げた程度。
普通の《アースウォール》なら、これで終わりだ。
でも、今日は少し違う。
「……ふふっ」
私は、壁に手を触れた。
魔力を、ほんの少しずつ流していく。
壁の表面に、細かな魔力の粒を並べる。
外から魔力が近づいたら、その変化を拾って、光るように。
……うん。
できそう。
「……よし!」
私は、ネスラさんを振り返った。
「ネスラさん! 氷魔術を使ってみてください!」
「……分かった」
ネスラさんが、右手を上げた。
「《アイスシールド》」
空中に、小さな氷の盾が現れる。
その瞬間。
――ぱあっ!
石の壁に、青い光の波紋が広がった。
「…………」
ネスラさんが、固まった。
「……え?」
「見えました!?」
私は、思わず跳び上がった。
「やりました! 成功です!」
「……今の、何?」
「魔力の動きです!」
「……魔力の?」
「はい!」
私は、壁を指さした。
「氷魔術が発動したとき、周りの魔力が動いたんです! その変化を光にしてみました!」
「…………」
ネスラさんが、壁に近づいた。
そっと手を伸ばす。
「……これ、魔力感知じゃない人にも見える?」
「もちろんです!」
「……魔力が少ない人でも?」
「はい!」
私は、にっこり笑った。
「だって、光ってるだけですから!」
「…………」
ネスラさんは、しばらく黙っていた。
それから。
「……セリス」
「はい?」
「……君、またとんでもないもの作ったね」
「えへへ! ありがとうございます!」
◇
「……もう一回、やってみよう」
「はい!」
ネスラさんが、再び氷魔術を使った。
――ぱあっ!
壁に、青い波紋が広がる。
「おおっ!」
私は、嬉しくなって手を叩いた。
「綺麗ですねえ!」
「……うん」
「じゃあ、今度は私が!」
私は、指先に魔力を集めた。
「《ウィンド》!」
ふわりと風が吹く。
すると、今度は壁に緑色の光が走った。
「……っ!」
ネスラさんが、目を見開いた。
「……色が違う」
「はい!」
私は、嬉しくなって頷いた。
「魔力の変化に合わせて、光り方を変えてみました!」
「……それも、今考えたの?」
「はい!」
「…………」
ネスラさんが、天井を見上げた。
「……魔術師団長、辞めたくなってきた」
「えええっ!? 何でですか!?」
「……君が、何でもできるから」
「そんなことないですよ!」
私は、慌てて首を振った。
「だって、これ、私が魔力を送り続けないと動きませんし!」
「……うん?」
「それに、壁が大きいですし、持ち運べませんし!」
私は、石の壁を見上げた。
「……うーん。これじゃ、私しか使えませんねえ」
ネスラさんは、しばらく壁を見つめていた。
そして。
「……魔石で動かせないかな」
「……えっ?」
「……魔石を使えば、魔力を送り続けなくてもいいかもしれない」
私は、目を見開いた。
「……あっ!」
「……それに、壁じゃなくて、小さな板にすれば」
「……っ!」
私は、思わずネスラさんの手を握った。
「それです!!」
「……近い」
「すごいです、ネスラさん!」
「……まだ、できるとは言ってない」
「でも、できたら誰でも使えますよね!?」
「……うん。魔道具班に相談すれば、可能性はある」
「だったら、早速相談しましょう!」
「……今から?」
「はい!」
「……君、昨日も研究会を一時間延長したよね」
「……えへへ」
「……笑ってごまかさない」
私は、思わず肩をすくめた。
……でも。
これは、絶対に面白い。
だって、魔力が見えるんですよ?
しかも、魔術師じゃない人にも!
魔力感知が苦手な人だって、自分の魔力の動きを確かめられる。
魔術の練習にも使えるかもしれない。
魔物の接近を調べる道具にもなるかもしれない。
そして、いつか。
あの森で感じた何かの痕跡だって、見つけられるかもしれない。
「……ふふっ」
私は、思わず笑った。
「……セリス?」
「ネスラさん!」
「……何?」
「これ、世界中の人に使ってもらいたいです!」
「……また大きく出たね」
「だって、魔法って面白いじゃないですか!」
私は、壁に広がる青い光を見上げた。
「私だけが使えるなんて、もったいないです!」
ネスラさんが、少しだけ笑った。
「……そうだね」
◇
その日の午後。
研究院の魔道具班が、研究室に集まっていた。
「……これが、魔力を可視化する魔術ですか」
「はい!」
私は、石の壁を指さした。
「魔力の変化を、光にしてみました!」
「……なるほど」
魔道具研究者の一人が、壁に近づいた。
「これを小型化して、魔石で動かす……」
「できそうですか!?」
「……簡単ではありませんが」
研究者さんは、少しだけ笑った。
「面白いですね」
「……っ!」
私は、嬉しくなって身を乗り出した。
「ですよね!?」
「まずは、魔力供給をどうするか。それから、反応する部分をどう小さくするか……」
「はい!」
「あと、持ち運びできるようにするなら、耐久性も必要ですな」
「なるほど!」
私は、ノートを開いた。
次々に意見が出てくる。
魔石の種類。
装置の大きさ。
光の見やすさ。
そして、誰でも使えるようにするための工夫。
……すごい。
私一人では、ここまで考えられなかった。
「……ふふっ」
私は、思わず笑った。
「……どうしました?」
「いえ!」
私は、研究者さんたちを見た。
「やっぱり、みんなで考えると面白いですね!」
研究者さんたちも、笑った。
「こちらこそ、面白いものを見せていただきましたよ」
ネスラさんが、隣で小さく頷く。
「……これなら、王国軍の監視所にも置けるかもしれない」
「はい!」
「……ただし、まずは安全な場所で試験してから」
「もちろんです!」
私は、勢いよく頷いた。
「それに、いつか他の国の研究者さんにも見てもらいたいです!」
「……他国?」
「はい! 魔族の魔術とか、エルフの精霊魔法とか、私たちとは違う方法で調べられるかもしれません!」
研究者さんたちが、顔を見合わせた。
「……それは、興味深い」
「魔族の魔道具技術と組み合わせれば、別の発展も考えられますな」
「ですよね!」
私は、嬉しくなって笑った。
私が作ったのは、最初の一つ。
でも、ここから先は、もっとたくさんの人が育ててくれる。
いつか、魔力を見る道具が当たり前になったら。
……きっと、すごく楽しいだろうなあ。
◇
夕方。
研究室には、まだ石の壁が残っていた。
私は、研究ノートをまとめながら、今日の結果を確認していた。
魔力の動きを、光にする。
成功。
誰でも使えるようにする。
……これから。
あの森の何かを見つける。
……まだ、分からない。
「……うん!」
私は、満足して頷いた。
「……セリス」
「はい?」
ネスラさんが、壁を指さした。
「……これ、消せる?」
「もちろんですよ!」
私は、指を鳴らした。
石の壁が、ゆっくりと床へ沈んでいく。
……はずだった。
「……あれ?」
壁の一部が、まだ青く光っている。
「……消えてないね」
「お、おかしいですねえ」
私は、壁に近づいた。
「……魔力の残りが反応してるのかな?」
「……それも記録しておこう」
「はい!」
私は、慌ててノートを開いた。
そのとき。
コンコン。
研究室の扉が叩かれた。
「失礼します!」
研究員さんが、顔を覗かせた。
「ネスラ師団長! セリス殿!」
「はい?」
「剣聖アルディス様から、ご伝言です!」
「アルディスさんから?」
私は、首を傾げた。
「何でしょう?」
「明日、知り合いの方が王都に到着されるそうで、お時間を空けておいてほしいとのことです!」
「……知り合い?」
「はい。エルフの吟遊詩人、ルシャナ様とおっしゃるそうです」
「……ルシャナさん?」
聞いたことのない名前だった。
でも、エルフの吟遊詩人さんかあ。
……エルフ。
……精霊魔法。
……っ!
「ネスラさん!」
「……何?」
「エルフの魔法って、どんな魔法なんですか!?」
「……セリス」
「はい!?」
「……まず、壁を片付けよう」
「……あっ!」
研究室の真ん中では、青く光る壁が、まだぴかぴかと輝いていた。
「……えへへ」
「……笑ってごまかさない」
「はーい!」
私は、もう一度壁に手を伸ばした。
……でも、エルフの魔法かあ。
どんな仕組みなんだろう。
精霊さんって、本当にいるのかな?
もし会えたら、色々聞いてみたいなあ。
「……セリス」
「はい?」
「……また光が強くなってる」
「えええっ!?」
私は、慌てて壁を見た。
青い光が、さっきよりも明るく輝いている。
……あれ?
何で!?
「……ネスラさん!」
「……何?」
「これ、ちょっと面白いことになってません!?」
「……まず、消して」
「はーいっ!」
また怒られちゃいました。てへ。




